愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

歴史資料から見た松山市周辺の地震・津波被害⑩

2023年11月15日 | 災害の歴史・伝承
9 内陸直下型の地震―中央構造線断層帯と愛媛県―
南海トラフや東北地方太平洋沖を震源とする地震はプレートの沈み込みを起因とする海溝型地震であるが、内陸の活断層の活動によって発生する地震も江戸時代には数多く発生している。その中でも中央構造線断層帯も地震発生の成因として無視することはできない。中央構造線はフォッサ・マグナ以西の西南日本を内帯と外帯に分ける大断層線であり関東から四国を横切って九州に至る大きな断層である。
 この中央構造線断層帯と関係があると推定されるのが文禄5(慶長元・1596)年閏7月12に和泉、摂津、山城を中心に被害をもたらした大規模な直下型地震である。震源は兵庫県南西部から大阪府北部にかけての有馬―高槻断層帯であり、完成間近であった伏見城が倒壊したことで知られ、慶長伏見地震と呼ばれている。この地震の直前の9日には伊予で慶長伊予地震が発生し、現在の愛媛県松山市の薬師堂の建物が崩壊していることが「薬師寺大般若経奥書」から判明している。また、伏見地震前日の12日には豊後で慶長豊後地震が発生し、「沖の浜」(現大分市)で家屋が流されるなど別府湾で津波被害が発生している。わずか4日間で九州、四国、近畿を東西に連ねる形で連続して内陸型の大地震が起こっているが、これは中央構造線断層帯の一部の活断層と有馬―高槻断層帯で地震が連続して発生したものとの説もある。これと同じように一連の活断層群で連続して大きな地震が発生したのが平成28(2016)年の熊本地震である。この慶長の地震が海溝型の東海、東南海、南海地震のような「連動」なのかどうか、そのメカニズムは充分に明らかになっていないが、「連続」して起ったのは史実である。


【主な参考文献】
愛媛大学防災情報研究センター企画・編集・発行『南海トラフ巨大地震に備える』アトラス出版、2012年
大本敬久「災害の記憶と伝承―民俗学の視点から―」(『文化愛媛』第69号、愛媛文化振興財団、2012年)
山本尚明「愛媛県沿岸域に来襲した津波の記録と高さおよびその特徴」『文化愛媛』69号、愛媛文化振興財団、2012年
内閣府政策統括官(防災担当)編『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1707宝永地震』内閣府、2014年
高橋治郎「地震と道後温泉」『愛媛大学教育学部紀要』第61巻、2014年
加藤正典「古文書から西条の宝永地震を振り返る―地震発生と、その後の災害、復旧の記録―」(『伊予史談』377号、2015年)
愛媛県立伊予高等学校地域研究グループ編・発行『松前町・伊予市の昭和南海地震』2016年
大本敬久「愛媛県における災害の歴史と伝承」(『愛媛県歴史文化博物館研究紀要』第21号、2016年)
大本敬久「愛媛県の地震史ー昭和南海地震を中心にー」(『伊予史談』383号、2016年)
柴田亮「1707 年宝永地震の地殻変動を示唆する史料」(『歴史地震』32号、2017年)
愛媛県歴史文化博物館編・発行『四国・愛媛の災害史と文化財レスキュー』2020年
大本敬久「昭和南海地震における地域別被害数値」『愛媛県歴史文化博物館研究紀要』28号、2023年
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