そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

2月9日(月)

2009年02月09日 | 昔日記
 昨日、歯の被せ物が外れてしまったので、近所の歯科医院へ直してもらいに行く。昨年、NYで同じように外れ(別の歯だったが)、4月に直してもらいに行って以来だ。このK歯科医院は、とにかく空いている。9:00の診療開始時間に行ったけれども、誰もいない。すぐに診てもらえた。

 被せ物自体は単純なことだろうが、歯石が溜まっていると言われ、レントゲンも撮ってもらった。ここは最新式の機器が揃っている。一番奥の奥歯の周囲や、裏側の歯茎と歯の境目のところの磨き方が不十分だと注意される。レントゲンで虫歯みたいに見えた部分は、別段問題は無かったが、右下の糸切り歯のエナメル質のところが減って、象牙質が露出しているとのこと。そこも詰めてもらう。あとは、歯石を取っておきましょうねと、キインキインと機械を当られたものだから、血まみれになった。この間30分。はい、すべて終わりましたと、1回で済んじゃったので、流行らない歯医者さん万万歳である。さすがに次の患者のおじいさんが待っていらしたが…

 娘に、歯医者空いてたよと報告すると、あそこは実は口腔外科が専門で、先生力が強くて怖いのよね、と言う。道理で、あんまり女性の患者さんを見かけないなあと思った。以前、1度に親知らず2本抜かれたことがあったけど、確かに力技!という感じだった。でも、とにかくすぐに治療が終わっちゃうのは、本当に有り難いと思うんだけど…

 就活中の娘は、今日も試験なのだそうだ。本当にどこに就職したいのか、今いちよく分からない。まあ、それくらいのほうが、殺気立って突撃するよりはマシかもしれない。今どき、大学出て就職したところに、いつまでも勤め続けるなどというのも、あんまりないことだろうし…。お昼前に出かけると言うので、パン買って来てやろうか?と尋ねたら、お願いとの返事。近くのパン屋まで買い出しに行き、コーヒーを淹れてやった。昨日、Hさんにいただいた「スターバックス・ステンレスドリッパー」は、実に便利なしろものである。コーヒー好きのパートナーは、泣いて喜んでいたが、「緑の豆」の「神楽坂ブレンド」1杯を、実に上手に淹れることができる。ありがとうございました。 

2月8日(日)

2009年02月08日 | 昔日記
 子ども短歌コンクールの表彰式の手伝いに、一橋講堂へ行く。ずいぶん立派な建物だな。私立大学とは大違いだ。

 10:10過ぎからリハーサルで、その後は14:30頃の出番まで、時々練習したりして過ごす。本番は、なかなかうまくいったと思う。やってる最中に眠くなったら、ほぼ成功という感触なのだ。しかしまあ、一日仕事になったわい。

 終了後、有志10名ほどでファミレスへ行き、軽く打ち上げ。私はMさんと一緒に米の汁にした。「白鶴」の「山田錦」でしたかな。早くもバレンタインデーのプレゼントをいただく。恐縮、恐縮。

 帰宅したら眠くなったので、そのままベッドに倒れ込んで、夕食を摂りそこねた。パートナーに言われて、ワインと焼き鳥を買って帰ったのに~ィ。「とん太」「すゞ金」の祟りか? 起き出して、助教・助手向け教員組合加入勧誘ビラの原稿を、ようやく作る。このあいだ組合事務所に顔を出したら、書記局のMさんから催促されたのだ。これが情宣部長の初仕事というのも情けないが、枢要の役職ではないのだから、別に文句はない。組合用語を徹底的に排除し、組合費はものすごく安く、特典がいろいろあることをアピールした。まあ、それはいささか退廃という感じが、しなくもない。でも、任期制の助教・助手の人なら、退職時には組合から10,000円の餞別金がもらえるから、それだけで2~3年分の組合費の支払い額よりずっとたくさん金が戻ってくる勘定になる。だから、組合に入った方が絶対にお得なのだ。K助手も、今からでも遅くないから加入すべし。年に2,000円ちょっと支払って、10,000円もらえるぞなもし。

 それから、『百人一首』の原稿を少し書く。「はじめに」と「解説」はとっくに脱稿した。我ながらほれぼれするような、よい文章である。いま「作者一覧」にかかっている。今日は録音協力者から、それぞれの都合を聞くこともできた。印税率が少ない仕事なので、ちゃちゃちゃっと終わらせないと、実にバカバカしい。でも、ついつい良心的に原稿を書いちゃうんだよね。このあたり、何とかして欲しいが、まあ、和歌研究者のはしくれとして、『百人一首』の本の一冊も出しているのは、ステイタスのようなものだと考えることにいたしませう。

2月7日(土)その2

2009年02月07日 | 昔日記
 買物はいつものパターンである。まず「ラ・カーブ・イデアル」をのぞく。今日はオーナーがおいでで、お奨めの赤ワインを1本購入。次に「うつわや釉」へ行き、先日の志野のぐい飲みを、佐佐木幸綱先生がたいへんお気に召して、お喜びになったことを報告し、「ぐい飲みを傾ける幸綱の図」なる写真を差し上げた。そういえば今朝がた、幸綱先生からお礼のメールが届いていたが、ずいぶんご機嫌のご様子であった。

 それから「緑の豆」で神楽坂ブレンドを200gお願いする。10分ほどかかると言われたので、「アルパージュ」でドライフィグと今夜の肴のチーズを買う。フランス人夫婦のお客が、日本人のオバサン客および店員さんと、フランス語で会話をしている。それに私もフランス語で参加する(一応、ちょっとは喋れるのである)。まるで日本じゃないみたいな光景だな(ただしフランスへは行ったことはない。エストニアへは何度か行ったけど)。

 ついでに「貞」にも立ち寄って、この前カリフォルニア大のHさんに帰国記念までに皆で差し上げた、紺地に鶴丸のトートバッグが、本人たいへん気に入った様子だったと報告しておいた。その外人さんにお会いしたいと店員さんがおっしゃるので、連れて来ても巨漢過ぎて、到底店に入れないでしょうと答えた。本当に、きっと華奢なこのお店には入れないよ、巨漢過ぎて… かわいい金魚のストラップがあったので、何かの折にIさんにでも差し上げようと、貰っておく。さてコーヒーを受け取って、神楽坂を下って行った。

 パートナーに電話したら、14:00からの教授会が、すぐ済むのかと思いきや、通常の教授会だったので今までかかったとのこと。じゃあ落ち合って帰りましょうと一決し、乗り換え駅で待つことしばし。八百屋で蜜柑を買って家に帰着。

 今日はSさんからりっぱな椎茸をたくさん送っていただいた。こんな椎茸は見たことがない。夕食に早速いただく。礼状早く出しときなさいよ、かあちゃん。椎茸のステーキにしてみる。石付きまで焼いて食べたが、それだにすらさへ食べごたえがある。驚いた、驚いた。世の中にはまだまだ美味いものがあるんだなあ。

2月7日(土)

2009年02月07日 | 昔日記
 14:00から大学院の会議がある。今回はあんまり関係がないから、サボってもよいようなものだけれど、そこはそれ研究科委員として頽廃の始まりとなりそうなので、大学へ行く。まず図書館で必要な論文をコピーし、さてお昼は…と。そうだ、やっぱり「すゞ金」だな。今朝、体重を測ったら86㎏だった。これなら鰻重食べてもバチは当たるまい。パートナーの呆れた顔が目に浮かぶが…

 「すゞ金」のカウンターには教授連が腰を掛けておいでだった。美術史のO先生の隣に座る。左は演博館長殿。グローバルCOEで鰻重ですかい?と尋ねると、バカを言うなと叱られた。今しがた近くにあるW高校の卒業式の来賓に呼ばれ、式辞を述べてきたのだそうだ。T館長はW高校のご出身だからなあ。謝礼をもらったとか。いいですなあ。

 肝焼き、最後の1本にありつく。米の汁も熱くしてもらった。今日は盃持参である。「すゞ金」の酒器はまったく風情がない。だんだん我儘を行うようになってきたが、これも「到りての後」の話であろう。帰りがけに必ず、ご主人がわざわざ奥から出てきて、挨拶されるくらいの常連になってこそ、というわけだ。

 鰻重からコーヒーというのも何だが、時間があるので「Cafe Goto」に上がる。トイレのドアの横の、千曲川の絵が掛っているあたりの席に座って、ブレンドを注文。ケーキはやめておこう。店内に院生が2人居たので、彼女たちの払いも私に付けてもらった。ここで会ったが百年目だ。

 会議は、モメる筋合いはないのだが、それでも若干もたもたした。私は今回ほとんど部局外で、もっぱら高見の見物である。人の境涯見てゐたるなり。

 天気がいい。神楽坂をぶらつきながら帰るとしよう。

2月6日(金)

2009年02月06日 | 昔日記
 外部資金による研究成果物の納品のため大学へ。その前に「志ま平」でお昼にする。今日は米の汁をもらい、蕎麦は深山にした。ご主人から、これで一通り召し上がりましたが、どれがお好きですか?と尋ねられた。普通のせいろと答える。「志ま平」くらいの高レベルの蕎麦を食べつけると、口が奢ってよくないかも。今度は夜来ることにしよう。コース料理が主体なのだそうだ。

 生協で新しいソフトを受け取ってから、14:00に台車を押してキャンパスの正門のところへ行った。出版社のOさんが既にお待ちで、CD-ROM付き報告書を受け取り、検収センターに持ち込んでチェックを受けた。Oさんには「レ・リーサ」のケーキを差し上げた。請求書は成果物と一緒に事務所に持って行って、処理はすべて完了。事務担当者にも、「レ・リーサ」のクッキーをばら撒く。なにしろ研究費の締め切りを、無理言って一週間延ばしてもらったものだから、立場が弱いのである。原稿を書いてくれたNさんとK氏のところへは、早速郵送しておく。

 それから教員組合の書記局へ行き、昨夜の執行委員会への欠席を詫びて、書類に捺印した。法務局に届ける書類だとか。先日差し上げた干し柿の礼を言われる。

 図書館にまわり、書庫でちょっとした確認をする。カリフォルニア大のHさんに出会った。3月の帰国前に、極力資料を集めているらしい。その後、特別資料室へ上がる。図書館所蔵特別資料の使用について申請手続きを怠っていた。常勤嘱託のMさんの指摘で、慌てて手続きをしに行った次第。「レ・リーサ」のウサギの形のクッキーは、Mさんに進呈した。かわいくてとても食べられない、とおっしゃる。鳩サブレーと同じことですよ、と言う。5月の学会で何を展示したらいいか、少し相談にのってもらった。直近に買ったものとしては、『紫禁和歌草』はまあ出すことにしようという話になる。「レ・リーサ」のクッキー、あとは抹茶と和三盆のが1袋だけ…

 図書館のエントランスで、K准教授に声を掛けられる。見れば、おなつかしや、精華大学のS先生がいらっしゃるではないか! ご挨拶をして、新しい名刺をいただいた。明日ご帰国とか。「レ・リーサ」の最後のクッキー1袋は、ついにS先生のものとなった。

 パートナーは卒論を読みに大学へ行った。18本だか19本だか、何だかものすごい本数を担当しているらしい。人気があるねえ。当方とは大違いだ。パートナーの勤務先大学では、卒論の発表会があり、1本1本に詳しい評価所見を書かなければならないそうだ。電話かけたら、もう帰ってもいいと言う。腰から脚にかけて痛いので、坂を下りて行くのはいやという。それではと、こちらから豊坂を上って、交番のところで落ち合った。雑司ヶ谷の裏道を手をつないで歩いて一緒に帰る。家の近くでパートナーの携帯が鳴った。娘からの電話。振り向くと、社会学科の女子大生が笑っていた。

2月5日(木)

2009年02月05日 | 昔日記
 博士課程の一次試験日である。いよいよ入試期間突入だ。詳細は、憚りあれば、ここには書かぬ。人の境涯見てゐたるなり 地獄・極楽は、眼前の境涯なるべし。

 待ち時間が長いので、深谷信子『小堀遠州の茶会』 (柏書房)を読む。800ページにも及ぶ大著だが、3分の2ほど読み終えてしまった。著者には歌書のことがよく分かっていないところがある。そこが研究情報としてまことにオイシイのだ。もちろん大変なご労作だが、「インクワイ」がどうしてそういう解釈になりますかなあ? こりゃ絶対『拾遺愚草員外雑歌』に間違いない。

 18:00から「太郎月」で佐佐木幸綱先生を囲む会。私は呼びかけ人の1人なので、20分前にお店に来いと指示されている。小1時間ほど時間があるので、「レ・リーサ」まで歩いていったら、黒胡椒のクッキーが1個だけ売れ残っていた。購入して頃合いにお店に着くと、1番乗りだ。女将にクッキーを進呈する。

 幸綱先生も早めにいらっしゃった。今夕は貸し切りで、参会者は先生を含め14人。石原千秋、金井景子、兼築信行、日下力、高梨信博、高松寿夫、竹本幹夫、千葉俊二、中島国彦、内藤明、堀誠、松本直樹、宗像和重といった面々。ビールで乾杯の後、記念品として志野のぐい飲みを贈呈したところ、お気に召していただけたようだ。後は歓談、どんちゃん騒ぎ。最後に幸綱先生、大学では呼吸みたいなものを習った…集まり散じて人は変わるが、何かを伝えることがうんぬんかんぬんとご挨拶。女将が現代歌人文庫の『佐佐木幸綱歌集』を取り出したので、サインしていただく。ついでに私めも、持参した『佐佐木幸綱作品集』(本阿弥書店)に記念のサインをおねだりした。わ~い、ラッキー!

 もう21:30を過ぎたので、組合の執行委員会に顔を出すのは断念した。第一、酒を飲み過ぎている。委員長から印鑑持って出席せよとメールが来ていたが、明日書記局に出頭いたしましょう。

2月4日(水)その2

2009年02月04日 | 昔日記
 教授会はほぼ定刻に始まった。おお、今日は面倒な議題がないぞ。早く終わるかも。議事はさくさくと進む。私は15:00から、中央図書館の会議に出なければならない。戻ってきたら教授会終わっているかもと、一応荷物を持って中抜けする。

 大学の本部キャンパスを通り抜け、創立者の銅像の後ろを通って中央図書館へと向かう。職員のMさんが煙草を吸っていた。ずいぶんお痩せになりましたねえ、と声を掛けると、先生もね、と返された。あな、うれしや。

 少し早く到着したので、会議室の隣のDB室にM前調査役を表敬訪問。あいかわらず資料に埋まっておいでだ。唐本の整理をなさっていた。今日の議題はたった1つ。その他で1件。おいおい、わざわざ開くなよ、という感じである。問題なく進行したが、隣に座った教育学部のH教授が、もっともらしいことを言って少し長引く。H教授は、この間「かわうち」で出会ってお酌をした助手仲間である。

 自学部のキャンパスへとって返し、教授会に戻る。某教授が文部科学省を声高に批判している。やれやれ、またかいな。彼の思考パターン、反応パターンは、完全に読み切ることが可能だ。隣の研究室のK教授の隣の席に座ると、もうすぐ終わるところだという。でも、土俵際の徳俵でねばる御仁は相変わらず。学内諸情報に詳しいこと、舌を巻くばかりである。♪~沖まどはせる白菊の花(みつね) 自分が得ている情報によれば…と捲くし立てるが、そこでA教務主任はりっぱだった。そうした裏情報、伝聞情報はたしかに貴重だが、あくまでも公式の会議体等で公式のものとなった状況に即して対応していくという趣旨を、きっぱりと表明したのである(もうちょっと毅然とした言い方をすればもっとカッコいいのになあ。そうしたら次期学部長は間違いない)。いいぞ、いいぞと、目でエールを送った。でもね、3月9日の懇談会とやらには、私は出られないからね。もう内視鏡検査を予約しちゃったし、午後は御茶ノ水で某重要編集会議がありますから…。事前に日程等について相談もされないことに付き合う義理は、もう任期が終わる委員長にはありませんぞなもし。マッカーサー曰く、老兵は死なず、ただ去りゆくのみと。

 最後にうじうじと長引いたけれども、それでも16:50に教授会はお開きとなった。自分の研究室にいったん戻り、不要の荷物を置いて、麻布十番のお稽古事に向かった。地下鉄では、社会学のM教授、教育学部のI教授と一緒になる。年金問題でご苦労されているお2人であるが、組合が出したこの間の一連のニュースは誰が書いたの?とI教授に聞かれたので、経済政策ご専門の、オックスフォード出の執行委員長殿ですとお答えした。情宣部長は広報媒体の原稿を、いまだ1行だにすらさへ書かせてもらっていないのだから…

 麻布十番に着いて、「豆源」でムーミン大のNさん籠絡用の「徳用おとぼけ豆」を購入。脇の超有名たいやき屋に聞くと、1時間待ちとの答えで、こちらはすごすご退散する。お稽古は子ども短歌コンクール表彰式のリハーサル中心。最後に石川県で幹部が披講を行う今上御製を皆で練習した。

 新しい本の企画への協力方、皆さんにご快諾をいただいた。現段階でのプランをお渡しし、詳細は日曜にということにする。Nさんにはかねて用意の「おとぼけ豆」をお渡しし、有無を言わせぬようお願いしたが、ご主人が「おとぼけ豆」好物なのは分かってるんだ。

 帰りに、ウチの院生ども3人と、ムーミン大のお2人を引き連れて、「もち玉」で飲む。「山忠」は残念ながら満員だった。S君は現在執筆中の論文の話ばかりしている。長くなり過ぎるので、どうしようかと悩んでいるらしい。チェックの時間となり、今日は皆に少し出してもらった。そのうち印税がどばっと入る予定だが、だんだん手元不如意になってきたなあ。

2月4日(水)

2009年02月04日 | 昔日記
 10:00から学部図書館の会議。開始30秒前に滑り込む。冒頭からややこしい問題が持ち上がる。M教授がややこしいこと言い出すからだぞ。ややこしや、ややこしや。狂言だな、まるで(丸出だめ夫…変なこと連想したぞ。ああ、なつかしや)。私も虫の居所が悪くなり、1件つまらんことで難癖をつけた。組合活動をやっていると、ついつい野党的態度になってしまう。でも委員会は1時間きっかりで終了。

 事務所に行って、昨日の成績提出に関する問題について確認した。やっぱり不手際があり、その原因はつまり私の確認ミスであった。担当の職員の方の前で土下座して謝り、許してもらった。私は土下座するのはぜんぜん平気である、高校教師をしていた時、教壇の上から生徒に土下座したことさえある。政治家くらいにはなれるかもしれない。

 さて、お昼は近場と思い立ち、「AMA」の日替わりカレーセットをナンでいただく。それから、「Cafe Goto」へ上がり、コーヒーを飲んだ。壁に掛っている絵を褒めたら、マスターのゴトーさんに、先生お目が高いと世辞を言われた。遠く山なみが見える中を川が流れている。我が故郷松江の、大橋川みたいな感じである(ちょっとテイストが違いはするけど)。ゴトーさんの説明によれば、それは千曲川の風景なのだそうだ。モンマルトルの名誉市民になったなんとかという画家の作品らしいが、それ以上の関心はない。私も故郷の風景を描いた絵が1枚欲しくなった。伯父が油絵を少しやるので、今度もらってくるかな。そういえば毎日新聞の投稿短歌欄に、伯父の短歌はしょっちゅう載っている。松江市のKというのは、たいてい私の伯父貴なのだ。亡父と同年齢だが、矍鑠としている。その一人息子、つまり私のいとこにあたるのが、イラストレーターになって、結構活躍している。画才は親父譲りということなのだろう。

 教授会は14:00からで、それまで研究室で星野一雄『激闘ニューギニア戦記』(光人社NF文庫)を読む。『百人一首』の原稿書きばかりにかかっているのも、気が滅入るからねえ。なに、ニューギニアの負け戦のほうが気が滅入るだろうって? いえいえ、世が世なら松江63連隊の陸軍歩兵として出征し、散兵線の華と散りたかった私めである。

2月3日(火)

2009年02月03日 | 昔日記
 節分である。朝一番で西新宿の痛風の病院へ行く。このところ診察のたびに体重が1キロずつ減じていくので、主治医のY先生に褒められた。でも尿酸値は結構高かったりする。肝機能や尿蛋白にも心配な点があるが、まあ定年と同時にあの世に行くためには、よい兆候とも言えなくもない。

 薬局で待っている間、テレビを観る。恵方巻の由来について紹介していた。大阪の寿司屋が起源なのだそうだ。こんな下品な風習を、我が家に取り入れるつもりはない。松江にはこんな低俗な風習はありません。

 10:00から卒業論文の口述試験である。病院に行くので、もしかしたら30分ほど遅れるかもしれないと助手に連絡しておいたが、5分前に研究室に到着することができた。なにしろコースで最も人気の無い分野の教授(分野というより本当は教授自身が人気ないんだろうが)で、卒論の担当学生も僅少のうえに、国際交流事業で派遣されるため前倒しで口述試験を済ませた人もあったので、1人あたり30分ほどかけて試問を行った。

 事務所へ行って大学院の成績を提出する。ちょっと問題があったが、私のせいではないという。始末書でも何でも書くから何とかしてと申し上げておいたが、大丈夫かな? 教育学研究科の成績も送付した。学部の成績は、webで提出するので、締め切りはまだまだ先となる。コーディネータをつとめる複数担当科目、まだ教務主任殿がレポートの採点をしてくださっていない。相手が教務主任殿なので、安心であるけれど… 早く採点してくださいね(実は私もまだやってないけど)。

 さて、昼はどこで摂るかな。いつも「志ま平」では気がおける…、「蕎楽亭」はアベックでないと入りづらい…、そうだ、今日はぐぐっと大衆的に行こう…というわけで、「紀の善」の脇の小路をずずいと入って「志な乃」の暖簾をくぐり、合い盛りを注文。もちろん米の汁も熱くしてもらった。通院の日は朝飯抜きだから、炭水化物多いけど、まあいいか。蕎麦と饂飩を一緒に食うというのも、時には楽しいものである。

 ひっきなしに客の出入りがある。少し待って、4人掛けテーブルの片隅に座るとほどなく、向いの席にあんちゃん2人連れが並んで座り、鴨南蛮とか汁物を注文した。IT関係の仕事らしく、ギョーカイの話を声高に喋っている。当方、静かに盃を傾ける。麺をたぐり終えて、蕎麦湯をいただく。このの蕎麦湯は大きな土瓶に入ってくる。そうしたら、向かって右側のあんちゃんが、おもむろに自分の湯呑に蕎麦湯を注いだ。そこで、蕎麦汁の瓶を「どうぞ」とすすめたら、目を丸くした。あんた、それ蕎麦湯でっせ。てっきりお茶かと思いましたと、あんちゃん頭を掻く。一瞬、和やかな空気がテーブルに流れる。そのタイミングで、お先にと声を掛け、席を立った。

 オアゾの丸善に行き、すぐに必要になった本を何冊か買った。ステーショナリーのコーナーをのぞくと、マトリョーシカの封筒などというものがあった。そうだ、ロシア文学のK教授に差し上げよう。とすかさず購入。小さすぎて始末に困っているノキアの携帯電話を収めるのにちょうどよさそうなケースも購入した。夜学の卒論担当は今年はなかったので、本日はこれにて帰宅する。

 いつの間にか眠っていた。目を覚ましたらパートナーが帰っていた。入試の真っ最中で、今年は主任をさせられているので、明日も朝が早いらしい。娘はさらに遅くなったが、電話がかかってきて、恵方巻を買って帰るという。おいおい。

 恵方に向かって若い娘が太い海苔巻きを頬張るさまは、たしかに玄人女がダンナのナニを咥えているの図である。眉を顰めると、おとうさん、そんなの都市伝説よ、と一蹴された。社会学科の女子学生さまには敵いません。でも、一昨日、提出するゼミ論の添削をしてあげたからか、まあまあ優しく接してくださいますこと。