1年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。
故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?
ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、
外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。
これを世の人は「奇祭」と呼びます。
奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。
これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」
「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、
奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。
よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り
(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、
ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、
開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。
これから数回に渡って奇祭を特集していきます。
その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、
祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。
特に言う必要はないと思いますが、
以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、
れっきとした郷土芸能であり、
日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。
今回は、京都府の烏相撲と沖縄県のウンジャミ、和歌山県の太地浦勇魚祭です。
烏相撲(上賀茂神社:京都府京都市北区上賀茂本山町)
重陽神事は、重陽の節句に無病息災を願う神事です。
九月九日は、九という陽の字が重なることから重陽といい、
古来よりこの日に菊酒を飲んだり、
菊花についた露で肌を拭ったりして災厄を祓ってきました。
古来宮中その他で行われた五節句の一つの重陽の節句に相当し、
本殿に菊花を供え無病息災を祈願します。
重陽神事の後に行われるのが烏相撲です。
烏相撲は、上賀茂神社御祭神の外祖父賀茂建角身命が神武天皇東征に際し、
八咫烏となって先導したという故事があり、
それに信仰行事の相撲が結びついたものといわれています。
烏相撲では、祢宜代・祝方東西に子供たちが分かれ相撲を取ります。
午前10時から、斎王代・子供力士らはまず土舎、次に本殿祭へと向かいます。
本殿祭が終わり斎王代・宮司・権宮司は本殿から細殿へ向かいます。
細殿中央に斎王代、左右に宮司・権宮司が着座し、11時より烏相撲が始まります。
地取りの後、差符(子供力士の名簿)を斎王代へ差し出します。
弓矢・太刀を立砂へ立てかけ、
扇を開き「カーカーカー」と三三九度烏鳴きをします。
行事と子供力士たちが三度立砂の周りを歩きます。
東西10名づつに分かれ白熱した相撲が展開します。
引き続き、勝ち抜き戦も行われます。
烏相撲は1時間ほどで終了し、楽舎で菊酒が振る舞われます。
【交通アクセス】
JR京都駅より
市バス4系統にて「上賀茂神社前」下車すぐ。
市バス9系統にて「上賀茂御薗橋」下車徒歩3分。
四条河原町より
市バス4・46系統にて「上賀茂神社前」下車すぐ。
市バス37系統にて「加茂川御薗橋」下車徒歩3分。
四条烏丸・四条大宮より
市バス46系統にて「上賀茂神社前」下車すぐ。
京阪出町柳駅前より
市バス4系統にて「上賀茂神社前」下車すぐ。
京都バス32・34・37系統にて「上賀茂神社前」下車徒歩2分。
北大路ターミナルより
市バス37系統にて「上賀茂御薗橋」下車徒歩3分。
京都バス32・34・35・37系統にて「上賀茂神社前」下車徒歩2分。
ウンジャミ(沖縄県国頭郡大宜味村)
ウンジャミは、旧盆明けの初亥の日に大宜味村の田港・
屋古・塩屋・白浜の4集落が共同で行う、
500年以上の歴史を持つ五穀豊穣、無病息災を祈願する祭りです。
女性中心の祭りで、午前中に4集落の司祭者であるノロが、
田港のアシャゲ(祭場)に集まり、神迎えをします。
ノロとは、祝女という字をあて、
沖縄県と鹿児島県奄美諸島の琉球の信仰における女司祭のことです。
地域の祭祀を取り仕切り、御嶽を管理します。
ノロに決まった服装はなく、琉装もしくは和装の着流しの白装束が多く、
草の冠(神カムリ)などの草装も見られ、
そうした異形の装束は神が憑依していることを意味しています。
これは世界の各地のアニミズムで共通してみられる特徴です。
ノロは、そこから屋古までの1㎞を行列を作って歩き、
屋古のアシャゲで、環になって踊ります。
最後は、屋古から塩屋までサバニ(小舟)漕ぎ競争があります。
塩屋では、女性たちが胸まで海の浸かりながら手招きをしたり、
鉦を叩きながらサバニを迎えます。
その後に海岸で神送りの神事を行います。
【交通アクセス】
車 :沖縄自動車道「許田IC」から国道58号経由塩屋方面へ約30分。
太地浦勇魚祭(和歌山県牟婁郡太地町太地港)
「鯨に町」として知られる太地町では、
毎年8月14日に古式捕鯨を再現した太地浦勇魚祭が開催されます。
「勇魚(いさな)」とは鯨のことをさします。
古式捕鯨発祥の地としての歴史と文化の伝承や
地域の振興に寄与することを目的として昭和62年(1987)から行われ、
太地町の代表的な祭りのひとつとなっています。
この太地浦勇魚祭を主催しているのが、
町の青壮年20数名が会員となって活動している「太地勇魚会」です。
勇魚会では、鯨の模型と勢子船を使い、江戸時代初期に
太地町で発祥した古式捕鯨法「網掛け突き捕り捕鯨法」を再現しています。
勇魚祭は17時30分から開始され、
約40分をかけておよそ9mの鯨模型にとどめを刺すまでを再現します。
再現中は、ナレーションによる解説も入ります。
また、勇魚祭は太地町盆供養花火大会と同日に行われており、
勇魚祭終了後、花火大会、鯨踊り、鯨太鼓も同時開催されます。
【交通アクセス】
電車:JR紀勢本線太地駅から町営じゅんかんバス「漁協前」下車、徒歩1分。
いかがでしたか。
祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。
長年にわたって受け継がれてきた祭りには、
理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。
たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?