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日本の奇祭12「吉田の火祭り5」

2013年12月02日 | 国内旅行

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。
故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、
外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。
これを世の人は「奇祭」と呼びます。

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」
「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、
奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。
よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り
(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、
ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、
開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。
その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、
祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

特に言う必要はないと思いますが、
以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、
れっきとした郷土芸能であり、
日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

今回は、山梨県富士吉田市の吉田の火祭りの第5回目です。

吉田の火祭り(北口本宮冨士浅間神社:山梨県富士吉田市)

八月の祭礼準備

8月に入ると世話人の仕事も多忙を極めるようになり、
各自の稼業を休みながら世話人の仕事に奔走します。
特に祭り直前の10日間ほどは、
完全に本業を休み全休状態で祭りの準備に明け暮れます。
世話人は、火祭りの1ヶ月前から精進潔斎の生活に入り、女人に触れてはならず、
世話人の妻も祭りの場ではあまり表に出ないものとされています。
浅間神社の神職らもまた、祭礼期間中は潔斎の生活を送り、
豚肉や牛肉など4つ足の動物を食するのは禁忌されます。

 

8月初旬からの世話人の仕事を順に挙げると、
祭典寄付集めと集計、神輿巡幸寺にセコらの休憩所となる家々への挨拶回り、
神輿行列を先導するアゲ太鼓のバチの製作(バチのみ年ごとに新調され、
山から切り出したクルミの木を削って作ります)、
松明の点火材として使われるヤニ木(松脂)の採取および製作(約80組)、
御旅所に立てる6本の御神木に使用するモミの木と、
榊の代用となるソヨゴを富士山麓の恩賜林の奥深くまで行って切り出し、
上吉田コミュニティーセンターでの御旅所、神楽殿の設営、
大松明を運搬し本町通りの所定位置道端への設置、
山砂の敷布など、休む間もなく連日連夜準備に追われます。

祭礼当日の準備

 

 明神神輿

 

 御山神輿

8月26日、吉田の火祭り祭礼当日になると、
午後15寺開始の神事に先立つ最終準備が行われます。

朝9時、世話人は浅間神社に集まると、諏訪神社拝殿内に併設された
神輿庫から2台の神輿を外に出して担ぎ棒を取り付けます。

吉田の火祭りで使用される神輿は2台あります。
1台は明神神輿といい、
現在のものは1990年(平成2年)に152年ぶりに新調された神輿で、
以前はもっと小型の神輿でした。
もう1台は赤富士をかたどった重量1トンにもなる巨大な山形の神輿で、
一見すると到底神輿には見えない形状のものです。
この富士山を型どった神輿は、オヤマ(御山)、オヤマサン(御山さん)、
ミカゲ(御影)、富士御影(以下、御山神輿と記述します)などと呼ばれます。
御山神輿は近世初頭の「御訴松」の古文書にも
富士山型の形状をした神輿の記載が見られ、
その後も複数の古文書などに記されており、
古くから明神、御山の2台の神輿が祭礼に関わっていたことが確認されています。

また同日午前10時頃から、古くから諏訪神社の祭祀に深く関わってきた、
同じ上吉田地区内にある時宗西念寺住職により、
神前読経による仏式法楽が行われます。

 

西念寺住職を始めとする3名の時宗僧侶は、氏子総代、
世話人らに先導され諏訪神社の本殿前に並んで立ち、
般若心経と阿弥陀経の読経を行います。
読経が終わり僧侶らは社務所の直会へと退席しますが、
その際にも浅間神社拝殿の前で立ち止まり
深々と頭を下げ神前に拝礼していきます。
このような神仏混合の姿が今日でも見られます。
西念寺僧侶は26日午後の神輿渡御と、
翌日27日の還幸時にも道路端まで出向いて迎え読経を行います。
なお、西念寺住職家で身内に不幸があった場合、
やはりブクがかかることになるので、法楽を務めることはできず、
このような場合には、同宗の他寺院から僧侶を招いて代行されます。

富士講社の坊入り

各地の富士講社は祭礼に参加するため、
26日の昼頃までに富士吉田市内に入り、各講社の所属する御師坊へと入ります。
講員は御師坊に入ると、講社のマネキ(講社名を染め抜いた布旗)を
坊の玄関先やタツ道の入り口に掲げるので、
どの御師坊にどの講社が滞在しているのかが外からでも分かります。
講員らは行衣に着替えて午後3時から始まる浅間神社本殿際へ向かいます。

一般的な富士講員の服装は、白の宝冠、行衣、行袴を着て、
手に白い手甲、脛にも白い脚絆をつけ、わらじもしくは足袋を履きます。
頭に被る宝冠は7尺2寸の布ですが、現在これをかぶるのは秩父大丸講、
丸伊講、丸金講の講社だけです。
また、講社が御師坊に滞在している間、世話人が挨拶回りに各御師坊を回り、
各講社、御師坊からご祝儀を渡されます。

御師坊では家族総出で講社の世話に追われます。
どの御師坊でも部屋数に余裕がなく、
複数の講社にまとめて部屋に入ってもらい、
就寝時にはいわゆる雑魚寝状態になります。
食事も講社ごとに順番に食べてもらいます。

井桁行列

 

沿道の家々では井桁松明が積み上げられていきます。

井桁松明とは鎮火祭の当日に、各家の前に井桁状に積み上げられる薪のことです。
かつては自分の家の山林から赤松を切り出したり、
懇意にしている職人に頼んで薪を用意していました。
今日では木材流通センターなどから、
1把約600円程度のものを10把から15把購入する家が多いようです。

 

薪を積むにはまず、世話人が前もって道端に用意しておいた砂を敷き、
塩を撒いてから井桁状に組み上げていきます。
高さはおおむね170センチほどです。
点火する際に各家の主人によって四方に塩が撒かれます。
また、大松明と同様に点火をスムーズに行うため、
薪の上部には束にした松脂が置かれています。

【交通アクセス】
電車:富士急行線「富士山」駅下車、徒歩3分。
車 :中央自動車道「河口湖IC」から県道138号線経由で10分。
駐車場:無料約300台。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?



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