そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

2月28日(火)月末述懐

2017年02月28日 | 公開

  今月は、こういうことがありました。

    三十余年 前のごとくに 娘さんとの 結婚を許して くださいと言ふ
    この家を われ訪れき 手土産は 松江の銘酒 豊の秋を持ち
    わが好む 酒と聞きけむ 球磨焼酎 川辺の一升 瓶を携ふ
    みそぢ近く たつきもおのが じしなれば 許すも何も 申すこと無し
    いちまつの さびしさはよぎる ただひとり われ持ち得たる 娘にあれば
    百八の 薔薇たまはると そはやがて 煩悩を共に 生きむとするか
    父が姓 選ぶと言はる 十五石 四人扶持なる 徒(かち)の家筋


2月27日(月)博論審査と常任委員会

2017年02月27日 | 公開

  午前中に博士学位請求論文の公開審査会。審査委員副査をあい務める。修論から審査に加わった人で、ユニークな研究をなさっている。ただし、その研究がいったいどんな意味があるのか、もっとアピールできるような「攻め」の要素が欲しい。そのことを、同じく副査を務められた、フランス文学のS教授も、こんなに禁欲的でなくてもいいのでは・・・という言い方で、おっしゃっていた。

  昼飯を食ってから、市ヶ谷大学まで歩いた。15:00から、なかつよ文学会の常任委員会である。学会代表委員のY先生に、文化史研究と文学研究とは違うことが、あなたの短歌を読むとよく分かると言われた。

  常任委員会も1時間ほどで埒があき、買い物をして帰宅する。老母は新しい居室で問題なく過ごしている。明日は月に一度の通院日である。


2月26日(日)東京出雲学生会幹事会

2017年02月26日 | 公開

  東京出雲学生会の幹事会が御茶ノ水で開かれた。12:00に指定場所へ。幹事全員が揃い、6月の講演企画について打ち合わせた。

  幹事団の出身校は、国立1、稲門3、三田2である。赤門はいない。一番若いYさんは、銀座に引っ越されたそうだ。銀座って人が住めるのか!と思ったけれど、港区、千代田区あたりは、人口が増えているらしい。

  16:00から重要な案件?があるので、とっとと帰宅する。お土産に、山田屋の人形焼をいただく。(汗 あらら、そっくりだな。


2月25日(土)結構たいへんな一日

2017年02月25日 | 公開

  物置と化していた四畳半の片付けが終わったので、早朝、老いの寝覚めの老母に「今から居室を遷すから」と宣言、娘の部屋のベッドを解体して運び、カーペットのブロックを敷き詰めた四畳半に設置し、本人を移動させ、身の回りの荷物も全部移した。娘の部屋よりは狭いが、エアコンも去年取り替えたばかりだし、壁床もある。老母もまずまず気に入ったようで、よかった。

  9:30から会議・・・とスケジュール帳に書いてあったので、大学へ行く。会議室の前に辿り着けども、真っ暗だ。職員の方に尋ねると、その会議は3月1日ですと教えてくださった。ううううう。研究室に戻ると、突然、学部長殿が見えたのでびっくり。過日の私の「正論」発言について、貴職の真意はよく理解している・・・とのお話だった。私は常に政権与党ですからと、変なお返事を申し上げた。(汗

  10:30からの次の会議は結構重要で、コース主任ほかと一緒に出席する。私が書いた申請書は、首尾よく採用とあいなっていた。あとは黙っていればよのだが、いろいろ発言もあって、私が副学部長だった時に決めたある数字について、あれこれ誹謗?も出たので、一言申し上げた。また、ああ、この教授先生は、こんなことをおっしゃらなければ学部長になれたのになあ・・・と、またまたと思うようなシーンにも遭遇したが、口は災いの元、くわばら、くわばら(この間の入試問題に出ていたっけな)。

  並んで座っていたW教授には、過日はよく我慢なさいましたなあ、私はバカバカしくて腹が立った・・・とも言われた。ははは、身を低くしているのが、大学で生きていく知恵ですと、これまた変なお返事をする。

  需要会議はまだ続いていたけれども、11:30に学生と会う約束があったので、退出する。私が顧問?を勤めているサークルの幹事長、長男学部の1年生だ。この学生さんは若いのに、いつも手土産持参、人間が出来ている。昼飯を食おうと「すゞ金」に連れて行き、小さいのを注文した。来年度のサークルの活動について、いくつか依頼を受ける。この学生は、将来某庁の国家公務員になりたいらしいが、A高校のご出身で、そういえば某庁ご出仕のT君はA高校の出身で、母校で教員をしていたこともある。T君に紹介してあげることにしよう。

  13:00から教授会。手当のことで例年と同じ発言を繰り返し、また、大学の長期計画との関係で、常日頃不審に思っていたことについても発言した。まあ、守秘義務があるので、詳細は書かない。教授会の最中に、新しい老母の部屋のTVが写らなくなったらしいと、荊妻から連絡が入る。

  今日の教授会は意外に長引き、15:00に研究指導を入れていたので、またまた途中退出した。研究室に戻ると、近々研究発表をするA君が待っていて、すぐに下発表を始める。う~ん、調べたり、考えたりした順序通りに、プレゼンする必要はないじゃないかと苦言を呈し、欧米の論文みたいに、最初にアブストラクトを示しちゃったらどう?とアドバイスした。この院生君、筋はいいが、まだまだ鍛え方が足りない(鍛え甲斐はありそうだ)。

  今日は荊妻の大学で、定年退職されるY教授の最終講義と送別会が開かれることになっており、私が老母の食事の支度をしなければならない。ちなみにY教授は、私が高校の教師をしていた時、教員室で向かい合わせの席にお座りになっていた漢文の先生であった。16:00過ぎに研究指導を終え、急いで帰路につき、スーパーで買い物をして帰宅した。TVはアンテナとの接続が不具合云々と表示が出るので、少しいじっていたら、映るようになった。もう18:00近くだが、荊妻が炊飯器をセットし、ハッシュドビーフを作り置いてくれたので、神速で夕餉の支度が調った。老母に食べさせ、その後、姑殿と二人で食す。なんだか疲れ果てた。明日はまた、家族にとって重要な日になりそうだ。


2月25日(土)こんな大物を!

2017年02月25日 | 公開

  物置四畳半は、すっかりきれいになった。戸袋の中までみな空にして、断捨離に及ぶ。その奥から、昔のレポートの、ものすごく優秀なものだけ保存しておいたものが、ぞろっと出てきた。なんとなんと、現在、都内某都区内の四年制大学で助教をなさっている、気鋭の中世思想史研究者H氏のレポートが混じっているではないか。もちろん「A」(現在の「A+」)。若い頃の私は、ものすごく点数の辛い教師だったから(今は、おおあまの皇子である)、これは最高水準と評価したものである。

  あらら、知らずにこんな大物をお教えしていたのかと、冷や汗が出た。これは、お返ししたほうがいいよなあ。処分するのは、もったいない気がする。


2月24日(金)部屋の片付けでくたくた

2017年02月24日 | 公開

  老母の介護認定の申請書を出しに区役所へ行く。老人福祉のご担当とお話して、来月中旬、調査に来ていただくことになった。あとは自家用車の処分だが、購入したディーラーと、打ち合わせは済ませてある。胸のつかえは、かなり解消されたぞなもし。

  老母の居室を、娘の部屋から物置と化した四畳半を片付けて、移さなければならない。四畳半のもろもろ、主に研究書と雑誌、抜刷類を絡んで、運べるようにして、次々と2ブロック先の書庫棟へ持ってゆく。整理は後日だ。

  ホームセンターに行き、カーペットのブロックを購入し、敷き詰めた。これでようやく、ベッドが移せる状態に。

  荊妻がお雛様を出した。これを飾るのも、今年が最後となる。


2月22日(水)あれこれ面倒みそ醤油

2017年02月22日 | 公開

  老母を拙宅に引き取ってから、いろいろ手続きはしたのだが、まだまだ、あれこれの書類が送られてくる。松江市から介護保険料の還付についての書類が来て、振込先金融機関を知らせろとのご下命。また、松江の水道局から、メーターの取り換えをする云々。電話をくれるはずが、かかって来ず、当方より水道局にかけて、鍵を預けている親戚と連絡をとって作業してもらうことになった。こちらの自治体で介護認定の手続きも、開始せねばならぬ。また、自家用車の処分は、ディーラーに依頼すれば簡単らしいが、どのタイミングでお願いするかな。

  勤務先の気の重い作業が、やっとこさ一段落、まだまだ会議はある。結局2週間、このことにかかり切りになった。例年のことなれど、致し方ない。

  論文の審査が2件。先送りにしていたら、それらの締め切りがもう目前となった。3月は研究室の院生の研究発表もある。スケジュールがどんどん埋まっていく。老母の世話も、人やリならずやらねばならぬ。心がやけに鋭敏となり、ちょっとしたことに、へこたれてしまう。書きたい論文も、一向に進まない。講演のハンドアウトを、やっと作り始める。身じんまくが、うまくできなくなった。目も見えない。もう、ダメかな。

  あらゆる用事をキャンセルして、夕刻早く帰宅し、ご飯を炊いて夕餉の支度をして、さあどうぞと進めても、作ったおかずはほとんど食べてくれない。極端な場合は、今夕の食事は要らないと言われる。朝食は老母用と、姑・荊妻分を分けて配膳する。老母の食べ残しが、私の食事分となる(だから激痩せした)。が、夕食は面倒なので、おかずを多めに作って、老母が食べなかった分を、そのまま残り三人分とする。そのあたりの見計らいは、要領が掴めたので、別にどうということはないが、甲斐の無いことこのうえもない(食事の支度をする主婦の方のお気持ちが、痛いほどわかる)。荊妻も、いつ帰ってくるかは、その日の都合次第だ。O douleur ! ô douleur ! Le Temps mange la vieというフランス語の詩句が、頭の中に繰り返し繰り返し響いてくる。こんなの誰しもが経験することで、 douleur といふもさらなり。されど、生きているのがいやになる。時々、ふと、電車に飛び込みたい衝動にかられるが、とはいえ、老母より先に死ぬわけにもいかず、やれやれ、難儀なことである。

  しかし、あんなにも簡単に、人を暗殺できるものかと思う。当方、暗殺されるほどの大物でもない。2月、楽しいことは、何にも無い。気晴らしもできない。何もかもが、いやになってきた。


2月20日(月)御徒町で飲む

2017年02月20日 | 公開

  大学の図書館へ行き、見計らいで取り寄せていただいた吉原の風俗絵巻を拝見する。芸術性はゼロだが、資料としては面白い。近世文学の教授連のご意見を承って判断してくださいと、Yさんに申し上げておく。ついでに、最近購入されたという大名火消しの絵巻を見せてもらった。これは、なかなかよい物だった。

  あれやこれや、用務の果て、夕刻御徒町へ。「文行堂」で短冊を見せていただく。飛鳥井雅庸のすてきなのが一枚あったが、5万円の値に、いささか躊躇する。冷泉為紀もあったが、この人のはもう要らない。結局、古典文庫を3冊ほど買って、店を出ようとしたところ、車軸を洗う滂沱の雨。運が悪い。御徒町駅北口改札前まで濡れ濡れになって移動、18:00に、私が長を務めていた高校のY現校長、その高校の元教諭にして私が研究指導担当だったねこさんと待ち合わせ、都内中華料理の最高峰「故郷味」へ。フロアスタッフのお姉さまお薦めの皿をお願いし、歓談した。高校も、いろいろあるらしい。

  今日は荊妻、文楽の1部と2部を観に行って、早く帰宅し、老母の面倒をみてくれた。ありがたいことである。ここ数日、老母の言っていることが、時々理解できないことがある。私が老耄に及んだのか、老母の認知症なのか。


2月16日(木)西行忌

2017年02月16日 | 公開

  西行忌なので、何首か詠んでみる。

    願はくは 花の下にて 春死にし 人の心を ただに知りたし
    山に家し 旅に明け暮れ 月と花 いとしむほどに 命終はりぬ
    はたちあまり 三つなる歳に まな娘 蹴りて出家と しるされてあり




2月12日(日)学部最重要業務

2017年02月12日 | 公開

  朝一番に、I美術館のBさんに依頼されていた講演録を脱稿し、添付ファイルでお送りした。あとは3~4月に頼まれている講演のハンドアウトを4種類作るだけである。

  本日は学部最重要業務に従事する。これからほぼ1か月間、このことに忙殺される時期に突入した。しかも、毎週日曜が潰れていく。

  事は問題なく進んだ。小さなトラブル?は両三生じたが、慌てて走るくらいで済んだ。

  帰りの電車の中で、俵万智の『ちいさな言葉』を読んでいて、あまりに可笑しくて、ふふふと笑ったら、隣に座っておいでのご婦人に、怪訝な顔をされてしまいましたわ。(汗

  

  


2月10日(金)松江どげだ会の下見

2017年02月10日 | 公開

  本年は首都圏在住者を中心とする高校の同期同窓会、「松江どげだ会」(命名者は文学部教授)の幹事役を引き受けているので、その会場下見に赴く。有楽町辺で2箇所下見をした。幹事の中心は、3年の時おなじクラスだったS君。彼は食品業界の人で、飲食関係にはめっぽうかいに強い。ご実家は、私の実家と100mも離れていない、松江城大手前に面したお濠端にあったけれど、既に売り払い更地になっている。

  ほかに女性幹事が3名。Iさん、Oさん、Kさん(IさんとOさんは旧姓で表示)のうち、Iさんはご結婚はなさらず、Oさんはお子さん、Kさんはお孫さんがいらっしゃる。S君もお孫さんがおいでだが、私のところは、ようやっと、娘の結婚に目鼻がつきそう…という仕儀である。まあ、人生いろいろだな。

  同郷の同年齢の同窓生が集えば、実に楽しい話となる。開催日時や、スペシャルゲスト?のことなどを打ち合わせ、散会した。6月23日(金)に、有楽町の駅前で開催の予定だ。


2月9日(木)老母の世話で日は暮れる

2017年02月09日 | 公開

  成績も付け終わったし、学部入試は日曜からで、エアポケットのように3日ばかり暇な日ができた。とはいえ、明晩は「どげだ会」(東京在住の高校同期同窓会)の会場下見である。今日は院生の論文添削、2本を仕上げる。昨日、催促が来ていた。それが終わったら、依頼原稿1本書き上げ、3~4月の講演4件のハンドアウトも作らなければならない。集中講義の日程の問い合わせも来た。

  実妹が訪ねて来た。老母から保険の一括支払いを請け負った。お兄ちゃんがいるならと、早く帰ろうとするので、近所の蕎麦屋へ連れて行って、ご馳走した。妹は、歯に衣着せぬことを言う。要するに、とっとと老人ホームに入れ、ということになるが、ううむ・・・。

  昨日、「jokogumo」で購入した「くすり湯」を入れて風呂を沸かす。老母に入浴を勧めると、15:00頃に入りたいと言う。はいはい、お望み通りにいたしますよ。風呂場にはあらかじめ暖房をいれ、シャワーも、急に冷たい水が出ないようにと気を遣う。出てきたら、すぐにドライヤーで髪を乾かす。風邪をひかれたら、おおごとである。なんだか、髪が伸びたような。体重はまた、1㎏減っていた。

    

 


2月8日(水)教授会は45分

2017年02月08日 | 公開

  朝から老母にあれやこれや言われて、むしゃくしゃしたので、昼食は大江戸線に乗り換え若松河田で降り、「高七」へ行く。来月からは、痛風の通院も、ここが最寄り駅ということになる。

  しかし、「高七」の大女将は、ウチの生前退位した婆さんとはえらい違い、店の要として、矍鑠としていらっしゃる。爪の垢でも煎じて飲ませたいよ。もちろん米の汁を暖かくしていただき、掻き揚げ付きにした。大根の天麩羅が、相変わらず美味である。

  顔がほてってきたので、「Cafe GOTO」で酔いを覚ます。最近、よくおいでの若いフロアスタッフの女性は、T学部の卒業生で、K教授のゼミだとか。K先生はお店に見えるの?と尋ねると、大学からそのまま飲みに行ってしまわれるようです・・・とのこと。

  14:00開始の教授会は、45分で終わった。もしかしたら教室会議があるのではと、早く家を出たのだが、それは後日となったそうだ。早く終わって頂好だが、冒頭、緊迫したやりとりもあった。例の、天降りつくあめの香具山問題。M教授が舌鋒鋭く、T教授やS教授が、もっともな発言をなさったから、ついつい尻馬に乗って、私も「正論」を発言してしまった。ああ、恥ずかしい。

  15:00過ぎには解放され、神楽坂で買い物をして帰宅する。うえぐもの「草木堂」さんで蒟蒻ほかを買う。そのまま坂道を下り、「jokogumo」へ。「ううわや釉」のNさんが絶賛していた「くすり湯」(入浴剤)をもとめた。老母の入浴に、使ってやろうと思い立ったのである。

  帰宅して、老母に、風呂に入る?と尋ねてみたけれど、今日はいいとの返事。明日は実妹も訪ねて来るし、明日入浴させるかな。かなり体が汚れてきた感じがする。

  一生懸命夕餉の支度をしたが、食べたくないのひと言で、いとあへなし。自分自身、気分を害さぬよう、そうしたケースも既に織り込み済みで、1時間ほどして荊妻が帰ってから、姑殿と3人で夕飯とした。最近、老母への給仕の呼吸が掴めてきた感じがする。しかし、何が「人に迷惑をかけたくない」だ。「迷惑」じゃなくて、「大迷惑」である。(^0^;)


2月7日(火)痛風の病院へ

2017年02月07日 | 公開

  月に一度の、痛風の通院日。なにしろ老母相手に、その食べ残しを摂るという生活なので、体重が減りに減って、検査数値もさぞかし改善していることだろうとの思い通り、許容範囲内と言われた。健康のために、老人を養うという手がありそうだな。(^^;

  映画を観ようかとも思ったけれども、用が済んだら帰宅して、老母に飯を食わせなければならないと断念。それでも大回りして、冷凍蜆を求めた。宍道湖産と神西湖産を購入する。

  帰宅したら、老母がダイニングの椅子に座って、薬の仕分けをしていた。顔は青白く、貧血もさして改善されてはいない様子なのだが、脚が痛いの関節が腫れるの、そういうことは言わなくなったから、それなりに、快方に向かっているのではないかな。これは、すぐには死にそうもないなあ…と思う。(^^; 実妹なんぞは、さらぬ別れは、所詮、さらぬ定めなのだから、その段になったら、それは仕方がないとうみごとな割り切り方で、千代もと祈る親の子では、我々兄妹はないわいなと、心の片隅で、ひどい不孝者かなと思わんでもないけれども、正直に告白しておくことにする。

  アメリカ在住の研究者の方から、絵詞の画像について質問が来て、いい加減な返事をしてしまった。有職故実に関わることなので、エイトマン先生にお尋ねしようか。

  晩飯は、クレソン鍋にした。今日の出来はいまいちで、このメニューも、そろそろ退廃してきたように思う。夜、荊妻に叱られる。マスオさんは、立場が弱い。今月中に、何とかいたしますから…。

  やっとこさ、秋学期の全科目の成績処理を完了する。ふう、締め切りには、間に合ったり。教員にとって、「B」は心理的にたいへんつけ易い評価なのだ。特にコース必修の講義科目は、バランスよく成績を付けなければならないのだが、そのあたり、巧まずして上手くいった。理解度の確認=試験はすべて持ち込み可とし、インターネットを使っても構わない(ただし他人と相談してはダメ)としたが、要するに私の話を聴いているかいないか、ちゃんとノートを取っていないと答えられない問題にして、大きな差が生じたのである。講義内容は、私の最新の研究成果に基づく、まだどこにも書いていない自説を述べており、どんな文献を見ても、出ているはずはない。昔、『国文学』という雑誌だったか、暉峻康隆先生が、カンニングされるような問題を出す大学教授はアホである、というようなことをお書きになっていたと記憶する。私は暉峻先生に正規に最後に習った学部生だったが、けだし金言と、大切に肝に銘じている次第。