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日本の奇祭32「どんつく祭・酔笑人神事・大矢田ひんここ祭り」

2014年10月06日 | 国内旅行

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、静岡県のどんつく祭と愛知県の酔笑人神事、

岐阜県の大矢田ひんここ祭りです。

 

どんつく祭(どんつく神社:静岡県賀茂郡東伊豆町稲取)

 

伊豆の国(静岡県)東伊豆町稲取は、

伊豆半島先端部に近い東海岸にある港と温泉の町です。

この稲取には奇祭と呼ばれるどんつく祭があります。

伝承によると、二千年前の「弥生時代中期から伝わる」といわれる

「どんつく祭」は稲取の高台にあるどんつく神社の大祭典です。

 

 どんつく祭り

 

どんつく祭は、夫婦和合、子孫繁栄、無病息災を神に祈願するもので、

神社に奉納された大きな陽物(男性のシンボル)を模したご神体を

「陰の神社」に和合するまでの催しです。

 

神社に奉納された賜物を模したご神体(男性のシンボル)が

「陰の神社」に「ドン!」とついて和合するまでの催しが行われる明らかに

原,陰陽道(妙見信仰)にその源を見る陰陽呪詛の奇祭です。

 

 

奇祭「どんつく祭」の地、伊豆の国東伊豆町稲取は、

古くは河津庄稲取郷と呼ばれていたらしく、

1444年(文安元年)の上野国(上州の吾妻神社の懸仏にその名が

「伊豆国・河津庄稲取郷来堂別当」と見え、

少なくともその時代に稲取郷として存在していたのです。

この「稲取」という地名が、

事代主神信仰の稲作文化そのものである事に着目すれば、

伊豆の国(伊都国)に相応しい地名ではないでしょうか。

 

【交通アクセス】

電車:伊豆急行「伊豆稲取」駅下車、徒歩25分。

車 :西湘バイパス「石橋IC」から国道135・136号を経由して約90分。

 

酔笑人神事(オホホ祭り)(熱田神宮:愛知県名古屋市熱田区神宮)

 

古より決して見てはならないという神の面を神官が袖に隠し持ち、

真っ暗闇の中、笛の音に合わせて一同が

「オホホ、オホホ」「ワーッ、ハッ、ハッ、ハ~」と笑う祭りがあります。

「酔笑人神事」通称「オホホ祭り」と呼ばれています。

 

オホホ祭りは、毎年5月4日に愛知県名古屋市の熱田神宮で行われます。

熱田神宮といえば三種の神器(鏡、剣、勾玉)のうち

「草薙の剣」を祀っている格式の高い神社です。

毎月のように祭事が行われていますが、

オホホ祭りは中でもかなり奇妙で珍しい神事なのです。

 

 

神官が暗闇の境内に集まって装束の中に隠し持っている、

決して見てはならないという神の面を扇で叩いては

「オホホ、オホホ」と笑うというなんとも奇妙なお祭りです。

 

 

ご神体の草薙の剣が熱田神宮に返還されたことを、

喜びを込めて高笑いしたという故事を今に伝えるお祭りで、

境内の全ての灯りを消し影向間社、神楽殿前、別宮前、清雪門前の四ヶ所で、

悦びを込めて高笑いする珍しい神事ということです。

 

 

午後7時頃、境内の灯りを完全に消した後に数人の神官が集まり輪を作ります。

そしてまず、一人がしゃがみ込み、お面を叩きながら笑うと、

笛が吹かれて全員が高笑いしだします。

これを4ヶ所で繰り返し祭りは終了します。

 

 

【交通アクセス】

電 車:JR東海道本線「熱田」駅下車、徒歩約8分。

地下鉄:市営地下鉄名城線「神宮西」駅または「伝馬町」駅下車、徒歩約7分。

 

大矢田ひんここ祭り(大矢田神社:岐阜県美濃市大矢田)

 

大矢田ひんここ祭りは、

大矢田神社の祭礼日(4月の第2土曜日の翌日の日曜日)と

秋の紅葉期間中(11月23日)に演じられるもので、

約500年前の室町時代から伝えられています。

平成11年に国選択無形民俗文化財に指定されました。

 

 

大矢田ひんここ祭りは、

農民が麦まきをしているところへ大蛇が現れ、

農民に次々襲いかかって飲み倒している所へ、

須佐之男命が現れて大蛇を退治するという物語を演じるもので、

五穀豊穣を祈願する素朴な人形劇です。

 

 

ひんこことは、定説は不明ですが、

お囃子が「ヒンココ、チャイココ、チャイチャイ、ホーイ」と

聞えるところからと言われています。

 

【交通アクセス】

電車:長良川鉄道「美濃市」駅下車、岐阜バス美濃線にて「中濃庁舎」下車、

   岐阜バス高美線に乗り換えて「大矢田神社前」もしくは「大矢田」下車、

   徒歩30分。

バス:JR岐阜駅12番バス乗り場から岐阜バス高美線で

   「大矢田神社前」もしくは「大矢田」下車、徒歩30分。

車 :東海北陸自動車道美濃インターから西へ約15分。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?


日本の奇祭18「あらい祭り・悪態まつり」

2014年03月10日 | 国内旅行

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、千葉県のあらい祭りからです。

 

あらい祭り(大宮神社:千葉県山武郡芝山町)

 

毎年12月14日に千葉県山武郡柴山町の大宮神社において行われるあらい祭りは、

無病息災・火盗難除・五穀豊穣の祈願を目的として行われる

160年以上続くお祭りです。

あらい祭りの“あらい”は大根を宮司らに投げつけることから

“荒い”という意味ではないかといわれていますが、定かではありません。

 

 

当日の祭事は、“鍋かけず”といい、この日は各家の釜戸には火を焚かず、

当番の家に集まり、“神の食”を食べて祭事を祝います。

祭壇には、大根と蕪で造られた男女の神物が飾られ、

無病息災を祈って獅子舞が行われ、

獅子がその神物を新妻の食前に出し、子宝授恵、子孫繁栄を願います。

 

 

神社においては、1ヶ月前から男の子たちがカヤを集め、

竹でやぐらを組み、そのカヤを詰めて小屋を作ります。

合戦に見立てたもので、神社は城ということになります。

宮司らを正門から入れまいと小屋に火を放ち、

大根を宮司らに投げ、阻止し、元気に育っている照明としています。

地元では通称「大根祭り」とも呼ばれており、

この日に使う大根も子供たちが近所の畑から採り用意します。

 

 

その後、神前では七五三と、

昔の元服にあたる15歳になる子供たちの祝いの儀式が執り行われます。

 

 

山田地区にまつわる小話。

柴山町の山田地区の家や神社には門がありません。

あらい祭りが行われる大宮神社にも鳥居がありません。

江戸時代まではあったそうですが、

江戸後期、火事が相次ぎ、そのどれもが門のある家だったそうです。

それ以来、この辺りでは門を置かなくなったという話があります。

 

【交通アクセス】

電車:柴山鉄道「柴山千代田」駅から

   柴山ふれあいバス松尾駅行き山田下車徒歩10分

 

悪態まつり(愛宕神社:茨城県笠間市)

 

市内旧岩間地区の愛宕神社裏にある飯綱神社で

毎年旧暦11月14日に開催されるお祭りです。

 

この愛宕山の山頂にある愛宕神社は、日本三大火防神社の一つといわれ、

創建が大同元年(806年)と伝えられています。

愛宕山には昔、天狗たちが住んだという伝説があり、

天狗にまつわる場所も多くあります。

その他、愛宕神社の裏には飯綱神社があり、

愛宕山に住んだ天狗を祀った「十三天狗のほこら」と呼ばれる

石のほこらもあります。

 

2012年は12月26日。

13人の氏子が白装束に烏帽子姿で天狗の格好をし、

13天狗の祠にお供え物をしてまわりますが、

そのとき沿道の見物客が天狗に悪態(悪口)を浴びせかけ、

天狗に邪魔されながらお供え物を奪い合う

(ちなみに、このお供え物を奪い取った人は、

幸せになれると言われている)という変わったお祭りで、

地元のHPでは、「日本三大奇祭の一つ」として紹介されています。

 

 

昔は真夜中から早朝にかけて行われていたそうですが、現在は昼間に行われ、

お互い顔が見える分気まずさも手伝ってか悪態もトーンダウンしたとも。

それにしても、これ、見物人として参加したいとは思うけれども、

間違っても天狗役にはなりたくない。

 

 

だって折角祭りの主役にまわっているのに、

どこの誰とも知らないアカの他人から(知っている人であればなおさらのこと)

「のこのこ歩いてんじゃねぇよ、この野郎!」みたいな罵声を浴びせられたら、

浮かばれないじゃないですか…。

 

【交通アクセス】

電車:JR常磐線「岩間」駅より車で4分、徒歩で30分。

車 :北関東自動車道「友部IC」より13分。

   北関東自動車道「笠間西IC」より22分。

   常磐自動車道「岩間IC」より13分

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?


日本の奇祭17「姫の宮祭り・数方庭祭」

2014年02月24日 | 国内旅行

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

姫の宮祭り(大縣神社:愛知県犬山市字宮山三番地)

 

3月15日より前の日曜日に、愛知県犬山市の大縣神社で毎年開かれる豊年祭です。

別名、「おそそめつり」「姫の宮祭り」「まんこ祭り」と呼ばれています。

 

この大縣神社は尾張国の二之宮であると位置づけられていますが、

ご神体は拝殿のさらに奥にひっそりと陰になって

佇んでいる姫石と呼ばれているものです。

 

 

最寄駅は名鉄小牧線の楽田駅です。

駅前には「奉納 姫の宮 豊年祭」と書かれた

おたふく顔のイラストが描かれている幟旗がはためいています。

 

 

ご神体が姫石であることからもわかるように、ここは「女性器崇拝」の神社で、

「子宝・安産」の神様として信仰の厚いところです。

あたふくの口の形はまさに女性器を表現しているようです。

 

午後1時に式内諸鑵神社を出発した行列はやく時間後に大縣神社に到着します。

猿田彦を先頭に白いかぶり物をした女性の一団、

これは女性器を表現しているらしい、そして神官。

 

 

そして、少し遅れて御輿がやってきます。

 

 

境内では尾張太鼓を打ち鳴らし、神殿で豊年祭の神事が行われます。

 

 

お供えしてある鏡餅はとても巨大でちょっと艶かしい姿をしています。

 

 

【交通アクセス】

電車:名鉄小牧線「楽田」駅下車、徒歩約15分。

車 :愛知県道177号線大縣神社線

 

数方庭祭(忌宮神社:山口県下関市長府宮の内町)

 

数方庭祭は、山口県下関市長府宮の内町にある忌宮神社境内で行われる

山口県無形民俗文化財にも指定されているお祭りです。

 

第14代仲哀天皇の頃、この地に豊浦宮が置かれましたが、

九州の熊襲を扇動して新羅の塵輪が攻め寄せてきました。

大変な苦戦をさせられましたが、最後に仲哀天皇自ら弓を引き、

敵の大将塵輪を打ち倒したため、敵軍が退散し、

人々は矛をかざして旗を振って歓喜のあまり踊り回ったといわれています。

これが数方庭の由来とされています。

 

また、塵輪の首を切ってその場に埋め、

大きな石で覆いましたが、塵輪の顔が鬼のようであったことから、

その石を「鬼石」と呼ぶようになりました。

数方庭もこの「鬼石」を中心に行われます。

 

【祭りの順序】

 

期間中は毎夜7時より本殿祭があり、

7時半より9時半頃まで数方庭の神事が行われます。

先ず、幟や切籠や太鼓・鉦などを奉仕する人々が正面鳥居に集合し、

神職の清祓いの先導に続いて太鼓神職の笛に合わせて石段を上り、

「鬼石」を右回りに一周し太鼓を鬼石に据えます。

 

最初にドンと太鼓が鳴り、一同ワーっと気勢を上げます。

これを2、3回繰り返し、次第に締太鼓・鉦が加わり、

切籠、幼幟、中幟、大幟の順に鬼石を回ります。

 

チャンコホイホイドンパッパッのリズムも軽やかに、

始めは優雅に次第に勇壮に、「旗ささげ我も踊らん若ければ 

神の御庭に昔しのびて」という歌にあるように、老若男女が心を弾ませ、

天下の奇祭・数方庭は興奮のるつぼの中に没入していくのです。

 

 

【勇壮な幟】

 

江戸時代までの数方庭は、その由緒に基づき、

矛や剣、薙刀などを持って「鬼石」の周りを踊り回るものでしたが、

長府藩三代藩主の毛利綱元公の時(元禄の頃)に、

太平の世の中に武器は相応しくないということで、

現在のように竹を持って回るよう改められました。

しかし、何十本もの幟竹が林立して「鬼石」を回る様は、勇壮そのものです。

 

【数方庭の信仰】

 

数方庭の数宝庭とも書いて子宝を意味し、男の子が生まれたら大幟である大矢を、

女の子であれば雅な七夕飾りで彩った切籠を出していました。

今でも無病息災、大願成就をはじめ

家業や企業の繁栄などを祈る信仰にささえられ、期間中三度はお参りし、

神社の除災招福の小さな御幣を受け、頭にかざして帰るならわしがあります。

 

【数方庭の呼び名】

 

数方庭はスホーテイ、スホーデン、スッポウデイなどとも呼ばれ、

数法庭、数宝庭、数方勢、数波不天似などの当て字が見えますが、

語源はまだ明らかになっていません。

朝鮮半島のソッテイ、スサルテイなどと酷似しており、

渡来した民俗行事と七夕行事などとの融合説もあります。

 

【数方庭太鼓の響き】

 

数方庭の幟は太鼓・締め太鼓・鉦の音に合わせて「鬼石」の周りを回りますが、

太鼓の練習は数方庭の20日前から始まります。

毎夕境内から聞えてくる独特の数方庭太鼓の音に、

長府の人々は数方庭が近づいたという気分にさせられます。

 

【交通アクセス】

電車:JR山陽本線「長府」駅からバスで「城下町長府」バス停下車、徒歩5分

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?


日本の奇祭16「知内おっぱい祭り・お札まき・豊年祭」

2014年02月10日 | 国内旅行

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

まずは、北海道知内町の知内おっぱい祭りからです。

 

知内おっぱい祭り(北海道上磯郡知内町知内川河川敷特設会場)

 

毎年8月14~15日に行われる、本町の乳神伝説を題材にした祭りです。

 

 

この乳神伝説とは、了徳院重一が亡くなった数年後の1262(弘長2)年、

妻の玉之江は病床に伏していました。

玉之江は家族を呼び、

「私が亡くなったら知内の一番見晴らしのいいところに埋めてください。

乳不足の母親にお乳を授けてあげたいのです」と遺言し

亡くなったと言われています。

 

家族は元町の小高い丘に玉之江を葬り、そこに一本の杉の木を植えました。

その木にはいつの頃からか女性の乳房に似た二つの瘤が見られるようになり、

そばにお堂を建て、姥杉社と名付けました。

 

 

この了徳院重一の妻玉之江を祀ると伝えられる樹齢700年あまりの杉の木で、

知内公園内にあり、古くから乳不足の婦人が洗米を献じて授乳祈願した後、

その米を持ち帰り粥にして食べると必ず乳が出るようになったことから

「乳母杉」「乳神さま」といわれるようになりました。

 

知内おっぱい祭りはこの故事にちなんで行われ、女性によるおっぱいみこし、

おっぱいねぶたの運行を始め知内ソーラン踊りや千人切りなどがあります。

 

【交通アクセス】

電車:JR海峡線・江差線「木古内」駅よりバス

 

お札まき(神奈川県横浜市戸塚区戸塚町)

 

横浜市戸塚区戸塚町で毎年夏に行われるお札まきというお祭り。

 

 

10人くらいの男性が顔におしろいをつけ派手な着物をまとい、

その女装姿で円になって踊ります。

かつらをかぶった人を中心に音頭を取ります。

 

そしてこの後に行われるのがメイン行事のお札まき。

真ん中にいた男性が色とりどりのお札をうちわで扇いでまくのですが、

これを取ることができると1年間神様が守ってくれるのだそうです。

 

移動してはまき移動してはまきを繰り返し、夜8時くらいまでお祭りは続きます。

観客も気軽に参加できるます。

 

【交通アクセス】

バス:JR東日本「戸塚」駅戸塚バスセンターから、

   「大船駅西口」「金井高校前」「ヒルズ南戸塚」「立場ターミナル」行きで

   JR東日本「藤沢」駅から「ドリームランド行き」で、

   「日立入口」下車、徒歩1分。

徒歩:戸塚駅から徒歩約10分。

 

豊年祭(田縣神社:愛知県小牧市)

 

小牧市にある田縣神社では毎年3月15日に豊年祭というお祭りを行います。

とある筋ではとても有名らしくて世界各地から人々が集まります。

田縣神社のご神体は長さ2mあまり、直径60㎝くらいの檜でできた男根です。

 

 

大男茎型といいますが豊年祭とは毎年これを作って、

それを厄男たちが御輿に担いで奉納し五穀豊穣と万物育成、

子孫繁栄を祈るのだそうです。

 

御輿は田縣神社から少し離れた熊野社から田縣神社までを練り歩きます。

1時になって御輿が出発し、

田縣神社までの500mくらいの距離を2時間半かけて練り歩きます。

 

 

御輿の後には小型のご神体を持った男性が女性客に触らせます。

巫女も白木のご神体を抱いて行列に参加します。

最後に境内で餅まきが行われ祭りは終了となります。

 

【交通アクセス】

電車:名鉄小牧線「田縣神社前」下車、南西方向へ200m、徒歩約5分。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?


日本の奇祭15「吉田の火祭り8」

2014年01月27日 | 国内旅行

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、山梨県富士吉田市の吉田の火祭りの第8回目です。

 

吉田の火祭り(北口本宮冨士浅間神社:山梨県富士吉田市)

 

松明の消化

 

夜も更けて午後9時頃になると、松明はかなり燃え尽きて崩れています。

大松明はおよそ4時間以上燃え続けるといわれていますが

、今日では午後10時15分頃、一斉に消化命令が出され、

神社側で用意した重機やトラックを使って、

その日のうちに火の後片付けが行われます。

燃え残った松明の残骸を崩し、放水を行って完全に消化し、

灰はスコップなどでかき集めてトラックで運び出します。

最後の仕上げに路上に水を撒いて、完全に流し終わると作業終了となります。

これら後片付け作業はは消防団員によって行われ、

午後11時までに完了し、午後11時30分には交通規制が解除されます。

 

すすき祭り(27日)

 

火祭りの2日目、浅間神社へ還幸する2台の神輿を、

参詣者らがススキの玉串を持って、ついて行き、

境内の高天原をぐるぐると回ります。これをすすき祭りと呼んでいます。

 

御旅所発輿祭と金鳥居祭

 

金鳥居

 

吉田の火祭り2日目の祭礼は、

午後2時前頃から御旅所内で行われる御旅所発輿祭から始まります。

これは2台の神輿を上吉田の氏子地域での巡行に向かうための神事です。

 

出席者一同は2台の神輿の前に整列し、雅楽の奏でられる中、

神職によるお祓い、献饌、玉串奉献など一連の神事の後、

世話人がセコたちに神輿担ぎ出しの掛け声をかけ出発となります。

2台の神輿は御旅所より下手にあたる、

主に上吉田の北側の氏子地域を巡回していきますが、

休憩を挟みながら同じ場所を行ったり来たり、複雑な経路を巡行していきます。

 

やがて午後3時30分頃から始まる金鳥居祭での神事のため、

2台の神輿は金鳥居の下に集結します。

明神神輿は金鳥居北側の山梨中央銀行前の道路上中央、

御山神輿はやや北側の金鳥居交差点の中央に安置され、

明神神輿のみ四方に忌竹が設置され注連縄で囲まれます。

神職らによる一連の神事が執り行われると再び神輿の出発となります。

 

御鞍石祭・神輿の還幸

 

金鳥居での神事を終えた2台の神輿は、

再び2手に分かれて上吉田地区氏子地区内を

複雑な経路でそれぞれ巡行していきます。

御旅所を再び経由し、浅間諏訪の両社を目指して坂を登っていきます。

途中、前日と同様に西念寺僧侶による神輿送りを受けながら、

御鞍石の聖地を目指します。

御鞍石とは諏訪神社の旧鎮座地といわれる聖地で、

諏訪神社南方の森の中に馬の鞍の形をした巨石があり、

その上に神輿を安置して神事を行います。

 

午後6時30分頃、神輿行列は御鞍石に到着し、

明神神輿は御鞍石の上に東向きに安置され、

御山神輿はそのかたわらの地上に南向きに置かれます。

御鞍石と明神神輿の周囲は4本の忌竹で囲われ注連縄が張られます。

宮司の手で祝詞が読み上げられると、

いよいよ浅間神社境内への最後の下向となります。

 

高天原・着輿祭

 

揃いの法被姿の世話人

 

日が暮れてすっかり暗くなった浅間神社境内では、

2台の神輿を迎え待つ多くの参詣者らで埋め尽くされていて、

参詣者らは手にススキで作った玉串を持っています。

 

午後7時過ぎ、最初の明神神輿が浅間神社の境内に戻ってくると、

待ち構えていた参詣者らは一斉に神輿の背後について、

手に持ったススキの玉串を高く掲げ、遅れて到着した御山神輿も合流し、

高天原の周囲を2台の神輿と参詣者らは合計7周回ります。

参詣者は浴衣姿の女性が多く、

これは婦人が神輿を担いではならないというしきたりがあるためで、

神輿を担げないなら、その代わりにせめて神輿の還幸時に

背後について行列に加わりたいという思いによるものであるといいます。

 

2台の神輿は高天原の周囲を7周回ると、

高天原の中央部に安置され、高天原神事が行われます。

御山神輿は再び地上に3回ドスンドスンと景気よく落とされます。

世話人14人は叫びながら駆け出し、セコらは明神神輿、

御山神輿をそれぞれ諏訪神社拝殿下まで運び安置すると、

セコらは一斉に神輿から離れ、神職らによる御霊移しの儀式が始まります。

境内の照明はすべて消灯され、闇の中で御絹垣によって神輿は隠され、

諏訪・浅間両社の御神体が取り出され再び諏訪神社本殿に戻されます。

 

午後7時30分過ぎ頃、諏訪神社還幸祭の神事が行われ、

その後、浅間神社での御霊移しの儀式が行われ、

御絹垣に隠されたそれは宮司の手によって大切に抱かれて

浅間神社の本殿へと動座します。

 

午後8時、御霊移しの神事が終了すると境内に再び電灯が灯され、

浅間神社拝殿内で本殿還幸祭が行われます。

これをもって火祭りに関わる祭礼はすべて終わり、

世話人、セコ、氏子らは解散となります。

14人の世話人は最後に社前に一拝し、

セコや多くの参詣者たちの拍手を浴びながら提灯を高く掲げ退場していく際、

すべての任務を務め上げたことの開放感、

困難な仕事をやり遂げたことの感動が胸をよぎり、

14人の世話人は感極まって涙を流します。

 

祭礼以外の関連行事

 

火祭りの祭礼が終わった翌8月28日には、

世話人、氏子総代らによって御旅所・神楽殿の解体、

神社境内での神輿の清掃、担ぎ棒の解体などが行われます。

浅間神社から出される鎮火祭の神札も、氏子総代の手で各戸に配られます。

その数は上町で1200体、中町で650体、下町・中曽根で1200体にも達します。

また、世話人たちは祭りの後に残される巨額の支払いを決済します。

祭りのために調達されたあらゆる物資、資材、

飲食物などは全てを現金決済していき、

各所への挨拶回りも並行して行っていきます。

 

火祭りの残務処理がすべて片付いた11月になると、

14名の世話人は静岡県の秋葉山本宮秋葉神社への秋葉詣などを行い、

12月には次年度の世話人の選出に携わります。

次年度世話人が決まり、

年が明けた小正月の道祖神祭りでの新旧世話人交代式をもって、

1年間に及ぶ世話人の任務はすべて終了する事になります。

 

調査活動と文化財指定

 

吉田の火祭りは、

富士山と地域の歴史的な結び付きや、

富士山信仰を背景とした文化遺産価値の高いものであり、

文化庁により2000年(平成12年)12月25日に

選択無形文化財として選択されました。

 

富士吉田市教育委員会では国および山梨県から補助金などの支援を受け、

2003年に吉田の火祭り調査委員会を組織し

「吉田の火祭り民族文化調査事業」を発足させました。

同事業は各分野の研究者から構成される調査委員3名、

調査員9名、地元調査員2名、調査補助員20名からなり、

同年から2年間をかけ、吉田の火祭りの多角的な調査考察を行いました。

これらの調査をもとにして2012年3月8日に、

山梨県内では3例目となる国の重要無形民俗文化財に指定されました。

 

2012年現在、富士山は世界遺産登録の暫定リストに掲載されており、

山梨県では静岡県とともに富士山の世界遺産登録の活動が行われています。

富士山の世界遺産の構成資産リストには、

北口本宮富士浅間神社や御師の家などが挙げられており、

山梨県教育委員会学術文化財課や富士吉田市関係者らは、

これら構成資産に密接に関連した吉田の火祭りの重文指定は、

富士山の世界遺産登録に向けた機運の醸成にもつながるものとしています。

 

【交通アクセス】

電車:富士急行線「富士山」駅下車、徒歩3分。

車 :中央自動車道「河口湖IC」から県道138号線経由で10分。

駐車場:無料約300台。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?