夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

ボランティア役員会

2013-03-24 06:21:31 | つれづれなるままに
3月23日(土)PM6:30~ 焼き鳥屋にて

 うちのボランティア会の役員会は、役場裏の「鳥成」(とりせい)でとほぼ決まっている。役員は8名。

 この日は2名が欠席で、総会提案事項の検討会です。
 私は20数年この会の代表をやり、今は私の老人ホーム時代の後輩が代表になっています。役員の平均年齢も上がって、一番若いのが会長の48歳。一番働ける年齢ということもあり、なかなか忙しそうです。

 さて、この日も会長が職場の送別会ということで他会場へ向かい、残ったメンバーで出る話は昔話が中心。
 私はこれからの我が会のボランティア活動は、気張らずに困った人がいたら出かける。「この指とまれ方式」を考えています。そのためには、地域を歩いて顔なじみになる必要がある。メンバーの中には地域のことならなんでもわかるという人、例えば郵便配達を長年やった人、社協のワーカーをやって来た人、診療所に長年勤めた人などがいて、そういう情報はすぐに分かる人たちが構成されているんです。年寄りだからって馬鹿にしちゃいけません。年寄りには年寄りの得意ってえもんがあるんです。

 昔々の江戸時代の長屋生活、お節介な人間たちが、アイツやこいつの困ったことにしゃしゃり出るような、そんな「お節介に近いボランティア」?をやってみたいなあと思い始めています。「しょうがないねえ」とか「困ったやつだねえ」といいながらも、方っておけないという気風それが「節介」だと思うんです。そして「いいってことよ・・」と当たり前の顔で帰っていく。
 あいつは金持ちだとか、息子や娘がいるんだから放っておけという風潮が、そもそも私には気に入らない。人の懐具合なんか気にするようだったら、ボランティアなんてやめちまえばいいと思います。
 そもそもボランティアなんていう呼び方は、日本人にはあまりピンとこない。古くは「結」(ゆい)とか、自普請・隣組なんていう慣習みたいなもんがありましたっけ。

 「とんとんとんからりととなりぐみ」という歌が昔ありましたが、隣近所は親戚みたいなもんで、困ったときはお互い様、「お醤油貸して」、「お味噌を貸して」、「ご飯を貸して」、「少し作りすぎたから食べてちょうだい」という感じです。

 ま、人と人がお付き合いをしていけば必ず、ちょっと力を貸してということが起きる。それを「あいよ!」って気軽に助けるというそういう関係づくりをしようかということです。
 ところでこの焼き鳥屋、塩の焼き鳥で酒を飲むとえらい美味いとつい酔ってしまって、本当は最後にこの店でラーメンを食いてえなあと思っているんだけれど、酒のお相手がなかなか無粋を許さない。てえわけで今回も夕飯はおあずけでした。お粗末!