そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

3月31日(木)スーパーティーチャーと食事

2016年03月31日 | 公開

 神奈川の高校のスーパーティーチャーK氏と食事をする。神楽坂の赤城口で待ち合わせて、気に入りのスペイン料理のお店にお連れした。

 ご勤務先で一昨年に授業協力をさせていただき、その後、その受講生諸君の大学訪問の応対をしたり、またK氏自身も私が校長をしていた高校に来訪されたりと、交流があったのだが、その生徒諸君がこのたびご卒業で、中には私の勤務先のA学部に合格した人もあったよし。A学部はなにしろ建制順長男学部で、勤務先二流私立大学の中でも最難関なのである。私の授業以来、教室では短歌を詠むことが流行ったそうで、なにかしらの影響がというお話はうれしかった。

 拙論文掲載の最新の雑誌を差し上げる。K氏同期同指導教授の、著名国語学者令孫氏の論文も併載されている。そうそう、令孫氏、また新書本をお出しになった。毎月2冊は本を刊行しておいでなのではないかな。まあ、修論1000枚お書きになった御仁だから、非凡さはいふもさらなり。

 K氏にスペイン料理、お気に召したらしい。神奈川は高校入試で採点ミスがあり、管理職は大変のようだ。それから、横浜国大の姿勢だとか、県の姿勢だとか、もちろん「批判的」にいろいろ論評を承ったが、そうか、現場ではそんなに「アクティヴ・ラーニング」が声高に叫ばれているのか!と、予測はしておったが、いったん流れに棹差すと極端なことになるのは、実に日本らしい嘆かわしい状況である。

 K氏をJR飯田橋駅方面にお送りして、同居人に電話すると、今から帰るところだという。大学時代の友人とやはり神楽坂で食事をしていたのである。「椿屋」の角で落ち合って、珈琲を飲む。友人のSさんもご一緒であった。しかし、つくづく「老い」を感ずる。今朝の新次郎さんのように死にたいねと言ったら、バカ!と言われましたわ。

 明日も夕食は神楽坂の予定。


3月31日(木)花見をする

2016年03月31日 | 公開

 昨日はフランシーヌの場合だったが、いよいよ年度末。大学へ行くという同居人と、近所の花見をした。脇の公園は、まだ上の方の枝はつぼみである。

 しかし調子悪い。どうも風邪をひいたらしい。ところが、かかりつけの町医者は、木曜は休診だ。まあ、なんとかなるだろう。

 私も午後、大学へ行く。メトロでアプローチして、神田川沿いの桜を見てこようかな。15:00から打ち合わせ、18:00から神奈川のスーパー・ティーチャー氏と食事のお約束あり。

 


3月30日(水)あれやこれや

2016年03月30日 | 公開

 「研究倫理」に関するweb講座を、月末までに受講して、試験に合格しなければならないというので、仕方なくPC画面上の動画を見まくる。いわゆるオンデマンドというやつで、私もやっているが、下手くそな講師のコンテンツは視聴に堪えない。まあ、他山の石であるよ。ふうん、研究不正を最も犯すのは、国立大学医学部の50歳代後半の教授なのか。分かるような気がせんでもないかな。勉強になりますな。

 しかし、こういうのはだいたい理系の内容で、やはり我ら人文系とはギョーカイが違うわいと、つくづく思う。

 同居人は市ヶ谷のボアソナード大学で、研究費をもらっている報告会だとか。姑は墓参りに行くというから、隣駅まで車でお送りした。荷物が届くというので、「研究倫理」を観ながら待っていたが、一向に来ないので、大学へ向かう。昼食は神楽坂下で、「志な乃」へ入り、ごぼう天うどんを冷やでいただく。遅い時間ながら結構混んでいて、サラリーマン風のおじさんと相席になった。おじさんは合い盛りになさっていたが、まあそれが定番ならむよ。しかし、「志な乃」のごぼう天は捨てがたい。ごぼう天ならば、やっぱりうどんだ。時に無性に、がっつり食いたくなるのが不思議である。民芸風、おそるべし。

 「研究倫理」の試験、一応「合格」であった。ああ、よかった!


3月30日(水)原稿を送る

2016年03月30日 | 公開

 もっと早く仕上げればよかったのだが、今秋に刊行予定の注釈の原稿を、幹事役Nさんのもとに送った。今月末締切で集約し、大人組が点検して4月中旬に持ち寄り、手直しして黄金週間明け入稿というスケジュールである。いままでに上・中を刊行したので、今度の下で完結する。いやはや、10年かかった。

 本日はお稽古事。未公認サークル(来年度公認申請の予定)の顧問教職員?を引き受けているのだが、新歓用の衣裳類を預かって欲しいとの依頼を受け、個人研究室に置いてもらうことにした。本日、A師匠からお借りするよし。まあ、できるだけサーヴィスはいたしませう。

 家族で食事でもという話になって、4月1日がよいとのことだが、愚娘が行きたいというお店は予約で満員だった。年度初めの金曜なんか、今から予約ができるんかいな?

 花粉症の薬を飲んだせいだろうか、呼吸器系がおかしい。喘息状態になって、気管支がぶちぶち音を立てている。薬の副作用か? 

 「あさが来た」は、どんどん主要登場人物が死んでいくが、そのあたりの描写が今回の見ものなのであろう。玉木宏の影の薄くなっていく演技なんぞは、これ、絶妙と言ふべけんよ。こういう人間観は、日本のドラマならではのような気がする。


3月29日(火)花粉症

2016年03月29日 | 公開

 目がかゆくて、鼻がつまり、左肩が凝って、今日は朝から咳が止まらず、痰がひどい。同居人は花粉症なのよと言うが、おいらがそんなものに罹るはずはないと、信念で拒絶していたのだが、どうにもこうにも埒があかず、近所の耳鼻咽喉科で診てもらうことにした。ずいぶん以前に、別の症状で一度だけ診てもらったことがあったので、探したら、診察券が見つかった。

 9:30診療開始で、9:10に行ったら9番目の札を渡され、9:40くらい診察室に呼び込まれたので、いとめやすけれ。平日のせいか、子どもばっかりである。

 ちゃちゃっと検査して、軽いアレルギーだとか言われ、2週間分の薬を処方していただく。近くの薬局へ行き、帰宅してすぐ薬を飲むと、ほどなく薬効が現れたから、耳鼻咽喉科おそるべし。

 桜の花は、五分咲きくらいだろうか。自宅の隣は公園で、ソメイヨシノがいっぱい植わっている。花が散ると大変なのだが。風呂場の窓を開けると、桜が見える。まだきれいじゃないけれども、2~3日すれば「桜湯」と申すべし。

 今日は何もない。3月末締め切りの原稿を、今日中に仕上げて送らなければ。同居人は大学へ出掛けたが、そんなに遅くならないというから、隣駅のデパートまでお迎えに行くことになっている。先日、靴の修理を依頼したのを受け取りに行くという。その折、靴とネクタイを買っていただいたから、仰せに従い、ご機嫌をとらずんば非ず。マスオさんは気をつかうのでありますよ。


3月28日(月)退学届を出したり

2016年03月28日 | 公開

 卒業式も終わってやっと一息だが、在満になる院生とうまく会えなかったので、研究室のドアの下に投げ込まれていた書類に署名捺印して、事務所へ持って行く。退学届なんだが、「一身上の都合」というのは変だけれど、何か問題があったら本人に連絡してくださいと、職員の方に申し上げておいた。そのほか、図書館の利用カードの申請は、学内便で送る。

 昼飯は「高七」へ。2番目に入って、カウンターの真ん中に座ったら、ほどなくカウンター満席となった。あなご天定食をお願いする。塩分を控えろと言われたので、塩は結構ですと申し上げたら、大女将が天つゆをたっぷり入れてくださったので、意味がないよ…。あなごはしかし、醤油で食ったほうが美味しいですな。あいかわらず大根が絶品。何もつけずにいただきました。

 そうだ、同居人のためにワインを買って帰ろうと、「Dolce Vita」に寄る。ステンレス樽の何とかいう、いつも買っている赤ワインが30%引きだったから、2本いただいた。6本買うと50%引きなんだそうだが、そんなに持って帰れないよ。


3月27日(日)結婚披露宴に出席

2016年03月27日 | 公開

 2012年9月21日から2014年9月20日までの間、とある高校の学校長を務めていたのだが、この間に見合いをお世話した数学科の先生が、本日めでたく結婚式を挙げられて、披露宴にお呼びいただいた。新郎側主賓として、いっとう最初に祝辞を述べさせられたのにはまいったけれども、5分でお願いしますと司会者に命ぜられたので、ぴったりに喋った。

 校長としては、ほとんど何も、功績のなかった私だけれど、まあ、これは一つの、学校に対する貢献といふべし・・・と思う。


3月26日(土)卒業式日だったが

2016年03月26日 | 公開

 ウチの学部・研究科の卒業式日である。なにしろ会堂が除却建て直し中で、2019年までは既存の講堂でとっかえひっかえで式典を挙行するらしい。今般も24日から26日まで、学長は何回同じ式辞を読むんだろうか?

 学部卒業式は13:15からとのことで、その前にコースの学位記授与(いわゆる卒業証書授与と同じ)が10:00から行われた。研究科、そして学部の順序で、100名超の修了生・卒業生に主任から学位記が渡された。大学院のほうは、私の研究室には修了生はおらず、学部の卒論ゼミの卒業生は全員来ていたから、お祝いの記念品に愚詠の短冊を添えて差し上げることができた。

 11:30過ぎから会議室で簡略なお別れパーティ。3分の1ほどの卒業生が参加したかな。顔を出していた教員はひとわたりスピーチさせられたが、別に詠んだ短歌1首を披露してお茶を濁した。

 昼食は少しがっつり食べたかったので、神楽坂へ。メトロでK教授とご一緒になる。「瑞花」に独活が入荷していますと教えてくださったので、行って購入した。結局、「志な乃」で合い盛りを食う。お茶でいいですか?と花番さんがおっしゃるので、ビールも1本飲んじゃったぞなもし。

 今夜はまたクレソン鍋にしよう。最寄り駅近くの百貨店の食料品売り場で、豚の三枚肉を買う。よい肉が2割引きであった。芹のおひたしや、蕗の炊いたんも作った。今夕は青いものばかりだ。


3月25日(金)新サークルの合宿打ち上げに参加

2016年03月25日 | 公開

 大学は3日がかりの卒業式をやっておるが、私が名目上の代表者になる予定の新学生サークルが、大学の隣で合宿を行ったので、その打ち上げに参加した。A師匠には、お世話になりました。エイトマン先生も、ご指導いただいたよしで・・・。A師匠の勤務先大学の学生さんと一緒で、こりゃ初めからインカレかよと、頼もしく思う。

 その前に図書館へ行って、「鎌倉時代語研究」を確かめる。やっぱりUちゃんのハンドアウトは変だった。こういうポカをするから、いくら述懐をしても、世の中から相手にされないんだと思う。東大の雑誌に載るからといって、油断すなよ。

 K君の退学届に署名捺印したり、郵便局で振替したりと、バタバタするうちに17:30になったから、会場の居酒屋へ。そうか、今日はE学部の卒業式だったか。隣の席でE学部のT教授がゼミの卒業生諸君と飲んでおられた。学部長までなされた方だが、私とは価値観、立場が真逆で、いろいろなシーンで対立してきたけれども、別に遺恨があるわけでもなく、まあまあと仲良くお話をした。

 新サークルは、学生会館に部室を貰えるまでには、かなりの活動実績が必要らしい。今の幹事長は、私と同じ最寄り駅の所に住んでいるとは、知らなかった。次期幹事長は遅れてやってきて、話が恋バナになったが、乙武さんはどうやって不倫したんだろう?と、体位の話に及んだのは、まあ学生諸君も十二分に大人である。この場合、女性がリードしなければ、埒があかぬだろうし・・・。

 同居人も、学生時代のサークルの先輩と飲み会だそうで、まだ時間が早かったから「十六公厘」へ行く。今日はマスターがいらっしゃった。先日、お留守の時に女性が・・・と話せば、いま手伝っているのっぽの男性の奥さんなんだそうである。

 腸詰を2人前お願いする。隣席は女性2人組で、初めて来店されたという。この店は腸詰です。ただし、生姜添えにしておかないと、大蒜で食ったら帰宅が大変ですぞとアドバイスして、さっと辞去した。バーに長居は野暮である。


3月24日(木)なかつよの会

2016年03月24日 | 公開

 「なかつよの会」の例会。14:00開始なので、ぎりぎりに行く。研究発表が3本。最初のOさんは、大学至近の高校にご就職なのだそうである。いろいろ展開できる内容だったので、あれこれ注文をつけた。2番目のY君のは、発表が下手と叩かれていた。外で発表する前に、徹底的に叩かれてよかったね・・・と申し上げたい(皮肉でも何でもないよ)。トリはUちゃんで、例によってハンドアウトに不備が目立つが、アメリカでデータが壊れたんだそうである。しかし、そういうことは、理由にならん。甘いんだよ。内容は評価したい。とにかくこの人には、A君を凌駕する研究者に育って欲しいんだが・・・。

 懇親会は「かわうち」だった。一升瓶が3~4本空いたんじゃないかな。3月30日の予約もできてよかった。


3月23日(水)定年退職されるN教授を囲んで

2016年03月23日 | 公開

 今月で定年退職されるN教授の歓送会?が、Rホテルで開かれた。T主任は結局、ずーっとN先生に喋らせたっきりになされたが、これは、とてもよいやり方であった。ひとりびとりにスピーチさせるなんぞは、本当にこうした内輪の会では、野暮の骨頂である。N先生、存分にお話なさって、ご満足であらせられたと拝見した。

 記念品は例によって旅行券だが、台の趣向に入れ智恵したのが、思い通りウケましたわ。学部キャンパスがある周辺の、明治時代の古地図を使った、一点もののお財布である。44年の永きにわたって奉職された地を想うよすがになれば・・・と存ずる次第。「アグリトーキョー」で見つけましたわ。このお店、ほんとうに素敵なものがありまする。


3月23日(水)正直言って、ついていけない

2016年03月23日 | 公開

 話があると立川駅前に呼び出され、「無庵」に入って、面倒なことを聞かされる。正直、うんざりなんだが、あまり抗ってもしょうがない気もしてきた。縁無き衆生は、度し難い。結局、おかみの走狗になっているだけじゃないの?と、失礼ながら、バリバリの左翼である私は思うわけだが、正直、ついて行けないよ~。詳細は書くまい。

 むしゃくしゃしたので、中野でメトロに乗り換えて神楽坂へ移動。「うつわや釉」グラタン皿を1つ衝動買いした。脇の模様は完全に鶏龍山である。直接火に掛けられるとのことで、少し小ぶりだけれど、いただいた。これで少し気が鎮まった。

 「うえぐも」で群馬の野菜を買う。「jokogumo」は撮影中で、S太郎ちゃんにご挨拶して辞去、結局「Cafe GOTO」でエスプレッソを飲み、同窓会名簿の代金を郵便局から振り替えた。

 研究室へ。隣のT教授から研究所の年報をいただく。新しい「柘枝切」が紹介されていた。もともと大学図書館に寄贈された1葉から始まって、いまや8枚。新出の切は大学所蔵のものの直前に部分である。やはり古筆切は広く公開するにしくはない。そうしてこそ、内容研究は進展する。稿者は、来年度から同居人の同僚教授となるTさんであった。

 今夕はRホテルにて、N教授のご退職の会が催される。


3月22日(火)古記録研究会

2016年03月22日 | 公開

 古記録研究会に参加するため、本郷へ。昼食は「田奈部」でりんだもぢる。ちくと寒かったので、にしん蕎麦にした。皆さん、正午前から飲んでいらっしゃるが、これから研究会、そういうわけにもまいりません。

 輪読が1日分と研究発表を2本聴く。いや~勉強になった。そうか、蓬屋集は江戸中期頃まで伝存していた可能性があるのか!と、感銘を受けた。何でも調べるものだなあ。

 18:00から研究会のボス、G先生のご定年と、研究会発足30年、雑誌刊行20年を記念するが行われた。京都からD大学文学部長殿も駆けつけられ、私の隣にお座りになった(ご実家は拙宅の比較的ご近所なんだがな)。

 飲み放題で、かなりワインをいただいて、したたかに酔っ払った。明日からも飲み会が続きますなあ。少し西武新宿線と・・・いかんかなあ?

 27日の結婚披露宴の祝辞の練習をしていたら、同居人に、それじゃあ落語みたいじゃないの!と窘められたが、はじめからそのつもりでやっておるんですが、バカ田大学教授なんだから、これでいいのだ!、と思う次第。


3月20日(日)京都日帰り往還

2016年03月20日 | 公開

 9:00だったか9:30だったか開始の研究会に参加するために、東京駅始発の新幹線に乗って京都へ。サンドウィッチと野菜ジュースを買って乗り込んだのだが、ほどなく車内販売のワゴンがやってきたから、コーヒーをお願いする。すると売り子のお姉さん、全部英語で話し掛けてくるんだもの。おいおい、ここは日本だろ~が、と思いつつ、悪いので当方も英語で応対した。こういうことが時々ある、錦の市場のとある店で、ぼ~っと立っていたら、売り子さんが英語で説明を始めたので、仕方なく2つくださいと英語でお願いするはめになったこともあった。どうも私は、シンガポールかマレーシアあたりの、裕福な?華僑に見えるらしいんだな。それにしても。新幹線車内販売のお姉さんの英語力、あなどり難し。さすが観光日本!

 研究会場のコープインの近くには、8:30頃に辿り着く。コーヒーでもと周囲をぶらつくが、イノダはもちろん、上島珈琲だにすらさへ、長蛇の列。な、なんじゃらほいと右往左往するうちに9:00になったから、会場へ行く。本日点検しなければならない分量は多く、9:15には輪読を開始した。

 参会者は7名だったが、東京組は2名、Nさんは前泊された。中部関西組4名、1名は沖縄から昨夜着いたという御仁。昼食は2箇所に分かれ、私は大学院で研究指導を担当したK元助手と「菜根譚」で定食を摂った。後のメンバーは「五行」でラーメンを召し上がったらしい。

 17:00まで会議室をとっていたが、5分前に予定を終了。いやはや、薄氷である。今月中に原稿を完成させて、全体点検にかかり、黄金連休明けに入稿して今秋刊行というスケジュールは、かなりタイトである。しかし、これで10年間の共同研究作業が完結すると思えば、到底1人では出来ないことだったなとしみじみ思う。

 私が指導教授だったK元助手と、Hさんがメンバーで、飯でも食いながら飲もうということになった。目星をつけていた「米福」へ行けば、入ってすぐのテーブルが幸いにも空いていた。このお店は島根・鳥取の食材を中心に供しており、「やまたのおろち」を飲む。揚げ物を頼んだら、お腹いっぱいになりました。

 K君は沖縄で、Hさんは滋賀で中等教育校の教員になっているが、それぞれ、次のステップ、飛躍を目指して欲しいとしんから思う。発破をかけておきましたわ。

 京都駅まで地下鉄で移動し、まだ伊勢丹が開いているから土産を買ってひと息、20:36京都発の新幹線に乗る。乗ったらほどなく暴睡したらしく、検札も分からなかった。気がつけば小田原通過とな。まあ、帰路は寝るに限るわい。帰宅してすぐ風呂に入れられた。同居人は明日、勤務先「日の出女子大学」の卒業式とのこと。私の学部は26日だが、明日は研究会の後始末、担当分の原稿をとにかく完成させてしまうことにいたそうと存ずる。


3月19日(土)論文を送る

2016年03月19日 | 公開

 まだ論文の抜刷は届いていないのだが、執筆者として雑誌を数冊いただいたので、まずもってKOはS文庫のK教授のところへお送りした。今しがたポストに投函。といっても、お住まいは同じ市内の別の区だから、すぐに届くことであろう。明治の有名な芸能活動家のご子孫であらせられる。

 今回の論文は、昨年発表されたK教授の論文に直結するもので、そのフォローアップは5月のなかつよ文学会大会で口頭発表することになった。そんなことをこまごま書いたが、K教授はこの3月で定年退職されるよし、あまり学会に顔を出さない御方であるが、残念なことだと思う。

 ウチのUちゃんの研究分野の先達。そういえばUちゃん、今月も、来月も研究発表することになっているけれども、彼も3月で籍を抜くのに、4月の発表はもとのままの所属になっている。申し込み時の所属ならいいが、昨今、経歴詐称とかうるさいので、注意が必要かもよ。あやまちすな、あやまちすな。

 K教授の話に戻れば、私とは因縁というか、奇縁がある。藤原清輔(Uちゃんの研究対象ですな)著の歌学書、従来は下巻の末尾が欠落したものしか知られていなかったのを、K教授が近衛文庫で末尾の相当部分を有する写本を見つけ、私が同文庫で、その最末尾および奥書部分が江戸時代に剥離、まったく別の表紙を付けられて伝存していることを発見、合わせて下巻の完本が復元され、岩波書店刊行の著名叢書に用いられたという、栄光?の文献学的業績があるのであ~る。今回の研究成果も、K教授の詳細な書誌的報告に、私の発見資料をからめれば、鎌倉時代文学史のターニングポイントにおける、キーパーソンの意識が分かる…ということなのである。文学の研究者としてはワクワク、ドキドキなんだが、興味の無い方にとっては、何のこっちゃ?だろうね。

 まあ、世の中の役には、たたないことだわなあ。