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日本の奇祭23「水止舞・防府天満宮御神幸祭」

2014年05月19日 | 日本の奇祭

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、東京都の水止舞と山口県の防府天満宮御神幸祭です。

 

水止舞(厳正寺:東京都大田区池上大森)

 

水止舞は、毎年7月14日に東京都大田区池上大森東の厳正寺で行われます。

 

 

厳正寺縁起によれば、水止舞は今から680年ほど前、

醍醐天皇の頃の住職・第二世法密上人が行った

長雨止めの祈祷に由来すると伝えられています。

午後1時スタートの「道行き」(竜神の練り行列)から始まり、

境内に設けられた舞台で6種類の舞が演じられます。

 

後醍醐天皇の頃の元了元年(1321)法密上人54歳の頃、

武蔵の国が大旱魃に見舞われました。

郷民は徳の高い法密上人に救ってもらおうと、そろって祈祷を願い出ました。

 

法密上人は雨乞いは他の高僧に及ばぬことと再三辞退しましたが、

たっての願いにより稲荷明神の像を彫り、社を建て藁で龍神の形を造り、

七日間祈祷して見事に雨を降らせました。

 

しかし二年後の元了3年(1323)には、雨が数十日間降り続き、

田畠が流出して他国へ逃れる人が多くなりました。

これは上人の雨乞いの禍と当時の恩を忘れ法密上人を恨む者まで出てきました。

そこで上人は憐れに思い農民を集め再び神仏に祈祷することを告げ、

龍の三頭を彫り水止と呼び佛前に浄土三部経を誦し、

郷民に水止の龍像を冠らせて舞わせ、

笛太鼓をたたかせほら貝を吹かせて天に向かって踊らせました。

すると黒雲は消え太陽は姿を現し、人々限りなく上人の高徳をたたえ喜びました。

 

これより郷民は、願いを聞き入れて下さった仏様への

感謝と喜びの舞を奉納する慣わしとなり、今日の水止舞に至っています。

 

 

「道行き」龍神の練り行列

 

午後1時に150mほど離れた大森東中学校校門前をスタートします。

列の先頭は荒縄をとぐろを巻いた龍に見立てた中にほら貝を持った若者で、

これが龍神で数メートルずつ運ばれ、そのつど水がかけられほら貝を吹きます。

牡牝2匹の龍神が、お練りの道明けをします。

 

その後を竹筒を持ち扇をかざした警固役の子供たちが続きます。

次に笛師連、そして花笠をかぶった花籠が

2人がササラを打ち鳴らしながら続きます。

列の最後は舞の主役である3匹の獅子が続きます。

 

境内に着くと嫌がる龍神を無理矢理舞台に担ぎ上げます。

担ぎ上げられた龍神のとぐろが、

解かれて舞台の周囲に巡らされ水止舞が始まります。

 

ちなみに、地元ではこの日は必ず雨が止むことから「照り水止」と呼ぶようです。

昭和38年に東京都の無形民俗文化財に指定されています。

 

【交通アクセス】

電車:京浜急行本線「大森町」駅より徒歩10分

 

防府天満宮御神幸祭(裸坊祭)(防府天満宮:山口県防府市松崎町)

 

今回で1009回目を迎える、

毎年11月の第4土曜日に行われる防府天満宮御神幸祭「裸坊祭」は、

日本三天神の一つ、防府天満宮の大祭として、

また西日本屈指の荒祭りとしても有名で、道真公が太宰府に下る途中、

当地へ立ち寄った際の送迎の古式を伝えたものです。

 

 

午後6時、拝殿正面の扉が開かれるや、数百人の裸坊が一斎に拝殿になだれ込み、

「兄弟ワッショイ」の掛け声に加え人いきれと体温で殿内は熱気を帯びてきます。

先頭神輿、第二神輿と次々に担ぎ出される神輿を

千人ばかりの裸坊が取り囲みます。

 

 

次いで地響きを立てながら御網代輿が拝殿の階段を下り、

参拝者の見守る中、楼門を経て58段の大階段を滑り降ります。

喚声と怒号、約5000人の裸坊が乱舞する様は壮絶の一語に尽きます。

裸坊は何とかして御網代輿に触れようとします。

古くから御網代輿に触れれば諸願が叶うと信じられてきたからです。

 

 

大階段を無地に降りた御網代輿は金鳥居前で台車に仕立てられ、

御神幸の行列に加わります。

警固町を経て天満宮より約2.5㎞離れた勝間浦の御旅所(浜殿)に到着します。

 

 

浜殿神事の後延喜の昔、

菅公送迎の故事にならって浜殿奉行の手により一夜御酒による接待が行われます。

神事終了後行列は再び車塚町から天神町を経て午後9時過ぎに還幸になります。

参詣者は境内に溢れ、2日間で約15万人の参詣者で街中は混雑を極めます。

 

 

御神幸を終えた御網代は回廊に奉安されます。

参拝者がこの御網代の下をくぐると、

天神様のご加護がいただけると言われています。

「御網代くぐり」は翌日の20時まで可能です。

また、御神幸当日の13時半からは、

「女神輿」がカリヨン通りからスタートして、祭りに華を添えます。

 

【交通アクセス】

電車:JR山陽本線「防府」駅から徒歩15分。

車 :山陽自動車道「防府東IC」または「防府西IC」より約10分。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?


日本の奇祭22「鞍馬の火祭り」

2014年05月08日 | 日本の奇祭

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、京都府の鞍馬の火祭です。

 

鞍馬の火祭(由岐神社:京都市左京区)

 

鞍馬の火祭は、京都府京都市左京区鞍馬にある由岐神社の例祭の一つです。

集落各所に焚かれたかがり火の中を、

氏子が松明を持って練り歩いて神社山門を目指します。

京都三大奇祭の一つに数えられています。

 

 

[概要]

 

940年、平安京の内裏に祀られている由岐明神を都の北方の守護として、

また当時頻発した大地震や争いなど相次ぐ世情不安を鎮めるために、

朱雀天皇の案により鞍馬に遷されました。

この時、鴨川に生えていた葦をかがり火として道々に点灯したほか、

遷宮の行列は1㎞にも及んだといいます。

これに感激した鞍馬の住民がその出来事と

由岐明神の霊験を伝えるために始まったものが起源といわれています。

なお、祭事は毎年10月22日(時代祭と同日)の夜に行われます。

 

18時より、「神事にまいらっしゃれ」という神事触れの合図により

集落の各戸に積まれた松明に点火されます。

初めは主に子どもが小さな松明を、

その後は青年など大人が比較的大きな松明を持って

「サイレイヤ、サイリョウ」(祭礼や、祭礼の意)の掛け声とともに

集落内を練り歩き、「仲間」と呼ばれる御旅所へ向かいます。

 

 

20時頃より、各仲間からの大松明が鞍馬寺山門前に向かいます。

各松明は山門前にひしめき合い、その後石段下の1ヶ所に焼き捨てられます。

 

 

石段奥の注連縄が切られて、八所大明神、

由岐大明神の順序で神社から神輿が下ります。

参道が急なため、スピードが出過ぎないように女性が綱を牽きます。

(この綱を牽くと安産になると伝えられ、若い女性が多く参加しています)

 

神輿が降りる際、ふんどし姿の青年が担ぎ棒にぶら下がるが、

これを「チョッペン」といいます。

これは元服の儀式であり、

鞍馬の青年にとっては一生に一度となる成人の儀式です。

 

神輿が集落内を練り歩き、御旅所に安置されます。

神楽と奉納のあと、神楽松明が境内を回ります(24時頃終了)。

翌2時頃、神輿が御旅所から神社に戻る「還幸祭」が行われ、

祭事のすべてが終了します。

 

鞍馬集落が狹隘なため、収容できる人数は物理的に限られています。

また、集落内は立ち止まって見学することが難しい場所もあり、

特に鞍馬寺山門前は見学者が立ち止まることを禁止されるため、

神輿が下るシーンなどをよく見える場所で見学することは難しいようです。

(一部の氏子関係者や、集落内の民家で見学する際はこの限りではありません)

 

当日は雑踏警備の一環として、

鞍馬寺山門周辺の道路は歩行者一方通行規制が敷かれます。

鞍馬駅より山門前(石段下)を経由し鞍馬温泉方面へ向かう途中から道路を外れ、

沿道の民家の裏側を流れる川の対岸へ渡った後

南へ下って鞍馬駅の南方に合流します。

 

午後3時から翌日午前2時までは交通規制のため、

貴船口から鞍馬温泉を経て百井別れまでの区間では

一般車両(自転車含む)の通行が全面的に禁止となります。

なお、駐輪場が貴船口(鞍馬小学校付近)に開設されます。

 

当日の午後より、鞍馬へ向かう交通機関は叡電鞍馬線のみとなりますが、

この路線は2両編成の山岳路線のため輸送力に限りがあり、

増発はされるものの当日夕方の鞍馬行きは乗車するまでに

出町柳駅などでかなりの待ち時間が発生します(夜間の復路の乗車も同じです)。

なお、鞍馬集落内に収容できる人数を超えた時点で、

鞍馬行きの乗車券の販売は中止となります。

 

太鼓、松明、御輿など祭りに関するすべての物は神が宿ると考えられているので、

関係者以外は一切触れることはできません。

 

【交通アクセス】

電車:出町柳より叡山電鉄鞍馬線「鞍馬」駅下車、徒歩約6分。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?