そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

10月31日(土)

2009年10月31日 | 昔日記
 文科省のTさんの講演が大学で行われるので、聴きに行った。同じ時刻、E研究科の院生研究発表会もあり、こちらも去年教えた諸君が発表するから顔を出そうかなとも思ったが、やはり自分の専門領域に近いほうを選ぶことにした。会場は創立者記念小講堂。聴衆はそこそこだったけれども、表参道大学のO氏、目白台女子大のT先生、それに橘周太大学のSさんなど、専門研究者のお姿もちらほら見えた。とくにO氏は、Tさんとともに、当該分野の研究の最先端を2人で引っ張っていると言って過言でない方。私とは、一緒に某学会の創立記念企画委員をやらされて苦労するも、その学会の意思決定システムのあまりに上意下達的なのに憤激して、ともに席を蹴って脱退したという関係。相当な硬骨漢である。

 Tさんにご挨拶して、拙著を進呈する。講演内容は新見に富んだもので、実に実に刺激的であった。従来2葉しか知られていなかった古筆切が、もう1葉確認され、それらを検討すると、もしかしたら金澤文庫本であった可能性が出てくるというお話にいたっては、興奮モノである。いや~、学術講演は聴くものだな。質疑の時間がとられ、私が図書館副館長の時代に寄贈された古筆切が話題の中心となったので、まずは発言する。続いてフロアから次々と手が挙がり、中に高校生がしっかりとした質問をしたのには感心した。埼玉にある付属高校の女子生徒さんだそうだ。後でたずねたら、K君に習っているという。K君は名目上私が1年間だけ博士課程の指導教授となり、今は付属高の教諭をしているが、私の後任の教員組合情宣部長でもある。

 終了後、改めて展示を観てから、この講演会を主催した隣のT教授の研究室所属の院生諸君も加わり、組合御用達の「八幡寿司」にて、講演者をご饗応を申し上げた。「黒牛」をコップ2杯飲む。Tさんはお酒を1滴もお飲みにならないが、御自ら調理をなさる、たいへんなグルメでなのだ。昔、一緒に、駒場にある侯爵家文庫の調査に携わって以来の仲。

 パートナーから電話があった。アゴ(飛魚)の野焼きはどこのを買えばいいの?というので、「青山蒲鉾店」のにしなさい、「しんじ湖温泉」の近くに本店があるから…と指示した。今日はM君の運転で、熊野神社や神魂神社を訪ねたらしい。M君は都城の出身で、東国原知事の高校の後輩になる日本語学者、「そのまんま東」のブログに時々登場する御仁。

 Tさんとお別れした後、お前渡りはなし難く、執行委員退任後はじめて「太朗月」に寄る(Tさん、お酒が飲めるならお連れしたかったのだが…)。土曜の夜は、なかなかご繁盛であった。既に2杯飲んできたので、「佐久乃花」の冷やおろしを勧められる。肴は豚バラの佃煮とアボマヨわさびを頼む。サービスの串もいただき、払いは1,900円也。千円札2枚出して、釣りは女将お手製のクッキーでいただくこと常のごとし。

10月30日(金)

2009年10月30日 | 昔日記
 図書館へ行き、見計らいで取り寄せてもらった写本を拝見する。自筆稿本は、なんでこれがたったの20万円なんじゃい!?と叫びたくなるほどの好資料であった。個人で買ってもよかったくらい。もう1件は、東京古典会の様子次第だねとM嘱託に申し上げる。ミニ・シュトーレン?を持参したので、お茶をどうですかと言ってくださったが、授業があるのでお断りした(学内といえども、特別資料室に菓子を持って行くのはエチケットだ)。ついでに展示を観る。国宝が展観されていたが、目立たない扱いであった。出陳した我が架蔵写本は、なかなか見栄えがよかったぞ。 

 夕方の演習は、まだデータベースとかの話である。受講者が少ないので、仕込みに時間をかけることにした。そのほうがお互い楽だし…。

 研究室はUちゃんに占拠され、Y先生の授業の発表準備だの、ウルトラマン氏への返書だのにおおわらわの様子だったが、演習を終えてもどったら、Iさんと、摂津の南さんとが入りこんで、Uちゃんと話をしていた。×××君がついにコクったそうだ。若い人はそういう話がよほど好きなんだなあ。Iさんに拙著お買い上げいただき、サインを頼まれる。下手な字も上手げに見える楽譜用万年筆で、見返しに名前を書いた。
 
 しかしUちゃんよ、書札例はちゃんと勉強したほうがよいぞよ。また、「U拝」と書くのはよいが、横棒一本足らんじゃないか!(よくある間違い) 封書の私信をボールペンで書くのは失礼なんだよ(ハガキは構わんと思うが)。結局ワープロで作成して、署名することを勧めたが、おいおい、改行一字下げにするのかい?…と、言いたいことは山ほどある。今度、手紙の書き方教室を、院生相手にやりますかな。もっとも、高等学校国語教科書のコラムなんぞに示してある書札例も、ケッというものばかりですがね。やっぱり教育が悪いんだね。ビジネスレターでない場合、「拝啓…敬具」などと書く女性は、少なくとも我がバカダ大学には一人もおらん(バカダに「女」はいないという説もあるが)と、かつて編集会議で発言したら、女性差別だと糾弾されたことがあったな。差別じゃなくて、作法上の伝統、区別でしょうがな。真っ当な手紙を書いてくる人は、ゆかしいと思う。人品骨柄は手紙によって、決定的に評価されるということがあるのです。おそろしや。 

 で、教科書会社の編集会議へ行く。少し遅刻した。議事は迷走気味だが、産みの苦しみというやつだ。だんだんアイデアも浮かんできたぞ。

 パートナーは松江へ行った。夕方電話したら、老母と酒を飲んでいた。実は十月末の今日、印税がドバッと入ってきたのだ。先には集中講義の報酬も入った。銀行で残高を確認したら、結構な金額となっている。ただしそのほとんどは、娘の学費だの何だので、9割方パートナーに「お召し上げ」とあいなります。四公六民、五公五民…江戸時代の年貢よりずっと厳しい。印税入ったよと報告すると、そうなの~(喜々)と、受話器の向こうに満面の笑みが見えましたわ。

 でも、少々はクスねることができようから、池袋の鰻屋に行きますかね、×××先生♡ 品川のオイスターバーにも行きたい。こちらは、NYのグランドセントラルでもそうしたように、独りで出かけて、シャブリに5ピース!といきたいものだ。

10月29日(木)その2

2009年10月29日 | 昔日記
 万歳!今日は教員組合の総会日で、成立すれば無事に執行委員をお役御免となる。あまりに嬉しいので、昼食を摂りそびれた。大学院の授業を行うこと常のごとし。Oさんのまとめ方は今ひとふんばり。Tさんは丁寧に研究史をトレースしてくれた。K君の下発表は、鮮やかなお手並みであった。授業を終え、学生の研究会は院生諸君に任せて、総会の会場へと向かう。

 18:00開会予定が、始まったのは15分遅れで、のっけから総会成立が宣言された。もちろんこれにはカラクリがあり、委任状の処理と、通過者という正午以降に受付に顔を出して記帳した組合員も出席者に加えての成立なのである。

 委員長殿は2年連続でお勤めになり、それは前代未聞の事態だったが、職場区で出欠確認を必死に行っている最中、英語学のH教授から、委員長はハーバード最年少のPhd.授与者であると聞かされた。へえ、さぞかし優秀なお方なんだろうとは思っていましたがね(おっしゃっていることが全然解らなかったからね)。たいしたものだなあ。総会資料の挨拶文には、わが大学の理事と高級職員はまったくの無能で、今まで勤めてきたあらゆる機関の中で最悪だと書いてある。どうせ私立大学なんぞは、国立大学の刺身のツマなんだから、嘆いてみても仕方があるいまいて。

 すばらしいことに、議事はサクサクと音を立てて進み、皆余計なことを言わんから、終了予定時刻の30分前にお開きとなった。教授会もかくてあらまほし。その後、御用達の寿司屋で開かれた懇親会に顔を出す。これで任期終了の前執行委員は皆、満面の笑みである。私はビールを謝絶して、はじめから「黒牛」にした。超有名画伯のご子息である前書記次長から、進化のお話を聞いて感心する。人間の脳が発達したのは、雄クジャクの羽根と一緒なのだそうだ。まあ、たいしたことははいということだな。わっはっは。

 「太郎月」に寄りたい気もしたけれど、もう「黒牛」をコップ2杯も飲んでいるから、帰宅する。パートナーは明日から松江で学会だし。

10月29日(木)

2009年10月29日 | 昔日記
 京都のO先生からなぜか結構なものをお送りいただいた。クール宅急便で届いたので、冷蔵庫に入れてあるという。お礼状を書かねばと冷蔵庫を開けると、他にも包みが…げげげ、Kさんが送ってくださったご編著じゃないか! 「水濡れ注意」のラベルが貼ってあったので、家人が食品と間違えたらしい。厚い本が冷え冷えになっている。ううううう。

 拙著CDブックの献呈本はほぼ送り終わって、お礼をちらほらいただく。昨日は娘が大学へ行くというので、国文学科のM教授のところに1冊持って行ってと頼んだ。Mさんは、私が学部1年の時に入った源氏物語研究会の指導者であり(当時は院生だった)、助手をなさっていた時、私はその配下で副手(現在のTAみたいな役)を務めていたのだ。おそらく「源氏物語千年紀」であった昨年出版された源氏関係の書籍の中で、ピカいちの一冊を上梓したのが他ならぬMさんだとは、衆目の一致するところであろう。研究室にはご不在で、ドアのメールボックスに入れておいたとの報告を受けた。まあ、よかんべい。

 CDについては、和歌披講の旋律で収録されているのが優雅だとのご感想を寄せてくださる方が結構いらっしゃる。うう~ん、あれは「旋律」というのではなくて、講師の読み上げという、節を付けて歌う前に、和歌を披露する読み方なんだけどね。ぜひ姉妹編というべき旋律CDと合わせてお楽しみいただきたいものだ。

 意外だったのは、年配者向けということで、解説を最小限にとどめたのを、社会人向けの講座等で使いたいと言ってくださる方が実に多いことだ。CDでは1首を40秒で読みあげているので、解説はその間にささっと確認できる程度の文字数にさせられたのだったかと、編集者Yさんのご意図にようやく気付いた次第だが、講座等のテキスト用に使う場合、本文がちゃんと大きく組んでさえあれば、あまりごちゃごちゃした注や解説は不要というのもよく分かる。説明は講師がするものだ。初版完売しないことには、印税はいつまでも満額もらえないみたいだから、広くお使いいただけるとありがたい。娘の学費払うのでぴーぴーなのだ。

 パートナーは今週末、松江で学会である。いま荷物をバタバタ作っている。O女子大のウルトラマン氏から、やはり松江の学会へ行くが、市内のホテルはどこも満員で、かなり遠くに確保したとメールが来た。早く言ってくだされば、実家にお泊めしましたがね。なにしろ講演会場の県民会館からは、歩いて5分もかからない。あなた、「殿町」などという、名前だけはりっぱだが、過疎化著しい街に実家はある。ただし4畳半の茶室に寝てもらうことになりますが(帰省すると、私はいつも茶室で寝る)。松江のたいがいの家には、茶室が設えられていると思う(違うかな?)。

10月28日(水)

2009年10月28日 | 昔日記
 基幹委員会の会議が一つ。教務主任および同職経験者ばっかり喋っている。1時間半ほどで終了。明日の教組総会への出席を、手当たり次第にお願いする。こうしないと総会が成立しないとは、退廃も極まっているが、自分が執行委員やめられなくなるから、しかたがない。

 17:30頃にパートナーと待ち合わせて、赤坂の「バードランド」というライブハウスへ(しかし、赤坂だの六本木だのという街には、ついぞ縁が無いわいなあ)。N先生作詞によるCDの発売祝賀会?ということである。麻布十番の御稽古事仲間がちらほら。B様がいらっしゃったのでご挨拶する。お元気そうだ。ご次男夫妻とお見えになっていた。Oさん、A氏と4人でテーブルを囲む。

 A師匠は少し遅れておいでになった。Oさんと「女楽」についてお話する。「阿仏尼」など、今後のテーマにいいんじゃないでしょうかね。Tさんの評伝ももうすぐ出るはずだし。

 しかし、着物の下に網タイツとハイヒールを履いている女性ヴォーカルグループというのは、私めにはどのように評してよいのやら…とうてい凡慮の及ぶところではなかった…かな。N先生、こういう芸能・芸能したテイストが、案外お好きなのかもしれない。

10月27日(火)

2009年10月27日 | 昔日記
 朝、体重を測ったら、私の近視の目には88㎏にしか見えないのだけれども、パートナーは90㎏だと言って譲らない。冷たい女である。優しさのカケラも無い!

 痛風の病院へ行く。朝飯抜きである。体重は?と尋ねられたので、88㎏と答えた。言われることはいつも同じ。体重と検査数値は比例している、××××さんの場合、体重を落とせば万事改善されますと。薬はちゃんと飲んでるんでしょうね?と疑わしそ~に訊ねられたが、飲んでまんがな。

 今日はK助手の、学位請求論文の事務所提出につきあわなければならない。製本が出来上がると言ってた時刻までにはまだ間があるので、上野に行き、都美術館の「冷泉家」展を観る。がらがらだった。おお! 資平集も遺塵和歌集も、為相の文保百首も出ているがな。みんなK助手の専門だ。浄照房集もあった。Oさんも早く観に来るべし。全体には典籍ばっかりで、東博の「皇室の名宝」展には押され気味ではないだろうか。しかし、会場の都合だろうか、左から右へ展示物が並んでいるのは気持ちがわるいし、とても見づらかった。

 ようやく売店?にたどり着いて、さて図録を買おうかなと顔を上げると、待兼山大学の院生M君が、女性と手をつないで歩いて来るではないか! しかもお相手は、七夕歌群の大会発表をした女史である。M君も隅に置けん。挨拶されたので、女史に先日の質問の続きをした。(もしかしたら、手はつないでなかったかもしれない。老人の記憶は曖昧である)

 さて昼食はどうすべい。上野に来たからには「池之端藪」かな。米の汁と板わさを取り、天ざるを待つ。客は後期高齢者ばかりで、じ~さんの集団が気炎をあげている。耳を澄ますと、戦時中に兵隊で台湾にいたとゆ~ような話だ。私も戦争に行ったので、お仲間に加えていただきたかった。しかし、「藪」は量が少なくて、食った気がしないな。もう1枚食うかなと思いつつ「蓮玉庵」の前を通り過ぎる。

 郵便局で切手を買っていたら、横にF助教がおいでになった。今日は暑いね。まだ時間があるので、「Cafe Goto」で冷コを注文。ウェイトレス?のね~ちゃんが、???という顔をするので、冷コや、アイスコーヒ持ってきいと。オレは関西人か? K助手は大阪だがね。

 K助手がどたばた製本された博論を持って来たので、書類を確認し、事務所へ持参する。職組のT書記長が受理してくださった。明後日が教組の総会なので、手当たり次第に委任状を書いてもらう。目標のまだ半分である。

 雑務をこなし、S寺の研究会に顔を出す。これから執行委員会に出なければならない旨を断り、I先生はじめ皆様に拙著を差し上げて、S寺を辞した。来月の発表担当者は私となる。わ~、R集の輪読も当たっている。早めに取り掛からなくては…

 組合事務所へ急ぎ、任期中最後の執行委員会に出席。副委員長の話は半分以上分からなかった。頭がついていけない。目の前では、付属高の委員が鼾をかいている。それでもずいぶん早く終わった。今までの交通費を支給されたので、さて、飲みに行こう。

 「太郎月」に入り、女将に拙著を差し上げたら、サインを求められた。こういう客あしらいが「ゆみこさん」の間然とせぬところである。佐賀の「鍋島」という銘柄の、発泡性の酒を開けたところだというので、いただいてみた。超上品なマッコリみたいだが、1杯だけにして、今度は滋賀の「無円相」にする。ずっと幽玄な味である。

 肴はサンマを刺身でお願いした。石垣を積み上げるみたいに盛り付けてくださるので、食べ応えがある。油も十分。1時間ほど楽しんで支払いをしたら、2,700円だった。千円札3枚出して、釣りは女将のお手製クッキーでいただく。 

10月26日(月)

2009年10月26日 | 昔日記
 朝から目の疲れる仕事をする。

 バスに乗ったら、T常任理事が乗り合わせていらっしゃった。図書館に古筆切がどばっと入ることになるらしい。たまたま旧蔵者を知っていたから、よいものか?と聞かれたので、相当によいと思いますとお答えしておいた。図書館といえば、×××書店の目録に載っていためぼしい写本は全部、見はからいで押さえることができたと調査役からメールをいただいた。逃げる魚もあれば、釣りあがる魚もある。

 K教授から軽井沢土産の「そばみつ」をいただく。「これみつ」ではない(それだと光源氏の家司だ)。蕎麦の花の蜂蜜。以前、Sさんからもいただいたが、クセが強く、料理に使うと味わい深いものだ。あさましや浅間の嶽の麓にある大学のセミナーハウスにゼミ合宿でおいでになり、イノシシに遭遇されたよし。確かにあそこには「イノシシ注意!」の看板が立っている。臥す猪(ゐ)の床や荒れもしぬらむ?

 お返しに、なぜか「朱鷺メッセ」前の「鮮魚センター」で売っていた「ル・レクチエ」のコンフィチュールを、K教授のメールボックスにお入れしておく。「ラ・フランス」よりも黄色い洋梨らしい。身を「やうなし」と思ひなしてゐる私の土産にふさわしかろう。

 コース研究室にUちゃんがいたので、昨日の研究発表の講評を行う。N先生からは、スペシウム光線を浴びたのに撃墜されなかったのはエライと褒められたそうだ。Nさん、会場で私にもそんなことを言ってたな。もっと元気よくやればよかったのにとも言われたが、角を矯めたのは指導教授の責任である。ただしそれは、あくまでも発表技術や表現上のことであって、論旨自体は一切いじっていない。そのあたりの機微に、研究指導ということがらの難しさがある。

 K助手は博論提出の準備に余念が無い。私はたらたら献本の発送作業を行う。夜学の講義は絶好調。冷たい雨が降っている。

10月25日(日)

2009年10月25日 | 昔日記
 「朱鷺メッセ」まで歩き、「万代島鮮魚センター」を覗いて、昼休みにここで土産を買うべいと当たりをつけていたら、前の道を待兼山大学の院生M君がふらふら歩いているのをつかまえた。大阪からバスで着いたとのこと。受付開始の9:00を、研究発表開始時刻と勘違いしたらしい。一緒に31階の展望台へ昇る。31とはゆかしいなあ。昨夕は締め出されたので、リベンジ?である。札幌の展望台は700円だったが、ここは無料。はるか佐渡がうすぼんやりと見えました。

 出版社の出店、青簡舎のO代表に展望台が素晴らしかったと申し上げたら、行ってくるからちょっとお願いと、店番を頼まれた。来る客に2割増しでどうかと声を掛けたが、誰も振り向かない(当たり前ぢゃ)。

 午前中は研究発表を4本聴く。2番目はUちゃんで、案の定、O女子大のA氏にスペシウム光線を三斉射され、あえなく撃沈されたが、沈没寸前に、小口径ながら主砲を1発撃ち返したものだから、会場がどよめいた。「初学者は初学者なりに意義があるはず!」とは、けだしなんて~すご~い ア~ウィ、言い草~♪。君も「初学者」で終わらんように、精進したまえ。

 口頭発表は印象がすべてだ。私立大学の、修士課程の院生に、失うものは何もない。ここまで健闘すれば、天頂の甲。話の内容それ自体は、実にクリアに聴衆に伝わったぞ。それがクリア過ぎて、論理のアラが丸見えだった、ということである(後で聴いた評判は…概してよくはなかった)。まあ、そうものだよ。しかし、事は天聴に達せられるかもしれん…。S先生のご質問のほうは、目から鱗だった。多様な視点からアプローチできそうだ。ともあれ、大儀でありました。

 お昼の弁当は、K助手、京都のM先生と3人でテラスで食べた。ちょうど佐渡への船が出航していくところだった。実に気持ちがよい。M先生はK女子大の前学長であらせられる。K女子大も学科統合で揺れているとのこと。食後、「鮮魚センター」へ駆け込み、土産を買う。

 午後は研究発表2本を聴く。下発表を聴いていたが、やっぱりKさんのは秀逸であった(和歌が一首も出てこない発表だったけど)。M先生が司会をなされた。

 さて、総会はサボることにして、K助手、Nさんとタクシーで駅へ。買っておいた新幹線の指定を早いのに変更。車中、3人でビールのロング缶とワンカップを空ける。KO勢も同じ列車に乗り込んだはず。暗くならないうちに帰宅できた。 

10月24日(土)その3

2009年10月24日 | 昔日記
 「朱鷺メッセ」からウチの院生どもとタクシーで新潟駅前へ移動、15分でチェックインして来るからとホテルへ向かう。南口のホテルをとったのは失敗だった。広島のIさんからは、古町のモール9の…に来いと指示されたが、こりゃバーだな。院生連れて行く金は無いと、無視することにした。

 結局、明日発表するUちゃんと、K助手、博論出したばかりのNさん、それに車で新潟に来たOさんと5人で、駅近くの「大衆割烹 河童」というお店の暖簾をくぐる。「鶴の友」の4合瓶と、地場のおいしそうなものをざざっと頼んだ。画像は名物「栃尾油揚げ」とゆ~ものだそうだ。なかなかいけましたわ。1人2,000円ほどだった。

10月23日(土)その2

2009年10月24日 | 昔日記
 W文学会の大会に参加するため新潟へ行く。上越新幹線の指定をとったら13号車だった。不吉な予感が…。朝から飲んでいるグループがあるが、そんなに混んではおらなんだ。荷物を棚に上げようとしていると、ええっ!? ムーミン大のT先生が缶ビールを持って後から「やあ」とやってきたのだ。席は同じ番号の、私はDで、T先生はE。そ、そんなバカな。先々週のC文学会大会の後、札幌から新千歳までの電車で隣の席に座った御仁と、なんでこういうことになるのだろう。もしも男と女だったら、運命の出会いだ。これをセクス、いや宿世(すくせ)というのだろうか…。

 しかたないので、13号車には売店が付いているから、私も缶ビールを買ってきておつきあいした(9:00から飲むとは最悪)。あっという間に2時間が経ち、新潟に着く。まあ退屈はしなかったが、兵頭先生の『有坂銃』が読めなかったぞなもし。

 T先生は荷物をホテルに置いてくるとおっしゃるので、駅前で出会った国文研のT教授、R大研究員のKKさんと一緒に「朱鷺メッセ」まで歩く。12:00から委員会に出る。

 今日は講演会で、元宮内庁のK先生と、歌人の奥村晃作氏のお話を聴く。すみません、半分寝てしまいましたわ。17;00に講演が終わり、懇親会は18:00スタートなので、岡大名誉教授のI大先生と展望台に向かったが、貸し切りとやらで一般人は昇れなんだ。なんだよ~、金返せ~(無料か)。

 仕方がないのでM先生、広島の先輩Iさん、新幹線で隣だった宿世のT先生と4人でビールを飲む。つまみにはロクなものがなく、ピザをとった。やれやれ。

 いい加減出来上がってから、懇親会へ。最初から日本酒にする。新潟の銘酒が林立していたので、片っ端から飲んでやった。(画像)「鶴の友」というのが気に入りましたわ。F女子大のTさんがへべれけになって椅子にへたり込んでいる。彼女はほんとうに大酒飲みである(後で抗議が来るかも…汗)。

 奥村晃作氏と少しお話をした。講演資料に載っていて話されなかったことで、すると俵万智も「ただごと歌」の系譜に連なるんですかね?とお聞きしたら、そうだとのお返事である。高等学校の授業で俵万智を一番最初に取り上げた教師は、おそらく私である。資料には「カンチューハイ」と「耳かきセット」の歌が載っていたが、それと「野球ゲーム」の代表歌「ツーアウト…」を、私はW実業という野球の名門校で教えたのであった。奥村氏が講演の中で、佐佐木幸綱にあしざまに言われたようなことを紹介されたので、幸綱先生にも「早稲田大学教員組合委員長佐佐木幸綱君の挨拶」(動詞の無い歌!)や、「今日もまた組合の飯を二度食って太れるならん一キロがほど」といった組合活動を詠んだ傑作がありますが(私は来週木曜まで教員組合執行委員なのだ!)、これらは「ただごと歌」にほかなりませんよねと申し上げたら、なあんだ幸綱もそんな「ただごと歌」を詠んでるのかとおっしゃった。

 宴たけなわになって、司会者からアトラクションにしたいから、芸を見せろと根回しされた。それで、奥村氏の歌を披講するはめに…。私が講師読み上げをして、ムーミン大のNさんが発声、ウチの院生Eさんと私で講頌する。

というわけで【本日の一首】(甲調)
ボールペンはミツビシがよくミツビシの
  ボールペン買ひに文具店に行く 奥村晃作

 奥村氏のお歌は、なんですな、私には「歌末終止形の歌」という感じが強くしておるのですがね。

10月23日(土)

2009年10月24日 | 昔日記
 昨日、老母から荷物が届いた。食品がいろいろ入っていたが、徳川茶会のお土産の天目茶碗を使えるよう処理して入れておいてくれたのには大感激。さっそく使ってみよう。

 年末は早めに帰省して、正月もぎりぎり遅くまで松江に居ようかな。いよいよH先生のご下命でお点前をさせられそうな雲行きなので、特訓を受けて来なくては…。電話で尋ねたら、三日特訓すれば何とかなると言っていたが。昨日は妹にも電話した。を出したけど要るかい?と尋ねたら、お願いというので、公演のチケットも一緒に送っておいた。少しは甥っ子の勉強の足しになるかもしれない。

 これから新潟へ行く。古記録研究会で佐渡へ行ったのはいつだったかな。その前は、高校教師をしていた時、同僚のN氏の結婚式に出席したのだった。学会ではUちゃんが発表するが、会場校事務局にいろいろご迷惑をかけているようだから、お手伝いの学生さんへということでお菓子を持って行こう(指導教授はとっても気をつかうのだよ)。しかしUちゃん、読み原稿を最終チェックしてほしいと送信してきたので、見て返したが、その返事は来ない。届いたかいな? それをとがめるとまたヘコむから、何も言うまいて(しかし、無礼なヤツだ)。もし彼がE研究科に進学していたら、きっとやっていけなかったろうなあ。私みたいないい加減な指導教授で、ほんとうによかったざんしょ。

10月23日(金)

2009年10月23日 | 昔日記
 Nさんが学位請求論文を提出した! 所定の書類等が揃っているか細かくチェックされたが、つつがなく受け取ってもらえたので万々歳。学位委員会、無事通るとよいけれど…(Wさんの審査報告もあるし)。標題がやや大雑把なのがちょっいと心配だが…。来週にはK助手も博論を出すので、またまた2本、いっぺんに審査しなければならん。

 卒業論文題目届への署名・捺印も、過半の学生が来てくれた。あとは月曜の夜、最後の1人に対応すればよい。気が楽になった。

 16:30からの演習は、キャンパス内で一番門に近い教室である。これ幸いと、バッグパックに荷物をつめて行く。終わったら、そのまま教科書会社の編集会議へ直行するのだ。今日はオンラインの国語大辞典を使ったベーシックな調査の報告をやった。肝心なのは掲出してある用例と語誌の項目である。そこを見なければ大辞典を使う意味は無い。先週の欠席者も、課題等をインターネットのシステムを使って知らせてあるので、ついて来れない者はいない。この新学部の学生さんは、こうしたシステムに習熟しているのが大きな取り柄であろう。なにしろ入学直後の必修科目に、オンデマンド・システムが活用されているからね。

 18:00に教室を後にする。そのまま地下鉄に乗って教科書会社へ。ほぼ予定時刻に到着。夕食をいただき、前回は欠席したのでギアが噛み合わないから、他の委員の構想をうかがう。結局は…ということになりそう。来週で教員組合の執行委員から解放されたら、しばらくはこちらに精勤するつもりである。久しぶりに「現場」の実情を耳にし、国語教育学者モード?が戻ってきた。

 T先生は科研の調査でNYへ行かれるよし。いいですなあ。市立図書館だとか。近くにあるモルガン図書館はすごくよかった。S先生とは、G大の博士課程に在籍している中国人留学生Kさんの話をした。長春の集中講義で教えた院生である。吉林省のお土産は乾燥木耳にかぎりますよね。F先生は民主党政権になって、突然研究費予算が大幅削減されたことを怒っていらっしゃった。それが子ども手当てに行くのだから、仕方があるまい。産めよ増やせよ。文学の研究なんぞは、不要不急のものに過ぎん。戦時中の金属供出みたいなものだと思ふべし。徴兵猶予の解除も文系学生からだった。いよいよ学徒出陣ぢゃ! 当代は「鳩山理系内閣」だとか。文系受難時代がやってきたのかも。

 兵頭二十八『有坂銃』(光人社NF文庫)を購入。明日から新潟で学会だ。往復の新幹線の車中で読むことにしよう。

10月21日(水)

2009年10月21日 | 昔日記
 麻布十番のお稽古事に行く。A師匠に転送をお願いしたので、送料を払うと連絡したら、ご心配なくとの返事で、現金で渡すのもヤボだと思い、「豆源」でおとぼけ豆ほかを買って持って行った。お稽古は公演の練習である。持参した拙著はすべて捌けた。

 ムーミン大のOさん、Nさんに、Eさんと4人でいつものように「萬力屋」へ行く。この間からここで私は「先生」と呼ばれるようになった。大将?が「文学部のところでお見かけした」と言うので、オレは文学部の教授だからと答えると、何と大将は同じ大学の卒業生とのことである。私が助手をやってた頃の学生さんであったか。ただし彼は、××××××閣下のご卒業あそばした学部のよし。

 Nさんが最初から焼酎にするというのでつきあう。2杯目は「泰明」というのにしてみたら、実に優しい美酒であった。東大教授のお名前と一緒なので、頼んでみただけだったのだが… 大正解だった。

10月20日(火)その4

2009年10月20日 | 昔日記
 『M研究』(「マゾ」研究ではない)の論文の初校を、執筆者に送付するため大学へ行く。G先生、Tさん、Iさんの論文を処理したが、エクスパックに余裕があったので、幸便、新刊拙著も同封した。

 ようやっと、出版元に注文しておいた拙著が届いた。同僚教員のメールボックスに配る。コースの同僚、もとの教務仲間などなど。何人かは直接お渡しする。非常勤をお願いしている武具・装束史研究のK氏が受講生を引き連れてどかどかと教員ロビーに戻ってきたので、1冊呈上。その受講生諸君の中の女子学生の一人が、私の顔をまじまじと見つめたかと思うと、「和歌の先生ですよね?」と声をかけてきた。オープンキャンパスの模擬講義を聴いてくれたそうである。「当時は高校生だったわけだ?」と返すと、「一浪しましたけど」と笑う。奇遇といふべし。

 F先生にも差し上げたところ、お返しに御著書を下さった。1,600円ほどの一般書を差し上げて、7,000円もする専門書をいただいたのでは、蝦鯛とはこのことである。T常任理事のメールボックスにも入れておいた。すると、キャンパスの近くの交差点のところで礼を言われた。今日はこれから団交である。また後でとご挨拶して別れた。

 19:00から団交打ち合わせ、夕食は「たかはし」の豪華二重弁当だった。20:00少し前に会場の会議室へ行く。S学長が早めに入ってきて、つかつかと私に近寄り声をかけてきた。所属キャンパスの建て直し問題を話題にして、わっはっはと笑った。学長が、今日はこっちに座ろうかなと冗談を言うから、では教組・職組の委員長が理事会側の席に座りますかなと申し上げた(私はタダの情宣部長である)。マンネリになってつまらんそうだ。T常任理事の補佐役を私はしばし務めたことがあるので、そのご性格はよく心得ている。T先生は実は短気で、いらいらすると貧乏ゆすりをし始めるんですよね…と話したら、そういうところがあるねとのお返事。ずいぶんご機嫌がよい。

 団交が始まる。なにしろまだ春闘が終わっていない。最初から手当て問題についての応酬があり、組合側から妥協案、理事会側から新提案が出された。ごちゃごちゃした問題は切り離すこととなり、話はずいぶん噛み合ってきた。こちらは年収維持が大前提、理事会側は賃下げ分を増員の原資などに使いたいとの意向である。冬季手当ての支給日も近づいてきたので、理事会案で仮至急したいとの提案があった。来週は定期総会で、もう我々の執行委員任期もあと1週間ほどである。(喜々!

 肝心の給与の話は1時間ほどで終わり、財政問題に移ったので消えることにした。まだ入試手当の問題もあるが、これは進展しそうにないし…。「たかはし」の弁当を食っちゃったので、まことにもって申し訳ないが、ちらほら抜ける組合員もある。今日は荷物が大きいので、早めに消えるにしくはない。

 「太郎月」は貸切だった。むなしくお前渡りをする。団交サボって、飲み屋に行ったのでは、退廃もはなはだしいから、ここは結果的に救われたというべきか。

10月20日(火)その3

2009年10月20日 | 昔日記
 今、パンや弁当を売っている売店は、私が学部生だった頃には自動販売機の置かれたホールだったが、その後□○に占拠されて、長らくその拠点となっていた。あそこを正常化したのもM教授と私の学生担当コンビである…だんだん佐々淳行みたいになってきたぞ。

 ゴールデンウィーク中に、そのホールの壁を撤去しちゃったのである。あの時は傑作だったな。脇に「世上乱逆追悼雖満耳不注之紅旗征戎非吾事」と揮毫した看板を立て、そこに「なつくさやつはものともかゆめのあと はせを」と変体仮名で書き添えておいた。国文科の学生は皆、くすくす笑いながら通って行ったが、□○は変体仮名読めないから、何のことやら分からない。和漢文も読めなかったろう。それでも3日経ったら意味が分かって、烈火のごとく怒りはじめた。□○シンパの教授からは、教授会の席上いやみを言われたっけ。若気のいたりでしたな。

 売店の横の石段は、M教授と2人、40人ほどの□○の集団に吊るし上げられた場所である。実はあの時、足がぶるぶる震えていたんだ。キャンパス内もいよいよ建て直しが始まるが、あちらこちらに戦跡はある。