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日本の奇祭13「吉田の火祭り6」

2013年12月16日 | 国内旅行

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、山梨県富士吉田市の吉田の火祭りの第6回目です。

 

吉田の火祭り(北口本宮冨士浅間神社:山梨県富士吉田市)

 

[火祭りの神事]

 

吉田の火祭りは、8月26日の「鎮火祭」と、

翌27日の「すすき祭り」とに大別されます。

ここでは2日間にわたって行われる祭事の流れを時系列に沿って説明します。

 

鎮火祭(26日)

浅間神社本殿祭

 

浅間神社参道を行く富士講の講員

 

鎮火祭の最初に行われる神事が、

26日午後3時より浅間神社拝殿内で行われる本殿祭です。

本殿祭は鎮火祭開始に際し、

神輿への動座を浅間神社の祭神に願うための神事です。

 

出席者は氏子総代、世話人、講社、御師団をはじめ、

地元選出議員や主要企業関係者などの来賓を含め総勢100名にものぼります。

出席者のうち氏子総代10名は、白衣・青袴姿、御師は白い斎服姿、

消防団員らは印半纏姿など、それぞれの正装で臨席します。

 

「山梨県神道雅楽会」会員ら4名による三管三鼓の雅楽により

越天楽などが奏でられる中、神事が執り行われます。

本殿祭の祭事は、開扉、献饌、斎主祝詞奏上、斎主玉串奉献、玉串奉献、

来賓の玉串奉献、撤饌、太鼓奉仕者へのバチ授与、宮司にならい御一拝、

この順序に従い約1時間をかけて粛々と執り行われます。

 

御霊移しと御絹垣

 

諏訪神社拝殿の御絹垣

 

本殿祭が終わると、神輿に浅間神社と諏訪神社の分霊を移す

御霊移しの儀式が始まります。

御霊とは祭神の御神体の分霊のことで、御霊代とも呼びます。

浅間神社と神輿が置かれた境内社である諏訪神社(摂社)とは、

境内を介して約150メートルほど離れていて、

浅間神社から神輿のある諏訪神社へと

御霊をもった宮司が移動するのが御霊移しの儀式です。

 

御霊移しが始まる午後4時頃になると、

境内一帯は大勢の参詣者や見学者らで埋め尽くされています。

14名の世話人と12名の消防団員は両社を結ぶ境内中央部に一列に並んで、

一般参詣者らを入れないようにして御霊の通り道を明けます。

社殿内と境内の照明や電気はすべて消され、

薄暗くなった浅間神社拝殿奥から神職による

「オーッ」という警蹕の低い声が響き渡ると、

純白の布で覆われた御絹垣が拝殿内から現れます。

御絹垣は6本の支柱の間に大きな白布を張り、

御霊を持つ宮司を四方から囲んで隠した幕であり、

6名の神職によって持ち抱えられています。

神聖な御神体は人目にさらしてはならず、

このように幕で隠しながら諏訪神社へ運ばれます。

御絹垣の前には道楽・賛者の2名が先導を行い、

後側には典儀・賛者と、護衛の御師団が続きます。

御絹垣の中には宮司と露払い役の行障の2名のみがおり、

宮司は袖の中に御神体を抱えながら、

神職らの発する警蹕の声に導かれながらゆっくりと進みます。

参詣者らは低頭して道を明け、光を浴びせたり写真を撮ることは禁忌とされます。

御絹垣は諏訪神社に着くと班田上にのぼり、そのまま本殿内に納めて安置します。

こうして御霊移しが済むと御絹垣は取り払われ、

境内の電灯も再び灯され、間を空けずただちに諏訪神社祭が開始されます。

 

諏訪神社祭・御動座祭と高天原での発輿祭

 

諏訪神社拝殿前の様子

 

午後4時20分頃、諏訪神社本殿前において諏訪神社祭が行われます。

これも浅間神社の本殿祭同様に、諏訪神社の祭神に対し、

神輿への動座を乞うための神事です。

神前には神職、氏子総代、世話人らが参列して開扉、

献饌、祝詞奏上などが行われます。

 

この日、諏訪神社では、午前に行われる西念寺住職による仏式での法楽、

そしてこの夕方に行われる浅間神社宮司による神式での儀式と、

2度の儀式が行われることになります。

やがて諏訪神社祭が終わると、すでに社殿前に集合しているセコに対して、

神職が拝殿上から大弊を振り修祓を行います。

その後、宮司の手によって神輿へも御霊移しが行われるため再び御絹垣が張られ、

宮司はその中で諏訪神社と浅間神社の御神体を取り出して

両社の分霊を明神神輿に移動します。

なお、2社の御霊は2つとも明神神輿に分霊され御山神輿に御霊は移されません。

 

御霊移しが終わると神輿の出御の準備が整い、

2台の神輿は世話人の呼びかけにより、

それぞれのセコたちによって諏訪神社から担ぎ出されます。

しかし、このまま町中に繰り出すのではなく、

境内の高天原と呼ばれる四方を注連縄で張られた方形の祭場に一旦置かれます。

 

2台の神輿のうち明神神輿の前で宮司が祝詞を奏上し、

神職らが整列して発輿祭の神事が行われ、

これが済んで初めて、正式な神輿の出御となります。

このように神輿渡御にかかわる諸神事は、すべて明神神輿を中心に行われ、

御山神輿に対しては御師団行司が献饌と拝礼を行うのみです。

 

高天原の神事は10分ほどで終わり、四方の注連縄が取り払われると

セコたちは再び一斉に2台の神輿に取り付いて担ぎ出し、

浅間神社境内を土ぼこりを上げながら勢い良く上吉田の町へ繰り出していきます。

 

神輿渡御と西念寺僧の読経

 

明神神輿の出陣

 

御山神輿の出陣

 

神輿行列は次のような順序で構成されています。

先頭から、

 1.唐櫃:唐櫃箱を2名で担ぎ、中には予備の幣束などが入れられています。

 2.真榊:当地では榊が育たず、

      1本ないし2本のソヨゴの木が用いられています。

      2名で担ぎ、枝先には赤白青緑黄の5色の布帯と

      細かく刻まれた幣紙が飾られています。

 3.アゲ太鼓:2名で担ぎ、1名が叩きます。

 4.賽銭役:複数名で構成され、ザルを持って沿道の人々から賽銭を集めます。

 5.神職の集団

 6.明神神輿

 7.御山神輿

 8.御師団の集団

以上の順序で神輿行列は進行していきますが、

このうち重要なのは2台の神輿の先頭を行くのは明神神輿であって、

御山神輿はどのようなことがあっても

明神神輿を追い抜いてはならないとされています。

 

2台の神輿を担ぐセコは上吉田の氏子青年が中心で、

いくつもの小団体が結成されていて、

団体ごとに揃いの法被に身を固めているので、

そのセコがどの団体構成員であるのか分かります。

 

また、2台の神輿のうち、先頭を行く明神神輿を担ぐのは、

世話人経験者からなるセコ団体とほぼ決まっており、

一方の御山神輿を担ぐのは、その他の有志団体です。

有志団体には様々なものがあり、職場仲間であったり、

行きつけの飲食店に集う仲間など、約10団体ほどで、

同様に揃いの法被などを着用しています。

有志団体セコの職業は建設業や飲食業関係者が多いようです。

2台の神輿にはそれぞれ常時50~60人程のセコが取り付いていて、

さらに交代要員も20~30名ほどいて、

集団で神輿に取り付いて御旅所まで移動していきます。

 

浅間神社参道を抜け、

国道138号線から本町通り南端の上宿交差点に向かう途中では、

西念寺僧侶3名による、神輿行列を迎える読経が行われます。

西念寺ではこれを御下り・御迎えと称し、

正装をして国道端に立ったまま神輿行列が通過するまで読経と焼香を続けます。

 

なお、神輿の巡行する区間と火祭りの行われる本町通りなどは、

富士吉田警察署によって午後4時30分より順次、

交通規制が敷かれ車両通行止めとなります。

そして神輿の通過した場所から、

世話人やセコなどにより道端に寝かされていた大松明が立てられていき、

沿道の一般家庭でも井桁松明が組み立てられ始め、

沿道には露天商らが出店の準備を始めます。

 

【交通アクセス】

電車:富士急行線「富士山」駅下車、徒歩3分。

車 :中央自動車道「河口湖IC」から県道138号線経由で10分。

駐車場:無料約300台。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?



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