そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月26日(水)美味いもの食いたし

2018年12月26日 | 公開
  25日、26日と実家の片づけをする。2月に工事に入り、3月から人に貸すことになった。1月中に片付けなければならないのだが、松江在住の従兄にいろいろと依頼し、また茶室を使ってくださる方に、道具のことなどをご相談した。
 
  せっかく帰っているのだからと、食事は贅沢をしている。朝はホテルのバイキングで、蜆汁は貝を10杯分食う。あらかじめ蜆の入った椀に、汁をはるようになっているので、蜆を目いっぱいいれてから、汁を入れればよい。松江人は、身を食うのである。



  昨日は「やくも」で鰻丼を食った。幼少の頃から食べつけてきたお味である。今日は「蓬莱吉日庵」で天丼を食った。幼稚園と中学の同期生が主人のお店である。松江は歩き回ると、同級生やその関係者に、やたらと出会う街なのである。



  夜は「やまいち」が満席だったので、「なわのれん」へ。先般、東京出雲学生会の義士会でお目に掛かった学生さんの、ご実家のお店である。そのことを申し上げたら、ずいぶん安くしていただき恐縮した。

12月24日(月)ふるさとへ

2018年12月24日 | 公開
  松江の実家の、片付けに出向く。

    ふるさとを すてむとむかふ ふるさとへの そらくももなく はれわたるひに
    なみださへ わきていでこず わがうまれ おひたちしいへ すつる期なるに
    仏壇の とびらひらきて 線香を たをりたてたり 父の位牌に
    まつえの街 しづまりかへり すむひとの けはひもなくて くれはてむとす

  クリスマスイブ、予約なしに、どこで夕食を摂ろうかと思案したが、幸いここに入ることができた。



    


12月15日(土)おうた文学会へ

2018年12月15日 | 公開
  おうた文学会の例会へ。会場は池袋。娘に連絡すると12:30まで勤務、聟殿は結婚式出席ということなので、それでは昼飯でも食うかい?と誘ったら、乗ってきた。お奨めの「フォーベト」の入っているビルの前で待ち合わせ、フォーのセット、ベトナムコーヒーを飲んだ。



  娘は妊娠六ヶ月、お腹の中に男の子が入っている。孫ということになるが、実感はない。

  学会は、グループ発表という、珍しい趣向であった。それにしても、参加者が少ない。質問もあまり出なくて、仕方がないから手を挙げて、くだらぬ質問をした。

  委員会もあっという間に終わり、建物を出ると、さすがキリスト教系大学、クリスマスツリーが綺麗だった。



  前代表委員どのと池袋まで帰り、今日はそのままお別れする。そうそう、3月に出る論集、編者のNさんが目次案を考えてくださったが、これでばっちりである。愚案より、ずっといい。Nさんの退職記念論集であり、いい仕事となりそうだ。

  そうそう、これは宣伝なのだが、2019年の『なごみ』に連載を引き受けた。1月号は本日発売のはず。ご関心あれば、ご笑覧くだされ。

  

12月4日(火)体重激減?

2018年12月04日 | 公開
  痛風の病院へ行く。検査数値がかなりよくなって、服薬量を減らすことになった。前々から、あなたはダイエットすればすべてよくなりますと、主治医に言われてきたが、ここのところ体重激減?で、ズボンがぶかぶかになり、荊妻には、敗戦後の復員兵みたいだと言ったのだけれど、30年前のズボンがぴったりになった。

  その足で神田神保町のS社をお尋ねする。3月に刊行される論集の原稿が集まったので、配列のご相談。ちょうどお昼時になっていたので、「花家」という地下のお店に連れて行っていただいたが、たいへん美味しかった。

  論文は15本なのだが、Nさん編という形にしてあるので、それを巻頭に、歴史との関係、和歌との関係と、二部構成にすると、何となくうまく収まった。巻軸は私の論文とする。序言はNさん、後記は私が書くことになるから、しっくりいくだろう。

  処理が早く済んだので、少し買い物をして帰宅する。そうこうしているうちに、老母の夕食の支度をして、また家を出る。18:00から学内学会機関誌の編集委員会。次号から私は担当理事に就任することになっているので、見習いの意味もある。委員会自体は1時間半ほどで終了。

  今日はばかに暖かかった。12月なのに、木枯らし1号どころではない。それでも、落ち葉がはらはら、街路に降り積もっていく。