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日本の奇祭10「吉田の火祭り3」

2013年11月05日 | 国内旅行

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。
故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、
外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。
これを世の人は「奇祭」と呼びます。

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」
「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、
奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。
よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り
(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、
ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、
開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。
その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、
祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

特に言う必要はないと思いますが、
以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、
れっきとした郷土芸能であり、
日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

今回は、山梨県富士吉田市の吉田の火祭りの第3回目です。

吉田の火祭り(北口本宮冨士浅間神社:山梨県富士吉田市)

 

祭礼をとりまく風習と伝承組織

 

上吉田地区の空中写真

 

画面右上の十字路が金鳥居の交差点です。

そこから南南西方向に伸びる通りが火祭りの行われる本町通りです。

本町通り中程を少し西側(左)に入った白い四角い建物が、

御旅所の設営される上吉田コミュニティーセンターです。

画像下部の木々に覆われた一帯が北口本宮浅間神社です。

 

吉田の火祭りは浅間、諏訪両社の例祭であるばかりではなく、

その背景には富士山信仰に関連した富士講社や御師の関わりや、

富士北麓地域の民族風習などが色濃く残されています。

 

ブクとテマ

 

吉田の火祭りは浅間神社側にとっても氏子側にとっても、

最上級に神聖な祭りであって、一切の不浄を排除しなければならず、

とりわけ人間の死に関わるブク(忌服)と呼ばれるものは

徹底的に忌避されています。

 

上吉田の住人は前年の祭りから

1年間の間に身内に不幸のあった者を「ブクがかかる」と表現し、

ブクがかかった者は祭礼の期間中、上吉田地区以外に出ることになっており、

これを「テマ(手間)に出る」といいます。

身内、正確には血縁者に不幸があった者は不浄であり、

世話人やセコを務めることはもちろん、祭事の一切に関わることはできません。

そればかりか、火祭りの火を見ることすら許されないという厳しいものです。

火祭りのテマのしきたりが、いつ頃からあったものなのかはっきりしませんが、

「甲斐国志」の諏訪明神の項に

現在のテマのしきたりとほぼ同じ内容の記載があることから、

今日の禁忌がすでに近世後期には成立していたことが確認されています。

 

また、ブクのかかった家をアラブク(新服)といい、

家人は泊まりがけでテマに出かけます。

この際、近所の家からアラブクの家に対して、

うどん粉やそば粉などをタマブチと呼ばれる漆器の桶に入れて贈られます。

これをテマ見舞い、贈られる粉をテマ粉といいます。

またテマの期間中に着用する服をテマ着と呼びます。

火祭りが終わった翌朝、テマに出た人は金鳥居の下に戻ってくるので、

近所の人々がテマを迎えたといいます。

また、上吉田から逃げずに玄関を閉ざし家に閉じこもって火祭りをやり過ごし、

その旨の張り紙をして祭りの2日間は一種の謹慎生活を送る場合もあります。

これを俗にクイコミ(食い込み)といいます。

これらのしきたりは2012年現在も厳格に守られています。

ブクのかかった者が、それを隠してセコ(神輿の担ぎ手)となり、

神輿を担いだなら必ず事故に遭い大怪我をするといわれており、

実際にそのようなことが何度も起きているそうです。

 

なお、御師家においてもブクによる祭り参加の禁忌は固く守られていますが、

御師の場合、火祭りの当日には多くの講社を受け入れなければならず、

宿坊を締めるわけにもいきません。

そこで、御師本人にブクがかかった場合、

当人のみが部屋の奥の納戸などに閉じこもり、

宿泊中の講員らと顔を合わせないようにしています。

講社の世話や食事作りなどは、御師本人の配偶者や親類などの姻族にまかせます。

ブクは個人にかかるものなので、

血のつながりのない妻にはブクはかからないからです。

 

世話人

 

吉田の火祭りの挙行に尤も重要な役割を果たす役職が世話人です。

火祭りにおける世話人は、浅間神社の氏子地域を構成する上吉田地区の、

上中下の三町(宿)から選出される神社への奉仕役で、

この地に代々居住する地つきの家々の男性が年ごとに就任します。

 

構成は浅間神社に近い上町から4人、その下手にあたる中町から4人、

金鳥居のある下町および中曽根地区から6人の、計14人です。

年齢的には20歳代から40歳代の男性に限られており、

厄年(数え年42歳)までに世話人を務めるものとされ、

なおかつ既婚者であることが絶対条件です。

 

世話人は浅間神社の主要な年間行事にかかわりますが、

中でも火祭りは最も重要な奉仕であるとともに晴れの舞台であり、

祭りの顔役であり名誉ある役職ですが、長老格の祭役ではないので、

氏子住民や神輿の担ぎ手であるセコ(勢子)に対しては、

あくまでも遜った態度で接する下働き役に徹します。

 

火祭りの2日間、14人の世話役は揃いの衣装をまとい提灯を掲げ、

神輿の先導、松明への点灯など、さまざまな神事の運営にあたります。

ただし、これら祭り当日の運営指揮は世話人としての仕事の一部に過ぎず、

実際には長期間にわたり火祭りの準備作業に関わるさまざまな奉仕作業に勤しみ、

祭礼当月の8月になると、約1ヶ月間にもわたって自らの仕事も休み、

祭りの準備に忙殺されます。

中でも重要な仕事は、祭りのメインとなる大松明の奉納寄進者を募り、

その寄付集めに奔走することであり、祭礼半年前の春からその任務が始まります。

 

このような大変な苦労を伴い責任も重い世話人は、

近年では志願者の確保に苦労しています。

しかし、その重責を果たし終えた後の感激にはひとしおのものがあり、

祭礼2日目の神輿を納めた後、

随心門の前で世話人一同が男泣きする姿が今日でも見られます。

こうして世話人を務めた同期の仲間は固い絆で結ばれ一生涯の友となります。

また、「上吉田の男は世話人を務めて一人前」と言われ、

この地に生まれた男性であるならば、

一生に一度は世話人を務めるものとされています。

 

氏子と祭礼組織

 

浅間、諏訪両社の大例祭である吉田の火祭りは主宰こそ浅間神社ですが、

実際には氏子をはじめとする多種多様な立場の多数の人々によって

運営開催されています。

その中心となるのが上吉田地籍の自治会から構成される

北口本宮富士浅間神社の氏子です。

 

氏子総代は、上宿(町)、中宿(町)、下宿(町)、

中曽根の各町から2名の合計8名で、区内の選挙により選出され任期は3年です。

文化財としての「吉田の火祭保存会」は、この総代会の組織とイコールであり、

祭事全般におけるさまざまな運営の中心的な組織である

火祭実行委員会の進行運営会計を取り仕切ります。

 

この他の組織には神職、神楽を奉納する神楽講、氏子青年団、

地元消防団、神輿の担ぎ手である複数のセコ集団などがありますが、

吉田の火祭り特有の組織として、

上吉田地区内の御師から構成される北口御師団があります。

御師団は祭りの際、神職とともに白い祭服を着用して随行し、

外見上は神職と見分けがつきませんが、2基の神輿のうち、

先頭を行く明神神輿を担当するのが浅間神社の神職であるのに対して、

後方の御山神輿の神事を担当するのが北口御師団です。

 

火祭りにおける御師と講社

 

上吉田の御師は中世末期以降、

富士山と講社(富士講)を結ぶ役割を果たし、近世には86家、

明治初年には101家を数え、多くの講社を檀家に持っていました。

しかし太平洋戦中戦後の不況や、

1964年(昭和39年)に開通した富士スバルラインによって

登山経路が変化したことなどにより、宿泊者が減少し廃業した御師家は大野です。

 

2012年現在、北口御師団に加入している御師家は35家、

そのうち講社を受け入れ営業を続けている御師は、

筒屋、大国屋、上文屋、菊谷の4家です。

富士信仰の講社は、宿坊である御師に宿泊して浅間神社に参拝し、

富士山へ登拝し御師に縁のある山小屋に泊まり、

山頂で拝みを上げて下山するのが古くからの慣わしでした。

しかし今日では御師に宿泊せず休憩だけする講社が多いのです。

宿泊を伴う各講社は滞在中各種儀礼を行います。

 

【交通アクセス】

電車:富士急行線「富士山」駅下車、徒歩3分。

車 :中央自動車道「河口湖IC」から県道138号線経由で10分。

駐車場:無料約300台。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?



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