そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月24日(水)最後の編集会議

2014年12月24日 | 公開

  A先生はつつがなくご帰国の途につかれたようだ。さて、最後の編集会議に出る。開始の18:00少し前に出版社への道を歩いていたら、同社に勤める卒論指導を担当した卒業生に声をかけられた。この会社には、そういう大学OBが2人居る。夕食は豪華「人形町今半」のお弁当(吸い物付き!)だった。

  できることなら早く帰りたいと、議事においては積極的に発言した。これにて一連の編集作業は一段落。来春4月からまた別の作業が始まるらしい。21:00少し前に解放された。

  家に電話すると、ケーキがたくさんあるから早く帰って来て!と同居人。塩と胡椒が切れていたので、スーパーに寄ってから帰宅した。姑殿と同居人が、それぞれケーキを買って帰ったらしい。駅前の不二家のケーキだったがな。


12月23日(火)A先生とお食事

2014年12月23日 | 公開

  今夏、舎路でお世話になったA先生が来日しておられて、明日夕方の便でご帰国とあれば、一夕お食事をともにすることに。17:00に宿舎の前まえでお迎えに行き、タクシーを拾って神楽坂へ移動(なかなか空車が来なかった)。予約したのは「コメドール・エル・カミーノ」だが、お店の方は早い時刻が都合よい雰囲気だったので、17:30のリザベーションぴったりに到着する。

  A先生からフランズのチョコをいただき恐縮。舎路といえば、もうこれに限りますな。当方からは、ご自宅を訪問した際に植えられていた松の木が印象的だったので、「松緑」題の和歌短冊を進呈申し上げる、さらに、Uさんへのことづけ物もお願いした。

  例によって鍋の「おじや」?が出る。このお鍋茶飯釜みたいで素敵。うちにもひとつ備えたい気がする。

  先生を宿舎までお送りし、少し先で娘を下し、タクシーにはそのままJRのI駅まで行ってもらった。同居人しきりにケーキを買おうとするので、制止する。六日の菖蒲、十日の菊、二十五日のクリスマスケーキというが、12月25日から1月6日まではクリスマス期間なわけだから、焦って食うこともなかろうて。しかし、そこには、日本人ならではの「初物」尊重の考えが導入されてくるのかもしれない。


12月22日(月)年内授業は終了せり

2014年12月22日 | 公開

  学部の講義は、範宗と光家の家集の話をした。光家については来年に持ち越すことになるかと思ったが、何とかなった。あと1回まとめをして、理解度の確認というスケジュール。鎌倉中期の小家集を最後に扱って閉めにできそうである。

  修士課程の演習は、修論を書いている院生諸君が休んだので、半分世間話みたいなことをして、一応一番やさしい注の版本をぶっつけで読んでもらった。博士課程の試験対策みたいな意味合いもあったが、企図は外れたかな。

  学生の研究会も充実した内容。東大は集中講義期間だったか。「かわうち」「AMA」も満席とのことで、N坂をちょっとのぼった居酒屋へ。土佐の酔鯨を4人で1升飲む。

  帰路、コンビニでモンブランを買う。同居人がバースディなれば、二人で食った。


12月22日(月)冬至のお蕎麦は柚子切りで

2014年12月22日 | 公開

  毎日新聞の朝刊を広げると、朴裕河先生の『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版)が紹介されていた。朴先生にはソウルで車に乗せていただいたこともあるし、ご講演も興味深く拝聴した。たいへん勇気のある先生だと思う。ご一読をお薦めしたい。

  さて、本日は冬至なれば、大学の前の寺社は老若男女ならぬ老老男女で溢れかえっている。冬至と大晦日と節分は、お札を受ける方々が大挙押し寄せるのである。いやはや、壮観といふもさらなり。

  冬至なれば柚子であろう。お昼は柚子切りをりんだもぢらんと思案して、少し遠出になるが、明治通り沿いの「もり」まで歩いて行った。三色をお願いすれば、最初の変わり蕎麦が柚子切りである。続いてせいろと、田舎が出る。田舎蕎麦は甘くて重厚感あり。


12月20日(土)おうた文学会例会へ

2014年12月20日 | 公開

  姑殿と老母へのクリスマスプレゼントをもとめに行き、ついでにイヤーマフというものをば40%OFFで安売りしていたので、1個求めてみた。そのまま電車を乗り継いで市ヶ谷まで行く。本日は、おおつま女子大でおうた文学会例会が開かれるのだ。

  雨模様の中、昼食は「大川や」牡蠣そばをりんだもぢった。最初に図書展示を観る。能瀬切、みごとなものだった。

  研究発表はそれぞれ勉強になった。委員会に出る。とある委員会の委員長に指名されてしまったため、構成した委員を承認してもらう必要があったからだが、問題は無かった。秋の大会企画に関して少し時間がかかったものの、18:00には終わって急いで帰宅。珍しく娘が帰ってきていた。

  来週はバタバタするので、同居人の誕生日祝いをやってしまう。姑殿、同居人、娘にクリスマスプレゼントも渡してしまった。私が5分で作ったアンチョビ味の一品が好評で、娘に作り方を尋ねられた。

  材料はアンチョビ缶に、オリーブオイルと大蒜とシメジ、それに胡椒くらい。小フライパンにオリーブオイルを注いで熱し大蒜スライスを入れ、シメジとアンチョビを加えて菜箸でかき混ぜる。仕上げに胡椒と、今回は乾燥パセリも加えた。スライスしたバケットに合わせると美味いですな。

  娘がアンチョビ缶を欲しいという。いくらでも持って行きなさい。


12月19日(金)古書展へ行く 付:会議に出てぼやく

2014年12月19日 | 公開

  神田の古書会館で開かれている新興古書展へ向かう。メトロ駅近くでキャンパス図書館のF課長とすれ違ったので、「志乃原」が今週で閉店だから最後に手繰ってきたと申し上げると、行かねば!とのお返事。やはり図書館関係者には、馴染みの深いお店だったのだ。

  御茶ノ水から坂を下って会場に入ると、五十嵐さんがおいでだったので、ご挨拶した。『五十嵐日記』の、五十嵐さんである。今や古本業界の超有名人。

  A書店にお願いしていた写本を見せていただく。珍しいものだが、拝見すると図書館に買ってもらうほうが好適だろうと判断される。そこで、しばし猶予をいただいてトイレの前から特別資料のK課長に電話すると、それくらいの値段なら収蔵しましょうと一決。東京古典会では希望を全部取り下げたし、こうした、ここぞという時には、日ごろの謙虚な態度がものを言うんだよね。結局自分では何も買わず(谷山茂旧蔵写本の面白いものが1点あったが、やめておく)、会館を後にしようとすると、K研のO教授が入ってこられた。なかつよ文学会機関誌への原稿を督促する。あまり追い詰めてもいけないが、そろそろ釘を刺しておく必要があったので、ちょうどよかったわい。

  そのまま歩いて須田町方向へ。「まつや」の前には人が列をなしていた。いやはや、ご繁盛である。12月下旬はクリスマスに、同居人と娘の誕生日も重なって、ぼんやりできない。娘のバースディ・プレゼントは本人指定の物があるよしで、同居人のほうを物色。これは!というものを、一応入手した。あとは姑殿と老母へのクリスマスプレゼント…。

  神楽坂へ戻ってコーヒーを買う。もう年末なので400g焙煎していただいた。「うつわや釉」でお願いしていた品を受け取る。お店にTさんとNさんがいらっしゃったので、Tさんに、私の卒論指導の学生がJ社に入ることになりまして…とご報告。入るのが難しいから、よほど優秀な学生さんなんでしょうね!と言われた。優秀かどうかは知らんが、出版社向きの、ユニークな学生ではありまする。Tさんのお連れ合いは、前に当社の社長をなさっていたのであった。

  18:05開始の会議に出る。A前学部長に、神楽坂でもとめた税抜き390円也のお歳暮を差し上げた。これは、めっぽうかいに美味い缶詰である。会議はまあ、折り合いがついてきた感じだが、上つ方の危機感を、蒼生はちっとも理解しておらぬことが問題なのだと思う。9月まで一応、公卿簽議?の場に連なっていた現散位、前代官・現小普請組編入の身としては、両前学部長閣下の危機感は、よ~く理解できる。そうなのだけれど、皇国の荒廃この一事にありと言われても、民草の違和感・抵抗感は存外大きかろう。それを、人徳の無いA前学部長みたいな御仁が言い募れば、そうでなくても脅迫に聞こえて、反発を買いかねない。L前学部長はめでたくも星の位に登られたが、そこで見聞された現実を上手に民草に伝わるよう、配慮されるべきかと思う。恐ろしい言い方になるが、その人のもつ価値は人によって違う―ということになるのかな? 大学も企業論理で動く時代へ。ひっくるめて言えば、政治的な感覚が必要―ということか。現両学部長閣下はそのあたり、しっかりした考えをお持ちの方々なれど、事はスピード感を要する。ぶっちゃけ、今の教員(とくに50歳以上のロートルども)は全部クビにして、総とっかえするくらいの話に行くのかも知れませんな。大学教授なんて、スポーツ選手と同じだもの。事はそういうふうに進むと思いまするがな。定年目前の小生は、さて逃げ切れるか? 実は、勤務先に対する「愛校心」みたいなものを、全く持ち合わせていないことに、吾ながら呆れるほどなのである。もう、どうでもいいや、亡父が死んだ年齢まで生きてさえ行ければ…。

  会議は20:00過ぎに終わったので、直帰する。同居人は研究会の忘年会とやら、まだ帰っていなかった。冷凍ライスバーガーを2つ解凍して、遅い夕食とする。スターマッコリを1瓶空けたところで、ご帰宅あそばした。


12月19日(金)祥庵 志乃原 りんだもぢり納め

2014年12月19日 | 公開

  E学部のN教授から、「祥庵 志乃原」が今週いっぱいで閉店との情報を承り、りんだもぢり納めに赴かんと思う。花札演習を終えて、研究室受付に戻ると、仏文のS教授とすれ違った。S教授も私も、大学中央図書館の副館長を務めた当時、ほど近い「志乃原」には随分お世話になった。僕も後で行くよ!と、S教授もおっしゃった。

  お店への階段をのぼると、ご主人と奥様がおいでで、ご挨拶して、心ばかりお菓子を差し上げた。すると奥で、E学部のN教授がせいろをたぐっておいでだったので、斜め前に座る。野菜天せいろをお願いした。

  永く通ったお店が仕舞いになるというのは、本当に寂しい限りだ。ここはまあ、学生はほとんどあがって来ないお店で、教授や職員の方の利用率がやたら高いお店だったと思う。どうかお元気でと、曲の無いお別れの言葉を申し上げて、を後にしたという次第。


12月19日(金)申年生まれ

2014年12月19日 | 公開

  申年生まれであることをカミングアウト?したせいか、昨日からお二人の女性より、実は私、先生(=小生)の一回り下なんですわよ・・・と耳打ち?をされた。いずれも才媛、凡慮の及ぶ方々ではないが、干支で考えると、いろいろ間合いがとれるものである。

  同居人とは2.5歳違う計算だが、干支でいえば2つ、しかし女性は早く歳をとるもので、結婚した当時は私が年上だったけれども、今や絶対にあちらのほうがお姉様というか、私が子どもみたいな格好である。とはいえ、風呂場の前の脱衣スペースで同居人がすっ裸になっていたら、躊躇無く襲いかかって、お触り申し上げているのだがね。

  一回り下というと、大学院後輩にあたる××氏は、ちょうど一回り下の女性と結婚して、離婚している。間合いの取り方も、ケースバイケースということならむよ、ガオー!

  校長をやっていた高校から、学校通信が送られてきた。スクナビコナを自称して退任挨拶を書いたが、新校長はアヅマヱビスを称しておられる。素直にオオクニヌシとすりゃよいものを・・・。

 


12月18日(木)床屋へ行く

2014年12月18日 | 公開

  午前中、床屋へ行く。円形脱毛症は完全に治りましたねと、大将に太鼓判を捺していただいた。××先生(私のこと)でもストレスがあったんですねえ!と、聞きようによってはまことに失礼なことを言われたが、あははと力なく笑ってお茶を濁した。

  同居人の言いつけで、近所のドラッグストアにボディソープの補充を買いに行く。難しい名前の製品だが、すぐに見付けることができた。ついでに「ロイヒつぼ膏」も買った。この貼り薬は、まことによく効く…ような気がするんだなあ。名前からして効きそうだわい。

  夕方からの編集会議の、下準備をする。兼好法師のプロフィールは、小川剛生さんの論文が出たからには、根本から書き直さなければならない。吉田神社とは関係ないことがはっきりしたからである。しかし、捏造された歴史も、享受史の一面としては無視できまい。さて、どうするかな?

  N教授によれば、蕎麦屋のSが今週で閉店のよし。明日、食べに行くことにしたい。Sはビルになる前、大学1年のクラスコンパを2階で開いたことを想い出す。担任のフランス語の教授が酔っ払って、KOと両方うかってその時点で二股かけて通学していると自慢した学生を、目の前でぶん殴った光景を、まざまざと覚えているよ。昔の大学教授は、ずいぶん学生を殴ったものだ。私も故K教授に殴られたが、あれもコンパの席上だった。もっとも学生も、ヘルメット被って手拭でマスクをし、角材で教授を殴っていたがな。しかし、きょうびそんなことをしでかしたら、即解任だろう。暴力的な時代は遠くなりにけり。


12月17日(水)太閤となる

2014年12月17日 | 公開

  14:00からの教授会は、なかなか定足数に達しなかった。その間、美術史の教員連に渓仙の松鶴図を観ていただく。ううむ、やはり画中の鶴は、谷岡ヤスジのアサ~!と叫ぶ「ムジ鳥」そっくりである。ちなみに卯年生まれの伯父貴は、高校で谷岡を教えた恩師だそうだ。

  今日は早く終わるかなあと期待を持ったが、そうは問屋がおろし大根だった。それでも協議事項が終わるまでは義務と感じて座っていたものの、某重要基幹委員会関連事項のところでエスケープする。17:00までに××公園内のG庵へ赴かねばならない。お稽古事の年内打ち上げイヴェントに参加、太閤役を務めることにあいなっておったのである。まずお呈茶があった。お床は高崎正風の和歌懐紙。冬直衣を一番に着せていただく。昼にコーヒー1杯飲んだきり、水分を控えた効果があったというものだ。

  歌会は無事終了。なんちゃって太閤役をあい務めた、なお約点者の権限?で、愚詠の末句を修正、「人をあやめつ」とする。余興も面白かった。宴席では、老婦人のご要望で、とんとんとんからりんと隣組~♪と歌った。僕は申年ですと申し上げると、まあ、昭和十九年のお生まれなのね!と言われましたわ。(~_~;)

  O社長に最寄り駅まで送っていただき、大手町→東京駅経由で帰宅。各地で大寒波襲来、大雪のよし。東京駅構内では、東北新幹線は運休とのアナウンスが繰り返されていた。


12月17日(水)壇蜜日記

2014年12月17日 | 公開

   私のことを「余裕があって、胆力もある」と評した方があったそうだが、お見間違いである。「太っていて、短慮」なだけだ、いやはや。

  会議日なれど、10:00に打ち合わせ1件で大学へ行く。某評議員会は欠席の返答をしたあったが、成立があやしいので何とかご出席を!とのメールが来たけれども、今さらそういうわけにもいかぬので、重ねてお断りした。さて打ち合わせは、H市の市民大学の講師の件。もっと早く言ってくだされば・・・と思ったけれど、市民サーヴィスにはご協力いたさずんば非ずである。9月まで高校の校長をやっていた、地元サーヴィスということである。呼んでいただけるのは、人気商売、悪いことではありませんな。

  続いてYさんが研究室を訪ねて来た。ガマン専任先生をご紹介したのだが、わざわざ来てくれなくても…。まあ、教え子でもあり、筋のよい研究者であることは間違いなく、できるだけの応援はして差し上げるつもりである。

  「Cafe GOTO」でケーキとコーヒーをいただき、昼食代わりとする。タルトタタンはあと15分かかると言われ、じゃあそれとチョコのケーキを指さしたつもりが、茶色いケーキを持って来た。こりゃ何だ?と独りごてば、隣席の女性に、アップルじゃないでしょうか?と言われる。聞き合わせると、クラッシックアップルケーキとかいう新作なのだそうだ。どうですか?とGOTOさんに聞かれたけど、う~んと曖昧なお返事をした。

  12:15から教室会議。50分かかった。ついつい、細かいことをぐだぐだ発言し、自分で自分が厭になった。

  O教授がお買いになったという『壇蜜日記』を読んでいるが、なるほど、著者の文才はなまなかのものではない。「GOTO」の花番さんにお薦めしたら、あっ、A-BOOKSで売っているんですね?と、文庫本のカヴァーを見ながら言われた。A-BOOKSの『壇蜜日記』は、おいらが買ってしまったんだけど…と思いつつ、そ、そうなんだ…とお返事した。


12月15日(月)穴子天を食す

2014年12月15日 | 公開

  自宅横の公園の木の葉もみんな散ってしまったので、掃き掃除の必要は無くなった。朝いち演習があるので、朝食は冷凍パンとシチューみたいなもの、電子レンジでくたくたにした紅玉林檎を食う。同居人が作ってくれたが、これは餌と申すべし。

  朝いち演習だが、出席簿の順番に指名して写本を読ませたり、質問に答えさせたり。これでくずし字・変体仮名は、絶対に読めるようになっているはず。

  さて、PCがまたぞろぶっ壊れた。同じ壊れ方で3度目である。よほどこの機種とは相性が悪いらしい。前2回は結局、新しいのに替えてくれたのだけれども、そもそも原因を追求していないのだと思う。COOPのカウンターに持って行くと、、またですか!という顔をされた。まあもう一度、それでダメなら捨てますわいと申し上げていおく。

  昼食は「高七」へ行って、穴子天を定食にしていただく。胡瓜の天麩羅が付いてきたが、これまた絶品である。もちろん大根の天麩羅も付く。12:00過ぎに食い終わって、坂を下りて行くと、A君とすれ違った。天麩羅かい?と声を掛けたら、頷いた。給与の高い学校で非常勤をしているから、奢ってやがると思う。修士課程の院生の頃には、天麩羅なんぞ食えなかったがなあ。まあ、結構なことである。しっかり精を付けて、修論を書き上げておくれ。博士課程の試験もあるからな。

  郵便局で82円切手を買ってから、「Cafe GOTO」でカプチーノを飲む。K教授がオープン見にこられたでしょ?と尋ねると、GOTOさん、どうして知ってるんですか?と驚かれた。本人に直接うかがいました。

 


12月14日(日)総選挙

2014年12月14日 | 公開

  …というわけで、同居人と一緒に、午前中投票所へ行く。投票を終えて出てきたら、NHKの出口調査です…と女性の方に協力を求められた。この寒空にたいへんじゃな。しかし、お声がかかったのは同居人だけで、私はあらぬ方向を眺めてアンケートへ記入するのを見ないようにした。

  後で、正直に書いたの?と聴くと、そうだと言う。同居人は典型的な浮動票だと思うが、今回は入れる候補に悩んでおったのは分かっていた。どうしてもこいつだけには入れたくない…というのを考慮して、結局消去法で決めたらしいが、その「どうしても…」が選挙演説の態度とか、そういうことが大きく影響してくるというのだから、恐ろしや。

  投票率は最低だったという。やはり選挙年齢は、一刻も早く18歳に引き下げるにしくはなかろう。こもごもそう思った。

 


12月12日(金)「舞姫」の自筆原稿、そして義士伝を聴く

2014年12月12日 | 公開

  今朝ほど作った「赤貝殻蒸し」をK教授におすそわけした。神楽坂下で待ち合わせる。大阪寿司のお店でご馳走していただき、こりゃ海老鯛ならぬ、赤貝で穴子だった! 蒸し寿司は、幼少の頃育った家の並びにお店があって、よく蒸したてを食べさせられたから、馴染んでいる。冬には美味しいものですなあ。なおK教授は、赤貝ご飯をお炊きになったらしい。

  さて、ABAJ国際稀覯本フェアの下見会の会場ホテルまで歩いて行く。エレベータで会場階へあがると、ちょうどキャンパス図書館のF課長殿がおいでだったので、一緒に展示会場へ。KOのI教授が学生さんをたくさん連れておいでだった。森鷗外自筆「舞姫」原稿46,440,000円也を触らせてもらった。個人的には二十巻本歌合の一巻、65,000,000円也が素晴らしいと思ったけれど、凡慮の及ぶところに非ず。新聞で話題になった漱石の子規宛書簡4,500,000円也もしっかり拝見した。

  会場に松野陽一先生が入って来られた。F課長が直接にお話ししたことはないと言うので、ご紹介申し上げる。世田谷禅宗大学のS教授も入って来られたので、なかつよ文学会機関誌への原稿を有り難うございましたと、学会事務局員として御礼申し上げた。

  18:00からは東京出雲学生会の第554回例会、義士会である。義士会というからには、12月14日が定例だが、今年は曜日の加減で2日前倒しとなった次第。神田すみれ師の義士伝講談、このたびは「赤垣源蔵 徳利の別れ」だった。私はこの会の幹事の一人なのだが、お酒の注文係をやらされる。先輩会員の面白い(しかし長い)話を聴かされた。

  来賓として島根県東京事務所の課長さんがお見えで、私の隣にお座りになったから、自虐カレンダーの「観光資源は神頼み」は実に秀逸ですね!と世辞を申し上げた。いよいよ干し柿のシーズンになったが、畑の干し柿に「八雲立つ出雲干し柿箱詰めにほし柿つるすその干し柿を」の一首を入れたらどうでしょうかと、その場で短冊にしたためた愚詠を差し上げた。お持ち帰りになったが、検討してくださらぬかなあ。

  参加した現役学生を誘って幹事連、Y新聞政治部記者氏らと二次会へ。現役の学生諸君の参会を得ることが難しく、いつも薄氷を踏む思いである。



12月12日(金)ぼてぼて茶碗

2014年12月12日 | 公開

  赤貝の殻蒸しを作った。松江では「からもす」とか言っておったっけ。少し薄めに味付けをする。朝食はホットドッグだったが、同居人が殻蒸しをどんどん召し上がったのは可笑しかった。やめられなくなるんだよね。

  通勤電車の中でまた素白の随筆を読む。素白岩本堅一先生がなつかしいのは、稲門の先輩ということもあるが、「ぼて茶碗」という文章に接してこのかた、そう思うようになった。これは松江の「ぼてぼて茶碗」について触れられたもので、松江人にはうち笑まるる内容である。

  花札演習は、十月札の発表を聴いた。抱き鹿角紋の紹介に関連して、鶴見に抱き茗荷紋の蕎麦屋があって美味いですよと言う受講学生がいたので、それは聞き捨てならぬ、教えなさいと尋ぬれば、「登茂吉」というお店だそうである。今度鶴見大学へ行く機会があったら、立ち寄ってみよう。