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日本の100名城!~九州地方1~

2012年08月20日 | 国内旅行

日本100名城とは、財団法人日本城郭教会が2007年(平成19年)に迎える

設立40周年の記念事業の一環として、

2005年(平成17年)に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募したもので、

歴史や建築の専門家などにより、

観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、

復元の正確性などを基準に審査の上選定、

2006年(平成18年)2月13日に発表したものです。

 

ちなみに、認定は4月6日「城の日」に行われました。

 

今回から、九州地方(85番~87番)です。

 

 

85番 福岡城

 

 福岡城

 

福岡城は、福岡市の中心部に位置する梯郭式の平山城で、

別名を舞鶴城、石城といい、外様大名の福岡藩黒田氏の居城だったところです。

城地とされた福崎丘陵は、博多と那珂川を挟んだ西側にあります。

主に、本丸を囲むように二の丸、その外に大きく三の丸が配され、

47の櫓を配し縄張りの範囲は約25万平方メートルに及びます。

東側に那珂川を以って堀とし、

また西側の干潟「草々江」を大堀として活用しました。

この大堀は現在大濠公園として整備されています。

城下町は城の北側に開かれました。

 

築城の際に、福崎を黒田家再興の地である備前国福岡の地名にちなみ

「福岡」と改めています。

 

熊本の加藤清正もこの城を評価しています。

特に一成が指揮した石垣から、別名「石城」とも呼ばれます。

 

現在、城跡には門・櫓が現存し、多聞櫓とそれの続く二の丸南隅櫓は

国の重要文化財に、潮見櫓・大手門・祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門が

福岡県指定文化財に、名島門が福岡市文化財にそれぞれ指定されています。

また、多聞櫓に続く二の丸北隅櫓が復元されています。

 

[所在地]

福岡県福岡市中央区城内

[交通アクセス]

鉄道:JR鹿児島本線「博多」駅から地下鉄「大濠公園駅」下車、徒歩約5分。

車 :九州道「福岡IC」から都市高速道路1号線西公園IC~市道。

 

 

86番 大野城

 

 大野城

 

大野城は、飛鳥時代に築城された筑前四王寺山にある古代山城です。

大野城の築城箇所は太宰府北方、

太宰府の真北標高約410mを最高峰とする四王寺山一帯に比定されてます。

四王寺山には、尾根をつたって延々8200m以上に及ぶ土塁が山腹をめぐり、

土塁が谷にかかるところでは、石垣が築かれ、北方に1ヶ所、

西南に1ヶ所、南部に2ヶ所城門を開いています。

 

城内の高く平たいところは数棟ずつ7ヶ所ほどに、

都合70棟ほど礎石群が遺っています。

中には望楼あるいは屯所的なものも見られますが、大多数は梁間三間、

桁行五間という規格に統一され、礎石を用いた総柱の建物です。

これらは高床式の倉庫であり、武具の他、炭化した米粒などが

検出されている事から穀物なども貯蔵していたことが分かっています。

 

太宰府北方という立地から、太宰府防衛を目的と下城であると考えられています。

 

山頂の西に張り出した尾根を火ノ尾崎といい、烽火台跡、

鼓峰は今でいう軍団駐屯地跡とされ、毘沙門天の遺構があります。

付近では経筒などの遺物も出土しています。

 

[所在地]

福岡県大野城市宇美町

[交通アクセス]

鉄道:JR九州香椎線「宇美」駅から県民の森センターまで車で約15分。

   西鉄太宰府線「太宰府」駅から県民の森センターまで車で約15分、

   徒歩約50分。

車 :九州道「太宰府IC」から約6㎞。

 

 

87番 名護屋城

 

 名護屋城

 

名護屋城は豊臣秀吉の文禄・慶長の役に際し築かれた城です。

 

名護屋城は海岸線沿いに細長く広がる松浦郡の北東部の小さな湾内に位置し、

中世には松浦党の交易拠点の一つでした。

ここには元々松浦党の旗頭・波多氏の一族である名護屋氏の居城、

垣添城がありましたが、豊臣秀吉は大陸への侵攻を企図した際、

ここを前線基地として大掛かりな築城を行いました。

 

名護屋城は波戸岬の丘陵を中心に17万平方メートルにわたり

築かれた平山城の陣城です。

五重天守や御殿が建てられ、周囲約3㎞内に120ヶ所ほどの陣屋が置かれました。

 

秀吉の死後、大陸侵攻は中止され城は廃城となったと考えられていますが、

建物は寺沢広高によって唐津城に移築されたと伝えられています。

石垣も江戸時代の島原の乱の後に一揆などの立てこもりを防ぐ目的で

要所が破却され、現在は部分が残っています。

歴史上人為的に破却された城跡であり、破却箇所の状況が復元保存されています。

 

【歴史】

名護屋城が築城された勝男山には、松浦党波多信時の家臣名護屋経述が

居城としていた垣添城がありました。

 

天正19年、豊臣秀吉は朝鮮出陣の拠点として、黒田如水、加藤清正、

小西行長、黒田長政による縄張り、九州の諸大名による天下普請によって

名護屋城を築城しました。

 

城は、異例なほどの突貫作業で行われ、約7ヶ月程で主要部が完成しています。

それまでの寒村だった土地に、一大巨城が出現したのです。

 

秀吉は、朝鮮出陣の補給線の拠点として、名護屋城の他にも壱岐勝本城、

対馬国府清水山城も有馬晴信・松浦宗信らの九州大名に築かせています。

 

7年に渡る朝鮮出兵は、

慶長3年8月に秀吉が大阪城で死去したことでようやく終りました。

これと共に、名護屋城も役割を終了しました。

 

慶長7~13年にかけて寺沢広高が唐津城を築城した際、

名護屋城を破却して建物を唐津城に移しました。

また、大手門は伊達政宗の仙台城大手門として移築されました。

 

[所在地]

佐賀県唐津市、東松浦郡玄海町

[交通アクセス]

鉄道:JR唐津線「唐津」駅からバスで「城址前」下車すぐ。

車 :九州道「福岡IC」から国道202号で唐津へ、

   唐津から国道204号を経由して。

 

毎日暑い日が続いています。

熱中症のかかる人も日毎に増加しているようです。

日中に日の当たる所にいると熱中症にかかると思われがちですが、

部屋の中や寝ている時に熱中症になる人が多いそうです。

最近の家は密閉率が高く、熱がこもりやすいのが原因のようです。

しかも節電のためにエアコンを控える人が多くなったのも原因のようです。

暑いとき冷房を使ってこそ価値があるのであって、

宝の持ち腐れのように飾っておいても意味がありませんよ。

ビルの林立する都会では一概にいえませんが、

緑の多い郊外では、家の中に居るより外の木陰の方が涼しく感じます。

皆さんも涼を求めて川や森に出かけませんか。

自然の涼風に晒されると本当に気持ちいいことに気付きますよ。


日本の100名城!~四国地方3~

2012年08月06日 | 国内旅行

日本100名城とは、財団法人日本城郭教会が2007年(平成19年)に迎える

設立40周年の記念事業の一環として、

2005年(平成17年)に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募したもので、

歴史や建築の専門家などにより、

観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、

復元の正確性などを基準に審査の上選定、

2006年(平成18年)2月13日に発表したものです。

 

ちなみに、認定は4月6日「城の日」に行われました。

 

今回は、四国地方(81番~84番)です。

 

 

81番 松山城

 

 松山城

 

松山城は、松山市の中心部、勝山山頂に本丸を構える平山城です。

別名を金龜城または勝山城とも呼ばれます。

現在、山頂の本壇にある天守は、日本の12ヶ所に現存する天守の一つで、

姫路城と同じく、大天守と小天守・南隅櫓・北隅櫓を渡り櫓で結んだ連立式で、

日本三大連立式平山城にも数えられます。

 

幕末に建築された大天守は、日本で現存数の少ない望楼型二重櫓である野原櫓や、

当時の土木技術としては特筆される深さ44mにおよぶ本丸の井戸などが

保存されています。

敷地一帯は国の史跡に指定されていて、

建造物24棟は国の重要文化財に指定されています。

 

【登城】

松山城本丸は、市街のほぼ中央に位置する標高132mの山頂にあります。

天守へのルートは4つありますが、一般・観光客向けのルートは東雲口と呼ばれる東側からの登城道で、こちらはロープウエイやリフトも整備され、東雲神社を通って徒歩で上がることもできます。他のルートは、地元の人が散歩などにもっぱら利用しており、県庁裏登城道以外はあまり整備されていません。

 

松山城ロープウエイ東雲口駅舎の最寄り駅は、徒歩5分のところにある伊予鉄道市内電車の「大街道駅」です。大街道駅の北側にロープウエイの入口があり、また、少し東側には交番や伊予交通のタクシー乗り場があります。なお、松山城ロープウエイ東雲口駅舎1階には、財団法人松山観光コンベンション協会運営の年中無休の観光案内所があります。

 

[所在地]

愛媛県松山市

[交通アクセス]

鉄道:JR予讃線「松山」駅から伊予鉄道「道後温泉」行きで約10分、

   「大街道」駅下車

   伊予鉄道「松山市」駅から「道後温泉」行き、「環状線大街道方面」行きで

   約7分、「大街道」下車。

空路:松山空港から「道後温泉駅前行き」リムジンバスで約30分、

   「大街道」下車

船 :松山観光港から「道後温泉駅前行き」リムジンバスで約30分、

   「大街道」下車

   三津浜港から「松山市駅行き」伊予鉄道路線バスで約40分、

   「松山市駅」下車、さらに市内電車に乗り換え。

 

 

82番 大洲城

 

 大洲城

 

大洲の地は、伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道の結節点にあり、

また東には四国山脈を抜けて土佐国に出る街道があります。

また、すぐ西には大洲の外港とも言える八幡浜があり、

大洲は歴史的にはややひなびた立地ながらも交通の要所という場所にありました。

宇都宮氏が創建した当時は、昿川と久米川の合流点にあたる地蔵ヶ岳に

築城したことから地蔵ヶ岳城とか比志城、大津城と呼ばれました。

 

江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、

近世城郭としての体裁を整えた、

伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していました。

 

また、明治維新後から現在に至る地元住民の城郭への保護活動と、

平成16年に主に市民による寄付によって完成した

往時をできる限り忠実に再現した4重4階の天守も特筆すべき点です。

江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財、

城壁一帯が県指定史跡に指定されています。

 

[所在地]

愛媛県大洲市大洲

[交通アクセス]

鉄道:JR予讃線「伊予大洲」駅から徒歩約20分。

 

 

83番 宇和島城

 

 宇和島城

 

宇和島城は、中世期にあった板島丸串城の跡に

藤堂高虎によって築かれた近世城郭です。

標高74mの丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二の丸、

その北に藤兵衛丸、西側に代右衛門丸、藤兵衛丸の北に長門丸を中腹に配置し、

麓の北東に三の丸、内堀で隔てて侍屋敷が置かれた外郭を廻らせる

梯郭式の平山城で、東側に海水を引き込んだ水堀、

西側半分が海に接しているので「海城」でもあります。

 

現在見られる、天守などの建築は伊達氏によるものですが、

縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂高虎の創建した当時の形が

活用されたと見られています。

五角形平面の縄張りは四角形平面の城と錯覚させる高虎の設計で、

現に幕府の隠密が江戸に送った密書には「四方の間、合わせて十四町」と、

誤って記されていました。

城を囲む五角形の堀は、高虎の後の大名にも代々受け継がれましたが、

現在は堀も海も埋め立てられています。

明治以降は、大半の建物が撤去されましたが天守、大手門などは残され、

昭和の空襲により大手門を焼失して、

現在は、天守と上り立ち門、石垣が現存しています。

 

[所在地]

愛媛県宇和島市丸之内

[交通アクセス]

鉄道:JR予讃線「宇和島」駅から徒歩約15分で登り口、

   登り口から天守まで徒歩約20分。

 

 

84番 高知城

 

 高知城

 

高知城の様式は梯郭式平山城で、戦国時代以前は大高坂山城と称しました。

高知平野のほぼ中央に位置し、鏡川と江の口川を外堀として利用しています。

現在見られる城は、江戸時代初期に、土佐藩初代藩主・山内一豊によって

着工され、2代忠義の時代に完成しました。

4層6階の天守は、一豊の前任地であった

掛川城の天守を模したと言われています。

 

明治6年に発布された廃城令や、第二次大戦による空襲を逃れ、

天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、

国の重要文化財に指定されています。

なお、昭和25年の文化財保護法施行以前の旧、国宝保存法における「国宝」は

文化財保護法における「重要文化財」と同等のものです。

また、この15棟の現存建造物に加えて、

土佐山内家宝物資料館に丑寅櫓の一部であると伝わる部材が収蔵されています。

 

高知城全域は高知公園として解放されていて、

本丸御殿・天守は懐徳館という資料館として利用されています。

高知城の周辺には、高知市役所、高知県庁、地方裁判所、地方検察庁などの

行政機関や司法機関が立ち並び高知県の行政の中心地となっています。

また、城内には山内一豊、板垣退助の銅像もあります。

 

[所在地]

高知県高知市丸の内1−2−1

[交通アクセス]

鉄道:JR土讃線「高知」駅から徒歩約25分。

   土佐電鉄「高知城前」電停から徒歩約7分。

車 :高知ICより車で約15分。

 

毎日暑い日が続いています。

熱中症のかかる人も日毎に増加しているようです。

日中に日の当たる所にいると熱中症にかかると思われがちですが、

部屋の中や寝ている時に熱中症になる人が多いそうです。

最近の家は密閉率が高く、熱がこもりやすいのが原因のようです。

しかも節電のためにエアコンを控える人が多くなったのも原因のようです。

暑いとき冷房を使ってこそ価値があるのであって、

宝の持ち腐れのように飾っておいても意味がありませんよ。

ビルの林立する都会では一概にいえませんが、

緑の多い郊外では、家の中に居るより外の木陰の方が涼しく感じます。

皆さんも涼を求めて川や森に出かけませんか。

自然の涼風に晒されると本当に気持ちいいことに気付きますよ。