気づいたら大晦日だった。
私は普段生活していて、ほとんど毎日、記事に書こうと思うことがある。
が、実際に記事にするのはその半分の半分もない。
私は記事を書くのに思いの外時間が掛かる。
それゆえ、毎日記事を書くのはなかなか難しい。
単に私が怠惰だからとも云える。
ブログの記事になるような話題は殆どがナマモノで、時間が経てば書くに及ばない内容になるので、そのままお蔵入りになる。
しかし、今年の内に是非書いておきたいことがあったので書く。
十一月の下旬頃、妹が大学の美術部の友人に「好きだろうから」と、あるポスター展のチラシを渡された。
果たして、そのポスター展は妹が大好きな内容だった。
そのポスター展の名称は「ジャパン・アヴァンギャルド~アングラ演劇傑作ポスター展」。
寺山修司生誕七十年記念として横尾忠則をはじめ、宇野亜喜良、赤瀬川源平、林静一、花輪和一、粟津潔、篠原勝之、合田佐和子、戸田ツトム、他が手がけたアングラ演劇のポスターを100点以上展示されたポスター展だった。
無論、私も興味が無いはずなく、妹と共に勇んで展示会が開催されていた天神のイムズに向かった。
そこで観たポスターの美しさはなんとも形容しがたい。
私の貧弱な語彙を以ってその美しさを表すのは不可能に近い。
本来、これらのポスターはアングラ劇の公演告知の為のものであるが、
それらはポスターの粋を超え、もはや藝術作品としか呼べないもので、
じじつ、これらのポスターは美術的評価も大変高いのだという。
そういえば、美術の教科書によっては横尾忠則さんの作品が掲載されている。
しかし、世間一般の評価や専門家の評価などはどうでも良い。
私はそこで確実に美しいものに出逢った。
それだけは確かな答えだ。
私はこの1960年代から70年代にかけてのアングラ界の藝術作品が好きでたまらない。
またあび卯月お得意の懐古趣味が始まったと言われるかもしれないが、あの頃の日本は本当に熱かった。
今、当時作られたような藝術作品を目にする機会はない。
似た物はあっても到底本物には及ばない。
しかし、それは仕方の無いことだと思っている。
日本人が悪くなったから今の藝術作品はツマラナイのだと言う積もりは無い。
今は今の時代にあった良い物がありましょう。
つまり、あの時代の藝術作品はあの時代が生み出したものであり、あの時代の空気を吸って生きていた物なのだ。
だから、今の時代にあの頃と同じような藝術作品を生み出すことを試みても無理なのである。
そして、今の時代では生み出せないからこそ餘計に儚く美しく感じるのだと思っている。
少なくとも私がそう感じるのは以上のような理由からだろう。
今、横尾忠則さんの画集を探しているが良い物はほとんど絶版になっている。
中古で買おうと思っても十倍以上の値がついているものもあった。
私には到底手が出せない値段がついている。
私が欲するものは大抵なかなか手に入りにくいものばかりでいつも歯痒い思いをしているが、今回も例外ではないようだ。
いつか復刻乃至はもっと良い内容の画集が出ることを祈り、その日が来るまで待とう。
信じていればきっとその日はやってくるだろう。
そう、「つげ義春初期傑作集」が刊行された時のように。
*附記*
この記事に掲げている画像は横尾忠則さんのポスター。
ネット上で随分探したがこのサイズのものしか手に入らなかった。
嘆いていると、下記のサイトを発見。
横尾さん以外にも多くのアングラポスターを観ることが出来る。
なんと、素晴らしいサイトだろう。
http://www.musabi.ac.jp/library/muse/cybermuse/ctj/tenji/tenji.html
私は普段生活していて、ほとんど毎日、記事に書こうと思うことがある。
が、実際に記事にするのはその半分の半分もない。
私は記事を書くのに思いの外時間が掛かる。
それゆえ、毎日記事を書くのはなかなか難しい。
単に私が怠惰だからとも云える。
ブログの記事になるような話題は殆どがナマモノで、時間が経てば書くに及ばない内容になるので、そのままお蔵入りになる。
しかし、今年の内に是非書いておきたいことがあったので書く。
十一月の下旬頃、妹が大学の美術部の友人に「好きだろうから」と、あるポスター展のチラシを渡された。
果たして、そのポスター展は妹が大好きな内容だった。
そのポスター展の名称は「ジャパン・アヴァンギャルド~アングラ演劇傑作ポスター展」。
寺山修司生誕七十年記念として横尾忠則をはじめ、宇野亜喜良、赤瀬川源平、林静一、花輪和一、粟津潔、篠原勝之、合田佐和子、戸田ツトム、他が手がけたアングラ演劇のポスターを100点以上展示されたポスター展だった。
無論、私も興味が無いはずなく、妹と共に勇んで展示会が開催されていた天神のイムズに向かった。
そこで観たポスターの美しさはなんとも形容しがたい。
私の貧弱な語彙を以ってその美しさを表すのは不可能に近い。
本来、これらのポスターはアングラ劇の公演告知の為のものであるが、
それらはポスターの粋を超え、もはや藝術作品としか呼べないもので、
じじつ、これらのポスターは美術的評価も大変高いのだという。
そういえば、美術の教科書によっては横尾忠則さんの作品が掲載されている。
しかし、世間一般の評価や専門家の評価などはどうでも良い。
私はそこで確実に美しいものに出逢った。
それだけは確かな答えだ。
私はこの1960年代から70年代にかけてのアングラ界の藝術作品が好きでたまらない。
またあび卯月お得意の懐古趣味が始まったと言われるかもしれないが、あの頃の日本は本当に熱かった。
今、当時作られたような藝術作品を目にする機会はない。
似た物はあっても到底本物には及ばない。
しかし、それは仕方の無いことだと思っている。
日本人が悪くなったから今の藝術作品はツマラナイのだと言う積もりは無い。
今は今の時代にあった良い物がありましょう。
つまり、あの時代の藝術作品はあの時代が生み出したものであり、あの時代の空気を吸って生きていた物なのだ。
だから、今の時代にあの頃と同じような藝術作品を生み出すことを試みても無理なのである。
そして、今の時代では生み出せないからこそ餘計に儚く美しく感じるのだと思っている。
少なくとも私がそう感じるのは以上のような理由からだろう。
今、横尾忠則さんの画集を探しているが良い物はほとんど絶版になっている。
中古で買おうと思っても十倍以上の値がついているものもあった。
私には到底手が出せない値段がついている。
私が欲するものは大抵なかなか手に入りにくいものばかりでいつも歯痒い思いをしているが、今回も例外ではないようだ。
いつか復刻乃至はもっと良い内容の画集が出ることを祈り、その日が来るまで待とう。
信じていればきっとその日はやってくるだろう。
そう、「つげ義春初期傑作集」が刊行された時のように。
*附記*
この記事に掲げている画像は横尾忠則さんのポスター。
ネット上で随分探したがこのサイズのものしか手に入らなかった。
嘆いていると、下記のサイトを発見。
横尾さん以外にも多くのアングラポスターを観ることが出来る。
なんと、素晴らしいサイトだろう。
http://www.musabi.ac.jp/library/muse/cybermuse/ctj/tenji/tenji.html