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日本の奇祭15「吉田の火祭り8」

2014年01月27日 | 国内旅行

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、山梨県富士吉田市の吉田の火祭りの第8回目です。

 

吉田の火祭り(北口本宮冨士浅間神社:山梨県富士吉田市)

 

松明の消化

 

夜も更けて午後9時頃になると、松明はかなり燃え尽きて崩れています。

大松明はおよそ4時間以上燃え続けるといわれていますが

、今日では午後10時15分頃、一斉に消化命令が出され、

神社側で用意した重機やトラックを使って、

その日のうちに火の後片付けが行われます。

燃え残った松明の残骸を崩し、放水を行って完全に消化し、

灰はスコップなどでかき集めてトラックで運び出します。

最後の仕上げに路上に水を撒いて、完全に流し終わると作業終了となります。

これら後片付け作業はは消防団員によって行われ、

午後11時までに完了し、午後11時30分には交通規制が解除されます。

 

すすき祭り(27日)

 

火祭りの2日目、浅間神社へ還幸する2台の神輿を、

参詣者らがススキの玉串を持って、ついて行き、

境内の高天原をぐるぐると回ります。これをすすき祭りと呼んでいます。

 

御旅所発輿祭と金鳥居祭

 

金鳥居

 

吉田の火祭り2日目の祭礼は、

午後2時前頃から御旅所内で行われる御旅所発輿祭から始まります。

これは2台の神輿を上吉田の氏子地域での巡行に向かうための神事です。

 

出席者一同は2台の神輿の前に整列し、雅楽の奏でられる中、

神職によるお祓い、献饌、玉串奉献など一連の神事の後、

世話人がセコたちに神輿担ぎ出しの掛け声をかけ出発となります。

2台の神輿は御旅所より下手にあたる、

主に上吉田の北側の氏子地域を巡回していきますが、

休憩を挟みながら同じ場所を行ったり来たり、複雑な経路を巡行していきます。

 

やがて午後3時30分頃から始まる金鳥居祭での神事のため、

2台の神輿は金鳥居の下に集結します。

明神神輿は金鳥居北側の山梨中央銀行前の道路上中央、

御山神輿はやや北側の金鳥居交差点の中央に安置され、

明神神輿のみ四方に忌竹が設置され注連縄で囲まれます。

神職らによる一連の神事が執り行われると再び神輿の出発となります。

 

御鞍石祭・神輿の還幸

 

金鳥居での神事を終えた2台の神輿は、

再び2手に分かれて上吉田地区氏子地区内を

複雑な経路でそれぞれ巡行していきます。

御旅所を再び経由し、浅間諏訪の両社を目指して坂を登っていきます。

途中、前日と同様に西念寺僧侶による神輿送りを受けながら、

御鞍石の聖地を目指します。

御鞍石とは諏訪神社の旧鎮座地といわれる聖地で、

諏訪神社南方の森の中に馬の鞍の形をした巨石があり、

その上に神輿を安置して神事を行います。

 

午後6時30分頃、神輿行列は御鞍石に到着し、

明神神輿は御鞍石の上に東向きに安置され、

御山神輿はそのかたわらの地上に南向きに置かれます。

御鞍石と明神神輿の周囲は4本の忌竹で囲われ注連縄が張られます。

宮司の手で祝詞が読み上げられると、

いよいよ浅間神社境内への最後の下向となります。

 

高天原・着輿祭

 

揃いの法被姿の世話人

 

日が暮れてすっかり暗くなった浅間神社境内では、

2台の神輿を迎え待つ多くの参詣者らで埋め尽くされていて、

参詣者らは手にススキで作った玉串を持っています。

 

午後7時過ぎ、最初の明神神輿が浅間神社の境内に戻ってくると、

待ち構えていた参詣者らは一斉に神輿の背後について、

手に持ったススキの玉串を高く掲げ、遅れて到着した御山神輿も合流し、

高天原の周囲を2台の神輿と参詣者らは合計7周回ります。

参詣者は浴衣姿の女性が多く、

これは婦人が神輿を担いではならないというしきたりがあるためで、

神輿を担げないなら、その代わりにせめて神輿の還幸時に

背後について行列に加わりたいという思いによるものであるといいます。

 

2台の神輿は高天原の周囲を7周回ると、

高天原の中央部に安置され、高天原神事が行われます。

御山神輿は再び地上に3回ドスンドスンと景気よく落とされます。

世話人14人は叫びながら駆け出し、セコらは明神神輿、

御山神輿をそれぞれ諏訪神社拝殿下まで運び安置すると、

セコらは一斉に神輿から離れ、神職らによる御霊移しの儀式が始まります。

境内の照明はすべて消灯され、闇の中で御絹垣によって神輿は隠され、

諏訪・浅間両社の御神体が取り出され再び諏訪神社本殿に戻されます。

 

午後7時30分過ぎ頃、諏訪神社還幸祭の神事が行われ、

その後、浅間神社での御霊移しの儀式が行われ、

御絹垣に隠されたそれは宮司の手によって大切に抱かれて

浅間神社の本殿へと動座します。

 

午後8時、御霊移しの神事が終了すると境内に再び電灯が灯され、

浅間神社拝殿内で本殿還幸祭が行われます。

これをもって火祭りに関わる祭礼はすべて終わり、

世話人、セコ、氏子らは解散となります。

14人の世話人は最後に社前に一拝し、

セコや多くの参詣者たちの拍手を浴びながら提灯を高く掲げ退場していく際、

すべての任務を務め上げたことの開放感、

困難な仕事をやり遂げたことの感動が胸をよぎり、

14人の世話人は感極まって涙を流します。

 

祭礼以外の関連行事

 

火祭りの祭礼が終わった翌8月28日には、

世話人、氏子総代らによって御旅所・神楽殿の解体、

神社境内での神輿の清掃、担ぎ棒の解体などが行われます。

浅間神社から出される鎮火祭の神札も、氏子総代の手で各戸に配られます。

その数は上町で1200体、中町で650体、下町・中曽根で1200体にも達します。

また、世話人たちは祭りの後に残される巨額の支払いを決済します。

祭りのために調達されたあらゆる物資、資材、

飲食物などは全てを現金決済していき、

各所への挨拶回りも並行して行っていきます。

 

火祭りの残務処理がすべて片付いた11月になると、

14名の世話人は静岡県の秋葉山本宮秋葉神社への秋葉詣などを行い、

12月には次年度の世話人の選出に携わります。

次年度世話人が決まり、

年が明けた小正月の道祖神祭りでの新旧世話人交代式をもって、

1年間に及ぶ世話人の任務はすべて終了する事になります。

 

調査活動と文化財指定

 

吉田の火祭りは、

富士山と地域の歴史的な結び付きや、

富士山信仰を背景とした文化遺産価値の高いものであり、

文化庁により2000年(平成12年)12月25日に

選択無形文化財として選択されました。

 

富士吉田市教育委員会では国および山梨県から補助金などの支援を受け、

2003年に吉田の火祭り調査委員会を組織し

「吉田の火祭り民族文化調査事業」を発足させました。

同事業は各分野の研究者から構成される調査委員3名、

調査員9名、地元調査員2名、調査補助員20名からなり、

同年から2年間をかけ、吉田の火祭りの多角的な調査考察を行いました。

これらの調査をもとにして2012年3月8日に、

山梨県内では3例目となる国の重要無形民俗文化財に指定されました。

 

2012年現在、富士山は世界遺産登録の暫定リストに掲載されており、

山梨県では静岡県とともに富士山の世界遺産登録の活動が行われています。

富士山の世界遺産の構成資産リストには、

北口本宮富士浅間神社や御師の家などが挙げられており、

山梨県教育委員会学術文化財課や富士吉田市関係者らは、

これら構成資産に密接に関連した吉田の火祭りの重文指定は、

富士山の世界遺産登録に向けた機運の醸成にもつながるものとしています。

 

【交通アクセス】

電車:富士急行線「富士山」駅下車、徒歩3分。

車 :中央自動車道「河口湖IC」から県道138号線経由で10分。

駐車場:無料約300台。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?


日本の奇祭14「吉田の火祭り7」

2014年01月13日 | 国内旅行

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、山梨県富士吉田市の吉田の火祭りの第7回目です。

 

吉田の火祭り(北口本宮冨士浅間神社:山梨県富士吉田市)

 

神輿の御旅所入り

 

御旅所の火の見櫓をくぐる明神神輿

 

浅間神社を出発した神輿行列は、本町通りの中程に設けられた

御旅所(上吉田コミュニティーセンター)を目指して進んでいきますが、

一気に向かうのではなく、同じ場所を行きつ戻りつ数回の休憩を挟みながら、

ゆったりとした速度で進んでいきます。

この際、赤富士をかたどった御山神輿を数回、

どすんどすんと路上に投げ落とします。

これは御山神輿を富士山になぞらえ、

代わりに噴火させているものだといわれています。

 

吉田の火祭りの神輿渡御における御旅所は、

江戸時代には上吉田中宿東側に位置した

諏訪明神神主である佐藤上総(御師大玉屋)の屋敷でした。

1875年(明治8年)からは上吉田中宿西に開校した吉田小学校

(現、富士吉田市立吉田小学校)の広場が御旅所になりました。

 

1935年(昭和10年)に吉田小学校が現在地へ移転して、

旧校舎が福地村公会堂や山梨県林業試験場となっても、そこが御旅所でした。

1975年(昭和50年)に現在の御旅所が設営される

上吉田コミュニティーセンターが建設されて以来、

ここが御旅所となり今日まで使用されています。

このコミュニティーセンターは最初から御旅所としての利用を考慮して

設計されており、現在の祭礼を行う上で重要な役割を果たしています。

 

日が沈んだ午後6時を過ぎた頃、

2台の神輿を従えた神輿行列は御旅所に入ります。

御旅所の入り口には火の見櫓があり、

その両側には世話人によって立てられた2本のモミの木による御神木があり、

注連縄が張られています。

神輿行列はこの火の見櫓の下を潜って御旅所入りをします。

最初に入る明神神輿の屋根に立つ鳳凰のくちばしで、

その注連縄を切り落としていくことになっています。

セコたちの掛け声は最高潮に達し、

見事に鳳凰のくちばしで注連縄が切り落とされると、

群衆から大きな拍手喝采が起き、

それに続く御山神輿とともに神輿行列は御旅所になだれ込んでいきます。

 

2台の神輿は御旅所内の台座の上に向かって右側に明神神輿、

左側に御山神輿が安置され、両神輿の前には2名ずつ神職がついて供奉します。

御旅所に神輿が安置されると、ただちに御旅所着輿祭と奉安祭の神事が始まり、

神職(浅間神社および御師団年行事)、氏子総代、

世話人、セコ一同が、神輿の前に整列して拝礼を行います。

 

御旅所になだれ込む明神神輿

 

御旅所になだれ込む御山神輿

 

松明の点火

 

本町通りでの10尺松明点火

 

御旅所松明と町中の松明の点火

 

奉安祭の神事が終わると、

14名の世話人は一斉に御旅所を飛び出し、

御旅所と火の見櫓の間に寝かされている

2本の11尺大松明の点火に取りかかります。

時刻は例年午後6時30分から午後7時の間であり、

夕刻から夜になる時間帯です。

 

この御旅所の大松明は吉田の火祭りで一番最初に点火されるもので、

それを合図に町中や富士山中の松明に火がつけられることになっています。

世話人は手際よく地面に木枠を設置し、その中にスコップで山砂を敷き詰め、

数人がかりで寝かされている大松明を起こして立てます。

世話人は上町、中町、下町の各町名の入った提灯を高く掲げて大松明を囲み、

2名の火付け世話役が、

点火用の竹竿の先端に付けた針金に松脂の束を引っ掛けて火を付け、

竹竿を大松明の頂部に伸ばし、

火の点いた松脂の束をそこに乗せると、大松明はメラメラと燃え始め、

再び群衆から拍手喝采が巻き起こります。

 

世話人らは2手に分かれ、上吉田の町を南北に走り、

中宿から下宿へ、中宿から上宿へと順次大松明に火が点けられていきます。

大松明と大松明の間に積み上げられた、

各家々の井桁松明にもまた一斉に火が点けられていきます。

こうして上吉田の町を南北に伸びる1本の火の帯が出現し、

下は金鳥居交差点付近から最上部の上宿交差点付近まで延々と火の帯が燃え盛り、

多くの見物人、観光客らが繰り出す喧噪や、

居並ぶ露天商らの掛け声など、祭礼は最高潮の時を迎えます。

御旅所に設けられた神楽殿では神楽講による太々神楽の舞いや、

各種芸能の上演が行われ、安置された明神、

御山の神輿に参拝する人々の列で賑わいます。

 

富士山中での松明の点火

 

町中で松明が点火されると、

それに呼応して五合目より上の吉田口登山道沿いの山小屋でも松明が焚かれます。

空気が澄み条件が良ければ麓の上吉田からも、

登山道に沿って一列に並ぶ灯火がよく見えます。

ただし、標高2500メートルを越す五合目以上は、気象条件が非常に厳しく、

大松明のような大きなものを設置するのは不可能です。

五合目の佐藤小屋では松明を井桁状に1.2メートルほど積み上げますが、

標高が高くなるほど風速が強くなるため、

七合目東洋館では積高はくるぶし程度になり、

標高3000メートル超では井桁状ではなく乱雑に積むようになります。

 

富士講社の拝み

 

燃え続ける大松明

 

松明が燃え始めると、

御師坊に宿泊中の富士講社らは行衣に身を固めて通りに繰り出し、

各御師坊の井桁松明を囲んで拝みを行います。

吉田の火祭りには、主に関東一円から数十もの講社が毎年参加します。

このうち宿泊を伴う講社としては、

御師筒屋へ宿泊する丸八講・丸伊講・丸金講、扶桑教、

御師菊谷に宿泊する大丸講・丸嘉講、

御師大国屋に宿泊する宮元講・一山講などが知られており、

各講社のリーダーである先達を中心に様々な儀礼が執り行われます。

 

御焚上げと塩加持

 

御師の家の前の通りには、

御師の檀家である各講社が奉納した大松明を立てて、

それを講社が拝んで祈祷するのが本来の姿でしたが、

近年では大松明を奉納する講社は少なくなり、

そのような講社では御師の家のタツミチ

(表通りから御師の家に続く細い通路)に篝火を焚き、

講社の松明代わりにしています。

 

また、伊丸講・丸金講・扶桑教では御焚上げと呼ばれる儀礼が行われます。

これは筒屋の前にある大松明と富士山に向かって地面に座り、

松明の前に白い布を広げ、約2㎏もの塩を円錐形に盛り、

その盛り塩に多数の線香を立てて火をつけ、

大祓えを唱えて諸神を呼び神徳経を唱えるものです。

「参明藤開山」と書いた焚き符の半紙を線香の火で焚いて

「コウクウタイソクミョウオウソクタイジン」の御身抜きを唱えます。

その後、線香と符の灰が混ざった塩を白い布に包み、

それを信者の体に擦り健康を祈願します。

また、この塩を翌朝の加持に用いたり信者に分けたりします。

これを塩加持といいます。

 

お伝えと掛念仏

 

やがて松明は形を崩しながら燃え尽きていきます。

 

各講社では、富士講の経本であるお伝えを伝授しています。

お伝えは教義などを祭文や祝詞としてまとめたもので、

体裁は小型の折本になっています。

 

もともとお伝えは、江戸時代においては御師か高名な先達に書いてもらうもので、

なおかつ複数回に分けて書いてもらうため、

完全な状態になるまでは数回の御山詣でをしなければならなかったといいます。

また、富士講の系譜には村上派・月行派・身禄派などがあり、

それぞれに経本が存在します。講社がお伝えを唱えるのは、

浅間神社参拝。松明を前にした御焚上げ、御師宿の祭壇などで、

先達の唱えに講員が合わせていきます。

 

また、宮元講や、丸金講・伊丸講などは、「エーナンマイダブー、

ロッコンショウジョウ」と謡って唱える六根清浄などの掛念仏が行われます。

これら、お伝えや掛念仏を唱えられるようになるには、

およそ10年はかかるといいます。

講員たちはさらに、松明が焼け落ちた夜中に御師坊から出てきて、

燃え残りの消し炭を拾っていきます。

それを自宅の神棚や軒先に吊るしておくと火難を逃れるといわれています。

この際の掛念仏が唱えられます。

 

【交通アクセス】

電車:富士急行線「富士山」駅下車、徒歩3分。

車 :中央自動車道「河口湖IC」から県道138号線経由で10分。

駐車場:無料約300台。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?