愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

亥の子唄

2009年10月05日 | 年中行事
昨日、亥の子についての話を宇和で行ったわけだが、講座終了後、参加者と地区ごとに違う亥の子唄の話題で盛り上がった。宇和町卯之町や鬼窪の亥の子唄では、数え歌が中心。宇和では、宇和町文化協会が冊子『宇和の亥の子唄』を平成12年にまとめている。それを参考に一部、紹介する。

<卯之町>
祝いましょう 祝いましょう
お大黒様は
一に俵ふんまえて
二でにっこり笑うて
三で酒造って
四つ世の中良いように
五ついつものごとくに
六つ無病息災に
七つ何事ないように
八つ屋敷を建て広げ
九つ小倉をつき建てて
十でとうとうおさまった
ヨイヨイ ヨイヤサー

この数え歌は、多少の違いはあれ、ほとんどの地区で唄われている。

その次に多く聞くことのできるのが「うぐいす」。宇和や八幡浜ではよく聞く。

<うぐいす>
うぐいすは うぐいすは
初めて都に上るとき
一夜の宿を借りかねて
下へくだれば柳の木
上へのぼれば梅の木よ
梅の木小枝に昼寝して
春さく花を夢に見た

珍しいのが「亥の子の由来」を唄ったもの。

例えば加茂地区では、

亥の子の由来を申すなら
頼朝公の全称を らいちょうぼう(頼朝坊)と申します
らいちょうぼうという人が
日本開国なされて
富士山の御山の
富士山のお山の巻狩りに
お出かけなされたその時に
背中に小松の生えた猪
大岩みじんにかみくだき
おん腹立ち限りない
その村百姓が
乱れた大岩とりたてて
一礼いうて引きわかれ
その時坊さんも百姓も
一度病死なされて
お生まれ変わりの そのお名を
頼朝公と申します
頼朝公の御家来を仁田四郎と申します
仁田の四郎という人が
富士山の御山の
富士山御山の巻狩り
主なる猪追い出して
一と刀にさし殺し
おん喜びは限りない
お帰りあっての その夜から
お屋敷ないちを もちかえす
昼は亥の子に つきかため
あっぱれ不思議と思います
富士山の御山の
富士山御山の巻狩りに
主をとったる その罰に
日本国中 下々へ申しつけ
十月の 十月の
亥の日祭りて つくなれば
おだやかなろうと思います
仰せに 下々
かりこまり かしこまる
えーい えーい えいやなん

以上のように、富士の巻狩りの話が出てくる。この類例は、宇和町内でも田苗、清沢、明石、明間にもある。

他にも「三番叟」、「白ねずみ」、「めでたきや」、「一が谷」、「白鷺」などがある。

ただ、現在は、数え歌のみ唄っていることが多い。以前は、1ヶ月前もしくは1週間前から集まって唄の練習をしていたというが、今は、当日集合の場合がほとんど。

また亥の子の時期に近くなったときに、他の亥の子唄の歌詞も紹介します。

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