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日本の奇祭14「吉田の火祭り7」

2014年01月13日 | 国内旅行

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、山梨県富士吉田市の吉田の火祭りの第7回目です。

 

吉田の火祭り(北口本宮冨士浅間神社:山梨県富士吉田市)

 

神輿の御旅所入り

 

御旅所の火の見櫓をくぐる明神神輿

 

浅間神社を出発した神輿行列は、本町通りの中程に設けられた

御旅所(上吉田コミュニティーセンター)を目指して進んでいきますが、

一気に向かうのではなく、同じ場所を行きつ戻りつ数回の休憩を挟みながら、

ゆったりとした速度で進んでいきます。

この際、赤富士をかたどった御山神輿を数回、

どすんどすんと路上に投げ落とします。

これは御山神輿を富士山になぞらえ、

代わりに噴火させているものだといわれています。

 

吉田の火祭りの神輿渡御における御旅所は、

江戸時代には上吉田中宿東側に位置した

諏訪明神神主である佐藤上総(御師大玉屋)の屋敷でした。

1875年(明治8年)からは上吉田中宿西に開校した吉田小学校

(現、富士吉田市立吉田小学校)の広場が御旅所になりました。

 

1935年(昭和10年)に吉田小学校が現在地へ移転して、

旧校舎が福地村公会堂や山梨県林業試験場となっても、そこが御旅所でした。

1975年(昭和50年)に現在の御旅所が設営される

上吉田コミュニティーセンターが建設されて以来、

ここが御旅所となり今日まで使用されています。

このコミュニティーセンターは最初から御旅所としての利用を考慮して

設計されており、現在の祭礼を行う上で重要な役割を果たしています。

 

日が沈んだ午後6時を過ぎた頃、

2台の神輿を従えた神輿行列は御旅所に入ります。

御旅所の入り口には火の見櫓があり、

その両側には世話人によって立てられた2本のモミの木による御神木があり、

注連縄が張られています。

神輿行列はこの火の見櫓の下を潜って御旅所入りをします。

最初に入る明神神輿の屋根に立つ鳳凰のくちばしで、

その注連縄を切り落としていくことになっています。

セコたちの掛け声は最高潮に達し、

見事に鳳凰のくちばしで注連縄が切り落とされると、

群衆から大きな拍手喝采が起き、

それに続く御山神輿とともに神輿行列は御旅所になだれ込んでいきます。

 

2台の神輿は御旅所内の台座の上に向かって右側に明神神輿、

左側に御山神輿が安置され、両神輿の前には2名ずつ神職がついて供奉します。

御旅所に神輿が安置されると、ただちに御旅所着輿祭と奉安祭の神事が始まり、

神職(浅間神社および御師団年行事)、氏子総代、

世話人、セコ一同が、神輿の前に整列して拝礼を行います。

 

御旅所になだれ込む明神神輿

 

御旅所になだれ込む御山神輿

 

松明の点火

 

本町通りでの10尺松明点火

 

御旅所松明と町中の松明の点火

 

奉安祭の神事が終わると、

14名の世話人は一斉に御旅所を飛び出し、

御旅所と火の見櫓の間に寝かされている

2本の11尺大松明の点火に取りかかります。

時刻は例年午後6時30分から午後7時の間であり、

夕刻から夜になる時間帯です。

 

この御旅所の大松明は吉田の火祭りで一番最初に点火されるもので、

それを合図に町中や富士山中の松明に火がつけられることになっています。

世話人は手際よく地面に木枠を設置し、その中にスコップで山砂を敷き詰め、

数人がかりで寝かされている大松明を起こして立てます。

世話人は上町、中町、下町の各町名の入った提灯を高く掲げて大松明を囲み、

2名の火付け世話役が、

点火用の竹竿の先端に付けた針金に松脂の束を引っ掛けて火を付け、

竹竿を大松明の頂部に伸ばし、

火の点いた松脂の束をそこに乗せると、大松明はメラメラと燃え始め、

再び群衆から拍手喝采が巻き起こります。

 

世話人らは2手に分かれ、上吉田の町を南北に走り、

中宿から下宿へ、中宿から上宿へと順次大松明に火が点けられていきます。

大松明と大松明の間に積み上げられた、

各家々の井桁松明にもまた一斉に火が点けられていきます。

こうして上吉田の町を南北に伸びる1本の火の帯が出現し、

下は金鳥居交差点付近から最上部の上宿交差点付近まで延々と火の帯が燃え盛り、

多くの見物人、観光客らが繰り出す喧噪や、

居並ぶ露天商らの掛け声など、祭礼は最高潮の時を迎えます。

御旅所に設けられた神楽殿では神楽講による太々神楽の舞いや、

各種芸能の上演が行われ、安置された明神、

御山の神輿に参拝する人々の列で賑わいます。

 

富士山中での松明の点火

 

町中で松明が点火されると、

それに呼応して五合目より上の吉田口登山道沿いの山小屋でも松明が焚かれます。

空気が澄み条件が良ければ麓の上吉田からも、

登山道に沿って一列に並ぶ灯火がよく見えます。

ただし、標高2500メートルを越す五合目以上は、気象条件が非常に厳しく、

大松明のような大きなものを設置するのは不可能です。

五合目の佐藤小屋では松明を井桁状に1.2メートルほど積み上げますが、

標高が高くなるほど風速が強くなるため、

七合目東洋館では積高はくるぶし程度になり、

標高3000メートル超では井桁状ではなく乱雑に積むようになります。

 

富士講社の拝み

 

燃え続ける大松明

 

松明が燃え始めると、

御師坊に宿泊中の富士講社らは行衣に身を固めて通りに繰り出し、

各御師坊の井桁松明を囲んで拝みを行います。

吉田の火祭りには、主に関東一円から数十もの講社が毎年参加します。

このうち宿泊を伴う講社としては、

御師筒屋へ宿泊する丸八講・丸伊講・丸金講、扶桑教、

御師菊谷に宿泊する大丸講・丸嘉講、

御師大国屋に宿泊する宮元講・一山講などが知られており、

各講社のリーダーである先達を中心に様々な儀礼が執り行われます。

 

御焚上げと塩加持

 

御師の家の前の通りには、

御師の檀家である各講社が奉納した大松明を立てて、

それを講社が拝んで祈祷するのが本来の姿でしたが、

近年では大松明を奉納する講社は少なくなり、

そのような講社では御師の家のタツミチ

(表通りから御師の家に続く細い通路)に篝火を焚き、

講社の松明代わりにしています。

 

また、伊丸講・丸金講・扶桑教では御焚上げと呼ばれる儀礼が行われます。

これは筒屋の前にある大松明と富士山に向かって地面に座り、

松明の前に白い布を広げ、約2㎏もの塩を円錐形に盛り、

その盛り塩に多数の線香を立てて火をつけ、

大祓えを唱えて諸神を呼び神徳経を唱えるものです。

「参明藤開山」と書いた焚き符の半紙を線香の火で焚いて

「コウクウタイソクミョウオウソクタイジン」の御身抜きを唱えます。

その後、線香と符の灰が混ざった塩を白い布に包み、

それを信者の体に擦り健康を祈願します。

また、この塩を翌朝の加持に用いたり信者に分けたりします。

これを塩加持といいます。

 

お伝えと掛念仏

 

やがて松明は形を崩しながら燃え尽きていきます。

 

各講社では、富士講の経本であるお伝えを伝授しています。

お伝えは教義などを祭文や祝詞としてまとめたもので、

体裁は小型の折本になっています。

 

もともとお伝えは、江戸時代においては御師か高名な先達に書いてもらうもので、

なおかつ複数回に分けて書いてもらうため、

完全な状態になるまでは数回の御山詣でをしなければならなかったといいます。

また、富士講の系譜には村上派・月行派・身禄派などがあり、

それぞれに経本が存在します。講社がお伝えを唱えるのは、

浅間神社参拝。松明を前にした御焚上げ、御師宿の祭壇などで、

先達の唱えに講員が合わせていきます。

 

また、宮元講や、丸金講・伊丸講などは、「エーナンマイダブー、

ロッコンショウジョウ」と謡って唱える六根清浄などの掛念仏が行われます。

これら、お伝えや掛念仏を唱えられるようになるには、

およそ10年はかかるといいます。

講員たちはさらに、松明が焼け落ちた夜中に御師坊から出てきて、

燃え残りの消し炭を拾っていきます。

それを自宅の神棚や軒先に吊るしておくと火難を逃れるといわれています。

この際の掛念仏が唱えられます。

 

【交通アクセス】

電車:富士急行線「富士山」駅下車、徒歩3分。

車 :中央自動車道「河口湖IC」から県道138号線経由で10分。

駐車場:無料約300台。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?



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