10倍楽しむ為の旅no心得

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より快適な旅を。

海外の常識<グアム編2>

2015年08月03日 | 海外旅行

グアムって近いんですけど、

当たり前といえば当たり前ですが外国なんです。

しかも、みなさんが大好きなアメリカなんです。

ですから、習慣も生活のルールも日本とは全然違うんです。

 

グアムなんてと行ってもいないのに敬遠する人がいますが、

ハワイほど大都会ではないですがものすごく落ち着くところなんです。

治安も安定しているし日本語も50%くらいは通じます。

私に言わせれば、

あまり日本語が通じると海外に来たって実感がわかないし、

海外旅行に行って日本食を食べるのもいかがなものでしょうか?

いつもと違う文化や食べ物、環境に触れるからこそ旅なんだと思いませんか?

 

今回はグアムならでは生活習慣についてです。

観光客だから関係ないなんて思っていたら大間違いです。

観光客であろうと入国してしまえばその国の法律に従わなければなりません。

昔よく言われた「旅の恥はかき捨て」というのも今は通用しません。

その場所にあった行動と責任を果たさなければならない時代なんです。

 

ということで、今回もグアム編です。

 

グアムは子供を大事にする法律があります。

まず、子供が学校に通うにはスクールバスか送り迎えが基本です。

小中高と一貫して一人では行かせないのが基本です。

子供に保護者がつく事で誘拐などの事件を未然に防いでいるのです。

 

また、子供を家やホテルに一人で置いておく事も禁止されています。

もちろん、車の中に待たせておく事も禁止です。

もし通報されれば外国人であろうとも逮捕されます。

 

もう一つ厳しい法律があります。

言い争いをしているのを警察に通報されるとこれも逮捕されます。

日本では夫婦喧嘩は犬も食わないと干渉しませんが、

グアムで派手に夫婦喧嘩をすると逮捕される場合もあるので注意してください。

 

日本も同じなんですが、
運転席、助手席、後部座席もシートベルト着用が義務付けられています。

さらにチャイルドシートについては、

年齢、体重、身長によって厳しく決められています。

たとえば1歳までは後部座席で後方に向けてチャイルドシートを設置、

1~4歳は後部座席で前方に向けてチャイルドシートを設置、という具合です。

チャイルドシートはレンタカー会社で貸し出しています。


グアムにはアスファルトとサンゴを混ぜて作った

「コーラルロード」と呼ばれる道路があります。

雨が降って濡れていると、

サンゴの持つ油分が出てきてとても滑りやすくなりますので、

急ブレーキ、急発進、急ハンドルなどは避けてください。

 

それと道路、特に市街地から少し離れた道路には穴がよくあいています。

スピードを出していたり、前方を良く見ていないとドカンと衝撃が来ます。

この時、タイヤをパンクさせたり車体に傷を付けたりするそうです。

後で修理代にお金を請求されかねないので気をつけましょう。

 

そして日本にはなくてグアムの道路にあるものと言えば「スピードバンプ」。

道路のところどころにある、こんもりとした出っ張りのことです。

駐車場内や住宅地などスピードを出しては危険な場所に作られています。

段差のあるところでは最徐行しないと

舌を噛んだり頭を天井にぶつける事もあります。

 

ちなみに、グアムのホテル、

ショッピングセンターなどの駐車場すべてが無料で利用できます。 

日本のように駐車料金とか場所を気にしないで車は止められます。

ただし当然ながら、名前やリザーブが表示されているところは駐車できません。

比較的治安の良いグアムですが、最近は車上荒らしが頻発しています。

車から少しでも離れるときは、

くれぐれも荷物を外から見えるところには置かないようにしてくださいね。

 

いい忘れていましたが、グアムでは車に乗るときはアルコールは禁止です。

昔のアメリカ映画では車を運転しながらバドワイザーを飲んでいたり、

ドライブインに寄ってビールを飲んでいるというイメージがあります。

映画「インデペンデンス・ディ」では、

最後に大活躍する自称「宇宙人にさらわれた男」は、

普段の仕事の時はウイスキーを飲みながらセスナを操縦しています。

州によって違うのでしょうが、

映画で堂々とやっているということは合法なんだと思います。

 

ところが同じアメリカでもグアムは飲酒には厳しいところです。

運転者本人が飲んで運転するのはダメなのはもちろんの事で、

同乗者も飲んでいると飲酒運転で捕まります。

もっと言えば、車内にアルコール類の空き缶や空き瓶でも捕まります。

外国人だからは通用しません。

捕まったら最後、罰金かそれ以上かそれは運次第です。

アルコールを飲みたいならレンタカー利用はやめましょう。

 

他にもアルコール類については結構厳しくて、

ビーチや公園をはじめ、公共の場でビールなどのアルコールを飲むのは違法です。

アルコールの販売は深夜2:00~朝9:00までは法律で禁止されています。

また、飲酒や酒類の購入ができるのは21歳からで、

購入の際にパスポートなどの身分証明書の提示を求められることがあります。

 

ちなみにショッピングセンターでアルール類を買った場合はどうするかというと、

必ず車のトランクに入れます。

今思い出したのですが、ヒルトンホテルを例にとると、

ホテル内だ買ったビールはだいたいどの種類でも1本350ccで2ドルくらいで、

Kマートで同じビールを買うと1ダースで9ドルくらいです。

ちょっと面倒ですが、外で買って持ち込んだ方が断然お得です。

 

行ってみないとわからないことっていっぱいあります。

でも、ガイドブックや旅行雑誌では決してわかりません。

まして、日本人の団体旅行ではそういう場面に遭遇すること自体が稀です。

ですが、行ったことのない海外でも有名どころはみんな知っています。

インターネットやテレビ、雑誌などで紹介されるからです。

私が思うには海外での感動は今まで見たこともない景色や

考えたこともない常識にあると思います。

知っていることを確認しに行くのであれば、

高いお金を出して行く価値はありません。

それは、他人に自慢するために自己満足に他ならないのです。

 

ですから、海外での自由行動が好まれるようになったり、

人の行かないようなところを専門に扱う旅行社が増えているのです。

往復のチケットを握りしめて、

旅は気分次第で北へ南へって、

若かりし日に一度は夢見る理想の旅だと思いませんか?

言葉が通じないからとか尻込みする人がいますが、

言葉なんて単なる意思表示の一つの道具にすぎません。

郷に入っては郷に従えば、言葉だってなんだってすぐにわかります。

要は、その一歩を踏み出すか踏み出さないかではないでしょうか?


日本の奇祭5「吉良川の御田祭」

2013年08月27日 | 海外旅行

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、高知県室戸市の吉良川の御田祭です。

 

吉良川の御田祭(御田八幡宮:高知県室戸市吉良川町)

 

 

吉良川の御田祭は、鎌倉幕府開幕当時、源頼朝が天下泰平、

五穀豊穣を祈念し、全国津々浦々の神社で奉納させたと伝えられており、

2年に1度、5月3日に行われます。

この祭りで行われる古式祭典は、芸能史的に極めて貴重なものとして

昭和52年に重要無形民俗文化財に指定されました。

県内では、奉納行事の中で赤ん坊の人形を奪い合う演目があるため、

子授かりの祭りとしても広く知られています。

 

早朝から昼まで

 

吉良川の御田祭は「練」で始まります。

早朝から吉良川の町内各地で練を行い、昼前に吉良川の海岸で練を行い、

清めの海水を汲んで、午前中は終わります。

練は紋付袴を身に付け、一文字笠を被った8人で行います。

 

地元の方の話では、

昔、田のスズメ追いに使っていたというササラを手に持ち、円陣を組み、

太鼓の音頭にあわせながら「ヨッピンピーロ、ヨッピンピーロ」と言いながら、

時計回りとは反対方向に回っていきます。

この時の手足の動きは、田を練る所作をしているのだそうです。

グルグルと15分以上も練を行います。

最初はササラを鳴らさず回り始めて、そのうち1回振る、

次は左右と中央で振ると変わっていきます。

 

 

境内での奉納行事・殿とかしゃ

 

午後1時過ぎから、境内での奉納行事が始まります。

奉納の行事は、主として田植えから収穫に至るまでの

お百姓さんの仕事を演ずるものです。

全部で14演目あり、この田遊びが五穀豊穣を願って奉納されます。

これら14演目の中には、田楽や猿楽などが織り交ぜられており、

一度でも狂言や能を見たことがある人は、

共通点を見出すことができるのではないかと思います。

各演目の合間に、宮司が出てきて「今から行われる演目は…」と説明します。

 

一番最初に行われるのが「殿とかしゃ」です。

「殿」が編み笠を被り長く大きな刀を付け扇子を持って登場し、

「かしゃ!かしゃ!」と叫びます。

すると「かしゃ」が「はい!はい!」と返事をしながら登場します。

舞台の真ん中で殿がかしゃに次の演目を小声で伝えると、

かしゃが参観者に大きな声で「次は○○を出しますぜよ」と言って回ります。

 

この殿とかしゃは、演目の間には必ず出てきます。

奉納行事の進行役なのですが、舞台の真ん中で、

殿とかしゃに小声で次の演目を伝えた後に、

かしゃの頭を扇子でポン!ポン!と叩くと、

かしゃが大きな刀をポンと跳ね上げる所作がなんともおかしく、

狂言のご主人様と太郎冠者を思い出させます。

 

 

境内での奉納行事・練収め~翁

 

朝から吉良川の町内を廻っていた練の「練収め」をします。

続いて「女猿楽」苗取りを行います。

同じしぐさを繰り返している様に見えますが、

毎回、少しずつ型が違っているようです。

この衣装は、婚礼時に女性が着る緞子帯を使っているようでした。

 

女猿楽の後、ぞろぞろと地謡を歌う囃子手が出てきて、

正面一列に神前に向かって着座します。

その後、「三番神」と「翁」が同時に舞台に出てきます。

囃子手が「アアヤオ、アアンヤ」と繰り返し唱えるのに合わせて、

三番神が舞います。よく見ていると、

三番神が大きく足を踏み鳴らす所作をする時は「アアヤオ、アアンヤ」も大きく、

すり足の時は小さいです。

 

三番神が終わると、待っていた「翁」の出番です。

同じく囃子手が「アアヤオ、アアンヤ」と繰り返し唱えるのに合わせて

翁も舞いますが、地謡がワキ役、翁が太夫役となり、

交互に文句を唱える所が大きく違います。

 

 

境内での奉納行事・牛~田打ち

 

「牛」は、牛の面を付けた人と牛使いが出てきて、田をすく所作をします。

牛の面は前が見えるようになってないようで、

曲がり角の所作がまた滑稽な感じを醸し出しています。

 

「田打ち」は、烏帽子、直衣、長袴を付けています。

木製の鍬を持ち、田打ち歌を唱えて田を打つ所作をします。

ここまでは、演目が終わると清めに水打ちの後に、

殿とかしゃが出てきたのですが、

田打ちの後から、「田刈」の演目が終わるまでは、

清めの水打ちをする人が出てこなかったようです。

 

 

境内での奉納行事・えぶり指し~酒絞り

 

「えぶり指し」は、田をエブリで馴らす所作をします。

この馴らす所作の時に「そうとめよう、そうとめよう」と大きな声で言います。

「田植え」は、奉納行事の中で一番たくさんの人が出てきます。

早乙女の格好をした12名に、

地謡が早乙女てがいとして小笹を持って後方に立ちますので、合計24名です。

太鼓の音頭に合わせて早乙女てがいが田植え歌を唱えながら手に持った笹で、

早乙女の被っている一文字笠をたたきます。

早乙女は、これに合わせて、向きを振りかえながら、

手に持った扇を苗に見立てて、苗を植える所作をします。

 

 

いよいよ「酒絞り」です。

子供が欲しいと願う参観者の女性たちが舞台に上がり、

酒絞りでできた子供の人形を奪い合うのが良く知られています。

過去、奪い合いが激しく、舞台から落ちた人がいたということで、

2007年には舞台の周囲にロープが張られました。

 

水槽にそうけ柄杓を入れ、頭上に頂きながら舞台に出てきます。

別にとりあげ婆が付きますが、後ろにくの字になってくっついてきますので、

良く分かりません。酒を絞る所作をしている間に神の子が生まれます。

その神の子の人形をとりあげ婆が高くさし上げ

「男の子ぢゃぁ~」と言った後、軽く投げます。

そして、この人形に女性たちが群がり、争奪戦が始まります。

人形は簡単にバラバラになるようになっていて、

足だけや手だけを取って満足の人、

本体をとろうとすざまじい争奪戦を繰り広げる人たちもいます。

 

大体の戦況が見えた所で終わりの合図があり争奪戦は終わります。

そして、バラバラになった人形の部位が集められます。

ちなみに、この人形は木製でできています。

人形が身につけていた赤い布は、

裂いて参加者が持ち帰ってよいことになっています。

その後、舞台の奥の神殿に争奪参加者が集まり、

元の様につなぎ合わされた木製人形を、一人一人抱かせてもらい、

子授かりを願います。

 

 

境内での奉納行事・田刈り~地固め

 

「田刈り」は、田打ちと同じ装束、面で行います。

田刈りの歌を唱えてから稲刈りの所作をします。

田刈りの後から、又、清めの水が撒かれるようになったように思いましたが、

前半部分で撒いていた人とは異なり、白い装束を身に付けます。

 

「小林」は、三番神の翁の時と同様に、地歌が着座します。

囃子手が「アアヤオ、アアンヤ」と歌うのも変わりません。

小林上野守是成の幽霊が現れ、戦いの武功を演じます。

説明によると、能の演目には「小林」の演目があるそうで、

ここの小林は能など洗練されたものより更に古いものにあたるそうです。

この事からも、能などが成立する以前から

ここの奉納が行われているという事が分かるそうです。

 

「魚釣り」は、釣竿を持って現れます。境内を海に見立てて、

そこに釣竿を垂れ、参観者が釣竿の先に付けてある魚を

ツンツンと魚が糸を引く所作をした後に離します。

そして「大漁!大漁!」と大きな声で言います。

 

 

奉納の最後は、「地固め」です。三番神や翁、小林の様に地歌も着座します。

秘文を唱えてから、舞い始めます。

囃子手が「アアヤオ、アアンヤ」と言うのは同じです。

最後に境内の参観者の方に向かい左手を上げ「再来年ござれ!」と叫びます。

これが、祭典行事の締めくくりとなります。

この後は、一切、この奉納行事の真似をしてはならないとされています。

 

太刀踊り

 

以上で「御田祭」の祭典は終わりますが、

江戸末期か明治の始め頃から、「太刀踊り」が奉納されるようになったそうで、

更に太刀踊りが続きます。

最初は木刀での棒踊り、途中から刀を使った太刀踊りとなります。

地元の人の話では、真剣を持って踊っている人もいるそうです。

両方合わせて約30分です。

 

【交通アクセス】

空港:高知龍馬空港より車で75分。

電車:ごめんなはり線「奈半利」駅より車で20分。

バス:高知東部交通バス室戸岬線「吉良川学校通」バス停下車。徒歩5分。

車 :高知自動車道「南国IC」より約75分。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?


長時間の移動は大変!

2013年05月07日 | 海外旅行

バスや電車に長時間乗っていると座った状態が長く続きますので、

どうしても足がパンパンにむくんでしまいます。

 

飛行機に乗っているときもそうですよね。

 

これは、同じ態勢で動かないことによって、

体の血液が下の方に下がってしまう事から起こります。

 

エコノミークラス症候群とも呼ばれるこの症状は、

旅行中(特に飛行機など)に起こる、

深部静脈血栓症に伴った急性肺動脈血栓塞栓症のことです。

旅行血栓症とも言われています。

 

移動中同じ姿勢で長時間座ったままでいるため下肢に血液が集中し、

また水分不足によって血液粘度の上昇が起こります。

これが引き金になり血の固まり(血栓)ができ、血管壁に付着します。

 

目的地に着陸し、席を立った途端に

長時間圧迫されていた足の静脈に付着していた血栓が血管壁からはがれ、

静脈流に乗って肺にとび、肺の血管を閉塞(詰まらせること)させ、

急性肺動脈血栓塞栓症が起こります。

 

こまめに足をマッサージしてあげたり、1時間位ごとに通路を歩いたり、

水分を十分に補給したりすることが大切です。

 

飛行機に乗ったときなど前の座席に設置されたモニター画面などで、

マッサージや運動の仕方などが紹介されていますので、

ぜひ実践してみましょう。

 

座った状態で、1時間に1回位の割合で下記のような運動をしてみてください。

この場合、一緒にゆっくりと深呼吸しながらやるともっと効果的です。

 

・頭をゆっくり右肩と左肩に傾ける…3回

・両肩をすくめ、息を吐きながら肩を落とす…5回

・両足を床におき、右足のひざに両手を添えて

 それを胸の方にゆっくりと抱え込む。これを両足に行う…右・左3回ずつ

・つま先やかかとを上げ下げする…10回

 

このくらいの簡単な運動をすることによって、

不快な足のむくみも解消されますし、快適な旅の時間が過ごせます。

 

しかし、旅行に行くとなると私はまず乗り物の中で眠れるのだろうか?

と移動について憂鬱になってしまいます。

 

ほとんどの場合、眠れたためしはないのですが、

これも精神的なもので「眠らなくては」と思っていると余計眠れなくなるんです。

 

小学生位の時には、遠足や運動会の前の夜はこういうふうにねむれなかったし、

やっと眠れたと思っても、

見る夢は楽しみにしている遠足や運動会に遅刻してしまう夢。

前の日からグッタリでした。

 

人間に必要な睡眠時間は8時間…という説を聞いた事がありますが、

これは本当に決まっている訳ではないようです。

 

個人によって快適に感じる睡眠時間は違っているそうで、

8時間の人が一番多い事から、8時間が理想的と言われているようです。

 

しかし、私が以前どこかで詠んだ記事には、

海の上を漂流していた人の睡眠時間は極端に短かったとあり、

体力を失わないように静かに横たわっている状態を保っていたらしく、

その場合はあまり睡眠が必要ではなかったという話でした。

 

睡眠は体と脳を休ませる為に取るものだから、

ただ横たわっている状態だとそう長時間は必要ないということのようです。

 

いずれにしても、長時間の移動は大変ということをお伝えしたかったのです。


日本の100名城!~近畿地方4~

2012年04月02日 | 海外旅行

日本100名城とは、財団法人日本城郭教会が2007年(平成19年)に迎える

設立40周年の記念事業の一環として、

2005年(平成17年)に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募したもので、

歴史や建築の専門家などにより、

観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、

復元の正確性などを基準に審査の上選定、

2006年(平成18年)2月13日に発表したものです。

 

ちなみに、認定は4月6日「城の日」に行われました。

 

今回も、近畿地方(60番~62番)です。

 

60番 赤穂城

 

 赤穂城

 

赤穂城は、兵庫県赤穂市にある「忠臣蔵」で有名な城です。

別名、加里屋城、大鷹城といわれます。

 

江戸時代、赤穂藩の藩庁が置かれた所です。

元和偃武の後、本格的に築城されたお城です。

本丸と二の丸が輪郭式に配され、その北側に三の丸が梯郭式に置かれています。

銃砲撃戦を意識した設計となっていて、

十字砲火が可能なように稜堡に良く似た横矢掛かりが数多く用いられています。

 

[所在地]

兵庫県赤穂市上仮屋

 

[交通アクセス]

鉄道:JR赤穂線「播州赤穂」駅から徒歩約15分。

車 :山陽自動車道「赤穂IC」から約10分。

 

 

61番 高取城

 

 高取城

 

高取城は、奈良県高市郡高取町高取にあった城です。

別名、高取山城。

江戸時代は高取藩の藩庁が置かれた所です。

 

城は、高取町から4キロほど南東にある

標高583mの高取山山頂に築かれた山城です。

山上には、白漆喰塗りの天守や櫓が29棟建て並べられ、

城下町より望む姿は「巽高取雪かと見れば、

雪ではござらぬ土佐の城」と謡われました。なお、土佐とは高取の旧名です。

 

曲輪に連なった連郭式の山城で、城内の面積は約10000平方メートル、

周囲は約3キロ、城郭全域の総面積約60000平方メートル、

周囲約30キロに及びます。

日本国内では最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・

岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられています。

 

[所在地]

奈良県高市郡高取町高取

 

[交通アクセス]

鉄道:近鉄吉野線「壺阪山」駅下車

車 :西名阪自動車道「郡山IC」「柏原IC」

   南阪奈自動車道「葛城IC」より国道及び県道を経由

 

 

62番 和歌山城

 

 和歌山城

 

和歌山城は、徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城だった所です。

 

和歌山城は和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの虎伏山に建てられ、

北部を流れる紀の川を天然の堀として利用されました。

本丸の北側に二の丸が配され、

その外に大きく三の丸が配された梯郭式平山城です。

 

徳川頼宣は1621年より城の大改修と城下町の拡張を始め、

計画では完成時より更に大規模な城構えになる予定だったそうですが、

大規模な改修のため幕府より謀反の嫌疑をかけられるほどだったそうです。

しかし、附家老安藤直次の弁明で事なきを得たようです。

外堀も拡張して総構えにしたかったらしいのですが、

幕府より嫌疑をかけられ中止させられてしまったため、

堀止の地名が残っています。

後に数度の火災に遭いましたが、その度に再建されました。

現在、城跡として現存しているのは最盛期の4分の1ほどの面積です。

 

その他、特徴としては時代によって異なる石垣の積み方などがあります。

しかも、豊臣・浅野時代の石垣には刻印された石垣石があります。

模様は約170種類、2100個以上の石が確認されていますが、

その大半が和泉砂石です。

 

現在は、本丸と二の丸が和歌山公園となっていますが、

本丸南西部には和歌山懸護國神社があり、

南の丸には和歌山公園動物園があります。

主に三の丸跡などには県庁、和歌山市役所や和歌山市消防局、

和歌山地方裁判所・和歌山家庭裁判所・和歌山地方検察庁をはじめ

公的機関や学校、商業施設、オフィス街、和歌山中央郵便局、

県立近代美術館・県立博物館などがあります。

 

遺構として石垣、堀をはじめ、公園内には岡口門と土塀、追迴門が現存し、

岡口門と土塀は国の重要文化財に指定され、

二の丸にある大楠は県指定特別天然記念物に指定されています。

また、大小天守群とそれに続く櫓・門・大手門・一之橋が復元されています。

 

[所在地]

和歌山県和歌山市一番町

 

[交通アクセス]

鉄道:南海本線「和歌山市」駅から徒歩約10分。

バス:阪和線「和歌山」駅より和歌山バスで「公園前」下車、徒歩数分。

車 :阪和自動車道「和歌山IC」から県道145号を経由し約15分。

 

これから暖かくなって出かける機会も多くなります。

そんな時、目的を持って出かけられることは大いなる楽しみになります。

全国に散在する名城旧跡を訪ねてみるのも一興かと思います。


日本の100名城!~近畿地方2~

2012年03月05日 | 海外旅行

日本100名城とは、財団法人日本城郭教会が2007年(平成19年)に迎える

設立40周年の記念事業の一環として、

2005年(平成17年)に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募したもので、

歴史や建築の専門家などにより、

観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、

復元の正確性などを基準に審査の上選定、

2006年(平成18年)2月13日に発表したものです。

 

ちなみに、認定は4月6日「城の日」に行われました。

 

今回も、近畿地方(52番~55番)です。

 

52番 観音寺城

 

 観音寺城

 

観音寺城は、近江源氏の佐々木氏、後に近江国守護六角氏の居城で、

小脇館、金剛寺城を経て六角氏の本拠となりました。

支城に和田山城、佐生城、箕作城などがありました。

 

標高432.9m、南北に伸びる繖山の山上に築かれました。

南腹の斜面に曲輪を展開し、家臣や国人領主の屋敷を配しました。

総石垣で、安土城以前の中世城郭においては特異な点とされています。

天文年間には城下町・石寺も置かれ、楽市が行われていました。

周辺は琵琶湖や大中の湖、美濃から京都に至る東山道、

長光寺集落から伊勢へ抜ける八風街道があり、

それらを管制できる要衝に位置していました。

 

[所在地]

滋賀県近江八幡市安土町

 

[交通アクセス]

鉄道:JR東海道本線「安土」駅から徒歩約40分で桑実寺、

   さらに徒歩約30分で観音寺城本丸跡地

車 :名神「八日市IC」から国道421号・国道8号を経由で

   観音寺城山林道有料道路

 

53番 二条城

 

 二条城

 

徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、

江戸幕府の始まりと終焉の場所でした。

 

京都市街の中にある平城で、後述する足利氏、

織田氏、豊臣氏、徳川氏によるものがありますが、

現在見られるのは徳川氏によるものです。

 

城全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿が国宝に、

22棟の建造物と二の丸御殿にある計954点の障壁画が重要文化財に、

二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されています。

さらに1994年にはユネスコの世界文化遺産に

「古都京都の文化財」として登録されています。

 

[所在地]

京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町

 

[交通アクセス]

鉄道:京都市営地下鉄東西線「二条城」駅下車、徒歩約3分。

 

54番 大阪城

 

 大阪城

 

大阪城は、通称「太閤さんのお城」とも呼ばれていますが、

元々は「金城」あるいは「錦城」などと呼ばれていました。

1959年の大阪城総合学術調査において、城跡に現存する櫓や石垣などは徳川氏、

徳川幕府によるものであることが分かっています。

 

大坂城は、上町台地の北端に位置します。

かつて、この地のすぐ北の台地下には淀川の本流が流れる天然の要害であり、

またこの淀川を上ると京都に繋がる交通の要衝でもありました。

戦国末期から安土桃山時代初期には石山本願寺がありましたが、

1580年に焼失した後、豊臣秀吉によって大坂城が築かれ、

豊臣氏の居城および豊臣政権の本拠地となりましたが、

大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失しました。

徳川政権は豊臣氏築造のものに高さ数mの盛土をして縄張りを改めさせ

豊臣氏の影響力と記憶を払拭するように再建したとされます。

その後、幕府の近畿地方、および西日本支配の拠点となりました。

姫路城、熊本城と共に日本三名城の一つに数えられています。

 

現在は、昭和初期に復興された天守と櫓や門などが現存し、

城址は国の特別史跡に指定されています。

 

[所在地]

大阪府大阪市中央区大阪城

 

[交通アクセス]

鉄道:JR大阪環状線「大坂城公園」駅、またはJR東西線「大阪城北詰」駅、

   または大阪市営地下鉄・京阪電鉄「天満橋」駅、「谷町四丁目」駅、

   「大坂ビジネスパーク」駅、「森ノ宮」駅下車すぐ。

バス:大阪市営バス「大坂駅」「上本町六丁目」「あべの橋」から

   02号系統「大手前」もしくは「馬場町」下車。

船 :大坂水上バス「アクアライナー」(遊覧船)で大阪城港から。

 

55番 千早城

 

 千早城

 

千早城は、鎌倉時代末期より南北朝時代に存在した楠木正成の城です。

四方を絶壁に囲まれ要塞堅固を誇ったといわれる連郭式山城です。

 

大和国五条と南河内国を結ぶ最短ルートとして、

昔から交通、軍事の要街であった千早街道から登り詰めた

金剛山より西にある一支脈の先端に築かれた山城で、楠木氏の詰め城です。

城は、周囲が約4㎞で千早川の渓谷を利用し、北には北谷、南東には妙見谷、

東は風呂谷があって、四方の殆どを深い谷に囲まれ、

城の背後のみが金剛山の山頂に連絡する要害の地です。

金剛山の山頂は標高1125m、城の最高所の標高は673m、

比高は175mとなっています。

北条軍の大軍を引き受け、

楠木正成が奇策を用いて名高い攻城戦の舞台となったところです。

 

[所在地]

大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早

 

[交通アクセス]

鉄道:南海高野線または近鉄高野線「川内長野」駅から南海バス小澤線

   「金剛山ロープウェイ前」行きで「金剛登山口」下車、徒歩約20分。

   近鉄高野線「富田林」駅から金剛バス千早線「千早ロープウェイ前」

   または「金剛登山口」行きで「金剛登山口」下車、徒歩約20分。

車 :近畿自動車道「美原南IC」から国道309号経由大坂府道705号で。

   金剛登山口周辺に有料駐車場あり。

 

最近は雨が多いですね。

これも地球温暖化による異常気象の影響なんでしょうか?

暖かくなってきたのでジョギングでもしようと思っていた決意が

雨のお蔭で中止になってしまいました。

 

でも、確実に春は近づいています。

さあ、近くの野山に出かけましょう。