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日本の奇祭19「やすらい祭」

2014年03月24日 | 日本の奇祭

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、京都府のやすらい祭です。

 

やすらい祭(今宮神社:京都府京都市北区)

 

やすらい祭は、京都市北区の今宮神社(紫野今宮町)、

玄武神社(紫野雲林院町)、川上大神宮(西賀茂南川上町)、

上賀茂(上賀茂岡本町)の4つのやすらい踊保存会によって

伝承されている祭りです。

特に、今宮神社で行われる大祭として知られています。

 

 

「夜須礼」「鎮花祭」「やすらい花」ともいいます。

1987年(昭和62年)に、民族無形文化財の指定を受け、

「太秦の牛祭」「鞍馬の火祭」とともに、京の三奇祭の一つとされています。

また京都の春の祭りのさきがけをなす祭りでもあり、

この日が好天に恵まれるとその年の京の祭りはすべて晴れると言われています。

 

紫野の疫社は、古来疫病除けの神として崇められ、

諸国に悪疫が流行すると風流の装いを凝らして詣で鎮静安穏を祈願する習わしで、

これを「やすらい祭」と呼びました。

一条天皇の御代正暦5年(994)都に疫病が流行し、

船岡山にて怨霊会が営まれたのを契機として、

毎年盛んに行われるようになりました。

その後近衛天皇の御代久寿元年(1154)に

祭のために京中の人々があまりにも風流を凝らし、

その行装が華美に過ぎるというので、勅命により禁止されました。

それからこの祭も衰えましたが、

やがて順徳天皇の御代元禄7年(1694)

五代将軍徳川綱吉公の生母桂昌院により社殿の造営、

神輿、御鉾の寄進とともに再興され今日に至っています。

 

 

花の精にあおられて陽気の中に飛散するという悪疫を、

囃子や歌舞によって追い立てて、花を欺く風流傘に宿らせ、

紫野疫社に送り込み神威を仰いで鎮めるというのがこの祭の行法です。

 

 

行列は「練り衆」と呼ばれ、先立、鉾、御幣持ち、督殿、羯鼓、

羯鼓廻し、大鬼、花傘、音頭取り、囃子方と続きます。

「花傘」は、「風流傘」「傘鉾」ともいわれ、

径六尺(約2m)の大傘に緋の帽額を掛けた綿蓋の上に、

桜、椿、山吹、柳、若松を挿したもので、

この中に入るとその年の厄を除かれるといわれています。

祭礼日は、元来3月10日でしたが、明治改暦以後4月10日となり、

今日では4月の第2日曜日と定められています。

 

 

「やすらい花」は、古く平安時代に起源を持つといわれ、

桜の花の散る頃になると、悪い病気が流行し人が苦しむので、

疫病を退散させるため「花しずめの祭」を行ってきました。

風流の扮装をして、鉦や太鼓をたたき、踊りながら神社に参拝し、

無病息災を祈願したのが始まりと伝えられています。

 

大宝神祇令(701)では3月の恒例祭と定められ、延喜式(905)では

大和の三輪(和魂)と狭井(荒魂)の神を祭ると記されています。

平安時代になってからでも、このような「はやりやまい」があり、

寛平9年(897)国内に疫病が流行したので、

同年3月7日に、勅命により三輪の狭井社で鎮花祭が行われています。

 

その後、康保2年(965)に京都で大水が発生した後疫病が流行したため、

翌3年3月7日(966)疫病を鎮めるため、

命により玄武神社において狭井社の古例に従い鎮火祭を行ったと伝えられ、

これが京都における鎮火祭の始めといわれています。

その時の式例は、およそ次のように記されています。

 

 1.神供  赤飯、おこし、わかめ、大根、乾魚

 1.神酒  甘酒、濁酒

 1.奉花  山桜、山吹、さんしゅう、山茶花、楓

 1.祈念  神秘口伝 星野大監物紀朝臣茂秋

 1.赤鬼  大鬼4頭、子鬼2頭

 1.布傘  1本

 1.布衣  10人

心供5種、立花5種を御所に献上し、白布10疋、玄米50俵拝領。

 

続いて、長保元年(999)11月から翌2年3月まで、

疫病が流行して止まらなかったので、同年(1000)3月3日再度勅命があり、

同月10日辰の上刻に「鎮火祭」が再び行われています。

それ以降永代勤めるよう勅命を受けたのです。

 

「やすらい花」は名前のごとくその主役は花で、

「やすらへ花や(花よ、散るな)」と唱えたことがなまったもので、

花の精の力によって疫病神を封じ込めるために行われたものです。

 

また当時の人々は、

「疫病が起こる原因は政治的な恨みを遺した人たちの霊が祟ることにあり、

それゆえに御霊を慰めるために祭を修す」との考えから

「御霊会」が行われたといわれています。

この両者が結びつき「やすらい花」となって

今日まで伝承されてきたものと思われます。

 

室町時代に流行した「風流(着飾ったり仮装した集団が踊り回り、

悪霊を鎮める行事)の拍子もの」が加わって、

次第に娯楽性を持つようになったようです。

このように「風流」のもっとも古い形態を残した「やすらい花」は、

今日まで伝承されてきたのです。

 

この、囃したり踊ったりするのは、豊かな稲の実りを祈るとともに、

疫病神を踊りの中に巻き込んで鎮めるためといわれています。

そして、この「花傘」の中に入ると悪霊を取り去って、

疫病にかからないとされ、

疫神はそのまま神社に封じ込めるといういわれがあり、

また、桜の花の開花の遅速が、その年の稲の豊凶を定めることから、

稲の花が早く飛び散らないようにという

豊作を願う意味合いも加わったと伝えられています。

 

「やすらい花」屏風全図

 

「やすらい花」屏風部分図

 

折烏帽子、素襖等に装った人々が、

色とりどりの花で飾った美しい花傘を中心に巡行、

「やすらい花や」の音頭にあわせ、

赤熊をかぶった「鬼」が鉦や太鼓をたたき飛び交い、

氏子地域の各町内を巡ります。

 

[祭事の流れ]

 

 

毎年4月の第2日曜日(上賀茂のみ、葵祭と同じ5月15日)に行われます。

花傘を先頭に、風流の装いを凝らして、鉦や太鼓をたたき、

踊りながら氏子区域をくまなく練り歩きます。

最後に神社に参拝して、無病息災えお祈願します。

囃したり踊ったりするのは、豊かな稲の実りを祈るとともに、

花の精にあおられていたずらをして回る疫神を、

踊りの中に巻き込んで鎮めるためと言われています。

 

祭りの行事は、「練り衆」と呼ばれます。旗、榊台、唐櫃、鉾、御幣などの後に、

花傘を先頭に20名ほどの踊りの一団が続きます。

この一団には、世話役の他に、間鼓(子鬼)、大鬼(鉦、太鼓)、

囃子方(笛)がおり、赤毛・黒毛の鬼たちが、

笛や太鼓のお囃子に合わせて、長い髪を振り乱しながら、

「やすらい花や」の掛け声とともに踊り、練り歩きます。

 

 

小学3年生までは「子鬼」、もう少し上の学年になると「囃子方」を担当します。

中学、高校生になると「大鬼」になって、鉦や太鼓をたたきながら踊ります。

保存会では、こうした子供たちの先輩が、

踊りや囃子の手ほどきを行い、代々伝承してきました。

 

この行列は、朝から夕方まで練り歩く途中で、

橙色の布を軒先に垂らした家の前で止まって踊りを披露します。

このときには、皆が競って花傘に入って、悪霊退散と無病息災を祈願します。

町内ごとに休憩所(床几)が設けられ、

歩き疲れ、踊り疲れた一団の労がねぎらわれます。

 

神社の境内では、大鬼が大きな輪になってやすらい踊りを奉納します。

桜の花を背景に神前へ向い、激しく飛び跳ねるように、

そしてまた緩やかに、「やすらい花や」の声に合わせて踊ります。

 

【交通アクセス】

バス:JR東海道本線・東海道新幹線「京都」駅から

   市バス「今宮神社前」下車、徒歩すぐ。

   市バス「船岡山」下車、徒歩約10分。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?


日本の奇祭18「あらい祭り・悪態まつり」

2014年03月10日 | 国内旅行

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、千葉県のあらい祭りからです。

 

あらい祭り(大宮神社:千葉県山武郡芝山町)

 

毎年12月14日に千葉県山武郡柴山町の大宮神社において行われるあらい祭りは、

無病息災・火盗難除・五穀豊穣の祈願を目的として行われる

160年以上続くお祭りです。

あらい祭りの“あらい”は大根を宮司らに投げつけることから

“荒い”という意味ではないかといわれていますが、定かではありません。

 

 

当日の祭事は、“鍋かけず”といい、この日は各家の釜戸には火を焚かず、

当番の家に集まり、“神の食”を食べて祭事を祝います。

祭壇には、大根と蕪で造られた男女の神物が飾られ、

無病息災を祈って獅子舞が行われ、

獅子がその神物を新妻の食前に出し、子宝授恵、子孫繁栄を願います。

 

 

神社においては、1ヶ月前から男の子たちがカヤを集め、

竹でやぐらを組み、そのカヤを詰めて小屋を作ります。

合戦に見立てたもので、神社は城ということになります。

宮司らを正門から入れまいと小屋に火を放ち、

大根を宮司らに投げ、阻止し、元気に育っている照明としています。

地元では通称「大根祭り」とも呼ばれており、

この日に使う大根も子供たちが近所の畑から採り用意します。

 

 

その後、神前では七五三と、

昔の元服にあたる15歳になる子供たちの祝いの儀式が執り行われます。

 

 

山田地区にまつわる小話。

柴山町の山田地区の家や神社には門がありません。

あらい祭りが行われる大宮神社にも鳥居がありません。

江戸時代まではあったそうですが、

江戸後期、火事が相次ぎ、そのどれもが門のある家だったそうです。

それ以来、この辺りでは門を置かなくなったという話があります。

 

【交通アクセス】

電車:柴山鉄道「柴山千代田」駅から

   柴山ふれあいバス松尾駅行き山田下車徒歩10分

 

悪態まつり(愛宕神社:茨城県笠間市)

 

市内旧岩間地区の愛宕神社裏にある飯綱神社で

毎年旧暦11月14日に開催されるお祭りです。

 

この愛宕山の山頂にある愛宕神社は、日本三大火防神社の一つといわれ、

創建が大同元年(806年)と伝えられています。

愛宕山には昔、天狗たちが住んだという伝説があり、

天狗にまつわる場所も多くあります。

その他、愛宕神社の裏には飯綱神社があり、

愛宕山に住んだ天狗を祀った「十三天狗のほこら」と呼ばれる

石のほこらもあります。

 

2012年は12月26日。

13人の氏子が白装束に烏帽子姿で天狗の格好をし、

13天狗の祠にお供え物をしてまわりますが、

そのとき沿道の見物客が天狗に悪態(悪口)を浴びせかけ、

天狗に邪魔されながらお供え物を奪い合う

(ちなみに、このお供え物を奪い取った人は、

幸せになれると言われている)という変わったお祭りで、

地元のHPでは、「日本三大奇祭の一つ」として紹介されています。

 

 

昔は真夜中から早朝にかけて行われていたそうですが、現在は昼間に行われ、

お互い顔が見える分気まずさも手伝ってか悪態もトーンダウンしたとも。

それにしても、これ、見物人として参加したいとは思うけれども、

間違っても天狗役にはなりたくない。

 

 

だって折角祭りの主役にまわっているのに、

どこの誰とも知らないアカの他人から(知っている人であればなおさらのこと)

「のこのこ歩いてんじゃねぇよ、この野郎!」みたいな罵声を浴びせられたら、

浮かばれないじゃないですか…。

 

【交通アクセス】

電車:JR常磐線「岩間」駅より車で4分、徒歩で30分。

車 :北関東自動車道「友部IC」より13分。

   北関東自動車道「笠間西IC」より22分。

   常磐自動車道「岩間IC」より13分

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?