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日本の100名城!~近畿地方3~

2012年03月19日 | 国内旅行

日本100名城とは、財団法人日本城郭教会が2007年(平成19年)に迎える

設立40周年の記念事業の一環として、

2005年(平成17年)に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募したもので、

歴史や建築の専門家などにより、

観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、

復元の正確性などを基準に審査の上選定、

2006年(平成18年)2月13日に発表したものです。

 ちなみに、認定は4月6日「城の日」に行われました。

 今回も、近畿地方(56番~59番)です。

 

56番 竹田城

 

 竹田城

 

竹田城は、縄張りが虎が臥せているように見えることかから、

別名、虎臥城とも言われます。

また城下から遥か高く見上げる山の頂に位置し、

しばしば円山川の川霧に霞むことから、天空の城の異名を持ちます。

雲海に浮かび上がる古城の累々たる石垣群の威容は、名物ともなっています。

 

東に立雲峡を望む標高353.7mの古城山の山頂に築かれ、

縄張りは、南北約400m、東西約100m、天守台をほぼ中央に配置し、

本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配され、

北千畳部と南千畳を双翼とし、天守台北西部に花屋敷と称する一郭があります。

廃城から約400年を経ているが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、

現存する山城として日本屈指の規模となっています。

 

[所在地]

兵庫県朝来市和田山町竹田

 

[交通アクセス]

鉄道:JR播但線「竹田」駅から車道で徒歩約50分、山道で徒歩約25分。

車 :播但連絡道路、北近畿豊岡自動車道「和田山IC」から国道312号

 

57番 篠山城

 

 篠山城

 

1609年、徳川家康は松平康重を常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、

さらに新城の築城を命じました。

これは、山陰道の要衝である丹波篠山盆地に城を築くことによって、

大坂の豊臣氏をはじめとする西国大名のおさえとするのが目的だったようです。

 

篠山盆地中心部の丘陵である笹山を築城地と定め、

藤堂高虎が縄張りを担当しました。

普請総奉行を池田輝政が努め、

15か国20の大名の助役による天下普請により6ヶ月で完成しました。

 

築城当時より天守台はあるが天守は建設されませんでした。

これは石垣や堀をはじめとする城の造りが

あまりにも堅固すぎることを幕府が懸念したためと伝えられています。

 

以後、松平三家八代、青山家六代の居城として明治を迎えました。

 

明治維新後、城郭の遺構は大書院を残してほとんどが取り壊されました。

取り壊しから免れた大書院も1944年に失火により焼失しています。

 

[所在地]

兵庫県篠山市北新町2−3(大書院所在地)

 

[交通アクセス]

鉄道:JR福知山線「篠山口」駅より神姫バスで15分、

   「二階町」下車、南へ徒歩約4分。

車 :城の北側に駐車場(無料)多数あり。

 

58番 明石城

 

 明石城

 

明石城は、旧明石藩の政庁と藩主の居所が置かれたところです。

別名、喜春城、錦江城とも呼ばれます。

 

JR明石駅北側に位置し、駅ホームより間近に望めます。

縄張りは連郭梯郭混合式の平山城です。

丘陵舌端に築かれ、本丸付近は柿本人麻呂を祀った人丸塚が

あったといわれており、この地は嘉吉の乱で激戦地となったところです。

 

明石の地は、山陽道が通り、北には丹波国、但馬国への道が分かれ、

淡路島、四国のルートがあり、古来より交通の要衝でした。

徳川幕府が西国の外様大名の抑えの城として、

姫路城についで着目したところです。

 

現在中堀の内側は兵庫県立明石公園として整備され、

日本さくら名所100選に指定されています。

櫓や石垣は1995年の阪神・淡路大震災で被害を受けましたが

全面修復されています。

 

[所在地]

兵庫県明石市明石公園

 

[交通アクセス]

鉄道:JR神戸線「明石」駅または山陽電鉄「山陽明石」駅から徒歩約10分。

車 :第2神明道路「大蔵谷IC」から兵庫県道21号・52号経由国道2号で。

   周辺に有料駐車場多数あり。

 

59番 姫路城

 

 姫路城

 

姫路城は、現在姫路市街の北側にある姫山および鷲山に築かれた平城です。

江戸時代初期に建てられた天守や櫓などの主要建造物が現存し、

ユネスコの世界遺産や日本の特別史跡となっている近世城郭の代表的な遺構です。

 

この歴史は中世に赤松氏が姫山に城を築いたことから始まります。

戦国時代後期には羽柴秀吉が居城し、

江戸時代には姫路藩の藩庁として最初は池田氏、

のちに本多氏や酒井氏などの譜代大名が入城しました。

明治時代には陸軍の兵営地となり、歩兵第十連隊が駐屯していました。

この際に多くの建物が取り壊されましたが、

大小天守群、櫓群が当時の陸軍省の働きかけによって

名古屋城とともに国費によって保存される処置がとられ、

太平洋戦争においては空襲に見舞われたものの、

天守閣最上階に落ちた焼夷弾が不発弾となるという幸運もあり

奇跡的に焼失を免れました。

 

現在では天守を始め多くの建造物が現存し、うち大天守、小天守、

渡櫓など8棟が国宝、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が

重要文化財に指定されています。

現存天守は、江戸時代以前に建造された

天守が現存する日本国内12箇所の城の一つであり、

いわゆる「国宝四城」(姫路城・松本城・彦根城・犬山城)の一つでもあります。

 

江戸時代や戦国時代を舞台にした時代劇を始めとして

映画などのロケが行われることも多く、

しばしば江戸城など他の城の代わりとして撮影されています。

 

[所在地]

兵庫県姫路市本町68番地

 

[交通アクセス]

鉄道:JR山陽本線・山陽新幹線「姫路」駅北口または、

   山陽電鉄「山陽姫路」駅から徒歩約15分~20分。

バス:神姫バスで「姫路城大手門前」下車すぐ。

 

もうすぐ春ですね。

菜の花も咲き出して、ぽかぽか陽気の日も多くなってきました。

歩いていると少し汗ばんできたりします。

お弁当を持ってちょっと早い春を楽しんでみませんか。


日本の100名城!~近畿地方2~

2012年03月05日 | 海外旅行

日本100名城とは、財団法人日本城郭教会が2007年(平成19年)に迎える

設立40周年の記念事業の一環として、

2005年(平成17年)に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募したもので、

歴史や建築の専門家などにより、

観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、

復元の正確性などを基準に審査の上選定、

2006年(平成18年)2月13日に発表したものです。

 

ちなみに、認定は4月6日「城の日」に行われました。

 

今回も、近畿地方(52番~55番)です。

 

52番 観音寺城

 

 観音寺城

 

観音寺城は、近江源氏の佐々木氏、後に近江国守護六角氏の居城で、

小脇館、金剛寺城を経て六角氏の本拠となりました。

支城に和田山城、佐生城、箕作城などがありました。

 

標高432.9m、南北に伸びる繖山の山上に築かれました。

南腹の斜面に曲輪を展開し、家臣や国人領主の屋敷を配しました。

総石垣で、安土城以前の中世城郭においては特異な点とされています。

天文年間には城下町・石寺も置かれ、楽市が行われていました。

周辺は琵琶湖や大中の湖、美濃から京都に至る東山道、

長光寺集落から伊勢へ抜ける八風街道があり、

それらを管制できる要衝に位置していました。

 

[所在地]

滋賀県近江八幡市安土町

 

[交通アクセス]

鉄道:JR東海道本線「安土」駅から徒歩約40分で桑実寺、

   さらに徒歩約30分で観音寺城本丸跡地

車 :名神「八日市IC」から国道421号・国道8号を経由で

   観音寺城山林道有料道路

 

53番 二条城

 

 二条城

 

徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、

江戸幕府の始まりと終焉の場所でした。

 

京都市街の中にある平城で、後述する足利氏、

織田氏、豊臣氏、徳川氏によるものがありますが、

現在見られるのは徳川氏によるものです。

 

城全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿が国宝に、

22棟の建造物と二の丸御殿にある計954点の障壁画が重要文化財に、

二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されています。

さらに1994年にはユネスコの世界文化遺産に

「古都京都の文化財」として登録されています。

 

[所在地]

京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町

 

[交通アクセス]

鉄道:京都市営地下鉄東西線「二条城」駅下車、徒歩約3分。

 

54番 大阪城

 

 大阪城

 

大阪城は、通称「太閤さんのお城」とも呼ばれていますが、

元々は「金城」あるいは「錦城」などと呼ばれていました。

1959年の大阪城総合学術調査において、城跡に現存する櫓や石垣などは徳川氏、

徳川幕府によるものであることが分かっています。

 

大坂城は、上町台地の北端に位置します。

かつて、この地のすぐ北の台地下には淀川の本流が流れる天然の要害であり、

またこの淀川を上ると京都に繋がる交通の要衝でもありました。

戦国末期から安土桃山時代初期には石山本願寺がありましたが、

1580年に焼失した後、豊臣秀吉によって大坂城が築かれ、

豊臣氏の居城および豊臣政権の本拠地となりましたが、

大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失しました。

徳川政権は豊臣氏築造のものに高さ数mの盛土をして縄張りを改めさせ

豊臣氏の影響力と記憶を払拭するように再建したとされます。

その後、幕府の近畿地方、および西日本支配の拠点となりました。

姫路城、熊本城と共に日本三名城の一つに数えられています。

 

現在は、昭和初期に復興された天守と櫓や門などが現存し、

城址は国の特別史跡に指定されています。

 

[所在地]

大阪府大阪市中央区大阪城

 

[交通アクセス]

鉄道:JR大阪環状線「大坂城公園」駅、またはJR東西線「大阪城北詰」駅、

   または大阪市営地下鉄・京阪電鉄「天満橋」駅、「谷町四丁目」駅、

   「大坂ビジネスパーク」駅、「森ノ宮」駅下車すぐ。

バス:大阪市営バス「大坂駅」「上本町六丁目」「あべの橋」から

   02号系統「大手前」もしくは「馬場町」下車。

船 :大坂水上バス「アクアライナー」(遊覧船)で大阪城港から。

 

55番 千早城

 

 千早城

 

千早城は、鎌倉時代末期より南北朝時代に存在した楠木正成の城です。

四方を絶壁に囲まれ要塞堅固を誇ったといわれる連郭式山城です。

 

大和国五条と南河内国を結ぶ最短ルートとして、

昔から交通、軍事の要街であった千早街道から登り詰めた

金剛山より西にある一支脈の先端に築かれた山城で、楠木氏の詰め城です。

城は、周囲が約4㎞で千早川の渓谷を利用し、北には北谷、南東には妙見谷、

東は風呂谷があって、四方の殆どを深い谷に囲まれ、

城の背後のみが金剛山の山頂に連絡する要害の地です。

金剛山の山頂は標高1125m、城の最高所の標高は673m、

比高は175mとなっています。

北条軍の大軍を引き受け、

楠木正成が奇策を用いて名高い攻城戦の舞台となったところです。

 

[所在地]

大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早

 

[交通アクセス]

鉄道:南海高野線または近鉄高野線「川内長野」駅から南海バス小澤線

   「金剛山ロープウェイ前」行きで「金剛登山口」下車、徒歩約20分。

   近鉄高野線「富田林」駅から金剛バス千早線「千早ロープウェイ前」

   または「金剛登山口」行きで「金剛登山口」下車、徒歩約20分。

車 :近畿自動車道「美原南IC」から国道309号経由大坂府道705号で。

   金剛登山口周辺に有料駐車場あり。

 

最近は雨が多いですね。

これも地球温暖化による異常気象の影響なんでしょうか?

暖かくなってきたのでジョギングでもしようと思っていた決意が

雨のお蔭で中止になってしまいました。

 

でも、確実に春は近づいています。

さあ、近くの野山に出かけましょう。