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日本の奇祭26「おんだ祭」

2014年06月30日 | 日本の奇祭

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、奈良県明日香村のおんだ祭です。

 

おんだ祭(飛鳥坐神社:奈良県高市郡明日香村)

 

明日香村の甘樫丘豊浦展望台から足下の飛鳥の集落を見下ろすと、

集落の中を一直線に西から東に貫く道路が見えます。

その突き当たりに、こんもりと樹木の生い茂った小山があります。

飛鳥の甘南備とされている鳥形山です。

天下に奇祭「おんだ祭」で知られる飛鳥坐神社は、この鳥形山に鎮座しています。

 

 

由緒書きによれば、神社の起源は神話の時代までさかのぼります。

大国主神が国土を天孫に譲った際、

天孫の守護神としてわが子の事代主神と妹の飛鳥神奈備三日女神の神霊を

飛鳥の甘南備に鎮座させたといいます。

「延喜式神名帳」は飛鳥坐神社を事代主神、飛鳥神奈備三日女神、

大物主神、および高皇産霊神の四柱を祀る古社としています。

 

史書における飛鳥坐神社の初見は、朱鳥元年(686)7月5日です。

天武天皇の病気平癒の祈願のため、

この日紀伊国の懸神社と摂津の住吉大社とともに

飛鳥の四社(飛鳥神社)に弊帛を奉ったと記されています。

平安時代の「日本紀略」には、

天長6年(829)に飛鳥社を高市郡賀美郷の甘南備山から

同郡同郷の鳥形山に遷座するよう神託があり、

この時に現在地に遷座したといわれています。

 

江戸初期の寛永17年(1640)に初代高取藩主となった植村家政は、

高取城の鬼門にあたる飛鳥坐神社を深く信仰し、

元禄11年(1698)には社殿を改築し大規模な遷座祭を行いましたが、

享保10年(1725)に里からの火災で社殿の大半を焼失してしまいました。

そのため、安永10年(1781)に

高取藩8代藩主・植村家利によって社殿が再建されました。

 

平成13年に移築された本殿・拝殿

 

植村家利による再建から200年以上経過すると、

本殿・拝殿もかなり老朽化が進みました。

それで、平成13年(2001)4月、吉野の丹生川上神社上社が

大滝ダムの建設に伴い遷座することになったのを機に、

同社の本殿・拝殿を譲り受けて当地に移築し再建しました。

 

飛鳥坐神社の名を有名にしているものに、

毎年2月の第1日曜日に神楽殿で行われる例祭「おんだ祭」です。

正式には春の初めにあたって五穀豊穣・子孫繁栄を祈る御田植神事のことです。

三河の「てんてこ祭」、尾張の「田県祭」、

大和江包の「網かけ祭」とともに西日本における四大性神事に数えられますが、

一番露骨なのはこの「おんだ祭」で、日本一の奇祭とまでいわれています。

 

 

「おんだ祭」は2部構成です。

第1部では、五穀豊穣を願い、御田植神事が執り行われます。

第2部では、天狗とお多福による夫婦和合の儀式で、

閨中秘事を一切無言のままリアルに、そして古俗味豊かに展開していきます。

神社に記録も文献も残っていないため、

この祭事はいつ頃、誰によって始められたのか全く分からないそうです。

ただ、慣例として飛鳥の農民が遠い昔から継承してきた行事です。

この日、配られる苗松、福の紙の授与を受けるために、

日本各地から大勢の参拝者が押し寄せるそうです。

 

正午前から始まった天狗と翁による尻たたき

 

屋台が並ぶ門前の賑わい

 

午前11時頃、鳥居前の参道脇にどこの祭礼でも見かける屋台が並んでいて、

「おんだ祭」目当てに参集してくる参拝者で賑わいを見せます。

その参拝者の間を時おり子供たちが奇声を発して逃げ回っています。

子供たちを追いかけているのは、天狗と翁の面をかぶった村の若者です。

2人はササラになった青竹を振り回して、子供たちを追いかけて尻を叩きます。

 

女性にはある程度やさしく

 

天狗と翁の尻の叩き方には差があり、青年男子の尻は思いっきりひっぱたくが、

女性の場合は手加減し、子供や幼児は触る程度に行います。

なぜこのようなことをするのかよく分かっていないのですが、

今では一種の厄払いか魔除けと見られているようで、

この騒ぎが大きいほど、その年は豊年に恵まれると言われています。

 

剣技の奉納

 

(図:おんだ祭9)剣技を奉納する3人の剣士

 

午後1時、3人の剣士による剣技が奉納されました。

一人ずつ数種類の型の披露が行われました。

 

第1部:五穀豊穣を願い、御田植神事

 

午後2時、一番太鼓とともに祭事が開始されます。

神職による祓いが行われ宮司が一拝した後、

中央に祭壇が設けられて、神饌すなわち供物が並べられます。

宮司が祝詞を奏上し、来賓が玉串を捧げ、いよいよ御田植神事の始まりです。

 

御田植神事は、

さきほど青竹を持って子供を追いかけていた天狗と翁の面を付けた農夫に、

黒牛のぬいぐるみをかぶった牛男が加わって演じられます。

まず、天狗が牛の手綱をもって田を鋤く格好をし、

牛男はおとなしく四つん這いに這い回っているわけではなく、

時には、舞台から群衆の中に飛び出して暴れたりします。

 

畔切り

 

その後に農夫の翁が畔切りをして、田に水を引き入れます。

天狗は鋤き具を取り替えて再び牛の手綱を引いて田均しを始めます。

しかし、牛はなかなか天狗の思い通りに働いてくれず、

その所作が参拝者の笑いを誘います。

 

最後に農夫が畝作りをすると、

宮司が初種を床の上に撒いて「種蒔き」の所作を演じます。

次いで、松の小枝を苗に見立てて早苗を植える「植つけ」の仕草をします。

3人の演者がそれを参拝者の頭上に投げつけます。

この苗松を田の水口に突き刺しておくと農作物に虫がつかないと言われています。

 

第2部が始まる前に、神楽殿の西にある西良殿から

巫女が1人しずしずと舞台に現れ、「浦安の舞」を優雅に舞います。

 

浦安の舞

 

第2部:天下の奇祭「おんだ祭」の夫婦和合の儀

 

二番太鼓を合図に第2部の演技が始まります。

舞台に上がった演技者の内、

ちょんまげかつらに印袢天姿の天狗が突然舞台の中央に立つと、

一尺くらいの竹筒を股にあてがい両手で握りながらぐるぐる回します。

それが勃起した巨大な男根を想像させ、参拝者の笑いを誘います。

 

やがて、黒紋付に赤い蹴出しもなまめかしいお多福と

天狗は宮司と神職の前に山盛りに盛った飯の膳を差し出します。

これを「鼻つきめし」といいます。

今ではすっかり廃れてしまいましたが、

「鼻つきめし」は古い婚礼の形態だったようです。

天狗は盛られた飯に、股間に挟んだ竹筒から酒を注ぐ仕草をします。

畏まって端座する神官たちの鼻先で行われる

この「汁かけ」の珍妙な動作も参拝者の笑いを誘います。

 

お多福に挑む天狗

 

次いで、舞台の中央にゴザが敷かれ、天狗がゴザの上に座ると、

お多福に横になるように誘います。

お多福はモジモジしてなかなか応じません。

しばらくすると、観念したお多福が仰向けになります。

天狗は素早くその上に正常位で乗りかかります。

二人は肩から腰をしっかりと抱いて結び合います。

介添えの翁は岡焼き半分で冷やかし、

舞台の前面にたって二人の姿を参拝者から隠すように愉快な仕草をします。

 

翁が岡焼き半分で夫婦和合の姿を隠す

 

遂には、翁は天狗の後ろに回って腰を押し「種付け」に協力します。

事が終わって天狗とお多福はやおら立ち上がると、

懐中から紙を取り出して股間を拭きます。

この紙を「ふくの紙」といいます。

翁がその紙を参拝者に向かって撒きます。

首尾よく「ふくの紙」を手に入れたものは、

家に持ち帰って閨房で使用すると子宝が授かると言い伝えられています。

 

「ふくの紙」を増やすためか天狗が再びお多福に挑んで、

それを参拝者にばらまくのかと思ったら、

その「ふくの紙」は来賓者に配られていました。

その後は、宮司が「おんだ祭」の終了を告げ、

来賓が舞台から豆まきのように御供を撒いてお開きとなります。

 

御供撒き

 

【交通アクセス】

電車:近鉄「橿原神宮前」駅より奈良交通岡寺前行きバス「飛鳥大仏前」下車。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?


日本の奇祭25「泣き相撲・笑い祭」

2014年06月16日 | 日本の奇祭

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、日本各地にある泣き相撲と和歌山県の笑い祭です。

 

泣き相撲(日本各地)

 

泣き相撲は1歳前後の幼児に泣き声を土俵上で競わせる日本に風習・神事です。

現代では主に幼児に成長や安産を祈る目的で行われますが、

神社で行われるものは氏神に対する新しい氏子の披露という意味もあるそうです。

例は少ないものの各地で行われ、勝負は泣いた方を勝ちとするもの、

逆に負けとするものと地域によって異なり、

本来は勝敗に関係なく大声で泣かせる事が目的だったと思われます。

 

 

泣き相撲は以下の地で行われています。

 ・青森県青森市の泣き相撲:浪岡八幡宮

 ・岩手県花巻市成島の泣き相撲、正式名称は十二番角力式:三熊野神社

 ・栃木県鹿沼市樅山町の泣き相撲:生子神社

 ・静岡県沼津市大塚の泣き相撲:長興寺

 ・京都符相楽郡笠置町有市の泣き相撲:有市國津神社

 ・大阪府堺市東区日置荘の泣き相撲:萩原神社

 ・和歌山県海南市下津町の泣き相撲:山路王子神社

 ・鳥取県鳥取市賀露町の泣き相撲:賀露神社

 ・鳥取県米子市淀江町の泣き相撲:日吉神社

 ・長崎県平戸市岩の上町の泣き相撲:最教寺

 

ちなみに鹿沼市の生子神社の泣き相撲をご紹介しましょう。

毎年9月19日(日曜日でない時は次の日曜日)を大祭日と定め、

子供の健やかな成長を祈願して開催されています。

安産子育ての守護神を祭神に祀る生子神社の境内の土俵に、

役員氏子がまわし姿の力士に扮し、東西の土俵から幼児同士を抱きかかえ、

掛け声と共に、頭上高く振り上げて取り組ませ、先に泣いた方を勝ちとします。

これは古来から泣く子は育つとの意味に因んだものです。

最近では氏子一丸となった古式相撲講を組織、

広く氏子以外から講員を募っているため、

近隣はもとより首都圏からの参加者も多くなっています。

国選択無形民俗文化財と鹿沼市指定無形民俗文化財に指定されています。

 

笑い祭(丹生神社:和歌山県日高郡日高川町)

 

笑い祭は、明治39年に出された「神社合祀令」により、

明治42年に丹生村(和佐・江川・山野・松瀬)にあった神社が、

和歌山県日高郡日高川町にある丹生神社として統合されました。

この笑い祭は、この丹生神社で毎年10月に行われる例祭で、

江戸時代から伝承されてきたものです。

 

 

神無月(10月)に行われる出雲大社での神様の会議に

初めて出席することになったとき、

寝過ごしてしまい塞ぎ込んだ祭神である丹生都姫命を心配した村人たちが

「笑え、笑え」と慰め勇気づけたことに始まったと伝えられています。

白粉を塗った派手な出で立ちの「笑い翁」が鈴を振りつつ

「笑え、笑え」と練り歩く奇祭です。

 

毎年体育の日の直前の日曜日に催される「丹生祭」は

県無形民族芸能に指定されていて、奇祭「笑い祭」として有名で、

先達(鈴振り)が道化た衣装と化粧で町内を「笑え、笑え」と練り歩く光景は、

何とも陽気で楽しいものです。

 

この鈴振りだけが突出して知られていますが、

鈴振り以外に四つ太鼓と呼ばれる和歌山県日高地方にある太鼓台の練りまわしや、

幟の差し上げなどといった事も行われています。

 

【交通アクセス】

電車:JR西日本紀勢本線「和佐」駅より徒歩約40分。

車 :阪和自動車道・湯浅御坊道路「御坊IC」より約10分。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?


日本の奇祭24「かなまら祭・恐山大祭」

2014年06月02日 | 日本の奇祭

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、神奈川県のかなまら祭と青森県の恐山大祭です。

 

かなまら祭(金山神社:神奈川県川崎市川崎区)

 

金山神社は、神奈川県川崎市川崎区の若宮八幡宮境内にある神社で、

鍛冶の神様を祀っている神社ですが、

江戸時代川崎宿の飯盛女達の願掛けに端を発し、

この「かなまら祭」が行われるようになりました。

商売繁昌、子孫繁栄、安産、縁結び、夫婦和合のご利益があるといわれます。

また近年、エイズ除けの祭りとして国際的にも有名になりました。

 

 

特にピンク色の巨大な男根みこしを、ニューハーフの人々が担ぎます。

近くニューハーフクラブが企画し世界寿からゲイが集まるそうです。

毎年、4月第1日曜日に「かなまら祭」は開催されます。

 

ご神体

 

 

かなまら大神輿

 

巫女を先頭に面掛行列

 

かなまら祭りの祭事予定

 

宵宮   18:00~18:20

 

「おぶっく」と呼ばれる陰陽の形をしたお供えがお米の粉で作られます。

 

 

御火取祭 11:00~11:15

 

火打ち石で火を切り出し「篝火」に点火、お祭りが始まります。

 

例祭   11:15~11:45

 

神前にて祭事が執り行われます。

式後、お神酒(濁酒)と煮干しが振る舞われます。

 

神輿御霊入れ式 11:45~12:00

 

かなまら大神輿、かなまら舟神輿、エリザベス神輿に御霊を入れます。

 

大根削り 12:00~12:30

 

 

かなまら講有志により大根を削り、神前に供える男形、女形を作ります。

 

面掛行列 13:00~14:30

 

神輿の巡幸を中心に、面をかぶったり、

仮装をした人々が参加して行列ができます。

参加は自由で袴、着物、刀など用意されています。

 

■進路 神社~商栄会通り~表参道~布間提灯店折り返し~

清浄光院左折~用品店右折~商栄会~神社

 

■行列 金棒―若宮祭祀舞―道中奉行―川崎古式消防記念会―

大麻―塩撒き―猿田彦―神官―お神酒(振る舞い酒)―総代―

来賓―参加者―かなまら講―エリザベス神輿―舟神輿―かなまら神輿

 

 

地べた祭り 15:00~16:45

 

境内に茣蓙が敷かれ、盛大な宴会となります。

○面掛行列優秀者表彰

○オークション(大根削りの大根、その他が競りにかけられます。)

○演芸 (自由参加)歌、踊り、カラオケ何でもOK。

 

【交通アクセス】

電車:京浜急行「川崎大師」駅下車すぐ。

 

恐山大祭(恐山一帯:青森県むつ市田名部字曽利山)

 

青森県むつ市田名部字曽利山の恐山一帯で行われるお祭りです。

 

 

7月20~24日の5日間は、年に一度の恐山大祭です。

恐山は、霊場として死者の霊魂が集まるところと信じられ、

この大祭には多くの信者が参拝して祖先の霊を供養し、

家族の安穏を願ってきました。

ことに、新仏の歯骨を恐山に納め、その霊の永遠の安らぎを願う習慣は、

昔から行われてきたものです。

この大祭の日に、

地蔵に祈ると亡者を苦行から救うことができるといわれてきました。

 

 

22日は上山式が行われ、22~24日は大般若祈祷、

20~24日は大施餓鬼法要が行われます。

また、期間中は、亡き人の声を口寄せするイタコの口寄せも行われます。

 

【交通アクセス】

電車:JR東日本「下北」駅からバスで「恐山」バス停下車、徒歩0分。

車 :八戸道「八戸IC」から国道338号線経由で150,分。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?