そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

3月31日(火)その3

2009年03月31日 | 昔日記
 都庁前から大江戸線で牛込神楽坂へ移動。昼食は「玄菱」で「牡蠣天蕎麦」を注文。朝から何も食べてないもんね。昨日はオイスターバーで、また牡蠣かよ。私、貝がほんとうに大好物なんだよね。蜆食って育ったせいかな。まづ貝より始めよ、なんちゃってね。

 パートナーに電話をかけたら、「レリーサ」のクッキーを買ってきてと頼まれる。「玄菱」からはすぐなので、ほいほいと買いに行ったが、もう品数がだいぶ少なくなっていた。アーモンドのクッキーを2個買い、畏友教務主任殿へメレンゲも買う。それから「Cafe Goto」の千曲川の絵の下のお気に入りの席でコーヒーを飲み、研究室へ。

 事務所で研究会の教室を確保し、学会出張の申請用紙をもらってから、教員室受付の畏友教務主任殿のメールボックスに「あざらしサイダー」と「レリーサ」のメレンゲを届ける。少しコピーをとり、教育学部のN教授へ届ける本50冊の束を入れた紙袋を持って、まずは郵便局へ向かう。途中、シンボル講堂のあたりで、学生がパシャパシャ写真を撮ってくる。何事かと思えば、私の横を森田和義氏が歩いている。テレビ番組の収録らしい。郵便局から井上宗雄先生へ『国宝熊野御幸記』をお送りした。それから教育学部の事務所へ行って本を預けた。

 それでもって今度は中央図書館の特別資料室へ。神楽坂で買ってきた「梅花亭」の「京風桜もち」を持参する。図書館に行くときは、お菓子を持っていくものだ。F調査役に、K文庫購入が決まってよかったですねと申し上げた。まあ、あの価格なら妥当だろうという話に(N先生はご不興だろうけど)。そのかわり、故K教授の資料は、なかなか買ってはもらえないだろう。S財団の収蔵品も、結局皆KOさんに行っちゃったしな。不況だからしょうがないが、こういう時こそ、よい資料が案外安く入手できるんだけどね。

 頼んでおいた鎌倉時代の資料を出してもらい、書誌をとる。M常勤嘱託と、5月の学会の時に展観する資料について、実物を見ながら相談した。展示ケースが小さいので、5点にする。新収の資料展観にして、目玉を宗祇書状の新しく買ったほうにしよう。すると、金葉集の写本の連歌のところを開けて脇に置けばいい。あとは中世の勅撰集・私家集・歌学書だ。文字資料ばっかりだが、学会向けだからまあいいや。

 おやおや、もう17:00過ぎだ。図書館でいま少し調べものを続け、レファランス窓口で中国文学のO教授のおつれあいであるK課長に最敬礼し(いつも奥様にお世話になっております)、18:00に組合の執行委員会へ。お弁当をいただく前、職場区の次期執行委員候補者の抱負文と推薦文を書記局にお渡しした(O教授にも推薦文を書いていただいたのだ)。これでもう退任モードとなる。しかし、委員会が終わったのがなんと22:10。春闘の賃上げ要求は、職員組合と協議の結果、0.95%になったんだと。ど~でもいいような数字だ。もう遅いので、「太郎月」へ行くことは断念する。

 今日はン十五年前に結婚式を挙げた記念日だったので、早く帰って来いとパートナーからしきりにメールが来る。22:30にようやく、今から帰ると返信した。娘がプレゼントを用意してくれたらしい。何かと思ったら、名前入りのワインだった。ボトルに直接彫り込んで、金箔?があしらってある。それで、これはどこの何というワインなの?と尋ねたら、うろたえたのには笑ったけど。「フ、フランス」なのだそうだ。手の込んだものを、有り難うね。

3月31日(火)その2

2009年03月31日 | 昔日記
 この写真は反対側から見たかつての下宿屋。手前が大家さんのお宅で、奥の白っぽい建物の2階に4つ、下に2つの部屋がある。台所と便所は共同。もちろん風呂はない。近くの銭湯「梅月湯」に通った。

 1階の手前が6畳、奥が3畳で、最初に入ったのが、便所の横のこの3畳部屋だった。家賃はたしか月9,000円、1日300円ということだな。この部屋で初めて寝た夜、地震があった。東京は地面が揺れるのかあと仰天した。奥の千鳥荘というアパートと、窓と窓とが接していた。千鳥荘のその部屋には、ホステスとヒモが住んでいた。3畳の部屋というのは、万年床にはできない(万年床が可能となるのは4畳半からであろう)。今パートナーが使っている小さな経机と、スチール本棚2つを入れたから、毎日きちんと布団をたたみ、自炊していた。ある時、向こうの部屋で喧嘩が始まった。ヒモがだらしないと、ホステスさんが罵っている。それで、「ちった向かいの学生さんを見習いなさいよ」と叫んだのにはまいった。その窓はもう、カーテン締め切りにして開けないようにした。

3月31日(火)

2009年03月31日 | 昔日記
 痛風の病院へ行く。いつも診察の前に尿検査と採血があるのだが、待てど暮らせど呼ばれない。主治医のY先生(よくテレビやラジオに出ていらっしゃる)が指示し忘れられたらしい。時間があるので腹も立たぬ。血糖値は正常の範囲内に入った。コレステロールが高めなのは鰻重のせいだろう。尿酸値もちょいと高め。血圧も下がいささか…

 昼食までには間があるから、学生時代7年間暮らしていた西新宿6丁目の下宿へ足を延ばしてみる。あたりは再開発中で、大きなビルの建設中だが、その一角だけが奇跡のように、昔の建物のまま寸分違わず残っていた! 大家さんはとっくの昔に変わったが、まだ人が住んでいるらしい。自転車が何台か置いてある。ああ、なつかしや。同じ建物の中で、3畳→4畳半→6畳→4畳半と移動した。妹が田舎から出てきて一緒に済んだし、妹の高校の同級生まで同じ下宿に入って、松江出身者で部屋の大半を占拠したこともあった。周囲の住民は、ヤクザとホステスだらけだったなあ。

3月30日(月)

2009年03月30日 | 昔日記
 博論の公開審査が13:30からで、パートナーも14:00から会議に「お呼ばれしている」というので、早めに一緒に家を出る。S教務部副部長にクッキーを届け、一蹴り三嘆氏に本のお祝いを届けたいとパートナーが言う。月曜なので「レリーサ」は休みだから、「アミティエ」に行きましょうと、赤城坂を下る。

 坂の下の方に、「坂」というギャラリーがあって、「小林健太 銅の器展」をやっていた。銅製の盃に引き付けられ、ついつい入ってみた。その昔、ストックホルムで、銅の盃?を買った。中には金箔が貼ってあった。小林健太作の盃は、内側が琺瑯びきになっている。なるほどね。脇の常設コーナーを見ると、なんてことはない白磁の盃が並んでいる。昭和20年代のものだという。 ああ、いい形だな。1コ衝動買いに及ぶ。

 ギャラリーの斜め前には、前にK先生のブログに出てきた「茄子紺社」がある。パートナーは目を輝かせて、バッグをいくつか見せてもらったが、ものすごく軽くてデザインも最高なのだけれども、大学教授の日用使いにはサイズと取っ手の長さが、帯に短し襷に長しである。今日は入籍記念日だから、プレゼントしましょうかと申し出たが、残念。「アミティエ」でクッキーを買う。

 お昼を食べましょうということになって、「松庵」に行く。正門通りは、紅白いろいろな花が同じ木に咲く花木が並木になっていて、その花盛りだった。桃の一種らしい。シンボル講堂の前でパートナーと別れる。

 13:30から公開審査。きっちり2時間で終了し、フロアの参会者も10名以上あった。どうして狭い会議室を使ったの?と演劇のTAさんに尋ねたら、そのほうが賑々しいからと主査のU教授のご指示があったらしい。私は副査だったが、総論が無いと、結構厳しいことを言ってしまったかも。もう一人の副査T教授は、細かいことをいろいろ突っ込んでいた。さすがGCOE総責任者である!

 U先生から『少女の友』創刊100周年記念号 明治・大正・昭和ベストセレクション』(実業之日本社)をいただく。U教授のお父上は、同誌の主筆にして名編集長、中原淳一を見出したことで知られるU氏なのである。

 八木書店から『国宝熊野御幸記』も届いていた。拙論文も載っているので、どうかよろしくお買い上げのほどを。

 17:00に家族で入籍記念日の食事会を計画している。パートナーに電話したら、会議は終わったという。研究室を出掛けにメールチェックすると、畏友教務主任閣下が、いたずらをしておいでになる。思わず研究室で、声をあげて笑ってしまいました。明日の執行委員会が楽しみだな。

 パートナーと電車で待ち合わせて、品川へ移動、「グランドセントラル・オイスターバー&レストラン」に入る。去年の今頃はまだNYに居た。「オイスターバー」には3回も行った。この品川店は、本店の一部を切り取ったような風情である。追っつけ娘と姑も到着。さてワインは何にするかな。今日はカリフォルニアにいたしませう。よし、メルローがいいぞと、「HAVENS 2004」を注文。馥郁とした香りに陶然となる。あとはオイスターパレード・プレートとか、魚介のグリルとかをバババッと頼んだ。娘はまず、クラムチャウダーだと言う。マンハッタン? ニューイングランド? そうですか、白い方ね。あ、ワインも空いちゃった。明日は痛風の病院に行かなければならないけど、もう1本。今度は白だな。ソムリエさん?と相談して、「SIMI 2006」にする。これもいいワインだな。

 あ~、酔っ払っちゃった。明日締め切りの原稿とか、山のようにある。ううむ、出来ぬものは出来ませぬ。さあ、殺せ。死んでやるう。

3月29日その2

2009年03月29日 | 昔日記
 K先生のブログを拝読していたら、来年度の「特殊研究」に9名の受講生が集まり、3名がキャンセル待ちと書いてあった。それはもうりっぱな正規科目である。さすが人気の高いK先生だけのことはある。

 「特殊研究」というのは、特殊で需要の低い分野の授業を研究会形式で行い、受講者は後で単位申請するというシステムで、学部再編にあたり私のアイデアで設置された、いわば准科目というべきもの。私も従来行ってきた学生研究会をこの科目に充当して開講し、来年度は3年目となるが、春学期の申し込みは今のところたったの1名。さすが、学部の「ドハマリな科目」№1を担当する私だけのことはある。もっとも、昨年度から引き続いて参加してくれる学生や、院生もいるから、新規獲得が今のところ1名ということだ。

 研究会に顔を出してくる学生はモチベーションが高く、大学院への進学率がたいへんに高い。かつては入院率?100%を誇っていたくらいである。院生も含めて先輩後輩の関係を作ることも大事で、いわば自主ゼミみたいなものといえよう。とてもやり甲斐がある。教員組合の論理から見れば労働負担の増大となるが(参加者をオゴったりするので、経済負担もバカにはならぬ)、大学教員はすべからく組合の論理だの、労働法の法理だので動くものではない。

3月29日(日)

2009年03月29日 | 昔日記
 苺白書大学のP君からメールがきた。4月からオックスフォード大学への着任が決まったのだそうだ。博士候補生として日本滞在中、研究室で面倒をみた。去年のNY滞在中も、いろいろお世話になった。

 P君はイタリア人で、奥様は日本人、小さな坊ちゃんがいる。京都合宿に連れて行ったら、突然ピザの生地をこね始めたのには笑ったなあ。いや、よかった、よかった。院生諸君にも早速ご披露のメールを送る。こいつぁ春から、縁起がいいわい。

 オックスフォードといえばあなた、教組の委員長殿が博士号を取られた大学である。世界の名門であろう。ひぇ~、それにしても、いいところに就職できたものだね。

 アメリカへ帰る時には、室町時代写の古筆切を額装して記念に差し上げたが、また何かお祝いを贈るかな。今度は鎌倉の切にするか。いわば「教え子」がよい職を得るのは、何とも嬉しいかぎりである。ほかの諸君も、頑張ってくださいよ。

3月28日(土)

2009年03月28日 | 昔日記
 先般Y書店からりっぱなご本を出されたK氏へお祝いに差し上げる品を、パートナーが選びに行くというので付き合ったら、ご褒美にPILOT万年筆のCUSTOM74「Music・Black」を買ってくれた。わ~い、前から欲しかったんだよね、これ。写譜用の特殊な万年筆だが、定家様(ていかよう)みたいな文字が書けるんだ。

 パートナーとは駅前で別れ、彼女は研究会へと向かい、私は鳩居堂の封筒と便箋を買いに行く。ついでにCDショップで、Diana Krallの「QUIET NIGHTS」を衝動買いした(すみません、カード使いました)。

 夕方は町内会の花見だった。近所の公園の桜は五分咲きというところで、例年散り際の花見となるのに比べるとよかったんだろうが、花冷えのため、とても座り込んで冷えた缶ビールを飲む気分にはならない。姑と二人で出向いて、お酒と弁当?のセット、それに豚汁をお椀に1杯ずついただき、それらを持って早々に退散した。

 夕食はその豚汁を水増しし、味を調えて4人分とした。残り少なくなった湯浅の金山寺味噌を、烏賊刺を細長く引いて和えてみた。これはオツである。ついでにヒラメのエンガワも同じように作ってみたが、こちらは脂っぽくて失敗だったな。煮物はレンコンを中華鍋で敢えて真黒に仕立ててみた。それから天豆をさやごと焼いた。茹でるよりこのほうが美味しい。あとは得意の「マヌカ」入り出汁巻き玉子。お酒は「李白」の吟醸を冷酒で供す。盃はもちろん、黒江塗の「みかん盃」なり。

 パートナーがプリプリしながら帰ってきた。研究会に行ったが、K氏が来なかったというのである。角書き一蹴り三嘆の御仁だ。どうにも変わった人らしいが、ことさらに世の中を狭くしているような…

 写譜用万年筆の使い始めに、関西大学のT先生へ抜刷のお礼状をしたためた。 

3月26日(木)

2009年03月26日 | 昔日記
 海南駅で買ってきた黒江塗の「みかん盃」、も~こんなスグレモノは滅多になく、すっかり気に入ってしまったので、小箱の中に入っていた製造元に電話を掛けてみた。東京で入手できるかとお尋ねすると、海南市内にしか出していないとのこと。実はかくかくしかじかで、この盃でお酒を飲むと明らかに味が違い、仰天しているのですと申し上げたら、そんな話は初めて聞いたとのお返事。3~4個見つくろって、送っていただくことにした。「谷秀漆器」という工房の製品である(あまりに感動しているので、特に宣伝に協力する次第)。海南の、藤白神社にでもお参りの節は、ぜひ駅で手にとってごろうじろ。

 午後、全学共通のコンピュータによる教育システムに関するFD(フロッピーディスクではございませんぞ。ファカルティ・ディベロップメントのこと)発表会に顔を出すと返事をしたので、シンボル講堂の向かいのシンボルタワーの地下へ行く。2本目の事例報告の途中で会場に入ったが、集まっていたのはいつもの顔ぶれ。しかし付属高校からは、練馬校から校長のYさん、埼玉校からは教務主任のYさんが参加しておいでだった。ずいぶんご熱心だな。Y校長のところへ、教組は定年問題で大変ですわと言いながら近寄ったら、あっちへ行けと追っ払われた。

 FD担当の教務部副部長S教授は、パートナーとかつて短大の同僚だったし、大学への着任が私と同年だった関係もあり、親しくさせていただいている。ご挨拶を申し上げる。関係事務を束ねるNさんに、娘が就活中だが、オンデマンドのテストをやたら受けさせられている。このことは意識しているかと尋ねたら、思ってもみなかったとの返事。この件、就職支援センターともコンタクトされたほうがよいとアドバイスしておく。このコンピュータシステムに習熟してしている我が大学の学生は、他大生に対して圧倒的なアドバンテージが保てることだろう。

 事例報告はタメになったが、だいたい2年前までにウチの学部で考えたことが、ようやく全学的に理解が進んできたなという印象を受けた。配布された新しいパンフレットはよく出来ていた。事例集には私の記事も載っている。

 ディスカッションに入るところで退出し、神楽坂へ向かう。改札で待ち合わせ、3人で食事をする約束があった。古い「教務繋がり」なのだが、いささか憚りあれば、メンツについては特に名前を秘す。少し歩き「志ま平」へ。大将は一時体を壊され、しばらく休業していたが、近時営業再開となった。最初に白ワインを1本空ける。「志ま平」のラベルが貼り付けてあるフランスワインだが、非常においしかった。それから日本酒へ移行。私は持参の「みかん盃」を使った。漆器は軽く、伊右衛門のおまけの「豆巾着」にぴったり入る(iPhoneを入れるのにぴったりと評判だが、「みかん盃」の小がちょうどすっぽり入る)。今日は他の盃と飲み比べていないけれども、酒の甘みが豊かに立ち上がる感じがする。しばらくは常時携帯することにしよう。こいつはちょっと手放せなくなった。

 機微にわたる話がいろいろ出た。この不況が追い風となって、長年のある懸案が解決する方向とのこと。へえ、そういうこともあるんですね。最後に蕎麦を選ぶ。3人ともまず「二色」をたぐり、私以外はさらに「かけそば」をお召し上がりになった。やはり「志ま平」の蕎麦は、神楽坂辺ではまずもって最高水準であろう。掘り炬燵式のカウンター席からは、オープンキッチン内の下の方は見えないから、まことに感じのよい店内である。この点、「蕎楽亭」のやや雑然としたオープンキッチンと比べたら、見せ方のレベル、演出の心配りが数段違う。3時間ほどゆっくりとお話しができた。店を出て飯田橋まで3人で歩き、散会とする。

3月25日(水)その2

2009年03月25日 | 昔日記
 コースの卒業証書と修士学位記の授与は16:00からなので、ゆっくりと大学へ向かう。会場には私が卒論指導をした卒業生も皆、顔を出していた。Nさんは都立高校の教員に採用されたが、赴任校が決まったとの報告を受ける。K高…、おお、「寅さん」という感じだね。O君は覚悟のフリーターだとか。それぞれの道への旅立ちである。修士課程修了者の諸君も、博士課程へ進学する人、就職して雄飛を目指す人などさまざまだ。最後にS教授の音頭で乾杯した。

 その後、キャンパス内のカフェテリアで賑やかに行われていた夜学部の卒業祝賀会を覗く。私の発案でこの学部のマスコットになった「ぶんぶん」のぬいぐるみ?が、ステージの脇に鎮座ましましている。このキャラクターを作って、本当によかったなあ。学生担当のI教務主任と少し立ち話をした。彼とは助手仲間だった。しかも、独文の彼と国文の私は、同じフロアにあるそれぞれの研究室で仕事をしていたのだ。当時の助手は今より人数が少なく、集まってよく飲んだから、「助手繋がり」というのも、案外強い絆なのである。

 17:30から、所属コースの謝恩会が、個人研究室の前の会議室を借り、料理をデリバリーして行われた。会費3,000円という、つつましやかな会。幹事団は、1年基礎演習で私が担任をした諸君が中心だ。受付を手伝う3年生も、私の基礎演習出身者や学生研究会のメンバーたちである。こういうところに人材養成の実を発揮できているのは、正直誇らしい気持ちがする。この謝恩会は、私たちの期が銀座のホテルで開いたのが、その後ずっと続いている伝統行事なのである。

 幹事の一人Tさんは、卒業式でO記念賞の芸術賞を受賞した人。既に歌人として大活躍している。大学院に進学することが決まっているので、4月2日の新歓懇親会の後、、日本酒を飲みに行こうと約束した。またOさんも、都立高の赴任先が決まったそうだ。Oさんのお父様はたしか、ロシア文化ご専門の研究者のはずだが、国文に進み高校の国語教師になることとあいなった。1年生の頃に比べてたら、すっかり垢抜けて、素敵な女性になったなあ。U君は落研で活躍したようだが、彼も大学院進学組で、U教授の研究室に入る。

 2時間はあっという間に過ぎた。教員それぞれがスピーチをさせられた。私は、亡き指導教授がいつも口にしていた「揉めれば揉めるほど世の中よくなる」の言葉を贈り、喧嘩の勧めを一席ぶった。数日来、あちこちで喧嘩?しているからな。花束をいただき、卒業生代表の挨拶があってから、司会のOさんがお開きに一本締めすると言い出した。だめだめ。一本締めはヤクザの風習だ。三本締めでなくてはいけないと叫び、前にしゃしゃり出て、手締めをした。元助手は体が先に動く。

 引き続き私の研究室を開放して飲む。書道のA先生もやって来て、吟醸酒を2本も差し入れてくださった。A先生、相当酔っ払っておられる。Tさんに、O記念賞の金メダルを見せてもらった。銀メダルに金メッキしたものだそうだが、ずっしり重い。NYへ来年は、隣のK教授が派遣を内諾されたし、万事めでたし、めでたしだった。23:00近くになったので、さすがに帰宅することした。同じ方向へ帰る幹事団のメンバー、袴姿じゃ大変だから、最寄りのJR駅まで一緒にタクシーに乗った。

3月25日(水)

2009年03月25日 | 昔日記
 明け方に、カリキュラム委員会の持ち回り審議に対する私の意見を回答する。ついでに教組のメーリングリストに、小冊子に奥付が無いので回収すべきとの意見を流してやった。情宣部の刊行物と誤解されたら迷惑だ。今日はう~んと意地悪な男になっている私。

 私が攻撃したコースに所属する委員から、弁明めいたメールが来た。私の意見を「まっとう」と認めている。でも悪気はなかったんだと。それで済んだら警察は要らんわい。教組の書記長からは、組合執行委員会の名前が表紙に印刷してあるから回収しなくてもよいと返事が来た。そうですかい、ウチの職場区ではどんどん再生紙回収ボックスに小冊子が棄てられつつあるとのことだが、そのまま放置しますと、またぞろ返事をしておいた。あ~、本当にいぢわるなあたし。人文系学部に経済状況の冊子を配ったって、捨てられるのは火を見るより明らかだ。だ~から言ったじゃないの~♪ バカね。

 娘の話を聞いていると、なるほどねと思う。就活の面接も、二次、三次ともなると、企業側がどんな人材を取ろうとしているか、どのような考え方で働かそうとしているか、はっきり見えてきたという。それが分かると、ここはやめておこうという判断も出てくるようだ。空前の不況で、現下は採用側主導だが、面接というものは、採用してもらう側だって企業を判断する貴重な機会でもある。卑屈になる必要はさらさらない。娘がなんだか拘って、今のところ食指を動かしているところ、私はよい判断だと思っている。大学の友人からは、バカにされているそうだが、学科の勉強が大いに活かせる業種ではないか。見栄や体裁で、仕事を選ぶ時代ではない。しっかりした考えで選び、首尾よく採用された暁には、大いにお祝いしようじゃないか。というわけで、今日も面接ご苦労さま。雨が降って来たので、せめては駅まで車でお送りする。

 さて、卒業式である。そろそろ出かける準備をするか。今日はユニクロというわけにもいくまい。

3月24日(火)

2009年03月24日 | 昔日記
 鉢植えの山椒が一斉に芽吹き始めた。春だなあと思う。家には2鉢あって、1つは軽くてよりスパイシー、もう1つは濃厚で甘い香りがする。木の芽だにすらさへ個性(個体差)があるのだ。それがまた楽しい。

 パートナーとWBC決勝戦を観てしまった。9回裏2アウトで同点になったところは、さすが韓国だった。しかし、韓国とこんなに試合をするというのも…何ともはや。

 イチローは凄い。ウチのK助手は容貌がイチローに似ている(片桐洋一先生のお墨付きがある!)。I助手は城島に似ているから、マリナーズ研究室である。

 17:00からカリキュラム委員会に関係した説明会が開かれる。正規委員会を緊急に開くべしとただ一人叫んだ私としては、参加せざるを得ない。神道大系を借りに図書館に行く用もあったので、大学へ行く。もたもたして、間際になった。まず本を借り、メールボックスを覗くと、例の組合の「小冊子」が配布されていた。M委員長渾身の著作物である。ところが奥付も何もついていない。なんじゃらほい? これでは怪文書と一緒だ。我が情宣部の関与したものではないからな。ところが、ご丁寧なことに、表紙の右上には通し番号が打ってある。いったい何を恐れているのだろう? 誰に何番を配ったか全部記録されているらしい。ナンバーリングをさせられた書記局員の方々は、さぞや大変だったことであろう。なんだか腹が立ってきた。不機嫌をかこちつつ教務室のドアをノックする。さすがにカリキュラム委員長は既においでになっていた。

 案件は3つあった。それが今持ち回り審議となっている。委員は次々と承認の意思表示をメーリングリストで送って来るが、私にはどうしても理解ができない。各委員はちゃんと、問題を考えているのかしら。1つのはまあ、緊急措置だから仕方がない。でもあとの2つはいけません。説明を聞いてから意見を述べた。1つの件は制度についての根本的な誤解がある。私は現行カリキュラム構築の際、当該学部の全体を調整する役目を仰せつかった。コースが皆、てんで勝手に複雑なカリキュラムを作ったものだから、このような混乱は他日必ず生ずるものと危惧していたが、案の定である。コース主任より私のほうが、当該コースのカリキュラムの理念を理解していたということになる。私の意見を入れ、再提案してくださることになった。もう1つの件は、話を聞いて、ますます怒り心頭に発した。それなのに、畏友A教務主任は頭を下げやがるのである。なんであんたが頭を下げるのよ? 当該科目を実質管理するヤツラがアホというか、教育者失格という話じゃないか! ああ、むかむかする。許せん。 尻拭いは専任教員がやるものぞ!

 18:30からA教務主任の慰労会というか、激励会を設けている。説明会は、30秒で終わる予定が1時間近くかかってしまった。研究室に戻り、09年度用テキストの見本を共著者に学内便で送り、またKさんの学位審査報告書の案に朱を入れたものをU教授のメールボックスにお入れしてから、神楽坂へ向かった。

 K教授が世話役をお務めくださり、M教授と私の3人が待ち合わせ場所に集合したが、A教務主任はどうせ遅れるに違いないから、先にお店へ行く。「サン・ファソン」というフレンチのお店である。Bコースをお願いする。私は、オードブルはエスカルゴ、魚はエイヒレ、肉は鴨にした。オードブルが出たところで、A教務主任が到着した。

 我々4人は、同じ時期に、A教授とK教授が昼学部の正副教務主任、私とM教授が夜学部の正副教務主任を務めた、という関係である。いわば、同期の「戦友」ということだな。この「教務繋がり」は、専門分野の異なる者同士のコネクションとしては、大学においてはかなり強い絆といえるだろう。私が教務主任、副学部長として仕えた学部長T先生は、今や大学本部の常任理事で、教組執行委員(情宣部長)たる私とは敵味方の関係になるが、到底敵だとは思われない。寝返れと下知が来たら、小早川秀秋くらいの働きはいたしまするぞ。もう組合もいやになってきた。執行委員の任期が終わったら、本当に2度目の脱退をすることにしようかなあ。

 「サン・ファソン」のお料理はボリュームたっぷりだった。ワインも美味しかった。A教務主任は消耗して、お疲れの様子だが、少しは慰労になったろうか? もう少し陽性に振舞えばいいのにと思うが、キャラクターだから仕方があるまい。でも、最近とみに陰気臭くなっているぞ。

3月23日(月)

2009年03月23日 | 昔日記
 時節がら、科学研究費の報告書をいただくことが多いが、今日も埼玉大学の武井和人さんから、『中世後期禁裏本の復元的研究』が届いた。まことに有益かつ豊富な研究内容である。禁裏御文庫の研究はずいぶん進んだが、文献学的な考察の基幹に関わる問題と言ってよい。このあいだ皇學館大学の深津睦夫先生から頂戴した『全国神社奉納和歌のデータベース化と研究のための予備的研究』とともに、今進めている仕事に直接役立つ成果であり、本当に有り難いかぎりである。研究の進展は、果てしのないものであるなあ。

 3月末締め切りの論文を1本書き上げる。400字詰原稿用紙50枚程度という規定なのに、字数は20,000字超で、60枚近くになっちゃったかもしれない。行数も結構取るし、困ったなあ。3月は論文書きまくったが、すぐ次に続いて書きたい論文が2本ある。1本はAさんと共同執筆にして、もう1本は学部の紀要に出そうかな。今度は表現論となるので、夏休みにじっくりまとめればいいか。それまでに資料紹介を1本、本の原稿が2つ、不義理をしている辞典の原稿もある。身動きが取れなくなってきたぞ。

 4月の学会発表の配布資料もほぼ完成させた。A4判で8ページ。A3の用紙2枚の裏表に印刷すればいいかな。他に原資料の復元模型?を付けるかどうかを思案中。大阪に持って行かなければならないので、できるだけコンパクトにする必要がある。資料多きがゆゑに尊からずだ。

 13:00から茅場町の録音スタジオで、拙著CDブックの録音が行われた。強風のため、A師匠の到着が少し遅れる。6名で分担しての朗読を、5時間かけて、無事録音できた。パートナーには、発音とアクセントのチェックを全面的にしてもらう。家に音韻学者が住んでいると、本当に助かりますわ。スタジオのNさんに、近所の美味しいお店をお尋ねしたら、茅場町の「鳥徳」を紹介、手配してくださった。なかなか場所が分からず右往左往したが、着いてみたら、いやはや気に入りました。昭和レトロ!という感じのお店で、大繁盛している。焼き鳥が美味しい。Nさんからの差し入れもあって、大満足。お酒も「上喜元」だった。皆さんには、今日は拙著のために時間を割いていただいたので、もちろん私めが饗応申し上げた。

 帰宅後、メールチェックしたら、漢字博士のS先生から、お尋ねしていた事柄の返事がもう届いていた。「樫」の字の異体字と考えられる「木刃」(木偏に刃)字についてお伺いしたのだが、『色葉字類抄』から既に訓が見られるそうだ。さすが専門家である。これが「籾」と誤読されるのだが、活字文献は当てにならない。誤写の想定についても愚説にご賛同を得た。阪大での発表に自信ができたぞ。

 U先生から、博論審査報告書の原案について問い合わせの電話があったらしい。25日に持って行きますから。あ~忙しい。これじゃあまるで、「茶目子の一日」みたい。

 娘は連日、就活で面接の連チャンである「就活今か酣に~♪」。早く内定がもらえるといいね。業種によって遅速があるのだから、焦らないことだな。お父さんは文学部の出身で、教員採用試験くらいしか受けなかったから、適切なアドバイスはしてあげられない。なにしろ、身をえうなき者に思ひなしていたからな。

3月21日(土)

2009年03月21日 | 昔日記
 13:00から古記録の研究会。今日は雑誌に載せる論文発表会で、私も3番目に発表させてもらった。よし、問題はなさそうだな。最後にG先生のご発表もあり、18:30に終了。

 それから「かわうち」へ行く。お店は少年サッカーチームの親御さんたちの飲み会?に占領されていた。騒がしいことこの上もないが、19:00前には潮を引くごとく静かになった。

 雑誌に載せる注釈の原稿はほぼ揃った。次に論文原稿が予定通り集まれば万万歳。なにしろ今回は、編集幹事をやらされている。次の注釈箇所についても、大かた方向性が定まったが、G先生の鶴の一声である。次の幹事役に名前の挙がったWさんに、早速連絡しなければ。

3月20日(金)

2009年03月20日 | 昔日記
 パートナーの勤務先は今日が卒業式。式はいつもとは違うキャンパスで開かれ、謝恩会は所属キャンパスの近くらしい。移動が大変そうだな。

 11:00から輪読研究会。午前中は本年度研究成果物の発送準備作業を行う。昼食後、輪読を開始。井上宗雄先生がお見えになった。「伏見稲荷大社と中世和歌」のコピーをいただく。私も近々、伏見稲荷に関する新見を研究発表する予定だ。途中、K大学のSさんがやってきた。明日の研究会と日程を間違えたという。ロックアウトなのに、何で構内に入れたのだろう。事前に入構者の氏名を届出なければ入れてもらえないのだが、ガードマンに私の名を告げたら入れてくれたそうだ。まあ、いい加減なものだ。輪読会は参加者が少なく、17:00頃に終了。帰りがけに、成果物をポストに投函した。来月は京都で開催。K助手と軽く食事をした。明日から外国旅行だそうである。

 このたびまとめた『頼政集本文集成』は、校本=本文研究の画期的なスタイルを打ち出し得たと皆で自負している。底本を定めないで、諸本の本文が対照できる電子データとしたものであり、CD-ROM付きの報告書である。なにしろ150部しか作成しなかったので、残部はもうそんなにはない。まあ、ごくごく限定された専門家に使ってもらうものだから、それほど需要はないものと思われるが、ご入用の向きには頒布するので、ご連絡を乞う。『頼政集夏部注釈』のほうは、まだ若干残りがある。

 たまたま来年度の科目登録のための情報誌を見たら、私の担当科目が所属学部の2008年度「ドハマリ科目」ダントツ№1になっていた。試験を難しくして、評価をものすごく厳しくしたせいであろう。インターネットで受講するオンデマンド科目だが、そんなに甘いものではない。本年度の受講者は333名という、東京タワーの高さみたいな数だったけれども、今度はぐっと減ることだろう。ともあれ、何でも№1というのは気持ちのよいものだ。

 某委員会でもたもたした問題が持ちあがっている。教務主任の御苦労は十二分に理解するが、何でも持ち回りで済むものではない。少しゴネてみせている。こういうところで筋を通しておかないと、いろいろな委員を押し付けられてしまう。大学教員は学部当局者から敬遠される存在となるよう、身を処することが肝要である。

3月18日(水)

2009年03月18日 | 昔日記
 13:00からコースのガイダンスが行われるので、大きな会場教室へ行く。専門課程の学生を全部集めて説明し、必修の演習の登録をしてもらうのである。私は2年の前近代系演習のクラスを1つ担当する(2年演習は前近代系、近現代系、語学系の3系統が必修で、それぞれ3クラスから選択する。我々の領域は体系性、網羅性をものすごく重視するのだ)。

 登録希望票を助手が集計しているのを横目で見ていたら、前近代系はきれいに分散していた。ところで、2年の語学系演習クラスの一つは、パートナーが非常勤で担当することになっている。希望票を切断する前に覗き見ると、私のとパートナーのとを共に第一希望に書いている学生が若干あった。1年の基礎演習で担任をした某君が、先生のを希望しますと票を見せてくれたが、語学系はパートナーのを第一希望にしていたので、そいつはやめといたほうがいいんじゃないと言うと、何故ですか?としつこく聞かれた。まあ、開けてのお楽しみですな。

 研究室に戻ってメールチェックすると、N氏から某文学賞を受賞することが内定したとの嬉しいニュース。N氏は実は超有名な学者のお孫さんなのである。さっそくお祝いの返信をする。それから、K助手と一緒にR集本文集成の歌順表と正誤表を印刷(コピー)した。

 18:00から、このたび定年退職なさるN教授の送別会が、Rホテルで行われた。NY出張中の1名を除き、関係教員が全員参集。N教授はN学会会長を務められた斯界の大物でいらっしゃる。落語にも詳しく、大学の落研の会長は、隣の研究室のT教授が継承されるということだ。

 帰途、超有名進学校の教諭をしている研究室の先輩から電話がかかってきた。ウチの大学の某学部に合格した生徒さんが、一次振り込みの期限を間違えてしまったという。何とかならんかと言われたが、何ともなりますまい。知っている前例をお話しし、一応、当該学部の担当責任者に相談されるのがよいとアドバイスをしておいた。

 娘はまだ帰っていなかった。今日受けた面接はダメだったと連絡があったとか。面接官が最後に私の目を見てくれなかったと、気の弱いことを言っているらしい。自分のアラを記憶している試験は案外出来がいいものだよとパートナーに言って、ひと寝入り。××さんからの電話で叩き起こされる。このブログはフィクションなんだけどなあ…。まあ、気を付けますわ。娘は帰宅していた。面接は通ったそうだ。ぽん(吸着音