物置と化していた四畳半の片付けが終わったので、早朝、老いの寝覚めの老母に「今から居室を遷すから」と宣言、娘の部屋のベッドを解体して運び、カーペットのブロックを敷き詰めた四畳半に設置し、本人を移動させ、身の回りの荷物も全部移した。娘の部屋よりは狭いが、エアコンも去年取り替えたばかりだし、壁床もある。老母もまずまず気に入ったようで、よかった。
9:30から会議・・・とスケジュール帳に書いてあったので、大学へ行く。会議室の前に辿り着けども、真っ暗だ。職員の方に尋ねると、その会議は3月1日ですと教えてくださった。ううううう。研究室に戻ると、突然、学部長殿が見えたのでびっくり。過日の私の「正論」発言について、貴職の真意はよく理解している・・・とのお話だった。私は常に政権与党ですからと、変なお返事を申し上げた。(汗
10:30からの次の会議は結構重要で、コース主任ほかと一緒に出席する。私が書いた申請書は、首尾よく採用とあいなっていた。あとは黙っていればよのだが、いろいろ発言もあって、私が副学部長だった時に決めたある数字について、あれこれ誹謗?も出たので、一言申し上げた。また、ああ、この教授先生は、こんなことをおっしゃらなければ学部長になれたのになあ・・・と、またまたと思うようなシーンにも遭遇したが、口は災いの元、くわばら、くわばら(この間の入試問題に出ていたっけな)。
並んで座っていたW教授には、過日はよく我慢なさいましたなあ、私はバカバカしくて腹が立った・・・とも言われた。ははは、身を低くしているのが、大学で生きていく知恵ですと、これまた変なお返事をする。
需要会議はまだ続いていたけれども、11:30に学生と会う約束があったので、退出する。私が顧問?を勤めているサークルの幹事長、長男学部の1年生だ。この学生さんは若いのに、いつも手土産持参、人間が出来ている。昼飯を食おうと「すゞ金」に連れて行き、小さいのを注文した。来年度のサークルの活動について、いくつか依頼を受ける。この学生は、将来某庁の国家公務員になりたいらしいが、A高校のご出身で、そういえば某庁ご出仕のT君はA高校の出身で、母校で教員をしていたこともある。T君に紹介してあげることにしよう。
13:00から教授会。手当のことで例年と同じ発言を繰り返し、また、大学の長期計画との関係で、常日頃不審に思っていたことについても発言した。まあ、守秘義務があるので、詳細は書かない。教授会の最中に、新しい老母の部屋のTVが写らなくなったらしいと、荊妻から連絡が入る。
今日の教授会は意外に長引き、15:00に研究指導を入れていたので、またまた途中退出した。研究室に戻ると、近々研究発表をするA君が待っていて、すぐに下発表を始める。う~ん、調べたり、考えたりした順序通りに、プレゼンする必要はないじゃないかと苦言を呈し、欧米の論文みたいに、最初にアブストラクトを示しちゃったらどう?とアドバイスした。この院生君、筋はいいが、まだまだ鍛え方が足りない(鍛え甲斐はありそうだ)。
今日は荊妻の大学で、定年退職されるY教授の最終講義と送別会が開かれることになっており、私が老母の食事の支度をしなければならない。ちなみにY教授は、私が高校の教師をしていた時、教員室で向かい合わせの席にお座りになっていた漢文の先生であった。16:00過ぎに研究指導を終え、急いで帰路につき、スーパーで買い物をして帰宅した。TVはアンテナとの接続が不具合云々と表示が出るので、少しいじっていたら、映るようになった。もう18:00近くだが、荊妻が炊飯器をセットし、ハッシュドビーフを作り置いてくれたので、神速で夕餉の支度が調った。老母に食べさせ、その後、姑殿と二人で食す。なんだか疲れ果てた。明日はまた、家族にとって重要な日になりそうだ。