一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。
故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?
ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、
外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。
これを世の人は「奇祭」と呼びます。
奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。
これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」
「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、
奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。
よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り
(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、
ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、
開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。
これから数回に渡って奇祭を特集していきます。
その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、
祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。
特に言う必要はないと思いますが、
以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、
れっきとした郷土芸能であり、
日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。
今回は、大阪府の一夜官女祭、長崎県のヘトマト、福岡県の尻振り祭です。
一夜官女祭(野里住吉神社:大阪府大阪市西淀川区野里)
一夜官女祭は、大阪市西淀川区に鎮座する野里住吉神社において、
毎年2月20日に行われています。
この神社は、永徳2年(1382)、足利義満の創建と伝えられており、
その昔の野里には、暴れ川の中津川が流れていて、
打ち続く風水害と厄病の流行に苦しんだそうで、
近隣からは「泣き村」と呼ばれてきました。
古老たちは、村を救わんとの願いから、占いにより毎年定めた日に、
白矢の打ち込まれた家の娘を神に捧げることにしました。
人身御供の娘は、深夜に唐櫃に入れられて神社境内に放置されました。
ちょうど7年目の儀式の準備をしていると、一人の武士が訪れ、
村人たちの話を聞き、「神は人を救うもので犠牲にするものではない」と、
自身が身代わりになり唐櫃に入ることになりました。
翌朝、村人たちが神社に確認に行くと、
唐櫃は壊れ辺り一面は血に染まり、武士の姿は見当たりませんでした。
点々と続く血の跡をたどると隣村まで続き、
大きな狒々が絶命していたということです。
その後、この武士の正体は、大阪夏の陣で絶命した、
当時武者修行中であった岩見重太郎であると伝えられています。
この伝説は司馬遼太郎の小説にもなっています。
なお、狒々ではなく、中津川を大蛇に見立てた大蛇伝説も残っており、
淀川沿いの水害の多い土地柄から、
災害消除を祈願したのであろうと考えられています。
この一夜官女祭は、江戸時代から近郷に知れ渡ったもので、
一時上臈とも呼ばれ、明治40年までは旧暦1月20日に厳格な宮座制度により、
この神事が行われてきました。
この宮座は文化5年(1805)の「御供一件記」によると、
老若二座(24人)で組織され、
毎年祭礼の少し前に當矢一軒・上臈家七軒・年行事他諸役を決めます。
當矢は神事の為の宿であり、上臈家は七人の官女と侍を出し、
年行事は行事の監督と世話役です。
「一夜官女」はこの日一日だけ神に仕える役で少女が扮し、
総ての役が決まると當矢で宮座衆により
古来より決まった神饌を調整していました。
この宮座も昭和の初めに廃止、
新たに33人の宮座講が組織されましたが、これも昭和25年に解散、
現在は氏子総代が古式を継承し調整(神餞調整中は女人禁制)しています。
神餞の内容は白蒸し・鏡餅・小餅・串柿・大根煮・白菜煮・
小豆煮・豆腐白味噌煮の他、鯉(二枚おろし)・鮒(生のまま)・
鯰(白味噌煮)の川魚が添えられます。
元禄15年(1702)に作られた檜製の楕円形曲げ物桶七台は神社にて保存中で、
現在は昭和57年に複製された桶七台に上記神饌を入れ、
曲げ物桶の中央に「龍の首」、周囲には「御花」という
紅白の御幣が立て並べられています。
この七台の夏越桶に分納した特殊神餞と
當矢といわれる氏子の中から選ばれた7人の少女が神前に供えられます。
これらの供物は、岩見重太郎が身代わりになったときに
一緒に運ばれたものだといわれています。
また、人身御供の娘が運ばれた場所は社殿裏の龍の池だったそうです。
この池も長い年月の間に埋まってしまい、
形だけが残る状態となっていましたが、その跡地に乙女塚が建てられ、
犠牲になった娘たちが祀られています。
この「一夜官女祭」は、人身御供の作法が神事として伝わったものといわれ、
昭和47年には大阪府の民俗文化財に指定されました。
【交通アクセス】
電車:JR神戸線「塚本」駅下車、徒歩約10分。
ヘトマト(白浜神社:長崎県五島市下崎山町)
ヘトマトとは、古来より下崎山地区に伝わる奇祭で、
起源、語源については全く不明の民俗行事です。
毎年1月16日に白浜神社で行われる奉納相撲に始まり、
新婚の女性が酒樽の上に乗って行う羽根突きや、
グラと呼ばれる炭を顔や体に塗った締め込み姿男たち約100人が
藁で作った玉を激しく奪い合う玉せせり、
豊作と大漁を占う綱引きなどが行われます。
また、ヘトマト最大の見所である「大草履奉納」では、
長さ3m、重さ350㎏という巨大な草履が登場し、
その草履に見物客や沿道にいる若い女性を捕まえては乗せ、
草履ごと抱え上げて上下に揺らします。
ヘトマトは、豊漁や豊作、無病息災、子孫繁栄などを願って行われる祭りで、
国の重要無形民俗文化財にも指定されています。
【交通アクセス】
バス:福江港より五島バス崎山方面行きで「崎山」バス停下車、徒歩約3分。
尻振り祭(福岡県北九州市小倉南区井手浦)
尻振り祭は、毎年1月8日に北九州市小倉南区井手浦地区で行われるお祭りです。
八日座祭とも呼ばれ、小倉の三奇祭の一つとされています。
祭りのいわれは昔、平尾台にいた大蛇を神様が退治したところ、
尾が井手浦地区に落ちてピンピンと跳ね、
その年は大豊作になったことにちなんで始まったとされています。
祭会場である井手浦公民館には、
外に大蛇を模して編んだ長さ約4mのわらと的が設置され、
近くの東大野八幡神社の宮司と保存会の住民2人が、
腰をかがめて尻を左右に振り豊作と無病息災を祈った、
ユーモラスな動きで周囲の見物人を笑わせます。
クライマックスは宮司が日本刀でわらをまっ二つにします。
この中には干し柿が入っており、人々はそれを目がけ拾います。
この地区も高齢化で祭りを引き継ぐ座元を務められる人が減ったため、
地元住民の有志が井手浦尻振り祭保存会を結成されました。
郷土芸能の火を絶やさず、地域の宝を未来へ受け継いでいく、
そんな使命感にも感じました。
【交通アクセス】
航空:北九州空港から車で約40分。
電車:JR日田彦山線「石原町」駅下車、車で約5分、徒歩約30分。
いかがでしたか。
祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。
長年にわたって受け継がれてきた祭りには、
理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。
たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?