そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

5月31日(金)立川へ

2013年05月31日 | 公開

 立川のK研で15:00から、私めが委員長を務める会議が開催されることになっている。勘違いして野り換え駅の1つ前でホームに降りてしまったのは、そこが故指導教授のお宅へうかがう際に降車する駅だったからである。いやはや。

 もちろん昼は「無庵」でりんだもぢる。予約していないからピークを外し、13:00にお店に入れるよう見計らった。2時間あるから醒めるだろうと1杯だけ冷やをいただく。するとご主人のTさんが出てお見えになって話し込む。京都の寺町通り辺の古本屋の話になった。文藻堂に藝林荘、志満家とくれば、進々堂の周辺にあるお店ばっかりですがな。いや、京都へ赴く時には小生も必ず立ち寄っておりますよ。お店に掛ける洒脱な書画が欲しいんだそうである。

 15:00から会議だというのに、まあまあ、北近江のよい酒がありますと勧められる。そりゃもしかしたら、「七本槍」ですか?と言えば、さすが先生!と、蕎麦猪口になみなみ注いでくださるものだから、もう知らんぞなもし。14:30にお店を辞し、タクシーを拾ってK研に横付け、トイレに駆け込んで顔をざぶざぶ洗い口を濯いで、議場へは開始5分前に跳び込む(昨日からとびこんでばかりだ。人身事故か?)。で、出席予定者が全部揃ったので開始予定1分前に会議を始めた。副委員長殿が交代していた。館長が挨拶され、新規のメンバーの紹介は副委員長にお任せする。もとM省調査官T氏は、検定の際に申し渡しを承ったお相手である。狭い世界だ。

 会議自体は1時間と少しで終了、早い時間ながらいつものように駅前辺の飲み屋で懇親会。××氏が株をおやりとは意外だった。明日も早いので1次会で辞去。館長殿は同じお店で、科研の研究会の飲み会をなさっていた。

 今週はまったくの休み無しだ。同居人は調査と学会で京都へ行っている。日曜にご帰宅あそばすのだと。その間の娘の弁当、家族の食事は、小生のお仕事ということになる。


5月30日(木)体育祭の打ち上げ

2013年05月30日 | 校長は日々是口実

 18:30から体育祭の打ち上げだというので、タクシーを呼んでもらい在来線の駅まで行く。雨がざんざん降ってきた。駅前に生徒たちがたむろしており、あ、校長!とか言われた。(汗 今から飲み会なのだよ、ふう。駅前の交差点を渡ろうとすると、角の焼肉屋の中から、あ、校長だ~と叫び声があがった。某クラスが全員で打ち上げ?をしているらしい。一緒に写真撮ってください!とせがまれる。アルコールは入っていない様子で、一安心。こういうことに目くじらを立てない、自由な学校なのだよ、ウチは。エンジョ~イ!と英語で言って、教員の懇親会場のお店へ。途中に生徒寮があるのだけれど、ちょっと覗いてみたが管理人さんのお姿は見えなかったので、ご挨拶はまたの機会とする。

 体育科を中心とした教員と、職員有志の打ち上げである。体育祭の運営を担当されたT教諭の前に座る。ウチの高校の体育祭はベーシックな競技が中心で、色物?みたいなのは少ない(部活の対抗リレーくらいか。当然、自転車で走る自転車部が優勝した)。クラス対抗で綱引きを延々50分もやっていたりする。しかし、これはこれで実に素朴にして、素晴らしいと思った。きちんと記録もとられていて、100mを11秒10とか、スパイク履いていないのによくそんな記録が出るものだなあと正直感心した。

 実は今月末で事務長が異動になる。閉会式では校長の講評はそこそこに、生徒に異動のことを紹介し、ご当人にお話をしていただいた。5年間にわたって事務長をお勤めになり、新しい校舎の竣工や、生徒寮の開設などに関わって来られたので、感慨もひとしおだったと思う。後で応援団が、わざわざ事務長のためにエールを送っておったが、学校の職員冥利につきるとはこのことならむよ。よかったですなあ。

 打ち上げには本年度で退職なさる予定の先生方もお見えで、それぞれご挨拶をされた。校長とは、天皇陛下と一緒で、まあそこに居ること自体が仕事みたいなものだと心得ているのだが、ジンジャーハイボールというのを飲み過ぎて、気持ちが悪くなった。明日もあるので、新幹線の最終から2本めに乗るべく早めに辞して在来線駅まで歩き、タクシーに乗り込んで新幹線駅まで行ってもらった。すると、ホームにするすると列車が入ってくるではないか。しまった、また時間を勘違いしていた。これを逃すと最終まで1時間以上ある。タクシーの料金を支払い、ホームに駆け上り(帰りの切符はあらかじめ購入しておった)、跳び込んだ途端にシューッと扉が閉まった。痛たたた、脚が攣ってしまいましたわい。

 途中駅ではまた、列車に乗り込んでくる生徒に、あ、校長だ!とか言われる。次の駅がある街で打ち上げをしていた生徒も多いらしい。まあ、乗れる新幹線は限られているから、こういう仕儀とあいなる次第。しかし、校地を一歩離れれば、おいらは校長ではない(新幹線駅の待合室では、生徒がいようがいまいが、いつもハイボールか焼酎水割り缶を飲んでいる)。もう知らんがな。校外で校長に、みだりに声を掛けないで欲しい。


5月30日(木)体育祭

2013年05月30日 | 校長は日々是口実

 本日は高校の体育祭にして、また8:00前に着く新幹線に乗る。昨日梅雨入りしたそうで、微妙。開会式のスピーチは腰折れを一首。

   五月雨の空とよもして若きらの声雨雲を晴るけ遣りてよ 有若亡

 力をも入れずして天地を動かし、時折小雨模様だったものの、すべての予定をつつがなくこなすことができて、時間の余裕もあったよし。一緒に写真撮ってくださいと、生徒にずいぶん頼まれたが、きまってVサインさせられるのには往生する。最後の女子生徒には、ハグ「された」。…「した」のではありません。あやまちすな。

 


5月29日(水)国際交流

2013年05月29日 | 校長は日々是口実

 台湾の姉妹校から来訪団がくるので、早い新幹線に乗る。車中、非常勤の先生と一緒になった。話している間に、あっという間に到着。

 校長以下の先生が2名、生徒が50余名。理系のクラスだそうで、女子はたっったの1名。歓迎会を開き、英語で挨拶する。下見においでになったF先生は英語しかお話にならないから、終日英語を喋りまくって頭がグズグズになった。

 この姉妹校へは、昨年秋、校長就任直後に修学旅行で訪問したのだが、今年も150名ほどの修学旅行団を受け入れていただくことになる。下へも置かぬもてなしをせにゃならん。

 交流企画はすべて、ウチの生徒に丸投げだそうだが、実にりっぱに、身の丈にあった交流をリードしている。進行役の女子生徒は英語堪能で、なるほどTOEIC満点の生徒が何人も混じっている我が校の面目躍如というところであった。それにしても台湾の高校生は、語学堪能、優秀そうなのばかりである。とくに紅一点はみごとな手品を披露してくれたので、思わず特別なお土産を差し上げてしまいましたわ。

 お別れのスピーチも英語である。語学が苦手で、国文学を専攻したのが、あやにくな人生である。英語のT教諭から、校長、無難にこなしましたねと言われた。冷やかすなよ。フランス語のほうが得意なのよ(ウソだけど)。

 明日は運動会。飴が心配だが、強行するにしくはなし。


5月28日(火)寄席の芸人と化す

2013年05月28日 | 公開

 社会人講座へ出かける。その前に、「にほんばし島根館」に立ち寄って、片句のめのはを購入した。昼飯は「菅雅」で穴子天にニ色盛のセットをお願いする。付いてきた小鉢は存外味が濃かったので、仕方なく?ノン・アルコール・ビールを注文、ぐぐっとあおったところへ、講座をご受講のご婦人が1人店に入っておいでになったから、慌てた。こ、これはノン・アルコールですゥ!と言い訳する。

 さて、お蔭で講座ではすっかり寄席の芸人と化した。あまり学術的な中身が充填できかなかったが、そのうち苦情が出るかもしれない。憲法も苦情(九条)が問題だそうだしね。

 思い立って、銀座の鳩居堂へ行き、「芸者いろはかるた」を買ってしまった。これは逸品である。


5月27日(月)分担発表をする

2013年05月27日 | 公開

 朝いち演習は、どうも出席状況がかんばしくない。7月22日は通常授業だと思いこんでいたら、この日は補講日で、29日が学期最終の通常授業日なのであった。「理解度の確認」クイズはどうしようかな? 続いてA君相手の精読。博士の研究指導は、土曜日に挙式したばかりのTさんに、学会発表の結論部分のみプレゼンテーションしてもらった。まだきれいに着地ができない。修士の演習は、ちょっとうす味な感じで進む。もう1つ分量を増やせばよかった。

 学生相手の研究会は、教育字実習に出掛けた学生が複数あって、発表者の手当てができないということなので、私めが御自ら担当した。そして、新しい説を提示。このやりとりは、明月記等の記録を見合わせると、正治二年五月五日に行われたと考えざるを得ないという結論を導く。従来は元暦二年と考える研究者が多かったが、そんなことは配列上も内容的にもあり得ない。というわけで、大学教授のプロの手にかかれば、学生の研究会に付き合っていても、論文のネタ、新説の一つもひねり出すことができるのであ~る。えへん。

 終了後は「かわうち」へ行く。私の影響かどうか知らんが、日本酒を好む学生が多くなった。私は途中から角ハイボールに切り替えたがね。

 中国文学の教授や、中国人大学院生を手当たり次第つかまえて、「大家好!」の発音を教えてもらった。先生、発音いいよ!と褒めてもらえるまでに仕上げる。「だーじゃれ(駄洒落)・はお」と言い間違えないよう気を付けなければ。(汗 


5月27日(月)奇襲ばかりが能じゃないか?

2013年05月27日 | 公開

 Nimitz提督いはく、「日本人は奇襲が必要ないときでも奇襲したがる」と。う~む、源平の昔からの、我が民族の性癖なのかなあ? それは、Meckel少佐の教えとも限らんような。鵯越え、迂回作戦、逆落とし。

 やっとこさ英語の挨拶文を考えた。原稿を見ながら読むわけにもいかんからな。中国語は皆目できない。今日は「どはまり科目」チャンピオンのチャイ語Y教授をつかまえて、発音を教えてもらおうかな。大家好!

 光人社NF文庫の『憲兵伍長物語』を読了。


5月26日(日)歳をとらぬと分からぬ事も

2013年05月26日 | 公開

 11:00から注釈の研究会。参加者僅少だったが、来年予定通り出版するためには、うかうかしていられない。今日は歳をとらぬと分からんだろうなあと思われるところがあった。Mさんご担当部分だが、「やさしきさまにはあらで」の解釈。Mさん、「いい加減な態度ではなく」云々と訳しておいでだが、そりゃないぞなもし、小原・錦織注釈そのままだ。結局、おいらが申し上げた「色恋沙汰といった様子ではなくて」というのがよろしかろうという線に落ち着く。「やさし」という形容詞は、解釈が難しいやな。

 Nさんは、実事があったの?なかったの?と叫んでおいでだったが、この場合の実事を、岩佐美代子先生情交と書いておしまいになる。いやはや、岩佐先生ほどの御方にして初めてこう書けるのあって、おいらが書いたらセクハラだ。(汗

 世の中、歳をとらねば、ならぬこともあるという事であろう。

 参会者僅少につき、本日の研究会は早く切り上げることになった。大学構内ではお脳の学会が開かれているので、そちらへ行ってみるかともふと思ったけれど、老いの波にて寄るべもなかったわい(この表現は上述「やさしきさまではあらで」の解釈と呼応します)。神楽坂で買い物をして帰る。夜学の教務をしていた時分の事務長さんがこのたび退職されるので、囲む会を催すことになったが、自然、元教務担当教務主任(おいら)が幹事役をかって出る仕儀とあいなった。「東白庵かりべ」へ立ち寄って、濱田万葉似の花番さんに予約をお願いした。


5月25日(土)結婚式に出る

2013年05月25日 | 公開

 大学院の研究指導を担当するTさんの結婚式に呼ばれた。披露宴開始の1時間前に到着したので、文庫本でも読んで待っていようとクロークに荷物を預けると、まだ間に合いますと神前挙式の陪席に案内された。祭主さんなかなかの美声で祝詞をあげておられたが、神楽の歌は私のほうが上手いかもと思ったわい。

 さて、新婦側の主賓だそうで、2人目にスピーチをさせられることになっており、開始前に白ワインを2杯もいただいたのがいけなかった。話の順序が無茶苦茶になったわい。司会は学部時代のゼミの指導教授であったN氏、ずいぶん喋りまくっておいでだった。N氏のお連れ合いにも、初めてお目にかかってご挨拶した。

 スピーチでは、先日、お祝いの品に添えた腰折れを披露する。みんな、どんびきだったかも。

 新郎新婦は要するに、高校時代の同期生。新婦のご母堂が、新婦にそっくりなのには、まあ当たり前のことかもしれんが、目を見張ってしまいましたわ。おいらもますます、容貌亡父にそっくりとなってきた。DNAとは、恐ろしや。きっと亡父とまったく同じ年齢で、あの世へ旅立つことになるに相違あるまい。 

 ケーキ入刀ではなくして、鏡開きの趣向も結構だったが、なかなか開かなかったぞなもし。そういえば昨年のNさんの披露宴も、鏡開きだった。あの時は各テーブルに用意された酒樽を、T教授と一緒に先に勝手に飲んで、冷汗をかいたわいな。そのNさん、もうご長女を出産あそばした。御国のために、いとめやすかるべけれ。「産めよ殖やせよ国の為」。

 大学院生で披露宴に出席していたのは、I さんとK君だった。まあ、3人は実質同期だからな。着物姿のIさんとは、最寄駅が同じだから、タクシーに乗って一緒に帰った。

 考えてみれば、Tさん、Iさん、K君は皆、我が娘と同い歳である。Iさんはとっくに結婚しておるし、娘は大丈夫かいな。お母さんもあなたの歳には、お父さんと結婚していたんだよ。蕎麦部と称し、友人と蕎麦食いに出かけたのは、やはりDNAか? 今日「玉笑」へ行ったら、とてもよかったわと、報告されましたわ。


5月25日(土)皿にチョウ

2013年05月25日 | 公開

 「うつわや釉」のNさんにかねてお願いしておいたところ、適当な皿立てを見つけてきてくださったので、さっそく秘蔵の伝柿右衛門?の五寸皿を玄関に飾ってみた。ちまたの紫陽花もだいぶ花の形が現れてきたから、季節の先取りだ。紫陽花は「よひら」と和歌に詠まれた。だから、蝶とは取り合わせがまことによろしい。

 ふたつ舞っているので、これは正真正銘のチョウである。


5月24日(金)学校法人本部を右往左往

2013年05月24日 | 校長は日々是口実

 午後はまず学校法人の某部署へ赴き、部長殿との面会である。地元の菓子とユンケルを1本、献上品として持参する。箇所間の関係が陰険になったので、心配した部長殿が仲に入ってくださったのだが、先方が何であんなにひどい言い方をするのか、その理由は理解できた。結局は思いきって改革できるかどうかだろうが、それはこの高校には難しいのかもしれない。外から強引に、変えて行くしかあるまいよ。

 続いて豹議員会とやらに出る。2時間! でも紅茶とケーキが出るから、文句は言えない。E箇所選出評議員のご発言は、私でも的外れだと分かったぞ。Oさん、煮詰まっているんじゃないの?

 監査役殿にご挨拶しておく。めずらしく理事長殿が声を掛けてくださった。

 17:30過ぎにK君と待ち合わせて「高七」へ行く。いろいろ裏話が聞けた。残念ながら銘酒「川鶴」は無かったので、「鶴齢」を頼んだら、こいつはのっけから飲むべきようなお酒ではなかった。どうも中長期的な将来計画を立案するシステムが存在しないことが、さまざまな問題の根底にあるような気がしてきた。人間関係も、人数がそうは多いところではないだけに、難しいことが再認識できた。

 来週、英語で挨拶をしなければならなくなり、一応内容を考えた。中国語というか、中に台湾語も織り込まなければならない。ぶつぶつ口に出して練習していたら、娘に、お母さんよりは発音がいいわねと褒められましたわ♡  娘は英語ぺらぺらだからな。うらやましい!

 


5月23日(木)ハンバーガーを食らう

2013年05月23日 | 公開

 今日は卒論ゼミのみ。終了後に高校へ赴く必要はない。出席者僅少なるも、1名に着目点のプレゼンテーションをしてもらったが、なかなかよかった。卒論というシロモノはやはり、身の丈に合ったところから問題を育んでいくべきだと思う。おのおのその志を遂げ、学生をして倦まざらしめんことを要するのだ。

 卒論は各人のアクティヴィティである。今年は徹底的にそう割り切って、卒論指導に当たっている。

 暑いのでビールが飲みたくなった。コース室にT君が居たから、大学近くのミュージアムに誘う。T君の卒論テーマに関係する展観が行われているのである。その後、少し歩いてハンバーガー屋に入り、ビールを飲んで、ワインまで飲んでしまった。T君は今秋より留学することになっている。推薦状は仏文のS教授に書いていただいたのだとか。なあんだ。S教授にはお世話になることが多いなあ。

 神楽坂で買い物をしようと思ったら、目当ての店は閉まっていた。退職、人事異動にともなうプレゼントを物色しつつ、早めに帰宅する。


5月22日(水)教授会は無慮4時間!

2013年05月22日 | 公開

 午前中に大学院のオムニバス講義をこなす。どうやってテキストを料理するか、どこから包丁を入れるのか、学部2年生の演習で話した内容を流用したが、いろいろな院生がいるから、役に立った人もあろう(A君にはまったく役に立たなかったかもね)。

 休む間もなくコースの会議に出る。終わってメールの返信を出していたら、もう教授会の開始時刻だ。

 14:00過ぎに始まった教授会が終わったのは、18:00過ぎだった。途中、どうにもからかいたくなって(不謹慎!)、何度か発言する。教授会にもブレイクが必要だよね。A学部長殿、お痩せになったんじゃないか。おいらは基本的にというか、むしろ徹底的に与党だから、一生懸命現政権?をサポートしているつもりなんだが、分かっていただけているのかなあ? なにしろ、L学部長殿の候補者推薦人筆頭署名者だったんだからね。白いお髭を生やした顔色の黒~い某有力コースの老先生、ああいう後ろ向きの、ど~でもいいような発言をしないでくれんかなあ

 昼飯を食いそびれて死にそうに腹が減ったので、帰りがけに生ビール1杯とつまみ2品ほどを、ひとり寂しくバーのカウンターで摂る。自家製腸詰を供するため、1年前に開いたお店なのだそうで、ご飯ものは一切無い。いやはや、コンセプトのはっきりした、実によいお店である。人もかくありたし。また来よう。今度はA学部長殿を、お誘いしよう。

 晩飯は帰宅後に食った。バーで腸詰に添えられていた生大蒜のスライスを齧ってきたせいで、同居人に臭い臭いと叱られた。


5月21日(火)京都館のヘヴィー・ユーザー?

2013年05月21日 | 公開

 腹具合が悪く、りんだもぢるのを断念して社会人講座へ。どうも半分は漫談になってきた。今日は暑かったなあ。でも、だんだんと体を暑さに慣らしていくには、よい試運転だ。

 東京駅まで歩いた。日差しがきつく、ビルの日陰を歩く。ふらっと明治屋に入ったら、オレゴン産ワインがあった。重くなるので買わなかったが。

 八重洲の京都館へ行く。実はおいらは、ここのヘヴィー・ユーザーなのだ。本日もポイントでカードがいっぱいになり。、商品券をいただいた。6月下旬に来訪される米国の大学図書館司書の方へのお土産に好適な品があったから、すかさず購入した次第。冷やしあめの素も買ったが、同居人にバレると殺されるので、ナイショである。

 某古書目録に、研究素材としてすぐ使えそうな一括品が載っていた。京都へ電話したらあるというので、図書館に相談すると言って取り置いてもらう。図書館がダメなら個人でもらってもよい。だって、1枚5000円で100枚だもの。そうしたらF課長から、取り寄せて見たいと返信がきた。半ば自分で買う気で頼むと、図書館も敏感に反応してくるのは面白い。まあ、おいらが死んだら、貧弱ながら我がコレクションは全部、大学図書館へ寄贈するつもりだから、遅かれ早かれ…なんだがな。


5月20日(月)やっぱり月曜はつらい!

2013年05月20日 | 校長は日々是口実

 朝いち演習、昨年度は誰も休まなかったのは、夢のようである。本年度はまあ、開始時に出席するのが半分ほど。これがノーマルということであろう。グループワークの段取りを付ける。演習とは、学生にアクティビティをさせなければならんからな。レクチャーになってはいけません。

 亜爾然丁人のA君相手の精読に、午後は博士課程の研究指導と修士の演習。波蘭人のCさんが大活躍で、日本人大学院生を次々ぎゃふんと言わせていく。日本文学を研究するうえで、日本人であることは、もはや何のアドバンテージも無いことを痛感する。

 夕方にかけての空き時間も、結局博士課程の院生諸君とバカ話をしてうち過ぎ、学生の研究会につきあう。独白みたいな部分が終わり、来週は私が発表の当番る。終了後、「かわうち」へ行って飲む。

 E学部はずいぶん前倒しの大学院への推薦入学制度があるが、教員は2名まで好きな学生を取れるらしい。今年も既に2名決まったも同然とのことで、それは私の研究会にも参加しているおふたりだそうである。まあ、ウチの学部では、私の領域は人気が無いから、推薦制度は導入されたものの、E学部と同じようにはいかないわいな。分母からして違うからな。まあ、よろしかったらおいでなさい、ということだ。ウチはお互い仲が悪いし、大学院といってもテイストは随分と異なっている。

 談判の件は教頭先生にお任せしていたが、最終的な決着についてご報告をいただいた。最後のひとあがきというか、お手並みまことに鮮やかである。win win の交渉のお手本みたいな結末にして、双方満足と評してよろしかろう。やっとひと山越えたわい、ふう。

 家に着いたら23:00近くだった。「あまちゃん」を観る。じぇじぇ!

 そうそう、亜爾然丁人のA君は、上野鈴本へ行ったよし。誰がトリ?と尋ねると、柳朝師匠だったそうだ。知り合いで、真打ち昇進の際も夫婦で行ったんだよと話したら、驚いておった。落語もマクラのところは「標準語」で分かったが、本題に入るととくに会話部分は外国人には理解しにくかったよしである。でも、「とっても面白かった!」んだと。