愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

伝説「五色浜の石」

2010年12月27日 | 口頭伝承
毎年3月第4日曜日に行われている五色姫復活祭。伊予市商業協同組合・五色姫復活祭実行委員会の主催で平成元年から行われている。この五色姫、源氏に敗れた平家の姫たちが伊予市の五色浜に住みつくも、悲劇の末、入水してしまい、五色の海岸の小石になったという地元の伝説が基になって、復活祭が実施されるようになったものである。『松山百点』265号(2009年)に「愛媛に伝わる姫物語」という特集が組まれており、私もインタビューを受けて、愛媛の姫物語の特徴などを紹介したが、この中で伊予市の五色姫についても少し触れたことがある。また、五色浜の伝説は『伊予市誌』にも紹介されている。しかし、この伝説は地元伊予市でも知られているようで案外知らない人も多い。それは内容があまりにも残酷で悲劇的だからである。姫の復活という華やかなイメージとは程遠い話であり、多くの人が目にする広報媒体には、もとの伝説が触れられることが少ないようである。

ここでは、あえて『伊予市誌』に掲載されている伝説「五色浜の石」を、そのまま紹介しておきたい。それはこの伝説が「五人の貴人の姉妹(兄弟)の争い」という骨子で成り立っており、この五人の争いは「陰陽五行」の「五行」に関する伝説に関わってくるなど、日本の思想史や宗教文化論の題材として貴重といえるからである。例えば、愛媛県内をはじめ全国各地の民俗芸能の「神楽」でも五人の王子が争って、春夏秋冬の四季に土用を加えることで時を五等分したという話があるなど、この五色姫に類する伝説は近世以前の中古・上代的要素が強いのではないかと推察している。



「五色浜の石」(『伊予市誌』1076〜1078頁、1986年)

寿永の昔のことである。「おごる平家久しからず」のことばそのままに、さしも栄えに栄えた平家が運つきて遂に源氏のため、はかなく西海の藻屑と消えてから間もない頃であった。ついぞこの辺りには見かけない五人の美しい姫たちがどこからともなく流れて来て、この砂浜にささやかな住居を作って暮らしていた。付近の人々は「あのお姫さんは皆お顔がよく似ている。御姉妹かもしれない」「羽衣をなくして飛ぶことを忘れた天人ではあるまいか」「いや、さき頃壇の浦で亡んだ平家のお姫さんたちに違いない」などといろいろうわさをしていたが、姫たちは五人とも決して村人と口をきかないので、それを確かめることはできなかった。

ある日、一匹のかにが濡れた背を赤く光らせながら浜辺をはっていた。ふとそれを見た一番年上の姫は、「まあきれいなかにだこと・・・。お前は平家のかにでしょう。平家の赤い御旗が夕日を浴びて、お前のように真赤に輝いている間は・・・。それにつけても憎いのは源氏です。お父様もお兄様も、あの荒荒しい源氏のためにあわれな御最期を遂げられたのです。赤い平家のかにがいるからには、きっと白い源氏のかにもいるにちがいない。ああ源氏のかにはどこにいるのでしょう。あの白い源氏のかには・・・」と、はるか海のかなたを見つめて気が狂ったかのように叫びつづけた。そして、驚いてかけ寄った四人の妹を見るなり、赤く血走った眼をそそぎながら鋭い声で「お前たちは早く源氏のかにを探しておいで。わたしはそのにくい源氏のかにを踏みつぶしてやるから」といいつづけた

四人はいいつけられたとおり一日中探したが見つかるのは赤いかにばかりで、白いかには一匹も姿を見せなかった。あくる日もその次の日も朝から晩まで四人は浜へ出て砂を掘ったり石をおこしたりして一生懸命探したが駄目であった。七日目の夕方、もどかしそうに妹たちの帰りを待っていた姉姫は、疲れきってしおしお帰って来た妹たちを見て「四人がかりで一匹のかにが探せないのはどうしたのですか。恐らく一日中遊んでいたのでしょう。さあ、もっと探しておいで・・・」と、言葉厳しく叱った。

夏の夜の海は潮がいっぱいなぎさに満ち、月がぼんやり波間を照らしていた。姫たちは夜どおし白いかにを探してまわったが、やっぱり見つけることはできなかった。四人はそのまま帰ることもできないので、相談の結果、赤いかにに白粉をつけて持ち帰ることにした。「お姉様、お喜びくださいませ。源氏のかにが見つかりました。」そういって差し出した白いかにをじっと見つめていた姉姫はやがて気味悪い笑みを浮かべ、あたりを見回して手をさし延べ、かにをつかむのが早いか庭の手水鉢へ投げ込んだ。するとかにの白粉はたちまちとけてもとの赤いかにになってしまった。それを見た姫はそばにあった刀をとると一番末の姫に切りつけた。この恐ろしい有様に三人の妹姫は「あれ・・・」と叫んで外へ走り出た。そして「お姉様どういたしましょう。もう帰ることはできないし・・・」「三人いっしょにこの海に沈んで、お父さまやお兄さまのお側へ行きましょう。」と中で一番年上の姫が目に涙をいっぱいためて言った。そこで三人はしっかりと抱き合って暗い波の底へ沈んでしまった

その夜一人残った姉姫は、殺した妹の死がいを抱いて「憎い源氏を討った」と叫びながら浜辺をかけ回っていたが、やがてとある岩の上に立って「ああ、あそこに妹たちがいる。」といってそのまま海へ飛び込んだ。月は早くも西に落ちてあとにはただなぎさを洗う波の音だけが暗闇やみの中にしていた。

こうして亡くなった五人の姫たちが、それぞれ赤・緑・黄・黒・白と五色の小石に化したのであるという。五色浜には今も美しい五色の小石がある。


以上が『伊予市誌』に掲載された文章である。
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