夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

北極圏3000キロ大航海

2013-03-18 06:57:23 | つれづれなるままに
星野道夫著「旅をする木」を読んでいることもあるが、BSの「北極圏3000キロ大航海」という番組を何気なく見て、ホッキョクグマの親子の厳しい現実が気になった。

 北極の氷の大地がどんどん消えて行き、今まで熊の狩場だった氷原が少なくなってしまっている現実がある。氷原がないという事実は、即ホッキョクグマにとってはアザラシなどを餌にしているものにとっては、飢えという問題につながっているのだ。まして子どもを連れての日々は、その食を支えるためにどんなに厳しく大変なことだろう。この番組でも、死んだ鯨の肉が巨大な骨と一緒に海底に沈んでいて、ホッキョクグマが海中に潜ってこの死肉を求める姿があった。

 ホッキョクグマの身体は泳ぐための機能を備えているとナレーションにあった。
 頭は泳ぐときに水を切るために小さく、鼻も長く、首は息を吸いやすくするために長く、身体を覆っている毛皮は空気を保って水に浮くように進化してきたという。
 ホッキョクグマは時速10キロほどのスピードで上手に泳ぐことができるし、2分間は水中に潜っていることもできるらしい。餌を求めて200キロもの航海をすることもあるといういつかこの種のクマたちは、温暖化の犠牲で絶滅の道を辿ってしまうのだろうか。

 私達人間の便利さを求める生活が、地球上の動植物に与えている現実がここにもあった。

 日常生活に狭い視野しかないと、こういうことには全く気がつかないでいる自分がいる。

一寸引き

2013-03-18 06:34:39 | サイクリング
こういうことが最初の頃あったよ。
家に上る林道に大きな岩が顔を出しててジープがいつものりあげるんだ。
動かしたいけどどうにもならない。
畳一畳分位のでかい岩だったからね。
ある日、近所の平山君っていう農家の青年が遊びに来てて
彼に何気なく訊いてみたんだ。
オレにはどうにもならないんですけど、あんただったら
この岩どうします?って。
動かさにゃならんなら何とか動かすよって、平山君が
ボソッと言ったんで、どうやって!って思わず訊いたよ。
重機も何も無いんだぜって。
そしたら奴は一寸考えて、まずスコップで岩のまわりを
四方から丹念に掘り起こすってそう言ったんだ。
それから丸太を二本持ってきて一方を梃子(てこ)にして
ぐづぐづ上げるって言うんだ。
そしたら「一日に3センチ位動くんでないかい。
十日もやったら1メートルくらい動くべさ」
――――――!
これにはショックを通り越して感動したね。
思わず土下座して「先生っ!』
って叫んだよ。
一日3センチ、十日に1メートル!
これは俺たち都会人の思考ではもう
「動かない、無理だ」
って範疇のもんだぜ。
だけど、たしかに一日3センチも「動いた!」って
ことにちがいないんだよなぁ。
君たち分かるか?この衝撃が!
「一寸引き」って言葉があるんだって、その頃原住民の
ヨシオさんから教わった。
「一寸引き」ってのはね、こういうことなんだ。
とても手に負えない重いもの
たとえば太い木の根っ子とか大きい岩なんかを動かすには
一度にバッと動かそうとせずに時間をかけて
一寸ずつ動かせ。そうすりゃいつかは動く。
これはもう哲学だっておもったね。
文明はいまや即席の時代に入ってる。
すぐに結果をだすことを求めて、そのために
金やエネルギーを使う。
早く結果のでることが善で、時間のかかることは
避けなければならない。
果たしてそのことが正しいのかって、
生まれて初めて俺は考えたね。
たぶん、この頃からだと思うんだ。
人の生き方の「座標軸」ってものを
どっかで意識し始めたのは。



これは脚本家・倉本 聰さんの著書『獨白 (どくはく)』中の文章です。

 昨日の夜のテレビ番組で、倉本聰さん(78歳)と小山薫堂さんの対談「みんなこどもだった」を見ていて、この「一寸引き」という言葉を聞きました。
 諦めの基準といえばよいのか、希望の基準と言ったら良いのか・・・いずれにしても、Never give up!の基準なんだなあって思いました。

 山田太一さんや山田洋次さんと並んで今や一家言を言えるのは、こういう年代なんだなあって思います。