そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

11月30日(水)出光美術館で講演

2016年11月30日 | 公開

  会議日。午後、会議が1件。訳あって、一刻も早く終わってもらわなければ困るので、議事には全面的に協力する。1号委員(教授会での選挙で選出された委員)の中からどなたか副委員長を…という議題が最初だったが、私以外の1号委員は皆、ご都合が悪いような発言をなさる。私も、老母の世話があるからと、事前の打診には難色を示したのだが、こうなっては仕方がない。じゃあ、私がいたします…と言ってしまう。こんな調子で、高校の校長職も引き受けたんだったなと、ふと思い出した。しかし、申し訳ないが、教務・事務方、はっきり言って打ち合わせ不足、準備不足だ。いくら新教務発足間もないといっても、こんなぬる~い委員会は、久しぶりである。緊張感を欠くこと甚だしい。結局、学部長がぬるい御仁なのであろう。人徳のないA教授は、あいかわらず、感じの悪いものの言い方をしておいでだった。もう還暦なんだから、考えたほうがいいぞよ。私が言いたかったのは、向こうの受け止め方を考えて…ということである。どうせ二流大学なのにもかかわらず、こういうところは上から目線、いったい何様だと思っているんだろうね。まあ、安売りする必要もないのだけれど。

  18:00から出光美術館の水曜講座の講演を依頼されている。委員会が早く終わったので、17:00までに来てと言われていたのが、16:30には到着した。学芸員のBさんにご挨拶し、美術館でご用意いただいたpptに、持参のものを合体させて準備を終える。

  講演時間は90分、ぴったりに収めた。ご注文通りの内容を、事前に示した配分で喋ったが、いささか駄洒落が過ぎたか。出光美術館の格調を落としたのではないかと、心配になったが、Bさんはじめ皆さん、おもしろかったと言ってくださった。

  終了後、ビルの地下2階の鰻屋にお連れいただき、饗応にあずかる。昼飯を一瞬、「すゞ金」と思ったが、鰻連荘になたなくて、よかった。菊姫の四合瓶を、4人で1本空ける。といっても、飲んだのはほとんど私だったが…。キャベジンという浅漬けが、おもしろかった。キャベツをジンジャー味にした漬物のようだった。こういう洒落は、大好きだな。


11月29日(火)古書目録

2016年11月28日 | 公開

  関西の、とある古書店街の販売目録が届いた。早速目を通すと、まずは芳艶筆の美麗な錦絵三枚続きに目が止まった。それから、金曜の演習の関連資料、明治、大正、昭和の文献が、まとめて15,000円!ちょうど荊妻が帰宅したので、長唄関係の一括ものをお教えすれば、あら、欲しいわぁとのたまふ。最近は、長唄を研究しておいでだからな。

  で、まだ閉店時間前だったので、電話すると、3点とも取れた。関西の目録は、手遅れになることが多いが、今般の獲物は、競争相手は、まずいないだろうという分野である。自分にとってのたからものは、他人も宝とは限らない。これを数寄と申すが、現代風に言えば、オタクに他ならない。


11月28日(月)二十四首

2016年11月28日 | 公開

独り住む 母の不調を 聞くからに ものも取り敢へず 飛びておもむく
自活して 生きゐることに かまけたり 我の迂闊は さは さりながら
たらちねの 母のみ足を さすりつつ うべなひ難き 事を告げやる
倅一人 娘が一人 ひと日かけて 親に強ひたる 今 できること
諦めて くれつつあるを うれしと思ふ 心の奥の にがくもあるかな
生を享け やそとせあまり 暮らしぬる 街を捨てしむ たちまちにして
心には 受け止むる間も あらばこそ やがて捨て去る このふるさとを
老いてゆく 母のいませば 遠からず この日来べしと 思ひしものを
仏壇に 父の位牌は 残し置きつ 持つに及ばずと 母のたまへば
燈明は 点けたるままに せよといふ 言葉のままに 消さず来にけり
生ひ立ちし 家のめぐりの 空き土地を 吹き抜ける風の 音の寂しさ
搭乗の 待ち合いのテレビ 子と父が 心中と告ぐ 介護疲れに
母のめす おものと思ひ ひと口に 切り揃へたり 朝餉の支度
鶏レバー 身によしと聞く 築地なる 店に求むる 上モツ三百
口に合ふと そもことわりか 我が味の 元尋ぬれば 母の手料理
ほんたうに 誰かとご飯 食べるのは うれしきことと 母はのたまふ
父逝きて 十と四年を 独りきりで 食したためて 摂りて来たれば
ご飯どきに 話出来るは 仕合はせと 同じ話を 繰り返しゐる
いかばかり 寂しかりけむ 何ひとつ 我をば怨む 事は聞かずも
おのが為 作りてくれる 皿の数を だんだんと言ふ お国の言葉
だんだんと 母のたまふ 面映ゆし ともに暮らしし 日は乏しくて
友がきも うからやからも 消えゆきて ゆかりは薄く なりもてゆけど
ふるさとを 喪へる人 あまたあらむ 我そのつらに 入りぬとおぼゆ
我が松江 我が鎮魂の 地と願ふ 事むなしくも なりはてぬめり
しみじみと しじみの汁を 吸ふ時し 身にしみしみて 松江は恋し


11月23日(水)祝日なれど

2016年11月23日 | 公開

  祝日なれど、授業実施日である。9:00過ぎに業務があり、14:00にも拘束がかかっている。大学へ。

  待ち時間が長いので、合い間に出光美術館へ行く。今やっている展観に、拙架蔵品を2点、出陳しているのである。内覧には都合あって行けず、30日には美術館の会員向けの講演を頼まれているので、とにかく観に行かなければという訳なのであった。

  せっかく有楽町に出たので、銀座熊本館へ行く。「川辺」を一本もとめ、葦のペンというのも購入した。東京駅を回って、大学へ戻る。

  14:00からの業務もさくさく進み、早く解放される。神楽坂で買い物をして、帰宅する。「jokogumo」で、大きなサイズの半纏を買った。これで一家全員、半纏をあつらえたことになる。


11月22日(火)今学期の社会人向け講座終わる

2016年11月22日 | 公開

  ばたばたした果てなれど、日常業務はさくさくこなさなければならぬ。社会人向け講座は今学期の最終回で、昼は「つきじ文化人」で、味噌牡蠣蕎麦をりんだもぢった。さて、講座のしめくくりとして、享受ということを焦点に話す。なぜか細川幽斎、黒田官兵衛に言及した。文禄・慶長の話だったからな。

  講座を終え、築地にとって返し、「宮川食鳥鶏卵」で上モツを300g購入する。医大生の甥に、レバーがよいとアドバイスされたからである。そのまま直帰し、モツ煮を作ったが、うまくいかなかった。(汗


11月20日(日)これが人生の関頭か?

2016年11月20日 | 公開

 この土日、突如として人生の関頭に立つはめに…。(-_-;)

  生(あ)れしより 八十(やそ)とせ余り 暮らし来つる 街を捨てしむ たちまちにして

  搭乗の 待ち合いのテレビ 子と親とが 心中と告ぐ 介護疲れと

 富嶽を見降ろしつつ、いま、できることを、する。そうするしかない、ので…。まだ、手遅れではなかった!


11月16日(水)書道展に一番乗り

2016年11月16日 | 公開

  大学の看板や証書類を揮毫して来られたWさんが、今月でご退職ということを記念して、学内で書道展が始まり、10:00の開場と同時に観に出掛けた。6月に伊勢神宮に奉納した愚詠を、なんと揮毫し作品に仕立ててくださったので、真っ先にそれを拝見する。、Wさんとはいわば同郷同士なので、郷里のお酒を御祝いに提げて行きましたわい。

  そして、先着3名に、Wさんの刻字作品をお土産に下さるというので、もう、恐縮してしまった。愚詠の作品はもちろん、売約済みにしていただきましたです、はい。


11月15日(火)歩き過ぎた

2016年11月15日 | 公開

  八丁堀で社会人向け講座を担当する楽しみは、蕎麦の名店が周囲にいくらでもある、ということに尽きるかもしれない。今日はいづくにてりんだもぢらむ?と思案したが、やはり「湯津上屋」のつけ天がゆかしく、銀座でメトロを降りる。

  開店5分前に店の前に到着すると、既に女性客がお二人、待合に腰掛けておいでで、その後ろに男性が一人。暖簾が掛けられると、四人ともカウンター席に腰掛けた。私は左から二つ目の席になった。私以外は冷やかけすだちをご注文で、この寒いのに・・・と思いつつ、つけ天を大盛りで・・・とお願いする。

  職人さんお一人で切り盛りされているお店だが、その所作たるや、茶の点前を見るがごとくで、左の男性客、スマホを弄り回しているのを、心の中で軽蔑しつつ、蕎麦が仕上がる過程を堪能した。お急ぎの方はご遠慮くださいの注意書き通りで、ゆっくりとたぐれば、もう正午を過ぎた。木挽町から新富町を抜けて、八丁堀へと移動する。途中、青森のアンテナショップを除けば、美味しそうな肉厚きのこがある。虫を出す下処理が必要とあるが、虫も喰わない食材よりも、確実に美味いということである。このお店とも、次第に、顔なじみとなってきたかな。

  社会人向け講座は、隠岐本新古今和歌集の話をした。ほぼシラバス通りで、次回がまとめとなる。まとめのことは、現時点では、あまり考えておりませんがな。講義を終え、またぞろ新富町を抜けて銀座へ出て、有楽町へ向かう。熊本のアンテナショップに立ち寄れば、なんとなんと、「川辺」があるではないか!(あくまでも個人的な評価だが、世界で最も美味い酒の一つだと思いまする)嬉しや! 重くなるのを厭わず、1本購入する。

  荊妻に、クリスマスプレゼントを買ってくるように指示されていた。目当てのマフラーを買いに行けば、最後の一点ですと言われた。貰うのは自分だが、それは、一ヶ月半先のこととなる。

  姑殿は義姉上と温泉旅行に出掛けたので、今夜は荊妻と二人きりである。夕食はチーズフォンデュにした。数日前から準備してあったパンと、カクテルソーセージを用意し、あとは、煮物の残りを使うことにする。煮物にチーズを絡めて食うのも、実に、おつなものだということが分かった。

  ベッドに横たわったら、脚が痙った。どうやら歩き過ぎたらしい。大声をあげてのたうちまわり、なんとか治めることができた。なんとも、はや・・・。


11月14日(月)さしたることもなき一日

2016年11月14日 | 公開

  永井龍男に、「私もそろそろ石になりたい」の一文で終わる随筆があるが(「五百羅漢」)、ああいう洒落た文章が書きたいものだと、つくづく思う。そう思いつつ、早めの通勤を心がけて電車に乗り、メトロに乗り継ぐ。車内は次第に混んできて、左脇の女子高生と密着するような仕儀とあいなった。吊革につかまり、左手で文庫本を開いて読む。女子高生が私の文庫本を覗き込んでいるのが分かるが、こんな老人随筆が、いったい面白いのかしらと、すこし可笑しくなった。

  昨夜はちゃんぽんで酒を飲まされたので、二日酔い気味である。A学部1年の眼鏡君が、酔っ払って、B学部1年の女子を口説いていたが、あまり相手にされていないみたいだった。十八、十九の恋愛は、もう老人にとっては、うざいかぎりである。選挙権は十八以上になったが、あらら、そうすると、この学生たちは飲酒してはならないのでは・・・と気づいたのが、後の祭り。生年月日を確認したわけでもないので、詮索はよしておこう。

  授業の準備が不十分で、朝いち演習のハンドアウトを、大学に着いてから処理し、アップロード、印刷もした。3人に発表してもらったけれど、辞書ひいて調べましたレベルの、担当教授としては実に不満の残る内容。2年の演習だからと、易しくたのが失敗だった。2時限の講義へ行って、1時限目の教室に懐中時計を置き忘れてきたことに気づく。次の先生が使っておいでなので、教室にもどって講義を続ける。ひとしきり話した後、最前列の学生に、いま何時だ?と尋ねると、ちょうど終了時刻。体内時計が機能したか。では、今週はここまでと締めくくり、1時限の教室へ行くと、時計は情報機器のキャビネットの上に、置いたままの状態でありましたわい。

  出欠を入力し、次週の指示などを送信して、さて、昼飯は?と思案の果て、N坂をのぼって行くことにした。金曜ものぼったので、少し控えるべきかなと、頭に過ぎったけれど、よしゑやし、死んでやるの気分で「高七」へと向かう。空いていた。

  掻き揚げ付きを定食、いつもの仕様でお願いする。「いつも」とは、天つゆ塩不要で、大根おろしのみをいただき、サーヴィスの自家製ふりかけも不要、ご飯は仏様のお供えほど、おつけも少なめもしくは薄めていただく、というものである。もちろん、米の汁も、熱めのお風呂程度にしていただく。大学に勤めて、「高七」で米の汁をいただきながら、昼飯が食えることが、至福といふべからむよ。

  4時限の講義が始まる頃合いには、米の汁はすっかり覚めている。1本だから、そんなものだ。十二分にアルコール消毒がなって、教室へ。今日は、曾禰好忠の話の続きを喋った。その後、用を済ませると、もう真っ暗である。急いで帰ることにする。

  先週金曜に打ってもらったインフルエンザの予防注射の痕が腫れ上がって、痛みがある。ひどければ医者にかかれと注意書きをもらったが、人工的に病気に罹ったわけだから、仕方あるまいと、我慢した。かゆみが残っているけれど、だんだん治まってきた。

  帰宅したら、I 美術館から、内覧の招待が来ていた。私は別の約束があるから、荊妻に行ってもらうことにする。姑殿は義姉上と旅行に出掛けられるというので、「松の葉」を包んだ。

  松江の老母への長い長い手紙を、巻紙にしたためた。名乗りを書き、「母上様」と宛名を記す。老母はここのところ、耳が遠くなってきたので、電話では伝わらないことが多くなった。「高七」の大女将と同い歳ののはずなのだが・・・。さらぬ別れのなくもがな・・・と願いつつ、切手の裏をぺろりと舐めて、封筒に貼り付けましたわ。


11月13日(日)嬉しいことあり

2016年11月13日 | 公開

  娘と食事をした。昼に神楽坂へ呼び出し、「大川や」で軽く蕎麦前をたしなんで、二色を注文。みそぢまでに何とか埒を開けてよねと言いたかったのだが、そのあたり、はかばかしいお話もあるそうで、まあまあ、それならば大いに結構…ということにした。このお店、実に実に入りにくいけれども、味は一超級である。

 

  いったん娘のマンションへ行き、荊妻と合流して銀座へ行った。家族三人で銀ブラというのも、何年ぶりだろうか。いや、少なくとも記憶にない。娘が仕事用のスーツを買い、新しくできたという東急プラザへ行ってみた。ろくろ首の柄のマフラーがあって、気に入ってしまったのだが、もしかしたら荊妻殿が、クリスマスプレゼントに買ってくださるかもしれない。冬にろくろ首とは、シュールである。

  夕刻、一応私が顧問をつとめる学生サークルの、学園祭打ち上げに呼ばれていた。集合場所へ向かうと、交差点の手前で鼠閣下にお会いする。このサークルは、いつのまにやらインカレ化しており、四谷の宗教系の学生さんも参加している。夏合宿で縛られ体験を語っていた女子大生さんは、なんと縄をご持参で、男子学生を縛り上げてみせてくださった。病膏肓に入るというが、この人はもう、とことんそちらの方向を極めるほかないのかもしれない。それも、また、人生であろう。

  本日はまことに、嬉しいことがあった。気分よく、二日酔いになりましたわ。(汗


11月11日(金)岡本作礼氏にお目にかかる

2016年11月11日 | 公開

 インフルエンザの予防注射が抽選で当たったので、指定された9:30に大学の保健センターへ。注射を打ってもらい、1000円支払う。幸か不幸か、効果・不効果は知らず、まあ、気安めと言えばそれまでだが・・・。

 10:40からの花札演習は、なかなか面白くなってきた。九月札の発表、描かれている菊の花弁が二種類あるという観察は、まったく気づかなかった。丸形と剣先型が認められるのだそうである。その女子学生は、お祖母様が華道のお家元だそうで、さすが、目の付け所が違う。

 12:10に演習を終え、教員ロビーに戻ると、毎週山形から非常勤に通っているK君とばったり。U教授が大学院の科長に就任された代講を引き受けておいでで、今までU教授が饗応しておられたが、本日は私めが昼飯にお誘いすることとする。

 その前に、キャンパス図書館に学部時代の同期が勤めているという話、メールで挨拶しただけで、まだ会ってないというから、図書館に行ってみたら、ちょうどおいでだった。何十年ぶりかしらん、という話だ。

 昼飯はもちろん、N坂をのぼって「高七」へ行く。K君つぎの授業は16:30からなので、麦酒を飲む。大根の天麩羅に驚いておいでだったが、これは「高七」の名物である。

 中央図書館へ行くというK君とメトロの駅前で別れ、研究室へ。演習の出欠を入力し、授業記録を作り、下読み中の博士論文をしばらく見てから、帰宅することにする。神楽坂の「うつわや釉」で、本日から岡本作礼さんの作品展が始まると案内が来ていた。

 お店に入ると、Nさんと作家さんが談笑しておられた。岡本作礼さんの作品は、いつのまにかずいぶん購入して、普段から使わせていただいている。とくに三島の片口は、めっぽう気に入っている逸品だ。絵唐津なども、素敵である。そのうちオーナーのTさんも戻ってきて、四人で馬鹿話?をした。片口の酒盃をひとつ、売約済みにしていただく。

 帰宅して夕食の準備。寒くなってきたので、荊妻と、今夜は鍋にしようかと話し合っていたのだが、結局、麻婆豆腐を主菜に作ってしまった。野菜が高騰しているというが、家には結構在庫があり、どんどん食べなければならない。荊妻も風邪気味ということで、今の時節、身体には十分に気をつける必要がある。

 娘はまた22:00過ぎまで残業らしい。電通じゃないけれど、大丈夫かいな? 日曜に昼飯を食う約束をしていて、「汐見」に電話したら貸し切りと言われ、「うつわや釉」のTさん、Nさんお薦めの、お店至近の「大川や」を予約した。蕎麦食いのDNAだけは、しっかり遺伝している気がする。


11月10日(木)院生をしごく

2016年11月10日 | 公開

 卒論ゼミでは、学園祭も終わり提出まであと1ヶ月だが・・・と発破をかける。まあ、問題は無さそう。

 博士の研究指導は、A君の下発表。なんとなんと蜻蛉日記論であったが、なにしろ昔、いまは蜻蛉日記の中堅研究者となっておいでになるSさんの、何の因果か研究指導、博士学位請求論文主任審査委員を担当し、さんざんに発表を聴かされたてきたから、よしきた、手ぐすね・・・である。聴き終わって、全然つまらん、構成が悪い、これこれの部分の根拠はそれでいいの?と、さんざん批判する。発表するのが、日記研究の学会だからといって、ジャーゴンで終始すればいいというものではない。結局、テキストが自身をどう語ろうとしているのか、変にいじくりまわすのではなく、虚心にそこのところと向き合うのが、いちばん大切なんじゃないかなと、教授は思う次第である。・・・などとおいらも、時に教育的なことを言うものである。(汗

 まあ、だいぶしごいたから、じゃあコーヒーでも飲みに行くかと、K君と3人で「Cafe Goto」へ行く。お店には、私が顧問を務める学生サークルの幹事長さんもおいでだった。彼女たちの分もおごることにして、結構な出費だったよ。

 修士の演習、研究会と済ませ、例によって「かわうち」へ。 千代田ご城内のかしこき所へお勤めのTさんが、私が関係している教科書会社とはライバルの出版社の編集者の方とお飲みになっていた。それから、E学部のWゼミの方々?が、小上がり全部を占めておいでで、ご繁盛である。W先生、我が大学の、トランプ氏となられることだろうか?


11月9日(水)プレゼントは行き渡って

2016年11月09日 | 公開

  会議日で、今日の最初の会議は10:50開始だった。研究室受付のメールボックスを確認すると、ウィーンに行って来られたM教授のお土産が。お気遣い、いたみいりまする。

  最初の会議は12:00過ぎまでかかり、次の会議が14:00開始で、さっと昼飯を食うべしと「すゞ金」に入る。空いていた。小さい鰻重をご飯少な目でお願いすれば、あっという間に供され、ささっと食ったら、所用時間15分だった。まるで牛丼を食っているような気分。なにしろこれから、私が仕切らなければならない会議なので、米の汁は飲めませんもの…。店を出ようとすると、出入り口近くの席で、社会学のO教授が召し上がっていた。あまりに早く食い終えたので、「Cafe GOTO」でエスプレッソを飲むも、アベックさんが入ってきて席が無いようだったから、さっさと辞去いたしましたとさ。(汗

  さてさて、14:00からの会議も、予定通りきっちり2時間かかった。神楽坂を通って帰宅する。木枯らしが吹いて寒い。「草木堂野菜店」「jokogumo」のオーナーさんとばったり。松江の老母に選んだ袢纏は、昨日発送してくださったのだそうだ。「jokogumo」の袢纏は、とても着やすくて素敵である。荊妻、娘に贈って好評だったから、田舎の老母にもと思った。そうなると、姑殿にも差し上げずんば…と思いいたり、もう1着購入。なんと4着も購入しちゃったぜ。注文すれば、大きいサイズも手配できるということだから、自分用にもひとつ、購入しようかな。

     荊妻のためにメルローの赤ワインをと、「Dolce Vita」を覗けば、1本買うともう1本おまけに付けるという、通販番組みたいな売り方をしていたから、ついつい、つられて購入してしまった。ああ、重たい!

  大統領選挙は、トランプの勝利。

      トランプや 最後に残る いやな札 (右往左翁)


11月8日(火)不摂生?

2016年11月08日 | 公開

  土日は勤務先の学園祭だったが、名古屋へ出張して寄り付かず。出張はシンポジウム・セミナーへの参加で、たいへん為になった。月曜は朝から授業、3コマ。

  時間がどんどん過ぎていく。本日はまず、痛風の病院へ。血糖値がどんどん高くなっていく。不摂生なんじゃないの?と、主治医の先生に窘められる。

  昼食は、「築地布恒更科」で、はまぐり蕎麦をいただくあまりにも立派なはまぐりだったので、お願いして貝殻を頂戴した。

  社会人向け講座はいつもの通り。新富町にある青森のアンテナショップでいろいろ購入し、荷物が重くなったので、直帰する。日曜に娘と昼飯を食う約束をした。ちょっと話がある。娘は蕎麦食いなので、さて、どこの蕎麦屋へという相談中。