日本100名城とは、財団法人日本城郭教会が2007年(平成19年)に迎える
設立40周年の記念事業の一環として、
2005年(平成17年)に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募したもので、
歴史や建築の専門家などにより、
観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、
復元の正確性などを基準に審査の上選定、
2006年(平成18年)2月13日に発表したものです。
ちなみに、認定は4月6日「城の日」に行われました。
今回も、九州地方(91番~94番)です。
91番 島原城
島原城
島原城は別名、森岳城、高来城といい、有明海に臨む雲仙岳の麓に位置します。
城郭の形式はほぼ長方形の連郭式平城で、高く頑丈な石垣が特徴です。
本丸は周りを水堀で囲まれていて、二の丸と廊下橋形式の木橋一本で繋がっています。
橋を壊せば本丸を独立させることができますが、逆に袋の鼠状態になり、
しかも廊下橋は、防備上矢玉が当たりにくくなるので、縄張りの欠陥ともいえます。
同じ事例に、高松城の天守郭があります。
また、天守は破風を持たない独立式層塔型5重5階で最上階の廻縁高欄を後に
戸板で託囲ったため「唐造り」のようになっていました。
江戸時代は島原藩の政庁であり藩主の居城でした。
成立当時の領主である板倉氏の知行は4万石でしたが、
総石垣で天守と櫓49棟を建て並べました。
火山灰や溶岩流でなる地盤での普請工事は困難であったとされ、
関わった領民の一揆を引き起こす一因となりました。
明治以降は廃城処分となり建物などは撤去され、
現在は本丸に天守・櫓・長塀が復興され、城跡公園となっています。
[所在地]
長崎県島原市城内
[交通アクセス]
鉄道:島原鉄道「島原」駅から徒歩約5分。
92番 熊本城
熊本城
熊本城は、熊本市植木町の中心から南に伸びる舌状台地の尖端、
茶臼山丘陵一帯に築かれた平山城です。
現在の熊本市本丸、二の丸、宮内、古城、古京町、千葉城町に当たります。
別名を銀杏城ともいいます。
中世には千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて
加藤清正がこれに取り組み、現在のような姿の熊本城を築きました。
「清正流」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、
五階櫓などが詰め込んだように建てられ、
一大名の城としては「日本一」であるとの評価もあります。
細川氏の居城となった後もさかんに改築が行われ、
明治時代の初めまでは大半の建物が撤去されずに現存していましたが、
熊本鎮台が置かれた後に建物や石垣、曲輪の撤去や改変が行われ、
西南戦争で一部の建物を残して天守を含む御殿や櫓など主要な建物を焼失しました。
現在は、宇土櫓や東竹之丸の櫓群が残っています。
石垣普請の名手とされる清正が築いた石垣は、
明治22年の大地震で石垣の一部が崩落し、改修された部分があるものの、
ほぼ江戸期の改築による変遷の痕跡をとどめ、城跡は特別史跡に指定されています。
昭和時代初期には大小天守と一部の櫓が外観復元され、
近年では、櫓や御殿などの主要な建物を木構造で復元する事業が行われています。
[所在地]
熊本県熊本市本丸1−1
[交通アクセス]
鉄道:JR肥薩線「熊本」駅頬当御門まで「九州産交バス」で約18分。
熊本市電「杉塘」電停より城内まで約150m、
「熊本城前」電停より城内まで約30m、櫨方門まで約400m、
頬当御門まで約600m。
「市役所前」電停より城内及び須戸口門まで約200m。
93番 人吉城
人吉城
人吉城は、相良氏が鎌倉時代に地頭として人吉荘に赴任して以来35代670年の長きにわたり在城し、江戸時代には人吉藩の藩庁の置かれた所です。
人吉城は市内中央部を流れる球磨川の南側に位置し、球磨川とその支流胸川の合流点の山に築かれていて、北側と西側は球磨川と胸川を天然の堀とし、東側と南側は山の斜面と崖を天然の城壁として、巧みに自然を利用しています。
球磨川沿いに三の丸を配し、その南に二の丸、さらに丘陵上に本丸が配されている、梯郭式の平山城です。
本丸には天守は築かれず護摩堂があったと言われています。
幕末に築かれた石垣の一部には、ヨーロッパの築城技術である槹出工法を応用した「武者返し」と呼ばれる独特の石垣があります。
この武者返しは城壁最上部に平らな石がやや突き出して積んであり、ねずみ返しのように城壁越えを阻止するとともに、割合簡単に落下させられるようになっていて、城壁に張り付いた敵への攻撃にも使えるようにしています。
この城壁は日本の城では他に函館の五稜郭と鶴岡城にしかない珍しいものですが、いずれも人吉城の石垣程の規模には及びません。
現在の城跡は「人吉城公園」として整備され櫓や塀が復元されています。
また、城址の西側には人吉市役所、相良護国神社があります。
[所在地]
熊本県人吉市麓町
[交通アクセス]
鉄道:JR肥薩線「人吉」駅より徒歩約10分。
車 :九州自動車道「人吉IC」から県道54号線で約5分。
94番 大分府内城
大分府内城
大分府内城は、府内城または大分城とも呼ばれ、大分藩の藩庁にあった所です。
大分府内城は、大分市街の中心に位置する梯郭式平城です。
安土桃山時代後期、府内に12万石で入封した福原直高が
府内の荷落に築城を始めましたが、福原氏は改易され、
関ヶ原の戦いの後に3万3千石で入封した竹中重利が完成させました。
江戸時代には府内藩2万石の藩庁が置かれていましたが、
明治初期に本丸・東丸・西丸の建造物以外は破却され、
堀の一部が埋め立てられました。
さらに太平洋戦争時の空襲により櫓が数棟焼失しました。
現在、城跡は大分城址公園となっています。
本丸跡北西隅に人質櫓と西丸に宗門櫓が現存し、
大分県の史跡に指定されています。
また、3棟の二重櫓と大手門、土塀、廊下橋が復元されています。
西丸跡には1966年に大分文化会館が建てられ、
三の丸跡には大分県庁・大分市役所などがあります。
[所在地]
大分県大分市荷揚町
[交通アクセス]
鉄道:JR日豊本線「大分」駅北口より徒歩約10分。
車 :大分道「大分IC」から県道21号線・国道210号線・国道197号線経由で。
今年の夏は全然雨が降りませんねえ。
台風16号が近づいてきて数日前から期待していた雨が、
今日になってやっと降りました。
雨の少ない影響でお米のできはすこぶるいいようですが、
果物は雨が少ない影響で甘みが少ないようです。
水不足の影響が出ている所もあると聞いています。
出かけるには雨が少ないにこしたことはありませんが、
秋の長雨というくらい、
昔から秋の雨降りは情緒と考えられてきました。
しとしと降る雨に降られながら出かけるのもオツなものですよ。