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日本の奇祭42「八戸えんぶり・山鹿灯籠まつり」

2015年03月02日 | 日本の奇祭

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、青森県の八戸えんぶりと熊本県の山鹿灯籠まつりです。

 

 

八戸えんぶり(青森県八戸市中心街)

 

八戸えんぶりは、2月17~20日に行われる八戸地方に春を呼ぶ伝統行事、

青森冬の三大祭り、みちのく五大雪祭りに数えられています。

えんぶりは、その年の豊作を祈願するための舞で、

高さ60㎝ほどの馬の頭を象った華やかな烏帽子をかぶった太夫と呼ばれる

舞い手たちが、米づくりをする様子を勇ましく、祈りを込めて舞います。

その舞は、頭を大きく振り、

地面を摺るように舞うことから「摺る」と呼ばれています。

合間には子供たちによる大黒舞や恵比寿舞などかわいらしい祝福芸もあり、

観客を悦ばせます。国の重要無形民俗文化財に指定されています。

 

 

えんぶりの起源には、伝説も含め様々な説がありますが、

南部氏の祖・南部光行公が奥州へ下向したころ始まったというのが通説です。

 

鎌倉時代の始め、後の八戸藩主南部光行は、

頼朝から奥州糠部郡を拝領し、甲州から下ってきました。

奥州で迎える初めての正月、光行は自分の家来たちに武装させ、

有力者たちの家を訪問させましたが、

酒の勢いのためか家来たちは抜刀乱舞したため、家人たちは恐れ慄いたそうです。

この時、その場に居合わせた農民藤九郎という機転の利く男が、

賑やかに田植歌を歌い、農具を手に持って踊ったところ、

家来たちは刀を納めてその様子を見物したそうです。

鳴子板をふり、田んぼの土をならす仕草を踊り終えた藤九郎が、

南部家を祝福する口上を述べたところ、

それが吉例となり、えんぶりが行われるようになったといわれています。

 

 

2月17日には、市中心街にある長者山新羅神社に、

早朝から集まった各えんぶり組が

本殿の前で奉納摺りと呼ばれるえんぶり摺りを披露します。

奉納摺り終了後、

境内で観覧者・撮影者用に2組のえんぶり組がえんぶり摺りを披露します。

長者山新羅神社での奉納後、市中心街へ行列となって練り歩きます。

 

 

のろしを合図に、

市中心街の大通りですべてのえんぶり組が一斉にえんぶり摺りを行います。

30数組のえんぶり組による摺りはまさに圧巻です。

 

 

えんぶりには幾つかの演目があります。

「摺りこみ」とは、先頭の藤九郎が、

威勢よくえんぶり摺りの藤九郎が参りましたァ~と口上を述べ終わると、

右手にはジャンギまたはナリゴ・カンダイを持ち、

音を立てながら左手に閉じた扇子を手拭いで包むように持って、

額にかざし、一列に演ずる場所に入って一回りすることです。

 

次に「摺りはじめ」とは、太夫たちは、内側を向いて円形になり、

ジャンギを寄せ合うようにしながら、振るわせ、音を出します。

囃子が止まり、摺りの歌が始まるとえんぶり摺りが始まります。

 

どうさいえんぶりは全員が同じ所作をします。

まず、ジャンギで一度地上を突くと、

両足を開いてかがんだ姿勢から右足で土を蹴るようにして、

烏帽子を大仰に振ります。同じように外側を向いて烏帽子を大仰に振ります。

センスは開いており、大きく上に振りかざします。

摺りの間、太夫全員の所作を合わせるようにジャンギで土を突きます。

 

一方、ながえんぶりは、藤九郎役の太夫とその他の太夫とは所作が異なります。

はじめは円形となり、内側を向き両手を伸ばし、

足は大の字に開き歌に合わせて右、左と向けます。

左手は斜めに耳元に持っていきます。

藤九郎は体を前にかがめるようにしながら、烏帽子を左右に大きく振り回します。

 

「中の摺り」は、摺りの歌の詞章は違いますが、

基本的には摺りはじめと同じです。

 

「摺りおさめ」は、基本的な所作は摺りはじめや中の摺りと同じですが、

最後になると、一列に並んで終わります。

 

最後に「クロドメ」は、摺り終わると、

後ろの太夫が「クロドメ」の言葉を大声で早口に唱えながら、

カンダイで土上を指し封じ込めるような所作をします。

威勢よくお囃子が鳴り出すと、

ジャンギ・ナリゴ・カンダイを脇に2回振り、正面で1回振ります。

と同時に左手の扇を額にかざしてお辞儀をし、これを3回繰り返します。

「見参」という太夫の挨拶です。

 

 

【交通アクセス】

電車:JR八戸線「本八戸」駅下車、徒歩3分。

車 :八戸道「八戸IC」から国道340号線経由で約10分。

 

 

山鹿灯籠まつり(大宮神社:熊本県山鹿市宗方)

 

毎年8月15・16日の両日に開催される「山鹿灯籠まつり」は、

民謡「よへほ節」のメロディーにのって、

浴衣姿の女性が頭に金灯籠を載せ、優雅に舞う姿がとても幻想的な祭りです。

 

 

山鹿灯籠まつりの由来は、

その昔、菊池川一帯に立ち込めた深い霧に進路を阻まれた景行天皇のご巡行を、

山鹿の里人が、たいまつを掲げてお迎えしました。

その時以来、里人たちは行在所跡に天皇を祀って、

毎年たいまつを献上したのが祭りの由来といわれています。

 

山鹿灯籠は金灯籠から始まったようですが、今では寝殿造り、座敷造り、

合掌造り、古式台灯、矢壷、鳥篭など様々な儀式のものが作られています。

 

山鹿灯籠を作るときの鉄則は木や金具は一切使わず、

和紙と少量の糊だけで作り、柱や障子の桟にいたるまで中が空洞だそうです。

これらの灯籠は現在5人しかいない灯籠師と呼ばれる人たちが

精魂込めて制作しているそうです。

 

 

「山鹿灯籠まつり」は15日の昼下がりから行われる「飾り灯籠」で幕を開けます。

この「飾り灯籠」は大宮神社に奉納する金灯籠、城造り、座敷造り、踊り人形、

など様々な奉納灯籠を各町内の街角に飾ることを「飾り灯籠」といいます。

16日の「千人灯籠踊り」が終わった22時頃、各町内に飾られた

「奉納灯籠」を台に載せ、三味線の囃子にあわせ

「ハーイトウロウ」のかけ声とともに大宮神社まで担いでいきます。

これを「上がり灯籠」といい、

この「上がり灯籠」がこの祭りの根幹である行事なのです。

 

大宮神社でお祓いを受けた奉納灯籠は、

「直会」開場の大宮公園に全部並べられ、展示されます。

かつては日が変わり17日の午前4時頃に行われる「下がり灯籠」で、

灯籠は再び若者に担がれて地元に戻っていましたが、

今は神社の灯籠殿に収蔵され1年間展示されます。

 

 

「山鹿灯籠まつり」最大の見せ場は、16日の18:45分~と21:20分~の2回

山鹿小学校グランドで行われる「千人灯籠踊り」です。

千人の女性が頭に金灯籠を載せ舞う姿はとても幻想的です。

中央の櫓を中心に金灯籠の灯りがゆらゆら廻る姿は、

遠目に見ると夜空に浮かび銀河系の渦巻きを見ているようです。

 

【交通アクセス】

電車:JR九州新幹線「新玉名」駅より山鹿温泉行きバス40分、

   もしくはJR鹿児島本線「玉名」駅から山鹿温泉行きバス50分で

   「山鹿バスセンター」下車、徒歩約10分。

車 :九州自動車道「菊水IC」から県道16号経由で約20分。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?



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