夢発電所

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涙の結婚披露宴

2013-03-25 06:38:13 | 私と福祉とであいの旅
3月24日(日)PM5:00~ 弘前プラザホテル

 同じ職場の女性スタッフの結婚披露宴に、家内とともにご招待を受けました。今回の披露宴も私は祝辞を依頼されており、その中で女性スタッフ紹介の前に、彼女のお母様との出会いを紹介しました。
 実は35年前に弘前大学付属病院小児科に長女を連れて行き、お母さんが看護師をされていたのでその際にお世話になっていたのです。
 そのことは記憶にありながらも彼女との再会が2年前にあって、その看護師さんのお嬢さんだと気づくことはその時にはありませんでした。
 1年ほど前にデパートで買い物をしている彼女と、その側のお母様に挨拶をして家内が気づいたのです。

 人生というのは本当にこの深遠なる御縁が、まるで仕組まれているかのように出現することがあるものです。
 あとで知ったことですが、私が筆で書いた吉野弘氏(詩人)の「祝婚歌」の色紙を結婚した職場の皆さんにいつもお贈りしているのですが、彼女はそれを会場の入口に飾ってくれていたようです。

 昨日の披露宴の彼女の生い立ちをスライドの写真アルバムで拝見して、何故その彼女が沖縄の大学に入ったのか、就職していたのかが初めてわかりました。
 後援会の名誉顧問・はせくらみゆきさんとのご縁があり、我が法人の関係者で沖縄に旅行し交流したのは7年前のことで、その御縁でパン屋の名前を沖縄の言葉「ゆいまある」(助け合い)と命名したのでした。

 そして彼女のお父さんが癌で亡くなったことで、急遽彼女は弘前に帰ることになりました。沖縄で彼女も障がい者の就労サポートセンターに就職しており、今は彼女の直上司の課長が彼女の事業所を見学したことが、また一つの偶然でもあります。
 そのことも縁となって、彼女は我が法人に就職することになったのです。こうした幾つもの偶然が、重なっていた彼女とお母様との再会と出会いでした。

 50歳の若きお父様を亡くし、その後お姉さまの結婚やらお母様の入院やら、今回の彼女の結婚に至るまでお母様もかなり苦労されたのではないでしょうか。

 披露宴冒頭には新郎が兄弟とともに紹介されると、感極まって泣き出しました。そして今回は新郎新婦のご両親の挨拶の時、新郎のお父様も大声で泣いていました。
 参会者も皆、もらい泣きでした。

 さあ今、この若いカップルが、結婚という第二の人生のスタートを始めるのです。これもまたすごい縁だと思いますが、お二人は幼馴染の結婚なのだとのこと。自宅も近所であり、幼い頃からの友人たちも皆重なっているのも珍しいと思います。
幸多かれと願いながら、職場のメンバーと二次会場に流れました。

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