あび卯月☆ぶろぐ

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私の邦楽史 第四回「KENZI & THE TRIPSの魅力」

2007-11-17 00:55:12 | 音楽・藝術
銭形金太郎を見ていたらテーマ曲に「BRAVO!JOHNNYは今夜もHAPPY」が使われていて驚いた。
まさか、テレビでKENZI & THE TRIPS(以下、ケントリ)の曲を耳にするとは思わなかった。
今も昔もケントリの名を知っている人はごくわずかだろう。
ケントリは数々の名曲を生み出しているバンドだが不出世でほとんど世に知られていない。
もちろんパンク好きの間では有名だが、オリコンやテレビとは無縁である。
だから、私は自分だけの宝箱にそっとしまって密かに楽しむような心持ちで聴いていた。
そこに突如としてゴールデン番組のテーマ曲として抜擢である。
なにやら、隠していたものを天下に晒された思いがして少々気恥ずかしくもある。
とはいえ、ほんの十数秒流れるくらいでテロップにもケントリの名は書かれていなかったように思う。
今後も特に話題にはならないだろうが、ケントリは金銭的に全く恵まれていないので、少しくらいはCDの売上げに繋がればファンとしては嬉しい限りだ。

ケントリは1984年頃、結成された。
ヴォーカルのケンヂ(ふつうKENZIと表記される)率いるパンクバンドで以後、メンバーチェンジや活動休止を経て現在も精力的に活動している。
ケントリに限らず80年代パンクバンドはアーティストとして息が長い人が多い。
スターリンの遠藤ミチロウもいまだにアコギ一本抱えて全国を行脚しているし、町田町蔵も町田康と名を変えいまも活躍している。
後に紹介する予定のあぶあらだこやP-MODELの平沢進など挙げるときりがない。

ケントリはそれまでのパンクとは少々性質がちがっていた。
前に述べたように80年代J-PUNKの特色としてサブカル、アングラ、知的などが挙げられるが、ケントリはそのどの特徴も持ち得なかった。
元々、不良だったケンヂは落ちこぼれとして学校や社会に対してのルサンチマンを抱いていた。
そのルサンチマンこそが彼の音楽活動における動機の要因であったことは想像に難くない。
そういう意味ではそれまでのJ-PUNKに比べ、欧米のPUNKに近い。

KENZIは学校を「そこは死神住み着いたもう一つの世界」(DEAD SCHOOL)と定義し、「学び舎とは仮の名のふざけた空間」(同)と言い、教師に対しては「未来将来明日の為とアンタは言うけど俺の昨日は未だ未だ終わっちゃないのさ」(同)と嘯いた。
社会に対しては「歪んでる何もかも 真っ暗闇だ世の中」(裏切りのうた)と叫び、「心が片端の奴がこんなにも世の中氾濫して」いると嘆いた。
しかし、KENZIのうたう歌は決して暗くなかった。
常に希望を忘れていなかったし、曲の根底にはたしかに愛があった。
「BRAVO!JOHNNYは今夜もHAPPY」がまさにその典型で底抜けに明るいこの曲は、KENZI自身も公式サイトで「全ての理不尽・不条理をテーマにした曲。言ってみりゃ正義の味方の曲だ」と書いている。

学校批判、社会批判、愛・・・こう書くと尾崎豊のようだがケントリが尾崎と決定的に違ったのは笑いと遊びがあったことである。
尾崎にも笑いや遊びがないとは言わないが、尾崎の歌には歌を聴いていてアハハと笑うことを許してくれない。
もともと真面目な生徒だった尾崎は歌に対する姿勢も真面目で真摯で本気だ。
ところが、KENZIの歌にはどこかおどけた感じがある。
彼自身ちょっと天然の気があることもあり、全篇通して真面目な曲というのはあまり見当たらない。
本人も「俺は無意識の間にバランスをとるのが得意だ」と言っていてその点、自覚しているようだ。

随分後に流行る青春パンクとも違うのは青春パンクは愛、というより恋愛が前面に出すぎて私などは鼻につくことしばしばだが、ケントリの曲にあらわれる恋愛はおよそ抽象的である。
青春パンクバンドのほとんどはその思いをストレートに表現する。
いわば露骨なのだが、ケントリはその点バランスがとれていると思う。
別れた女性への思いをストレートに表現した「OK! ALL RIGHT」なんて曲もあるがあれもどこかおどけた感じがして良い。
だから、それまでのJ-PUNKと比べればそうでもないが、青春パンクと比べたらケントリの歌詞はずっと文学的だ。(裏を返せば意味不明な歌詞も多いが)

ところで、ケントリには「BAILEY」という反戦歌があるが、これなどは珍しく全篇に亙り真面目に歌っている曲で、私は80年代J-PUNKにおける反戦歌の中で一位二位を争う名曲ではないかと思っている。


教えて欲しいのさ 世界の国の中で
一番偉い民族は一体 何人(なにじん)だい!
生き残らなければならない 人間は誰なんだい
教えて欲しいのサ その人の名前を



ケントリの最大の武器は歌詞もさることながらその音楽性の高さだろう。
ケンヂは全くこの音楽の才能に恵まれていた。
1986年前後、ケントリの全盛期で当時結成して間もないブルーハーツよりもずっと人気があった。
こんなエピソードもある。
ある時、ケントリとブルーハーツと対バンした。
ブルーハーツのヒロトはケンヂの破れたジーパンを見て、「ケンヂ、お前そんな破けたジーンズを履いて・・・」と言った。
もちろん、破けたジーンズを履くのはオシャレのためで、ヒロトにはそれが理解できなかったらしい。
が、一週間後、ヒロトはケンヂの真似をして破れたジーンズを履いてきたという。
いわば、ブルーハーツはファッションにおいてケントリをお手本にしたのだ。
ある雑誌のインタビューでケンヂは「(当時は)向こうの方がダサかったね(笑)」と懐かしそうに回顧していた。

実力がありながらケントリは不遇のバンドであった。
インディーズ時代に出した1stアルバムはケントリの最高傑作との評判が高いが、長く廃盤になっている。
権利関係の問題で再発は難しいという。
これだけとっても不遇感が否めないが決して売れないバンドではなかったはずだ。
ケントリに缺けていたのは「戦略」の一言に尽きる。
ケンヂのキャンペーン嫌いは有名でインタビューなどもインタビュアー泣かせだったと聞く。
宣伝はもっぱらスタッフまかせだった。
良く言えば商売っ気がなかったともいえるが、売れるためには商売っ気はどうしても必要である。
そういう意味において、ブルーハーツの方がずっと巧かった。

近年、ケントリの過去の音源の再発が続いている。
いわばケントリ再興といったところだが、売上げはかんばしくないと見る。
ただ、ケンヂはいまではキャンペーンなどに積極的になり、公式サイトをつくりインターネットでの取り組みにも力を入れている。
上で1stは廃盤と書いたがいまファンクラブに入ると特典という名目で手に入れることが出来る。(なるほど、販売しなければ権利関係がクリアできるのか)

ゴールデン進出(?)を一つの契機として、ケントリの音楽が多くの人に知られることを願いたい。

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なお、ケントリの曲の歌詞はほぼすべて公式サイトで確認できるので参考とされたい。
http://www.kentori.net/pc/index.html


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2 コメント

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私も驚きました! (P)
2007-12-10 16:59:44
銭金見てたらどこかで聴いたことのある曲が・・・
やはりケントリでしたかー。
兄弟でしたっけ?北海道出身だったような。
それにしても、びっくりでした!
返信する
書き込みありがとうございます。 (あび卯月)
2007-12-11 22:19:02
書き込みありがとうございます(´∀`*)

>兄弟でしたっけ?北海道出身だったような。

はい、ケンヂは北海道の札幌出身ですo(^-^)o
(兄弟というのは?)

銭金を機に少しでも多くの人がケントリを知ってくれたら嬉しいですね。
返信する

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