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日本の奇祭17「姫の宮祭り・数方庭祭」

2014年02月24日 | 国内旅行

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

姫の宮祭り(大縣神社:愛知県犬山市字宮山三番地)

 

3月15日より前の日曜日に、愛知県犬山市の大縣神社で毎年開かれる豊年祭です。

別名、「おそそめつり」「姫の宮祭り」「まんこ祭り」と呼ばれています。

 

この大縣神社は尾張国の二之宮であると位置づけられていますが、

ご神体は拝殿のさらに奥にひっそりと陰になって

佇んでいる姫石と呼ばれているものです。

 

 

最寄駅は名鉄小牧線の楽田駅です。

駅前には「奉納 姫の宮 豊年祭」と書かれた

おたふく顔のイラストが描かれている幟旗がはためいています。

 

 

ご神体が姫石であることからもわかるように、ここは「女性器崇拝」の神社で、

「子宝・安産」の神様として信仰の厚いところです。

あたふくの口の形はまさに女性器を表現しているようです。

 

午後1時に式内諸鑵神社を出発した行列はやく時間後に大縣神社に到着します。

猿田彦を先頭に白いかぶり物をした女性の一団、

これは女性器を表現しているらしい、そして神官。

 

 

そして、少し遅れて御輿がやってきます。

 

 

境内では尾張太鼓を打ち鳴らし、神殿で豊年祭の神事が行われます。

 

 

お供えしてある鏡餅はとても巨大でちょっと艶かしい姿をしています。

 

 

【交通アクセス】

電車:名鉄小牧線「楽田」駅下車、徒歩約15分。

車 :愛知県道177号線大縣神社線

 

数方庭祭(忌宮神社:山口県下関市長府宮の内町)

 

数方庭祭は、山口県下関市長府宮の内町にある忌宮神社境内で行われる

山口県無形民俗文化財にも指定されているお祭りです。

 

第14代仲哀天皇の頃、この地に豊浦宮が置かれましたが、

九州の熊襲を扇動して新羅の塵輪が攻め寄せてきました。

大変な苦戦をさせられましたが、最後に仲哀天皇自ら弓を引き、

敵の大将塵輪を打ち倒したため、敵軍が退散し、

人々は矛をかざして旗を振って歓喜のあまり踊り回ったといわれています。

これが数方庭の由来とされています。

 

また、塵輪の首を切ってその場に埋め、

大きな石で覆いましたが、塵輪の顔が鬼のようであったことから、

その石を「鬼石」と呼ぶようになりました。

数方庭もこの「鬼石」を中心に行われます。

 

【祭りの順序】

 

期間中は毎夜7時より本殿祭があり、

7時半より9時半頃まで数方庭の神事が行われます。

先ず、幟や切籠や太鼓・鉦などを奉仕する人々が正面鳥居に集合し、

神職の清祓いの先導に続いて太鼓神職の笛に合わせて石段を上り、

「鬼石」を右回りに一周し太鼓を鬼石に据えます。

 

最初にドンと太鼓が鳴り、一同ワーっと気勢を上げます。

これを2、3回繰り返し、次第に締太鼓・鉦が加わり、

切籠、幼幟、中幟、大幟の順に鬼石を回ります。

 

チャンコホイホイドンパッパッのリズムも軽やかに、

始めは優雅に次第に勇壮に、「旗ささげ我も踊らん若ければ 

神の御庭に昔しのびて」という歌にあるように、老若男女が心を弾ませ、

天下の奇祭・数方庭は興奮のるつぼの中に没入していくのです。

 

 

【勇壮な幟】

 

江戸時代までの数方庭は、その由緒に基づき、

矛や剣、薙刀などを持って「鬼石」の周りを踊り回るものでしたが、

長府藩三代藩主の毛利綱元公の時(元禄の頃)に、

太平の世の中に武器は相応しくないということで、

現在のように竹を持って回るよう改められました。

しかし、何十本もの幟竹が林立して「鬼石」を回る様は、勇壮そのものです。

 

【数方庭の信仰】

 

数方庭の数宝庭とも書いて子宝を意味し、男の子が生まれたら大幟である大矢を、

女の子であれば雅な七夕飾りで彩った切籠を出していました。

今でも無病息災、大願成就をはじめ

家業や企業の繁栄などを祈る信仰にささえられ、期間中三度はお参りし、

神社の除災招福の小さな御幣を受け、頭にかざして帰るならわしがあります。

 

【数方庭の呼び名】

 

数方庭はスホーテイ、スホーデン、スッポウデイなどとも呼ばれ、

数法庭、数宝庭、数方勢、数波不天似などの当て字が見えますが、

語源はまだ明らかになっていません。

朝鮮半島のソッテイ、スサルテイなどと酷似しており、

渡来した民俗行事と七夕行事などとの融合説もあります。

 

【数方庭太鼓の響き】

 

数方庭の幟は太鼓・締め太鼓・鉦の音に合わせて「鬼石」の周りを回りますが、

太鼓の練習は数方庭の20日前から始まります。

毎夕境内から聞えてくる独特の数方庭太鼓の音に、

長府の人々は数方庭が近づいたという気分にさせられます。

 

【交通アクセス】

電車:JR山陽本線「長府」駅からバスで「城下町長府」バス停下車、徒歩5分

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?



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