愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

歴史資料から見た松山市周辺の地震・津波被害⑦

2023年11月12日 | 災害の歴史・伝承
6 昭和南海地震―直近の南海トラフ地震―
直近の南海トラフを震源として発生した地震は昭和21(1946)年の昭和南海地震である。震源は紀伊半島沖、地震の規模はM8.0で、全国で1330名が犠牲になっている。この地震は現在でも体験者からの聞き書きが可能であるが、その記憶は十分に継承されているとは言い難い。ここで災害の記憶ではなく「忘却」について一事例を紹介したい。
徳島県海陽町の海岸部には各所で「南海地震津波最高潮位」と刻まれた石碑を見ることができる。昭和21年12月21日未明にこの地を襲ってきた津波の記憶を今に伝えている。この石碑が建てられたのは昭和60年で、当時の海南町が主体となって建てられたものである。海陽町は江戸時代から繰り返し津波被害を経験しており、後世に津波の危険性を伝えるためには文献記録や看板表示ではなく石碑にすることで永年の記憶化を図ったといえる。石碑が建てられたのは津波発生から約40年後。次第に世代が交代し口伝えで津波の記憶が地域住民の中で共有化しづらくなったことに起因したといえる。この石碑のある地区では昭和南海地震津波で85名もの犠牲者が出ているが、40年経つと記憶は風化し、忘却されてしまい、新たに津波の悲惨さを伝える手段として石碑建立という記念化行動を起こした。また、海陽町に建てられている津波碑には平成8年のものもある。これは昭和南海地震から50年目にあたり、津波犠牲者の49年目の供養と同時に、地震、津波の記憶を刻む行為であり、前年には阪神淡路大震災が発生し、地震に対する危機意識が高揚していたことも一つの起因といえるだろう。このような災害の記憶の継承の事例を見ると、平成7年の阪神淡路大震災、同23年の東日本大震災、同28年の熊本地震など、近年の地震被災についても長期にわたっての継承活動が必要だと感じさせられる。
昭和21年12月22日付愛媛新聞には、愛媛県内の状況について次のように記載している「道後温泉止まる 県下の震害大(詳報二面)」、「天下の霊泉で鳴る道後温泉は震害で地下異変を生じ突然第一より第四にいたる各源泉全部閉塞してしまつたので当分の間休業のやむなきに立至つた」、「死者二四 不明六名 倒壊二百五十戸 県発表 正午現在」、「二十一日午前四時二十分県下一帯にわたつて大幅にゆれはじめた地震は昭和二年春以来(註:北丹後地震)の大地震、夜明けの夢破れた人々は戸外へ一斉に飛出し避難をするなどかつてない経験に朝のあいさつも『こわかつたなア』としみじみと驚きの表情をつづる、この日朝来県警察部に報告された震災状況は正午までに判明したもの死者二十四名、負傷者十六名、行方不明六名、計四十六名の犠牲者を出した、家屋の倒壊は二百五十戸(うち半壊百七十四戸)同床下浸水百二十戸、非住家百九十棟(半壊を含む)、道路の崩壊四十六ヶ所、橋梁の被害六ヶ所、海岸崩壊廿二ヶ所、このほか工場煙突の倒壊十四、同様倒壊鳥居一、通信関係は一時不通ヶ所が全県的に及んだが同日午後から逐次復旧、国鉄肱川鉄橋も一部被害を見たが十時二十分八幡浜駅発列車から復旧した」とある。まず道後温泉の湧出が止まったことが大きく見出して出ている。この道後温泉は、歴代の南海地震が発生するたびに湧出が止まっており、昭和南海地震では約70日間止まって、再開は昭和22年4月上旬のことであった。この地震は、愛媛県内では昭和2年の北丹後地震以来の大地震であり、地震発生から約8時間後、正午に愛媛県から死者24名と発表されている。昭和南海地震では死者26名とされ、そのほとんどが建物倒壊による圧死であった。津波襲来による人的被害は把握に時間がかかるが、建物倒壊による早急の救助活動により半日程度で、県内の死者の大半が把握できていたことになる。「床下浸水百二十戸」とあるのは津波による浸水被害であり、過去の宝永地震、安政南海地震では南予地方沿岸部(八幡浜市、西予市、宇和島市、愛南町)で大きな津波により犠牲者も出ているが、昭和南海地震は地震の規模が宝永、安政に比べて小さかったこともあり、愛媛県内では津波は南予で浸水した地区はあったものの、家屋が流されるといった甚大な被害や人的被害は出ていない。
そして、愛媛新聞記事では、県内被害状況が地域ごとに詳述され、「最たる被害地は伊予郡郡中、松前町で家屋倒壊は九十九戸、非住家三十七棟、死傷者八名を出しさんたんたる震災の光景を呈している」とあり、地震翌日の新聞では県内でも最も被害の大きかった地域が現在の伊予市郡中と松前町であり、死傷者8名、家屋倒壊99戸であることが紹介されている。
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