日本100名城とは、財団法人日本城郭教会が2007年(平成19年)に迎える
設立40周年の記念事業の一環として、
2005年(平成17年)に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募したもので、
歴史や建築の専門家などにより、
観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、
復元の正確性などを基準に審査の上選定、
2006年(平成18年)2月13日に発表したものです。
ちなみに、認定は4月6日「城の日」に行われました。
今回も、東海地方(41番~44番)です。
41番 駿府城
駿府城
14世紀に室町幕府の駿河守護も任じられた今川氏によって、
この地には今川館が築かれ今川領国支配の中心地となっていました。
今川氏は隣接する甲斐国の武田氏、
相模国の後北条氏と同盟を結び領国支配を行っていましたが、
16世紀には甲斐を中心に領国拡大を行っていた武田氏との同盟関係が解消され、
武田氏の駿河侵攻により今川氏は駆逐され、城館は失われました。
今川領国が武田領国化されると支配拠点のひとつとなりますが、
武田氏は1582年に織田・徳川勢力により滅亡し、
甲斐・駿河の武田遺領は三河の徳川家康が領有しました。
徳川氏時代に駿府城は近世城郭として築城し直され、
この時に初めて天守が築造されたとそうです。
その後1590年には、
豊臣政権による後北条氏滅亡に伴う家康の関東移封が行われ、
徳川領国と接する駿府城には豊臣系大名の中村一氏が入城しました。
江戸時代初期、家康は徳川秀忠に将軍職を譲り、
大御所となって江戸から駿府に隠居しました。
このとき駿府城は天下普請によって大修築され、
ほぼ現在の形である3重の堀を持つ輪郭式平城が成立しました。
天守台は、石垣天端で約55m×48mという城郭史上最大の天守台でした。
しかし1607年に、
完成直後の天守や本丸御殿などが城内からの失火により焼失してしまいました。
その後直ちに再建されましたが、
1610年再建時の天守曲輪は、7階の天守が中央に建つ
大型天守台の外周を隅櫓・多聞櫓などが囲む特異な構造となりました。
1616年に駿府城で家康が没するまでの大御所政治時代、
駿府は江戸と並ぶ政治・経済の中心地として大いに繁栄しました。
現在では、外堀と中堀の間にある旧三の丸には官庁や学校などの公共施設が立ち、
中堀の内側にある旧本丸・二の丸は「駿府公園」として整備されています。
天守・櫓・門などの建造物は現存していませんが、
石垣と中堀・外堀が往時の姿を留めています。
また近年、二の丸巽櫓・東御門と続多聞櫓が、
更には明治時代に陸軍歩兵第34連隊を置くために
埋められた内堀が部分的に復元されています。
なお2007年、坤櫓の復元工事を行っています。
別名を府中城または静岡城といいます。
[所在地]
静岡県静岡市葵区駿府公園1番1号
[交通アクセス]
鉄道:JR東海道本線・東海道新幹線「静岡」駅から徒歩約10分。
42番 掛川城
掛川城
掛川城は、戦国時代には東海道を扼する遠江国東部の中心でした。
拠点としては掛川はしばしば争奪戦の舞台となりました。
朝比奈氏によって逆川の北沿岸にある龍頭山に築かれたとされ、
現在見られる城郭の構造の基本的な部分は
安土桃山時代に同地に入封した山内一豊によるものです。
本丸を中心に、西に搦手、南東に大手を開き、北に天守曲輪である天守丸、
その北に竹之丸、南に松尾曲輪、西に中の丸、東に二ノ丸と三ノ丸、
その南を惣構えで囲んだ梯郭式の平山城でした。
明治以降は、廃城令によって廃城処分とされ建物の一部を残して撤去され、
道路や庁舎の建設によって大半の遺構が撤去されています。
現在は、1854年に倒壊した天守や一部の建物、堀が復元され、
堀や土塁、石塁の復元が行われています。
城跡の整備が城下に至り、電柱の埋設など都市景観の配慮にも及んでいます。
[所在地]
静岡県掛川市掛川1138−24
[交通アクセス]
鉄道:JR東海道本線・天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線「掛川」駅から
北へ徒歩約7分。
43番 犬山城
犬山城
犬山城は、木曽川沿いの高さ約88mほどの丘に築かれた平山城です。
別名、白帝城は木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを
長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」にちなんで
荻生俎徠が命名したと伝えられています。
前身となる砦を織田信長の叔父である信康が改修して築いたものを
石川光吉が改修し現在のような形となりました。
この際の建築用材は金山城の建物の一切を解体移築したという
「金山城」の伝承があります。
江戸時代には尾張藩の付家老が入城し、成瀬正成以来、
成瀬氏9代が明治まで城主として居城としました。
現存する天守が建てられた年代については天文期説、慶長期説などがありますが、
現在のような姿となったのは成瀬正成が改修した1617年頃です。
近年まで、城主であった成瀬家が個人所有する文化財でしたが、
現在は財団法人に譲渡されています。
[所在地]
愛知県犬山市大字犬山字北古券65−2
[交通アクセス]
鉄道:名鉄「犬山」駅または「犬山遊園」駅から徒歩約15分。
44番 名古屋城
名古屋城
名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城の跡周辺に、
徳川家康が九男義直のために天下普請によって築城したとされます。
以降は徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として
明治まで利用されました。
姫路城、熊本城とともに日本三名城に数えられ、
伊勢音頭にも「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、
尾張名古屋は城で持つ」と歌われています。
大天守に上げられた金の鯱は、城だけでなく名古屋の町の象徴にもなっています。
大小天守や櫓、御殿の一部は昭和初期まで現存していましたが、
名古屋大空襲によって天守群と御殿を焼失し、
戦後に天守などが復元され、現在城跡は名城公園として整備されています。
通称として、金鯱城・金城とも呼ばれました。
[所在地]
愛知県名古屋市中区本丸1−1
[交通アクセス]
鉄道:市営地下鉄名城線「市役所」駅下車7番出口より徒歩約5分。
市営地下鉄鶴舞線「浅間町」駅下車1番出口より徒歩約15分。
名鉄瀬戸線「東大手」駅下車、徒歩約15分。
バス:市営バス「名古屋城正門前」バス停下車、徒歩約1分。
市営バス「市役所」バス停下車、徒歩約5分。
例年より紅葉の季節が遅れていましたが、やっと見ごろになりました。
同時に高い山では雪が頂を覆っています。
場所によっては三段紅葉が楽しめる時期でもあります。
紅葉を愛でながら全国に散在する名城旧跡を訪ねてみるのも一興かと思います。