日本100名城とは、財団法人日本城郭教会が2007年(平成19年)に迎える
設立40周年の記念事業の一環として、
2005年(平成17年)に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募したもので、
歴史や建築の専門家などにより、
観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、
復元の正確性などを基準に審査の上選定、
2006年(平成18年)2月13日に発表したものです。
ちなみに、認定は4月6日「城の日」に行われました。
今回からは、中国地方(63番~65番)
63番 鳥取城
鳥取城
鳥取城は、中世城郭として成立し、戦国時代には織田信長の家臣であった
羽柴秀吉と毛利軍との戦いの舞台となりました。
江戸時代には鳥取藩池田氏に治下に入り、近世城郭が整備されました。
現在は天守台、復元城門、石垣、堀、井戸などが残っています。
鳥取城は、寛永9年から明治4年までの間、
因幡・伯耆二国32万石を領有する鳥取藩池田家の居城だったところです。
鳥取城の成立起源はあまり明確ではありません。
江戸時代前期に小泉友賢が著述した「因幡民談紀」には
天文14年に布施天神山城を居城とする因幡守護山名誠通が
但馬山名氏の勢力に対抗するため出城として
鳥取城を築いたのが最初である旨を記しています。
しかし、小泉友賢の説には資料的裏付けがありません。
近年の研究では、鳥取城は天文12年ごろに因幡守護山名氏と
但馬守護山名氏とが対立する状況の中で但馬側勢力が
布施天神山城を攻略するための拠点として築いたものである
という説も生まれています。
[所在地]
鳥取県鳥取市東町2丁目
[交通アクセス]
鉄道:JR山陰本線「鳥取」駅からバスで8分「西町」下車、徒歩約5分。
土日のみ、鳥取駅からループ麒麟獅子バスで「鳥取城跡」下車すぐ。
64番 松江城
松江城
松江城は、別名・千鳥城とも呼ばれます。
日本の12箇所に現存する、江戸時代以前建造の天守を有する城郭の一つです。
桃山様式の天守は5層6階で高さ30m、国の重要文化財に指定されています。
また中国地方の県庁所在地に所在する唯一の現存天守でもあります。
松江市街の北部に位置し、
南に流れる大橋川を外堀とする輪郭連郭複合式平山城です。
本丸を中心に据え、東に中郭、北に北出丸、西に後郭、
東から南にかけ外郭、西から南にかけ二の丸が囲んでいます。
二の丸の南には一段低く三の丸が配されています。
江戸時代には松江藩の藩庁として、出雲地方の政治経済の中心となりました。
現在は松江城公園として利用されていて、
天守から宍道湖の眺望が良く日本三大湖城の一つになっています。
また、桜の名所として日本さくら名所100選に選ばれています。
[所在地]
島根県松江市殿町
[交通アクセス]
鉄道:JR山陰本線「松江」駅からレイクラインバスで10分、
松江城「大手前」下車。
一畑電鉄「松江しんじ湖温泉」駅から徒歩約20分、
または市営バス(北循環線内回り)で5分、「県庁前」下車、徒歩約5分。
65番 月山富田城
月山富田城
歴代の出雲国守護職の居城で、戦国時代には大名尼子氏の本拠地となりました。
尼子氏は中国地方の覇権を巡って周辺諸国と争い
尼子経久の時期に出雲に基盤を造り上げ、
嫡孫晴久の代には山陰・山陽八ヶ国守護の大大名になりました。
天然の地形を利用した、最も難攻不落の要塞城といわれ
「天空の城」とも呼ばれていました。
その後、城を巡っても度々攻防戦が行われましたが、
最終的に尼子氏は毛利氏によって滅ぼされ、城も毛利領となりました。
1600年以降、堀尾氏が城主となりましたが、
1611年、堀尾忠晴が松江城に移り廃城となりました。
1934年、国の史跡に指定されました。
[所在地]
島根県安来市広瀬町富田
[交通アクセス]
鉄道:JR山陰本線「安来」駅からイエローバス「広瀬バスターミナル」
行きで30分、「市立病院前」下車、徒歩約10分。
車 :山陰道安来ICから安来道路を出雲方面に向かい、
県道102号を鷺の湯温泉方面へ。
桜が満開になって、とても過ごしやすい季節になりました。
少し前までは、部屋の中で縮こまっていたのに、
春の陽気に誘われて外に出かけたいと思うようになりました。
一年でこんなにいい季節はありません。
お弁当を持ってピクニックがてら出かけましょう。