一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。
故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?
ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、
外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。
これを世の人は「奇祭」と呼びます。
奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。
これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」
「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、
奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。
よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り
(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、
ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、
開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。
これから数回に渡って奇祭を特集していきます。
その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、
祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。
特に言う必要はないと思いますが、
以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、
れっきとした郷土芸能であり、
日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。
今回は、千葉県のあらい祭りからです。
あらい祭り(大宮神社:千葉県山武郡芝山町)
毎年12月14日に千葉県山武郡柴山町の大宮神社において行われるあらい祭りは、
無病息災・火盗難除・五穀豊穣の祈願を目的として行われる
160年以上続くお祭りです。
あらい祭りの“あらい”は大根を宮司らに投げつけることから
“荒い”という意味ではないかといわれていますが、定かではありません。
当日の祭事は、“鍋かけず”といい、この日は各家の釜戸には火を焚かず、
当番の家に集まり、“神の食”を食べて祭事を祝います。
祭壇には、大根と蕪で造られた男女の神物が飾られ、
無病息災を祈って獅子舞が行われ、
獅子がその神物を新妻の食前に出し、子宝授恵、子孫繁栄を願います。
神社においては、1ヶ月前から男の子たちがカヤを集め、
竹でやぐらを組み、そのカヤを詰めて小屋を作ります。
合戦に見立てたもので、神社は城ということになります。
宮司らを正門から入れまいと小屋に火を放ち、
大根を宮司らに投げ、阻止し、元気に育っている照明としています。
地元では通称「大根祭り」とも呼ばれており、
この日に使う大根も子供たちが近所の畑から採り用意します。
その後、神前では七五三と、
昔の元服にあたる15歳になる子供たちの祝いの儀式が執り行われます。
山田地区にまつわる小話。
柴山町の山田地区の家や神社には門がありません。
あらい祭りが行われる大宮神社にも鳥居がありません。
江戸時代まではあったそうですが、
江戸後期、火事が相次ぎ、そのどれもが門のある家だったそうです。
それ以来、この辺りでは門を置かなくなったという話があります。
【交通アクセス】
電車:柴山鉄道「柴山千代田」駅から
柴山ふれあいバス松尾駅行き山田下車徒歩10分
悪態まつり(愛宕神社:茨城県笠間市)
市内旧岩間地区の愛宕神社裏にある飯綱神社で
毎年旧暦11月14日に開催されるお祭りです。
この愛宕山の山頂にある愛宕神社は、日本三大火防神社の一つといわれ、
創建が大同元年(806年)と伝えられています。
愛宕山には昔、天狗たちが住んだという伝説があり、
天狗にまつわる場所も多くあります。
その他、愛宕神社の裏には飯綱神社があり、
愛宕山に住んだ天狗を祀った「十三天狗のほこら」と呼ばれる
石のほこらもあります。
2012年は12月26日。
13人の氏子が白装束に烏帽子姿で天狗の格好をし、
13天狗の祠にお供え物をしてまわりますが、
そのとき沿道の見物客が天狗に悪態(悪口)を浴びせかけ、
天狗に邪魔されながらお供え物を奪い合う
(ちなみに、このお供え物を奪い取った人は、
幸せになれると言われている)という変わったお祭りで、
地元のHPでは、「日本三大奇祭の一つ」として紹介されています。
昔は真夜中から早朝にかけて行われていたそうですが、現在は昼間に行われ、
お互い顔が見える分気まずさも手伝ってか悪態もトーンダウンしたとも。
それにしても、これ、見物人として参加したいとは思うけれども、
間違っても天狗役にはなりたくない。
だって折角祭りの主役にまわっているのに、
どこの誰とも知らないアカの他人から(知っている人であればなおさらのこと)
「のこのこ歩いてんじゃねぇよ、この野郎!」みたいな罵声を浴びせられたら、
浮かばれないじゃないですか…。
【交通アクセス】
電車:JR常磐線「岩間」駅より車で4分、徒歩で30分。
車 :北関東自動車道「友部IC」より13分。
北関東自動車道「笠間西IC」より22分。
常磐自動車道「岩間IC」より13分
いかがでしたか。
祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。
長年にわたって受け継がれてきた祭りには、
理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。
たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?
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