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日本の100名城!~東北地方2~

2011年05月23日 | 国内旅行

日本100名城とは、財団法人日本城郭教会が2007年(平成19年)に迎える

設立40周年の記念事業の一環として、

2005年(平成17年)に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募したもので、

歴史や建築の専門家などにより、

観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、

復元の正確性などを基準に審査の上選定、

2006年(平成18年)2月13日に発表したものです。

 

ちなみに、認定は4月6日「城の日」に行われました。

 

今、巷でお城ブームが起こりつつあります。

そこで、今回から数回に渡って全国のお城をご紹介していきます。

 

今回は、

東北地方(4番~13番)の7番から9番までです。

 

7番 多賀城

 

多賀城

 

多賀城は、畿内の大和朝廷が蝦夷を制圧するため、

軍事的拠点として蝦夷との境界になっていた

松島丘陵の南東部分である塩釜丘陵上に設置しました。

 

創建は724年(神亀元年)、按察使大野東人が築城したとされています。

8世紀始めから10世紀半ばまで存続し、その間大きく4回の造営が行われました。

第1期は724~762年、第2期は762藤原恵美朝狩が改修してから

780年に伊治公砦麻呂の反乱で焼失するまで、

第3期は780年砦麻呂の乱による焼失の復興から869年の大地震による倒壊まで、

第4期は869年~10世紀半ばで震災の復興から廃絶までに分けられます。

 

多賀城創建以前は、郡山遺跡が陸奥国府であったと推定されています。

陸奥国府のほか、鎮守府が置かれ、政庁や寺院、

食料を貯蔵するための蔵などが置かれ、

城柵で囲み櫓で周囲を監視していたと考えられています。

多賀城が創建されると、国府が郡山遺跡から移され、

黒川以北十群(黒川・賀美・色麻・富田・玉造・志太・長岡・新田・小田・牡鹿)

に城柵・官衛とその付属寺院が設置・整備されました。

これらの設置・整備は律令制支配の強化を図るもので、

多賀城はそれらの拠点を後援する為の根拠地でした。

 

これにより当時の日本では、平城京を中心に南に太宰府、

北に鎮守府兼陸奥国府の多賀城をおくこととなりました。

 

多賀城政庁に隣接し、陸奥国内100社を合祀する「陸奥総社宮」を奉じる、

陸奥国一ノ宮鹽竈神社を精神的支柱として、

松島湾・千賀ノ浦(塩竈湊)を国府津としました。

都人憧憬の地となり、歌枕が数多く存在します。

政庁がある丘陵の麓には条坊制による都市が築かれ、

砂押川の河川交通と奥大道の陸上交通が交差する土地として長く栄えました。

 

建武新政期と南北朝時代初期、多賀城には陸奥将軍府がおかれました。

陸奥将軍府は多賀城の陥落後、将軍府の中心的武将、

伊達行朝の所領である伊達郡の霊山に移転しました。

 

[所在地]

宮城県多賀城市市川字城前

 

[交通アクセス]

鉄道:JR東北本線「国府多賀城」駅より政庁跡まで徒歩約10分。

駐車場(無料):

 東門跡北側に約15台分。

 政庁跡北東側に舗装約20台分。

 政庁跡南側の南北道路階段下に約20台分。

 多賀城南門跡および多賀城碑の近くに6台分。

最寄りのIC:

 三陸自動車道・利府塩釜IC、または三陸自動車道仙台東部道路・仙台港北IC

 

8番 仙台城

 

仙台城

 

仙台城は、現在の宮城県仙台市青葉区の青葉山にある平山城です。

雅称は「青葉城」、「五城楼」との別名もあります。

 

慶長年間に伊達政宗が築城してから、廃藩置県・廃城令までの約270年間に渡り

伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁でした。

 

伊達政宗が築城した仙台城は約2万坪で、

徳川家康の江戸城に次ぐ大きさを誇り、全国最大級の城でした。

 

幾度となく、地震などによる損害を受けながらも修復を繰り返し、

奥羽越列藩同盟盟主として戊辰戦争を経ましたが、

一度も戦火を見ることなく要塞としての機能を終え、

その後は明治初期から大正にかけてその大半が失われました。

 

数少ない遺構であった大手門、脇櫓、巽門は国宝に指定されていましたが、

太平洋戦争の時の仙台空襲により焼失しました。

現在では、宮城県知事公舍正門の建築に転用された寅の門の部材が残るのみです。

 

青葉山に位置することから、「青葉城」という雅称を持ち、

一般的にもその名で呼ばれることが多いようです。

これは仙台城ができてから生まれた地名で、

山と城のどちらが先に「青葉」の名を得たかは不明です。

青葉山は、仙台七崎の一つ「青葉ヶ崎」に由来するそうです。

 

[所在地]

宮城県仙台市青葉区川内1番地

 

[交通アクセス]

鉄道:JR東北本線・東北新幹線「仙台」駅下車。

   西口バスプール9番より仙台市営バス(動物公園循環)で約25分

   「仙台城跡南」下車、徒歩約5分。

   西口バスプール15番3より仙台市営バス(るーぶる仙台)で約20分

   「仙台城跡」下車、徒歩約3分。

本丸の有料駐車場:普通車150台、400円/時間、バイク100円/日

         (午後6時以降は夜間無料)

 

9番 久保田城

 

久保田城

 

久保田城は、羽後国(旧出羽国)秋田郡久保田にあった城です。

 

久保田藩主佐竹氏の居城だったところです。

葛根城とも呼ばれます。

江戸時代の公式文書では「秋田城」と書かれることが多かったようですが、

古代に出羽国府が置かれた秋田城とは所在地共に別の城であり、

今日では「久保田城」の方が一般的です。

 

雄物川の支流仁別川左岸、程野村窪田にある神明山に築かれた平山城で、

石垣は基底部に僅かにあるのみでその上に土塁を盛られており、

天守も持たず塁上に出し御書院と呼ばれる櫓座敷を建ててその代わりとし、

8棟の櫓を建て並べていました。

 

石垣がないのは幕府に遠慮したためともいわれますが、

佐竹氏の旧領常陸国を含む東国では

もともと石垣を用いない建築法が一般的であったため、

石垣作りに精通した者がいなかったともされています。

(但し、後に江戸城の修築を命じられた時、石垣の普請も担当しています)

いずれにせよ山川沼沢を巧みに利用した防御を図っており、

水堀や円郭式城郭など西国の様式も取り入れられています。

 

1880年の大火で城内の建造物はほぼ焼失しており、

市街再建の過程で堀の多くも埋め立てられ官庁街へと変貌しました。

現在、久保田城のあった一帯は千秋公園となり、

秋田県民会館や秋田市立中央図書館明徳館、

平野政吉美術館などが整備されています。

建造物としては、前述の大火を唯一逃れた御物頭御番所が現存し、

本丸新兵具隅櫓、本丸表門が再建されています。

 

[所在地]

秋田県秋田市千秋公園1−39

 

[交通アクセス]

鉄道:JR奥羽本線・秋田新幹線「秋田」駅から徒歩約10分。

 

これから暖かくなって出かける機会も多くなります。

そんな時、目的を持って出かけられることは大いなる楽しみになります。

全国に散在する名城旧跡を訪ねてみるのも一興かと思います。

 

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現代の私たちは複雑で多様化し過ぎた情報に翻弄され、

本当に必要なことや大切なことを見失いがちです。

 

健全な生活を送るにしてもあまりにも誤った情報が飛び交っています。

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日本の100名城!~東北地方1~

2011年05月02日 | 国内旅行

 

日本100名城とは、財団法人日本城郭教会が2007年(平成19年)に迎える

設立40周年の記念事業の一環として、

2005年(平成17年)に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募したもので、

歴史や建築の専門家などにより、

観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、

復元の正確性などを基準に審査の上選定、

2006年(平成18年)2月13日に発表したものです。

 

ちなみに、認定は4月6日「城の日」に行われました。

 

今、巷でお城ブームが起こりつつあります。

そこで、今回から数回に渡って全国のお城をご紹介していきます。

 

今回は、

東北地方(4番~13番)の4番から6番までです。

 

4番 弘前城

 

弘前城

 

弘前城(ひろさきじょう)は青森県弘前市にあった城です。

別名・鷹岡城、高岡城。

江戸時代に建造された天守や櫓などが現存し、

また城跡は国の史跡に指定されています。

 

江戸時代には津軽藩津軽氏47000石の居城として、

津軽地方の政治経済の中心地となりました。

 

城は津軽平野に位置し、城郭は本丸、二の丸、三の丸、四の丸、

北の郭、西の郭の6郭から構成された梯郭式平山城でした。

 

創建当初の規模は東西612メートル、南北947メートル、

総面積385200平方メートルに及びました。

 

現在は、堀、石垣、土塁等城郭の全容がほぼ廃城時の原形をとどめ、

1棟の天守、3棟の櫓、5棟の櫓門が現存しています。

 

天守は日本に12カ所残されている現存天守の1つであり、

国の重要文化財に指定されています。

 

5番 根城

 

根城

 

根城(ねじょう)は、八戸市街地の西端にあり

馬淵川南岸の河岸段丘上にあります。

本丸.中舘・東善寺・岡前舘・沢里舘の5つの館(曲輪)が連なる

連郭式の平山城です。

 

現在、館跡の礎石、曲輪、空堀、土塁が遺構として認められます。

本丸には主殿・中馬屋・工房・鍛治工房・板倉・納屋・東門が復元されています。

 

[所在地]

青森県八戸市根城字根城47

 

[交通アクセス]

・JR東北本線・東北新幹線「八戸」駅から南部バス「司法センター経由」で

 約15分「博物館前」下車、徒歩約5分で本丸跡。

 

6番 盛岡城

 

盛岡城

 

盛岡城は盛岡藩南部氏の居城だったところです。

西部を流れる北上川と南東部を流れる中津川の合流地、

現在の盛岡市中心部にあった花崗岩丘陵に築城された連郭式平山城です。

 

本丸の北側に二の丸が配され、本丸と二の丸の間は空堀で仕切られ、

現在は朱塗りの橋が架かっていますが、

存城当時は廊下橋(屋根のかかった橋)が架けられていました。

 

さらにその北側に三の丸が配され、本丸を囲むように腰曲輪、淡路丸、

榊山曲輪が配されました。

本丸には天守台が築かれましたが、幕府への遠慮から天守は築かれず、

天守台には御三階櫓が建造され代用とされました。

後の1842年に12代利済により天守へと改称されました。

 

白い花崗岩で組まれた石垣は、

土塁の多い東北地方の城郭の中では異彩を放っています。

建造物は明治初頭に解体され、現存するものは少なく、城内に移築された土蔵と、

市内の報恩禅寺に移築されたとされる門が残っています。

なお、移築門については城門であった確証は得られていません。

また、清水寺にいずれかの門か定かではないが城門が、

木津屋本店奥土蔵、岩手川に土蔵が再移築され現存しています。

また、徳清倉庫に二の丸にあった勘定奉行所の一部が移築されています。

 

現在の盛岡城址は「岩手公園」として整備され、

当地出身の宮沢賢治の詩碑や石川啄木の

“不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心”

と刻まれた歌碑などが公園内にあります。

 

[所在地]

岩手県盛岡市内丸

 

[交通アクセス]

・JR東北本線・東北新幹線「盛岡」駅から

 盛岡都心循環バス「でんでんむし」左回りで約10分

 「盛岡城跡公園」下車、徒歩すぐ。

 

これから暖かくなって出かける機会も多くなります。

そんな時、目的を持って出かけられることは大いなる楽しみになります。

全国に散在する名城旧跡を訪ねてみるのも一興かと思います。

 

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