壺中居の広田不孤斎著『骨董裏おもて』は、文庫本になったら通勤電車の中で読むのに実に好適であると愚考する。一種の「芸談」とも称すべき内容で、これから社会人となる学生に薦めたい一書である。
「用途の違いに御注意」という一文が実に傑作。欧米人が染付古便器を珍重して、花を活けたりするという話の逆である。人生訓としては、「取柄は弟子より年上」が含味があるかな。
壺中居の広田不孤斎著『骨董裏おもて』は、文庫本になったら通勤電車の中で読むのに実に好適であると愚考する。一種の「芸談」とも称すべき内容で、これから社会人となる学生に薦めたい一書である。
「用途の違いに御注意」という一文が実に傑作。欧米人が染付古便器を珍重して、花を活けたりするという話の逆である。人生訓としては、「取柄は弟子より年上」が含味があるかな。
東博に新指定重文の展観を観に行く。写楽展が延期になったせいか、入館者は僅少でじっくり拝見できた。わたくし的には、天理図書館の『僻案抄』と、『北野宮歌合』の鎌倉の写巻だった。常設展示もざっと観たが、遠州筆の『定家卿筆道』が出ていた。いつか閲覧に行きたいと思っていたものなので、ラッキーだった。不昧公の愛蔵にして、松平直亮氏寄贈とある。亡父の実家である神社にも、直亮氏寄贈の典籍が若干存している。
例年のごとく同居人と一緒だったので、亀戸に藤を観に行くことにした。亀戸餃子は大行列で、入るのはやめにしておく。境内から見上げるスカイツリ―は、けだし東京新風景といふべし。
表千家の社中が社務所で釜を掛けておられた。1服いただこうかな(500円!)とも思ったが、先を急ぐ。急に泥鰌が食いたくなり、飯田屋へ丸鍋をつつきに行く。ビールの大瓶を2本空ける。
さて、娘は休日出勤だったが、ロイヤル・ウェディングの生中継が観たいというので夕方には帰ってきた。女性陣はこういうのが好きだねえ。べ、ベアトリス王女の帽子がァ…と大騒ぎしている。聖歌隊の坊やの髪の毛がてかてかしていたので、テリがすごいねえと言ったら、テリ、テリ…と娘が大笑いした。
古典文学ライブラリーの山口さんとシステム開発のご担当者にお越しいただいて、キャンパス図書館の課長殿と「web図書館」のトライアルについて打ち合わせる。さしあたっては『新編国歌大観』がweb上で利用できるわけで、このDBのへヴィ・ユーザーたる大学図書館では、どこでも導入することになるだろうが、文学にとどまらず、美術・芸能はては古典に関わる文化表象を調査・研究する際には、必須のアイテムとなるに違いない。お茶やお香、書道をたしなむ方々、また古書店さんなども導入されてはいかがだろうか。
授業はやっとこさ来週から始まることに。結局はKOさんのように、先週あたりから始めるのがベストだったと思うが、節電がらみの状況もどうなるか分からない。 N氏のご勤務先T大学は大胆な節電対応をなさるらしい。どうも冷房は使えそうもない雰囲気だが、どうなるかな。我々が学生だった時分には、もちろん教室に冷房は無く、大学全体で冷房の入っていたのは唯一図書館の参考室だけだった。しかし、当時はPCなんかなかったし、前提条件が全然違うだろう。
山手線も、真ん中の車輛だけ時々冷房車が連結されていたなんて、昭和の昔語りである。地下鉄は構造上、冷房は入れられないと言われて信じていたしな。こうなったら、暑い時節はきっちり休むにしくはない。日本人はほんらい、自然に順応した生活が身についていたはずだ。
そうそう、キャンパス図書館の展示ケースの埋め草に、例の相馬御風の短冊とキャプションを持っていく。適当にあしらってくださるようにとお渡ししておいた。延期になった九曜文庫展のおこぼれが来るまでのつなぎである。連休明けには展示してくださることだろう。
助教さんと打ち合わせをして、研究室を片づけていたら、ケーキを食べるので来ませんかとコース室に誘われた。K君提供のクッキーを持って参上、Iさんが買ってきたロールケーキをご相伴する。お茶談議をひとしきり。Iさんは結婚祝いのお品をもらったらしい。私も用意してあるが、なかなか渡す機会がない。実はIさんと私は最寄り駅が一緒なのだが、まさか拙宅まで受け取りに来てとも言えないからなあ。新婚旅行は山陰か北九州へ行きたいとおっしゃるので、大宰府の周辺はいいよと話したら、そのあたりのご出身者がおいでになったのには吃驚した。
同居人が金沢から帰ってくるので、19:00に帰宅し夕食を準備する。魚屋に宍道湖産の蜆が売れていたから、思わず買ってしまったが失敗だった。最悪の泥蜆! ゴ―ヤの白和えも、下処理不十分なまま、半端なものを作ってしまった。うまくいったのは、豚肉と牛蒡とシラタキと大根の漬物の千切りを炒め合わせた一品で、ここに千波の青実山椒を加えたら最高だが、あいにく一昨日全部食ってしまったのだった。蜆は3分の1ほどを使い味噌汁にしてしまう。ああ、これじゃ出汁以外の何物でもないわ。K君から研究室でお飲みくださいといただいた姨捨正宗「棚田」を、持って帰って飲んでしまいました。
同居人は金沢へ調査に出かけた。山のように溜まった郵便物の返信をしたためる。コース室から井上宗雄先生のご講演のDVDが発見されたので、福岡のYさんと、Nさんにお送りする。また、抜刷を送ったり、ご著書をいただいた御礼状などをまとめて書いた。Sさんは博士論文がようやく公刊されたわけで、さぞかしお喜びのことであろう。なにかお祝いを差し上げるか。
松江の老母に、H先生のお茶会の写真や、その時にいただいた蓋置などを見せに送ることになっているし、こもごもバックに入れて郵便局へ行く。パンを買って帰る。今日は大学へ行くのはやめにした。
キャンパス図書館の課長さんに、展示のことで相談を受けているので、相馬御風の短冊でお茶をにごそうとキャプションを作る。K君に依頼されてお宝を京都から取り寄せるに際し、業者さんへの手数料代わりにと私費で一緒に注文したものである。校歌の作詞者だから、時期的に好適かと思う。
初句は「林かげ」↑。「森かげは・・・」となっている歌碑がある。わりに目にする歌だが、本文異同が生じていて、末句を「松風のおと」とするものも確認できる。御風の短冊だと、3~4万という相場だろうが、ずいぶん安くいただいた(G堂には同じ歌の色紙が5万5千円で出ている!)。これを展示することにしよう。
林かげ草の葉だにもうごかぬに しづかにきけば松風のある 御風
白洲正子展を観に行った機会に書庫から引っ張り出してきた広田不孤斎『骨董裏おもて』(国書刊行会)を拾い読みする。今日は暑かったな。高取の(見立て)平茶碗でお薄を点てて、わびしく自服する。「一の白」は実に美味い。3服喫する。床には小出粲の短冊を掛けているが、先日、京都でン千円で買ってきたもの。茶花は庭の「普門院」という椿を生けてみた(普門院は小泉八雲の怪談に出てくる松江のお寺である)。
茶 月も日ものどかにめぐる宿ならん まどに茶臼のおとぞ聞ゆる 粲
いささか現今の時局に合わぬかなあ?
同居人から電話。調査はがっくりの結果だったらしい。安い往復航空券を買ったため、明日の帰宅はずいぶん遅くなるとのこと。明日も夕食は私が作るのかな。今日は野菜が少なくて、またパンを始末することになり、人参を主にトルコ風?野菜ペーストを作ってみたが、シナモンを入れ過ぎた。ピーマンと豚肉の炒めものは上首尾だったがね。娘が珍しく20:00過ぎに帰ってきたので、姑殿と3人で晩飯にする。
13:00から日本橋方面で、社会人向け講座の第1回の講義を行なう。考えてみれば年度が明けて、最初の授業?となった。
冬学期は夜の時間帯だったが、昼の方が需要があるとの事務方の慫慂で午後に移したものの、受講者数は「サインはV」で(半分弱)、人気が無いことはなはだしい。最小催行人数を何とかクリアしている程度なれど、まあ、この人数だからやりやすいといえばいふもさらなり…という感じである。何でもものは考えようだ。
「末の松山」の話から始める。あまり暗くならないように気をつけた。そうそう、多賀城市の末の松山の名蹟は津波の被害を受けなかったそうですな。
終了後、「にほんばし島根館」までたらたら歩き、「一の白」90gと青山蒲鉾店のあご野焼きなんぞを買い、JRの神田駅まで歩き、帰宅する。
ようやく大学も始動モードに。14:00から学部のキックオフ・ミーティングを実施する。新たにコースに進級した2年生のみを対象とし、しかし学生を集めてのガイダンスの類を行なってはまかりならぬとのお達しなので、科目登録に関する相談会という装いで行なった。もちろん、参加は任意である。参加人数は対象者の半分弱…サインはV!…くらいであった。
1時間ほどで予定通り終了。私は主任として全員とメールでやりとりをしているはずで、何となく親しみがあるが、名前と顔が一致するわけではない。海外へ行くというので、演習登録で便宜をはかった学生さんから挨拶された。
16:00からは大学院のガイダンスを行なう。懇親会めいた歓談の時間を含め、19:00過ぎまでかかる。K教授はおいでにならなかった。助教さんにご自宅へ電話を掛けてもらうと、いまウォーキング中だと! またもや隠居モードで、困ったものである。院生が可哀想だぞなもし。そうかと思えば、T教授の研究室は1人も院生が来なかったし…。何となくちくはぐな感じだった。
我が研究室の新入生は、修士課程に1名のみ。これで修士は5名となった。全体に中国からの留学生が多い。研究生として来日している人も顔を出してくれたが、エストニアから来たとおっしゃるので、RR先生をご存知ですか?と尋ねると、指導教授だったよし。エストニアへは3回くらい行ったからなあ。狭い世界である。フランスからおいでの研究性も、VB先生をご存知であった。
片づけが終わってから、6名ほどで「かわうち」へ行く。大震災と大学のスタートが遅れた影響は甚大だったそうだ。「浦霞」を飲む。
K君が欲しいと言っていたブツが京都から届く。お気に召したようだ。いや~こりゃ安いと思いますぜ。なかなかよいお品であります。
W君があるはずと言う井上宗雄先生のご講演DVDを発見。Yさんからバカ田時代の写真をとの下命で、研究室をひっくりかえして一両枚をみつくろった。「語る会」で披露される予定。
正午にお茶のお稽古に行く。初心者組は私1人で、行ってみたら風炉だった。H先生から先般のお茶会の写真をお頒ちいただく。お楽しみ席に出した掛物もずいぶん大きくりっぱに写されていた。わ、私のコスプレ?姿も…。
ここのところ自宅にて、ひたすらお薄を点てまくっているのだが、だんだん面倒になり、松江のダイニング点茶方式に堕しているので、N先生からはあれこれ指導を受けるばかり。情けなや。自宅にはまともな茶道具何もないし、茶室も無いから、稽古にならんのよ。茶巾の搾りかたが不十分だから茶碗がちゃんと拭けないのだと叱られた。茶杓の扱いも、頭では分かっているつもりでも、うまくいかないものだ。できるところは速くなり、できないところは滞る。まことにお点前とはパフォーミングアーツと知る。
J堂さんに香川景恒の賛の和歌がよく読めないと言われたので、お読み申し上げた。こりゃおそらく「玉江」ですな(「玉江」は越前国の歌枕だ)。すると上の句のここは「きよし」で、「玉」と縁語になっとるんでしょうと、このあたりは専門分野なので、おちゃのこさいさい。読み賃をいただけばよいのにと誰かに言われたけれど、京都の古書店あたりでも、ただただ読まされるだけだものなあ。金の無い学者は悲しいもの。さてその幅は、H先生がさっとお持ちになった。
東京駅で日本酒と平田牧場のメンチコロッケを買ってから帰路へ。最寄駅近くの大型店の食料品売り場で同居人と娘に合流、買い物をしてから帰った。夕食に、仕込んでおいた塩豆腐を出すと、しょっぱすぎると文句を言われる。それは、サラダにのせてみたら、程よい加減とあいなりましたわ。
久しぶりに古記録研究会に出席する。E学部の教室が会場。フランスからお越しのVB先生がゲストで参加しておられた。震災直後、パリからお見舞いのメールをいただいた。先日は仏文のS教授と食事をされたとか。狭い世界である。
ご新著を頂戴した。NOTES SANS TITRE・・・鴨長明『無名抄』のフランス語訳である。長明とは、時節柄つきづきしい。「震災後に読む文学」としては、『方丈記』『発心集』だとは思いますがね。
18:00から編集会議で、T書籍の受付で手続きをしていたら、O君に声をかけられる。O君は私が卒論指導を担当した学生で、今春T書籍に入社したのである。卒業式が中止になったので、久しぶりにお目にかかった。
現在は人事部署に仮配置されており、研修で立川・八王子方面の営業に従事しているという。「先日、C大附属のKさんにお会いしたら、先生の話をされていました」ですと。Kさんは元町内会長さんの坊ちゃんである。O君は大学附属高の出身なので、同じ会議に見えた同高のY先生にも挨拶していた。
さて、今日の夕食は「人形町 今半」の豪華弁当だった。いやはや、口福、口福。
会議は20:30に終わったので、いつもと違って早いなあと思ったが、今までは18:30開始だったから、結局はあまり変わらないのであった。編集委員の皆さんと馬鹿咄をしばし。震災の意外な影響で、結婚願望が高まっているという。それなら夜間、計画停電を実施すれば、出生率が高まるだろう。少子化担当大臣と節電啓発担当大臣は兼任とすべきであると、いささか不謹慎な発言をしたが、特段とがめられなかった。現在、少子化担当は与謝野大臣だか、気持ち悪い。やはり村田大臣とすべきではないのかなあ。
ちょうどO君が退社するところだったので、電車に乗って最寄り駅まで一緒に帰り(O君ほんとうは一つ先の駅らしいが)、ダイニングバーに誘って少し飲む。いつも前を通っているお店に初めて入ってみたが(自宅近くで飲み屋に入ることはないからね)、まあ、30歳代をターゲットにしている感じで、おじさんにはやや辛い(お酒の品ぞろえは悪くなかったが)。フロアスタッフの対応も、素人っぽ過ぎて、いただけなかった。
せいぜい、しっかりと勤めなはれ。
ステテコを買いに行く。昼は蕎麦屋に入った。「ギンザ」と名の付く商店街?の中にあるお店。二種せいろを注文。
私の体型を眺めて、フロアのおねえ様?が、大盛りもできますけど…とおっしゃる。いえ、ちょいとたぐれば結構ですから、でも、このお店に大盛りは変ですねえとお答えした。このシャレはおねえ様に、ただちに通じる。なにせ、「un peu」という名の蕎麦屋だからね。
なかなか真っ当なお仕事振りだ。猪口は昭和製陶製の「うみぶどう」をお使い。しかし、秀逸だったのは蕎麦湯で、湯桶ならぬ汁注で供されたが、一滴残らず飲んでしまった(出雲蕎麦を食いに行くと、蕎麦湯は蕎麦の前から出されるが、あれは実によい風習だ。蕎麦に普通のお茶は絶対合わないからね)。お酒のラインナップは、磯自慢以下、徹底して静岡の銘酒を揃っている。車を運転して来たので、残念無念。
12:15から教室会議を開き、予告通り10分で終了。12:30にW教務主任殿に呼ばれており、教務室へ赴く。まあ、根回しみたいな話で、この人にしては周到な措置であると感心。廊下でしばし副学部長殿につかまったりしたが、研究室へとって返し、教室会議の議事要旨を作成して配信する。昼食を摂りそびれた。
研究室をお訪ねしてM教授に弔意をお伝えしようと降りて行ったら、教員ロビーにちょうどそのM先生ご当人がおいでであった。A教授も来合わせ、お悔やみを申し上げる。ご母堂の葬儀は済ませられたよしだが、ご尊父のご遺体はまだ見つからないという。ご本人を前に、どのようにお慰めしてよいか言葉を失う。M先生も感極まって嗚咽しておられた。幾千の父、幾千の母、幾千の子どもたちが亡くなったことだろうか。ふと、土岐善麿の「遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし」という短歌が頭に浮かぶ。香奠を受け取っていただく。また明日から陸前高田へ向かわれるよし。親だから務めを果たさなければ…というお言葉が痛ましかった。
14:00から定例教授会。新規嘱任の教授、准教授、専任講師、助教、助手の方々がまず紹介された。そうだ、教員組合のオルグをしなければ!と今ごろ気がつく職場議長。教務統轄理事とO教務部長が入って来られて、報告事項が1件あった。教務部長殿はこの間の激務でぶっ倒れたと仄聞したので、ご退出の際、会議室の扉の外でユンケルを1本差し上げる、お茶目な私。
地震災害時の避難について説明があった。なにしろキャンパス内は現在大工事中で、どまんなかに聳えていた高層研究棟の除却が完了し、本日起工式が行なわれたそうだが、高層棟から切り離された低層棟の強度について質問が出る。「ていそうの危機」というヤツだな。(笑) しかし、鉄扉を開けろだとか、×××教室で授業中に地震が起きたら学生をどこへ誘導するかだとか、やたら具体的で細かい話が出る。×××教室はキャンパス内最大の教室だから、要するに、「私は人気教授なのよ」と言いたいのだろうか? 非常時の身の処し方くらい、自分で考えられないのかいな。正直、いささか呆れ果てた。私だったら、念仏を唱えて、従容と死んでいくがなあ。じたばたしても始まらんわい。
協議事項まではガマンしたが、あと1時間はかかると見て(実はもう2時間かかったらしい)、諸会議の報告事項の前、17:30過ぎにエスケープする。お気の毒なのは、初めて我が教授会に出席された新任准教授殿。これでもずいぶん早くなったのよ。そのまま麻布十番へ。
A師匠の和歌史のご講義を拝聴する。こういう機会は滅多にない。その後は基礎演習。一人ひとり歌わせられたので、巧劣がはっきりしてしまう。ああ、どうもいかんなあ。今日は欠席者が多かった。東京タワーも節電中。O社長ほかとカレーを食う。
O社長は理系だけに、原発事故対応についてのご意見をなるほどと伺った。ただちになすべき手を何も打たない今の政府がどんなにダメか、もう慄然としてしまいますな。首相は一刻もはやく替わるべきと確信する。また国防意識皆無という点も度し難い。可哀想なのは自衛隊員である。彼らはこんなに貢献しても、勲章一つもらえないのだ。警察官、消防隊員とのあまりに大きな差別がある。
坪内逍遥の短歌に、「大震(おほなゐ)揺り大き火ありて幾代々の人の力の跡形も無き」という作がある。関東大震災の折に詠まれたもの。このたびの震災は、加うるに大津波、原発事故と続き、世の注目はむしろ原発に集中して、「世の中にたえて原発無かりせば・・・」という替え歌?もついつい口をついて出てしまうわい。
ポンと100億円を拠出した御仁もあるが、一体ウチは今までに、総額どれくらいの義捐金を送ったんだろうと話し合ってみた。てんでバラバラでよくわからん。コンビにでも飲食店でも、釣銭はだいたい募金箱に入れてしまうし…。同居人は郵便局から、さしあたり10万円を日赤に送ったという。娘は勤務先で、超過勤務手当を全額寄付すると言っていた。このところ連日21:00まで残業だから、相当な額になるんじゃないかな。夏には陸前高田へ、支援のため勤務先から派遣されるかもしれないとか。ともあれ、なんだかんだで、総額30万円ほどにはなるみたいだ。その一方で、珍しく町内会は義捐金を集めに来ない。花見は中止になったがなあ。
復興のための増税は、こりゃどのみち仕方がなかろうし、よしんば所得税が10%上がっても、消費税が20%になっても、お国のためだ、文句は言うまい。しかし、原発事故の関係では、補償の類が際限もなく拡大して行くような気もする。これは収拾できるのだろうか? こういう事態に、人文系の研究者は無力なものである。せめて収入の1割くらいは喜んで差し出すべい、と思う次第。
しばらく短冊を買うのはやめよう。ううう、最後に1枚、注文するかなあ。
昨夜のラムの食い過ぎで、同居人にすっかり嫌われてしまった。で、早めに東京へ帰ることにする。11:00にチェックアウトし、少しぶらぶら。
画像は誓願寺の有名な「迷子みちしるべ石」。本年中に誓願寺に関係した論文を1本書くつもりなので、お参りした。それから、「宮脇賣扇庵」をのぞく。竹製の檜扇みたいなヤツが気に入ったが、高価! 娘に「ぎぼし」の吹き寄せをリクエストされていたそうで、柳馬場通りを南下、袋入りを購入する。それから錦の市場で少々買い物し、昼食は京都駅で適当に摂ってから、新幹線に乗る(こだまでしょうか? いいえ、のぞみに)。ぐ~ぐ~寝ているうちに新横浜。
東京駅から帰る途中、電車の中で、一昨日半額でもらった歌合断簡の裏打を剥ぎ取ってみた。裏にも本文がある。こりゃお得だったわい。結構古そう。最寄駅に到着後、代金を銀行で振り込んだ。これでおいらのものである。
帰宅したら潮音堂の目録が届いていた。昨日、B大のK先生の研究室で拝見したが、栄花物語の古本系の写本が載っておりましたぞ。Nさん、確認してはいかがかな? シアトルのA先生から、ご研究の成果が届いていた。昨日は大阪で、A先生のご指導を受けたMさんと同居人が、一緒に文楽を観賞したのでありました。Uさんからもメールが来ていたので、A先生によろしくお伝えくださるよう返信。「井上宗雄先生を語る会」関係の連絡もいろいろ届いている。準備は順調。福岡のYさんから送られてきた画像、なつかしや。おいらも若かったよなあ(二十歳代の頃だから、今より20㎏以上スマートだったんだよ)。ここに写っているI氏なんかあなた、今や公立大学の副学長様である。
11:00からB大学K教授の研究室をお借りして、注釈の点検作業を行なった。画像はB大辺から見える、大文字山。18:00までかかって、予定をすべて処理し終わる。年内に刊行の予定だが、大震災の影響で紙が確保できないかもという話もある。
参会者は8名。岡山から参加のN女子大のN氏と、K元助手と3人でバスに乗り、四条河原町へ移動。N氏が土産の漬物をお買いになり、さて晩飯を食うべいと高瀬川のあたりを彷徨う。むむむ。ピンとくるものがあって、「子羊料理カオロウ館」というお店に突入した。先客は家族連れが1組と、外人さんと邦人女性のアベックさん。実に狭いお店で、アベックさんが席を譲ってくださった。さてさて何をとメニューを見ながら思案していると、隣の外人さんが、ここは京都でも超有名店で、自分は30年通っていると説明してくださった。う~ん、そういうお店だったか。そこで、女将さん?に相談しながら、お薦めのものを片っ端から注文した。飲み物はラングドックの赤ワインにする。
ラムはまあ、ラムだったが、香辛料や香草が十分に効いていて、また柔らかく美味しかったですわ。画像は京都の100選に入ったとかいうステーキだとか。
こういう顔ぶれで飯を食うと、国際学会のことやら、最近の人事についての話となる。K元助手はここが一番踏ん張りどころで、国際的な雄飛も視野に入れているとは大いに結構、私は引き止めたりはしないからご安心を(引き止めて欲しいか?)。しかしまあ、帝国大学は強いですなあ。まあ、万事めぐりあわせということもある。我らしがない私大勢は、ウン・ドン・コンでいきませう。
文楽を観に大阪へ行っていた同居人は、ずいぶん遅く帰ってきて、もう大阪の客はどうしようもないとプリプリしている。彼女に言わせると、もう文楽はおしまいなのだそうだ。それはそれで仕方がなかろうて。人間の営みははかないものだと、つい最近痛感させられたばかりである。江戸以来の伝統といっても、滅びるのは一瞬のことかもしれん。
まずは京都国立博物館の「法然」展を観に行く。最初の部屋だけ混んでいたが、あとはそうでもなかった。2時間ほどかけて法然上人絵伝をじっくり拝見。わたくし的に圧巻だったのは、阿弥陀如来仏立像の像内納入品の中にあった頼朝以下の交名。実朝の名もあった。
会場内でざあさんにばったり。こんなところで何ですが、抜刷をお渡しする。資料について少しく情報交換。
それから学会が開かれる奈良へと向かう。乗り換えの大和西大寺のホームでK大のT先生にばったり。近鉄奈良までご一緒する。T先生はこの学会のお世話役なので、早めに会場へ赴かれるよし。ホスト役のO教授が、この4月、急にK女子大へ転任されたことを聞く。昼食を摂ってから参りますとお別れした。
さて、どこで食うかな。餅飯殿町のアーケードをうろちょろ。「優月」で大福を買ったりした。地元の方が大勢入っている店が美味いだろうとあたりをつけて、「あるるかん」というお店に入ってランチを注文。安くて水準、という感じでありました。
手ぬぐいなどを衝動買いした後、会場のN女子大へ向かうと、KS大のK氏とばったり。お話をしながら歩く。
会場は佐保会館という。昭和3年に建てられた校友会の施設。近くを佐保川が流れている。ゆかし、ゆかし。
燭台付のピアノが置かれていた。
研究発表は3本。F氏の後拾遺集の勘物論は特に面白かった。K元助手やNさん、ウチの研究室からはUちゃんや修士課程のK君も来ていた。感心、感心。皆に懇親会に出るよう申し渡しておく。Nさんは本ができたよしで、あちこち配りまくっていた。なお、「井上宗雄先生を語る会」のフライヤ-を配っていただく。T先生もアナウンスしてくださった。
懇親会に出てから、京都へ戻る。A氏と一緒に急行に乗り、丹波橋で乗り換えて三条はすぐであった。宿舎に帰ると同居人のお客が見えていて、お薄を点てさせられる。「優月」の大福はあっという間に消えた。旅茶碗をもってきたが、これについては少しショックなことがあった。むかむかするので、ここには記さない。