そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

3月31日(木)久しぶりの神楽坂

2011年03月31日 | 公開

 関西方面から、わざわざミネラルウォーターをお送りくださった(ご銘酒も1本入っていた!)。関西でも、1人が買える本数に制約があるのだそうだ。お気遣いいただき恐縮至極。

 駅前の銀行の基礎部分にヒビが入っているので、地震の影響かしら、変だなあと思っていたが、今日通りがかったら調査をしていた。調査員が、うわ~全体がずいぶん沈下している!などと大声で叫んでいる。液状化現象らしい。そういえば姑殿も、信用金庫のビルが変だとも言っていたが、同様の被害なのかもしれない。

 夕方から研究会なので、久しぶりに神楽坂を歩く。まずお抹茶を30g缶×2つ買い、「アルパージュ」でミモレットをもとめ、「うつわや釉」に顔を出す。Iさんの挙式祝いを見つくろっておかねば。

 先客は飯田橋にある蕎麦屋の女将さんのよし。「釉」の女主人にお店を教えていただいた。今度行ってみようかなあ。お茶をいただいて世間話をしばし。納豆が品薄になっている理由は、パッケージの印刷フィルムの生産が地震で停止してしまったからなのだそうだ。発泡スチロールの容器や納豆自体は山のようにあるらしい。紙やインクの関係に与えたダメージが大きいと仄聞していたが、かなり深刻な事態だという。食品衛生法の関係で、無印納豆とはいかないらしい。

 結婚記念日なので、同居人へのプレゼントを選ぶべく「遠音」へ。お店に被害はなかったが、自宅マンションはめちゃくちゃになったとご主人。

 さて、まず大学へ行き郵便物を受け取る。研究室はどうもK前助手が片付けてくれたらしい。申し訳なし。U教授から博論を刊行したご本をいただいた。T教授からは重要会議資料などを拝受。4日に緊急主任会を開くというし、なすべき事柄がどんどん出来してくるな。そうそう、演習の登録処理をなんとか本日までに済ますことができた。どうしても残ってしまうケースは主任判断で強制登録?してしまい、後で変更可能という措置にする。

 18:00からS寺の研究会、I先生のご高説を拝聴する。I先生は井上宗雄先生より年上のはずだが、矍鑠としておられる。日蓮の思想的変化に関わるご自説を丁寧に説明してくださった。20:00過ぎに終わり、食事は辞して一目散に帰宅、ちょうど娘も帰ってきたので、遅い夕食にワインを飲む。姑殿がからすみを切ってくださったが、ワインには合わなかった。それに、ミモレットとからすみは、見分けがつかないことも分かったぞ。

 N氏から新年度教授に昇任するとの電話があったよし。祝着至極。どうか位人身を極めてくだされ。F氏からも着任先を知らせてきた。なにはさておき、おめでとう存ずる。Nさんも松江へ向ったはず。このどんよりした気分を、なんとかしてほしいよ。


3月30日(水)こだまでしょうか

2011年03月30日 | 公開

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

・・・

 TVをつけると、ACジャパンのCMばっかりだ。金子みすゞの詩。

そうして、…
さみしくなって、  
… 
こだまでしょうか、

 ついつい、「はい、りゅう××です」と答えたくなるよね…と言ったら、同居人に殴られた。一部同僚教員と、N女子大関係者にのみ分かるギャグ?であろう。

 K先生、ごめんなさい。m(  )m

 


3月29日(火)原稿の点検作業

2011年03月29日 | 公開

 11:00から18:00まで、大学の会議室で、注釈の原稿点検をぶっ続けで行なう。寒い、寒い。あまりの寒さに問い合わせると、暖房は節電のため切ってあるとのこと。3月末まで会議室は原則使用禁止となっているので、今日使っているのは我々だけだから仕方ないか。F助教が出勤していたので尋ねると、研究棟はいつもこんな具合なのだそうだ。特にお願いして、1時間ほどエアコンを使わせてもらう。

 休憩を除いて6時間ほど、プロジェクターで投影した原稿を直して行ったせいで、目と頭が痛くなった。今日の参会者はNさんとWさん、K前助手と私の4名。関西から参加のK君によれば、関西では震災の影響はあまりなく、危機感も乏しいとのこと。東京が暗いのでびっくりしました…とか。Nさんのお連れ合いのご実家は仙台の海辺で、跡形もなくなったそうだ。前の松原を津波が越えてきたというのだから、まさに末の松山を波が越えたわけである。Wさんのご主人は、お勤めの研究所が地震の被害に遭い、現在静岡方面へ配置転換になっているという。震災の影響はさまざまなところに出ている。

 Wさんは井上宗雄先生の訃報をご存知なかった。先生のお机の上にWさんの新著が置かれていましたよと、ご報告申し上げた。

 しかし、Nさんご勤務先の大学は、卒業式も予定通り行なわれ、入学式も予定通りで、4月1日からスタートとのことだ。我がバカダ大学は学事日程がまるまる1ヵ月遅れとなったが、影響のない大学もあるのだなあ。

 原稿点検の合間に事務所へ行き、演習の登録未済の学生へまた葉書を出してくれるよう依頼する。主任判断で暫定処理をするとのお知らせだ。それでもどうしても処理できないケースが3名残ってしまう。所管人数は300名ほどだから、1パーセント。まあ、仕方がないかな。選択肢を示して事務所で直接手続きをするよう指示した。また、F助教と4月6日の臨時教室会議で手配する昼食を何にするか相談。

 「たかはし」のいつものよりやや豪華な弁当と、「すゞ金」の鰻重弁当と、どっちがいいかと尋ねたら、そりゃ鰻ですよとFさん。ではそうしましょう。

 K前助手と「AMA」で食事をする。いつものおねえさんはいらっしゃらなかった。

  そういえば昔、卒論指導を担当したA君は、陸前高田の県立高校の教諭をしていたはずだ!と、遅まきながら思い出す。たしか数年前に内陸部の奥州市へ転勤になったはずだから、大事はないとは思うが、お見舞いの手紙を出しておく。

 松江へ赴任するNさんは、入居する官舎が決まったとのこと。初めての任地で心細かろうが、いざとなれば私の老母を頼ってください。いや、逆に老母がお世話になるかもしれませんな。ともあれ、知り合いが松江に増えるというのは、心強い。


3月28日(月)空穂の短歌

2011年03月28日 | 公開

 昨日、井上家で頂戴した空穂の短冊の歌は、『歌集 木草と共に』(昭和40年刊)の中に収められているものであった。昭和37年の詠で、「冬至の柚子湯」と詞書があり、

   この年の最終の湯ぞ老の肌に残れる垢を洗ひつくさん

の次に載せられている。

 計画停電の最中に郵便局へ入ったら、レシートが出ませんからと追い出そうとされる。いえ構いませんと押し入って、卒論指導を担当した卒業生諸君に、ささやかなお祝いを送った。25日に研究室へ訪ねて来てくれたそうだが、あいにくお目にかかれなかったのだ。ついでに80円切手を20枚買う。薄墨桜の切手を1シート。

  …みちのくの被災地の桜心あらば今年ばかりは墨染に咲け

 信号機の消えた交差点を車で通行するのは、いやはや、どきどきであったよ。

 


3月27日(日)代々木上原へ

2011年03月27日 | 公開

 井上宗雄先生を偲ぶ会の相談に、代々木上原の喪家をお訪ねする。まず、肖柏の九首和歌幅が掛けられた床に安置されたご遺骨に拝礼。参集したのは、立教のK教授、お弟子筋のWさん母子、Yさん夫妻、Nさん、そして娘婿のK氏。奥様とお嬢様お2人にもお加わりいただいて色々お話しをし、いくつかの修正点を含めて、おおまかな方向性を定めた。

 お嬢さまがまとめられたという写真帖を見せていただく。奥様は至極明るく振舞っておられた。お亡くなりになる数日前に、額と頭の境が分かったとおっしゃる。汗をかくのが額で、つるっとするところからが頭なのだそうだ。

 先生の書斎は先般の地震で書籍が落下していたが、少し片付けられていた。しかし、お机の上は地震の時のままかもしれない。真中に、私も寄稿した『和して歌う』が置かれていた。その向って右脇には、日記のノートが見える。

 奥様から先生のお写真をいただいた。また、先生ご蒐集の短冊帖から、好きなのを1枚ずつ持って行ってよとおっしゃるので、皆で拝見する。窪田空穂が1枚あり、皆から、××××君は躊躇なく空穂だよねと言われたので、それではと謹んで頂戴した。私の師匠(故F教授)の師匠(故I教授)のお師匠様である。早々と形見分けをお受けした格好だ。

  そゞろにも洗ひ落すな衷ふかきこゝろの垢はあるにたのしき 空穂

 ううむ、意味深長な歌だな…。(汗 「衷」は「うち」と訓むのであろう。私の「心の垢」は、鰻重とロースかつかもしれん。

 明日から計画停電は細切れになるらしい。我が地域は午前中とのこと。東電の発表も右往左往で、大丈夫かいな。黙して語らぬ人もあれば、要らぬことを言って顰蹙をかう人も。記事をよく読むと、病院が停電にならないようにしたということなのかな。しかし、私の住んでいるところは病院もどこも停電だ。荒川・足立両区長が不公平だと怒ったというのも、品のない話である。何が「がんばろう日本」だ。だんだん、むかむかしてきたわい。


3月26日(土)パン屋は営業中

2011年03月26日 | 公開

 ガソリン不足は解消されつつあるという。一昨日給油に行ったら、リッター150円で、20リッター現金でしか売れないと言われた。いつもきっちり20リッター現金で入れているから、変わるところはないが、高いよなあ。ガソリンの1滴は血の1滴だ。

 今朝はパンを買いに車を出した。目当てのブーランジェリーはちゃんと7:00から開いていて、原料のあるかぎり営業するとの貼紙。心強い。さすがにパンの種類は少なかったが、ミルクのコンフィチュールも売られていたから、購入する。ベーグルを焼き、昨夜の野菜スープを仕立て直して食べた。

 ウチの女性陣は放射能に対してずいぶん神経質である。茨城産の青梗菜も気味悪がって食おうとしない。そういうのを風評被害というんだぞと言ってやりたいが、政府の発表も「兵力の逐次投入」風で、信がおけないからなあ。しかし、屋内退避指示の地域に居る人々は、生活ができない状況で、そこへ自主避難なんて言われても困惑するだけであろう。女性陣は水道水も飲もうとはしない。市の発表も、本日から浄水場ごとの数値とあいなったぞ。

 TVコマーシャルが徐々に復活してきたが、リーブ21が先んじて再開したのも、こりゃブラックユーモアではないかと勘ぐりたくなった。「悲惨」な結果にいたらぬよう祈るばかり・・・すでに「飛散」の結果だがね、とまたまたシャレを言ったら、同居人に殴られた。


3月25日(金)本当は卒業式だった・・・

2011年03月25日 | 公開

 早咲きの桜は美しく咲いているし、ほんとうによいお天気だった。卒業式が行われるはずだったのに、中止となり、昨日から卒業証書の配布が始まっている。大学へ行くと、着物・袴姿の卒業生の姿が。せめて写真をということなのだろう。

 個人研究室がある5階にあがったら、心理学のO教授が学生たちと記念撮影をなさっていた。カメラマンをかってでる。隣のT教授は、卒論を返却するために研究室に待機していらっしゃった。ぞろぞろと卒業生の集団が研究室前の廊下を行き来するが、多くの先生方はおいでになっていない。一緒に写真を撮ってくださいと頼まれたりした。研究棟の取り壊し工事はさらに進んでいる。日本も壊れつつある感じである。

 研究室の片付けも完全には終わらない。今日は事務所へ行って、メールの返信がない学生へ葉書を出してくれるよう依頼した。あわせて300名ほどのコースの主任をしているわけだが、二進も三進もいかないケースがあと10件ほどある。葉書を10枚書いて、担当職員に託した。

 同居人と待ち合わせて、新宿へ用を足しに行く。デパートの地下食料品売り場は結構な品揃えである。むしゃくしゃするので、寿司を食った。そしてワインを1本買う。電車に乗れば、広告が少ないのに驚く。そういえば民放TVのCMも、ACの同じヤツが繰り返されている。なぜこんなに車内広告が少ないんだろう?というと、効果がないからでしょと同居人。こうかが無いのは地下鉄だねと返事をしたら呆れられた。銀座線の渋谷のあたりには高架はあるんだけど。

  「ノートルダムのセシウム男」とシャレを飛ばせば、時節柄不謹慎!と睨まれた。お母さん(姑殿)は最近、僕の駄洒落に反応が早いねと返事をしてお茶を濁す。そうそう、赤膚焼の旅茶碗を衝動買いしたんだ。

 ほんとうに日本は壊れつつあるんじゃないかな。石原慎太郎の「天罰」発言も、あながち誤ってはいないということかもしれん。

 …と重い気分で帰宅すれば、ウチの地域だけ計画停電。大急ぎで夕食を作り、ランタンの灯のもとで酒を飲む。外に明かりが漏れないようにしなければいけませんねと言うと、姑殿はおほほとお笑いになる。さすが空襲経験世代は違うわい。


3月25日(金)井上宗雄先生の訃報詳細

2011年03月25日 | 公開

井上 宗雄(いのうえ むねお) 

1926年10月10日、東京生まれ。立教大学名誉教授(元文学部教授)、元早稲田大学教授。2011年3月18日4:22、東京女子医大病院にて、肺炎のため死去。享年84歳。葬儀は24日、遺言により家族のみで執り行われた。喪主は英子(ひでこ)夫人。6月3日18:00より、立教大学池袋キャンパス内の太刀川記念館3階多目的ホールにて偲ぶ会が催される予定。なお喪家におかれては、弔意の供物等はかたく謝絶されるよし。

《略歴》

19513月 早稲田大学第一文学部文学科国文学専修卒業

19533月 早稲田大学大学院文学研究科日本文学専攻(修士課程)修了

19534月 早稲田大学高等学院教諭

19624月 立教大学(一般教育部)専任講師

19654月 立教大学(一般教育部)助教授

19663月 文学博士(立教大学)

19684月 立教大学文学部へ移籍

19714月 立教大学文学部教授

19923月 立教大学を定年退職

19924月 早稲田大学客員教授(専任)、6月 同特任教授

19926月 立教大学名誉教授

19973月 早稲田大学を定年退職

《専門》

国文学(和歌史)

《主要著書》

『中世歌壇史の研究 室町前期』 風間書房 1961年 改訂新版1984

『中世歌壇史の研究 南北朝期』 明治書院 1965年 改訂新版1986

『中世歌壇史の研究 室町後期』 明治書院 1972年 改訂新版1987

『平安後期歌人伝の研究』    笠間書院 1978年 増補版 1988

『鎌倉時代歌人伝の研究』    風間書房 1997

『句集 黄落の季』       角川書店 1997年 …「寒雷」同人ほか

 

 


3月24日(木)井上宗雄先生の訃報

2011年03月24日 | 公開

 私が誰よりも誰よりも尊敬申し上げていた井上宗雄先生が、3月18日に逝去された。ご遺志により、葬儀はご家族のみで、本日今ごろ執り行われているはず。参席は許されないので、遠くから、しのび拍手を打った(井上家は神道式なのである)。

 井上宗雄先生は大正15年のお生まれで、享年84歳、徴兵された最後の世代となる。私は大学院生時代に先生のご授業を受け、処女論文はそのレポートだった。大学教員となった時は、同じ個人研究室を使わせていただいたというご縁もある。私にとっては肉親以上の存在という、大大大先生なのだ。嗚呼、悲しい哉。

 ご遺族から実務的なことがらを少し頼まれたので、連絡にあたる。偲ぶ会は6月3日(金)の18:00から、立教大学太刀川記念館3階の多目的ホールにて行われることとなった。立教大学のK教授と、4月からは副学長におなりというK学部長の迅速なご対応に深謝。

 喪家に直接連絡することは、どうかお控えいただきたい。ご供物や香典の類も、ご遺志により謝絶されるということである。

 2011年3月24日11:30amこれを記す。 


3月24日(木)シーベルト

2011年03月24日 | 公開

 まあ、遠からずこういう事態にいたるとは思っていた。私の住んでいる市では、1時間ごとに空間放射線測定結果がHP上に発表され、水道水・降下物の測定値も1日遅れで発表されている。それをモニターしていると、21日からぐぐぐぐっと数値が上昇した。 雨との関係が強いのだろうね。

 水道水を飲むのは控えよ、ただし代替の水が無ければ飲んでも構わない…というのは、ずいぶん不安を煽るものだな。近所の店からは、ミネラルウォーターがあっという間に消えてしまったぞ。私のような老人はどうなってもいいような気分だが、女性方は敏感である。同居人も、慌ててドラッグストアに走り、なんとなんと精製水を買っておいでになった(間違えて「大五郎」を買ってくるなよ)。念のため、念のためがどんどん増幅していく。

 もうこうなったら、菅総理が自ら金町浄水場へ出向き、水道水をごくごく飲んでみせるしかあるまい。カイワレ騒ぎの時のみごとなパフォーマンスよもう一度…だ。ただちに影響は出ないのだから、国民を安心させてほしいよね。

 「シーベルトの子守歌」と冗談を言ったら、同居人に殴られた。眠れ、眠れ~♪ シートベルトとどう違う?

 皇室もそろそろ京都へお遷ししたほうがよろしくはないかね? さすれば、京都への還都、とあいなるかもしれない。

 ところで、情報に関し、今回新聞はまったく無力である。取るのやめようかな。

 もっとも感心したのは加地伸行先生のご意見。やはり日本は、トップと官僚がダメな国であったか!。しかし、下士官・兵は優秀だから、きっと復興できるに違いない。

   影響が出るかもしれぬ出ないかもしれぬと思ひ飲む水道水

  本歌は俵万智。

  

 


3月23日(水)パチンコ屋の営業は

2011年03月23日 | 公開

 演習登録の後始末を続ける。申告をしていない学生はあと僅かとなったが、いくらメールをしても反応がない。困った、困った。

 計画停電についてのチラシが配布された。今日は2回となっていたが、午前中のは中止された。ご商売をなさっている方は大変だろうなあ。電気はためておけないから、たとえば、被災地の苦労を思って沖縄で節電するというのはナンセンスだが、心情的支援は尊いといえよう。

 セ・リーグのナイター計画には風当たりが強いし、計画停電の不公平に対する不満もちらほら耳にする。事実、家に配布されたチラシにも、近所に停電対象外の地域のあることが明記されている。配電の都合らしい。まあ、運、不運ということだな。

 歓楽街はあかあかとネオンをともし、パチンコ屋は派手に営業しているという。こういうのは非難されるだろうなと言ったら、パチンコ屋が営業しなくなったら治安がさらに悪化すると娘は言う。なるほど、そういう見方もあるわな。

 大災害に遭ったのに暴動や略奪が起こらないことに世界中が驚いているらしい。しかし、被災した気仙沼の信用金庫から4000万円の札束が消えたというニュースを聞くと、日本も同じようなものじゃないかとも思うが、その事件が大ニュースになるくらいだから、全体では治まる御代といふべからむ。

 放射性物質の農産物への影響が心配だ。「規定値の2倍を超える…安全な野菜」とは、どういう言い種なんだろうか。またもや「ただちに…ではない」「念のために…」だらけである。


3月22日(火)笑い話

2011年03月22日 | 公開

 原発の状況は一進一退のようだ。CNNのニュースを見ると、日本のTVとはかなり扱い方が違う。日本の番組は、だんだん「美談」紹介へシフトしてきた感じがする。しかし、放射性物質の検出、農作物への被害が懸念される。風評被害ならぬ、風向被害ということだ。

 今日はまた計画停電が行われる。その前にと科目登録のデータを現時点でまとめ、先程やっとこさ事務所へ送信した。希望申告をしてもらったが、まだ15%くらいの学生からは連絡が来ない。システムからたびたびメールを送信するが、音沙汰なしでまいってしまう。早く申告してください。

 娘の友人が、水が無くなるというので、慌てて大きなペットボトルを買ってきたら、「大五郎」だったという話には、腹を抱えて笑った。また、ある文書を作って娘に転送してもらったところ、「お父さん、『…していただけますと喜びます』という言い方はやめてよね」と睨まれた。これは、一般には「…と幸いです」「…と助かります」という言い方の、島根県人特有の表現なのだそうだ。どこが不自然なのか、いくら言われてもさっぱりわからん。ウチの音韻学者まで一緒になって変だとのたまふ。????

 


3月21日(月)非常時のドレスコード

2011年03月21日 | 公開

 ビートたけしが怒っているという。政治家のジャンパー姿を非難していた。

 かかる折から、装飾の類を一切排除し、いつまでも着たきりで構わない姿で、当面する事態に対処するという姿勢を示すドレスコードなのだろう。では、なぜジャンバーの下にネクタイを締めるのか?

 そういえば、大地震発生後のTVニュースでは、アナウンサーが皆ヘルメットをかぶっていた。やや事態が落ち着いてからも、そのまま着用し続けた局があった。スタジオは天井からぶら下がる照明機器など多かろうから、危険なのかとも思う。しかし、臨場感を演出するため映しだされる、アナウンサーの背後で忙しく立ち働くスタッフは、誰もヘルメットなどかぶっていなかったぞ。私は違和感を覚えた。これは、台風の中継の際に用いられるレポーターのビニール傘と同じく、しらじらしいパフォーマンスに過ぎないのではないか?

 こうした事柄に腹が立ってくるのは、一種の「余裕」が生じてきたせいかもしれぬ。

 いささか不謹慎ながら、NHKのニュースに出づっぱりだった「水野倫之解説委員」の服装は、事態の推移を雄弁に物語っていたと思う。危機的状況においては、同じジャケット・シャツ・ネクタイで通した、というより着替えることができなかったのであろう。そのことが、逆に事態を照射していたのではないか。

 政治家のジャンパー姿は、こうした「気配」を気取られぬための措置かもしれない。政治とは、情報操作する者の謂いである。もっとも、元グラビアアイドルを起用したのは大失敗だった。そもそも、「節電計画担当大臣」なんて、パフォーマンス以外の何物でもあるまいて。


3月20日(日)ただちに…、現状では…

2011年03月20日 | 公開

 ガマ専任先生は、ご帰国なさったらしい。さぞや驚かれたことであろう。ご外遊中に、末の松山を波が越し、果ては「核の恐怖」の出来(しゅったい)である。筑波嶺のこのもかのもに放射能が注いだら大変だ。これら一種の「怪獣」の出現といふべきか。我らの世代にとって、初期怪獣映画とは間違いなく「核の恐怖」を体現したものだった。今や61式戦車ならぬ高圧消防車が武器となっているが。

 原発の状況は深刻で、TVの会見を固唾をのんで見守るしかない。しかし、「ただちに…」「現状では…」「…かぎりは…」という前置きが必ずつく。会見者の心理状態というものは、実によく透けて見えるものだ。スポークスマンを十分吟味すべきであろう。大平秀雄陸軍大佐(3:40)というわけにもいくまいがね。

 なお、NHKの緊急放送チャイムは知っておいたほうがよいかも。その第3段階が用いられることがないことを、祈るばかり。

 地震後10日目。石巻の瓦礫の下から、生存者発見の一報。奇蹟は、あり得る。

 


3月19日(土)痛ましい情報

2011年03月19日 | 公開

 同僚教授のご実家が津波で壊滅したというお話を聞いた。流されていくご両親の目撃情報もあったという。お慰めする言葉もない。わずかにメールでお見舞いを申し上げた。

 気分は服喪中。学生担当から、中止となった卒業式に代わり、卒業生へのメッセージをと求めてきた。こうしたことにすぐ気の廻る学生担当は、まことに学生思いの「人物」であらせられる。