つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信985号 楽しかった70周年記念日本のうたごえ祭典①

2019年01月22日 | 抱っこ通信

70周年記念日本のうたごえ祭典に参加してきました。

19日に川崎市とどろきアリーナで開かれた「Peace Festa こころをつなごう~」です。「基地いらない!沖縄の闘いと連帯しよう」の舞台の中で『帰れ帰れ』を多くの仲間たちと一緒に歌わせてもらいました。

 

『帰れ帰れ』は三多摩のうたごえの仲間たちが「基地いらない!沖縄と闘いと連帯しよう」の企画に推薦してくれて、『たんぽぽ』(指揮、作曲家大西進)『沖縄を返せ』(指揮、稲嶺前名護市長)『唐船ドーイ(エイサー)』(東京エイサーシンカ)と共に演奏されました。

 

多くのうたごえの仲間たちや基地問題、沖縄問題でたたかって仲間たちと力強く熱いうたごえを響かせることができました。一度も練習に参加することができなかったのですが、私の後ろから聞こえてくる仲間たちのうたごえに私自身が励まされ感動しました。

 

『帰れ帰れ』は三多摩メーデーの中では何度か歌ってきましたが、日本のうたごえ祭典で歌われるとは思ってもいませんでした三多摩のうたごえの仲間からメーデーで歌われた『帰れ帰れ』の譜面が欲しいと言われ、うたごえ新聞で祭典の企画が次第に明らかになり、歌われることを知ったときには「へぇー」てなもんで、どんな演奏になるのか楽しみでした。まさか、自分が会場でリードするものだとは思ってもいなかったのです。

 

三多摩のうたごえの仲間たちは、メーデー後に毎月第3日曜日に開かれている横田基地撤去を求める座り込み行動をはじめ、各地での横田基地撤去、オスプレイ配備反対のたたかいなどを励ます集会等で『帰れ帰れ』を歌い広めていてくれたのです。ですから、当日には横田基地の撤去を求める西多摩の会のみなさんをはじめ、座り込み行動に参加する仲間たちも祭典にはたくさん参加していました。

 

同じく東京港区のうたごえの仲間たちも、港区六本木にある米軍基地「赤坂プレスセンター」(通称「米軍麻布ヘリポート基地」)撤去と都民への開放を要求しての1967年以来の運動をうたごえで励まし、その中で『帰れ帰れ』は歌われていたのです。そう言えば、昨年9月の私の古希コンサートに港新婦人のうたごえ仲間が駆けつけてくれて挨拶してくれましたっけ。

 

そして、今回の祭典の企画委員長の大熊さんが、それこそ、いろいろな現場で歌い広めてくれていたのです。日頃の彼の現場に出かけて歌うという活動のスタイルには尊敬の念を抱きます。まさに、うたごえ運動です。

私も公務員時代から「集める社会教育ではなく、届ける社会教育」ということを大事していたし、今のつながりの活動、運動でも、同じ思いで現場に出かけています。いろいろな運動の中に大熊さんのような若い人がもっと育ってほしいと思います。

 

ここからは失敗談というか余談ですが・・・。

 

その1。リハーサルの時に、『帰れ帰れ』だけでリハーサル時間を使ってしまったこと。なにせ、前日まで一度も練習に出られなかったし、病後の自分の声が出るのかも心配だったし、ピアノとの合わせも一回だけだったし、それ以上に、記念歌集とは違う、私がいつも歌っている歌い方でうたってほしくて(これは前日の練習の時に、大熊企画委員長が代役をやってくれていたのですが)、ま、いろいろ心配だらけだったのです。 

ですから最初から最後まで歌ってしまいました。そのため、舞台監督のときやん(京都音楽センター)から「もう時間です」と。企画の中で指揮をする大西さんや稲嶺さんや歌う仲間たちに申し訳なかったです。自分のことしか考えていなかったのですね、反省。

もう一つ、私が三多摩のうたごえ仲間に渡した譜面が、最近のものと違っていたのです。反省。

 

その2.その歌い方で、途中で4拍伸ばしたかったのですが、リハーサルの時にどういうわけか、私自身が2拍しか伸ばさなかったのです。なにかその場の雰囲気に合わせたというのか、のまれていたというのか、その方が後ろから聞こえる声との関連で調子良く歌えて(自分のことしか考えていない)・・・。

でも大丈夫。ピアノの町澤さんもうたう仲間たちもしっかりと私に合わせてくれていたのです。きっと、みんな「?」状態だったと思いますが。ほんとうは全然大丈夫ではなかったのですね。ということで、本番も2拍追加で歌いました。反省。

 

その3.当日の舞台は「シンガーソングライター二本松はじめさんとともに」とプログラム上はなっていて、私のリードで、ということでした。まあ、いつものようにやればいいのかなと、歌詞コールをすることを重点的に考えていました。

歌詞を間違わないようにと歌詞カードをみながらです。

それでもです、この『帰れ帰れ』は集会ソングとして創作したので、今まで集会などで参加者の思いを即興で歌詞にしながら歌っていたので、自分の中でいろいろな歌詞があって・・・。

本番の最後の最後で歌詞コールを間違ってしまいました。それでも、歌う仲間たちはちゃんと歌詞を間違いなく歌っていました。「?」。

席に戻って会場の中心のスクリーンを見ると、なんと歌詞がちゃんと出ているではないですか・・・。じゃあ歌詞コールは必要なかったということですか。あ~あ。

まあ「二本松さんらしいよ」と全レク一座のカメさんから慰められましたが・・・反省。 

一応、断っておかなければならないことがあります。企画委員で窓口になった三多摩のうたごえの今井さんからその都度、メールや電話で企画の内容、進行、台本が送られてきていたことはお伝えしておかなければね。企画側のミスではないのです。私の失敗です。反省。

 

その4.「Peace Festa」の最後に「核兵器も戦争もない世界」の企画の中でシングアウトの時間がありました。ソングリーダーはうたごえ運動と関わりのあるシンガーソングライターたちです。横井久美子、きたがわてつ、橋本のぶよ、増田康記、川口真由美、大須賀ひでき、原田義雄、たかはしべん(以上、プログラム通り)、そして、二本松はじめの8人です。 

横井さん、きたがわさん、橋本さんと私が呼びかけ人になって、うたごえ運動や音楽センターからCD等を出版しているシンガーソングライターに参加を呼びかけて、集まってくれた仲間たちです。(「うたごえ新聞」№2589号 2018年12月24日付に呼びかけた4人の座談会が掲載されています。司会は大熊祭典企画委員長) 

当日、打ち合わせはしていたのですが、どういうきっかけで舞台に上がるのかをちゃんと頭の中に入っていなくて、その時間がきたら他の7名が会場北側から入場してきました。

女性シンガーのみなさんはちゃんと色とりどりの華やかなステージ衣装を着て、男性シンガーはその人らしく・・・。私の衣装?衣装なんて言うものではないですよ、私らしくいつもの「夢わかば」のトレーナーです。トレーナーですよ。 

会場に手をあげたり、各方向を見まわしたり、あいさつする他のシンガーソングライターたちにしばし見とれてしまいました。

「あれ?ひょっとして出番?」なんて慌てて舞台へ。私だけ、『帰れ帰れ』を歌った関係で南側の席に座っていたのです。まわりにいた仲間たちに笑われてしまいました。反省。

 

その5.そのシングアウトの中で『歩いて行こう』(大熊啓作詞作曲)を私がリードをする担当になっていました。約10年前の歌で、毎年メーデーでも取り上げられていました。私はメーデーではギター伴奏のみでメロディは知っていても歌ったことはなかったのです。それでも分担が決まったのですから、ネットで調べて当日までは何回も何回も練習して、なんとかものにしたつもりでした。

ところが、そんな私を心配してくれた橋本のぶよさんたちが前日の打ち合わせで、私の担当は「創作した大熊さんがいるじゃないですか、歌ってもらいましょう」という呼びかけだけでオーケーになりました。良かった。でも、一生懸命歌いましたよ♬歩いて行こう 歩いて行こう・・・♬と一番だけは自信を持って・・・反省。 

 

話は変わりますが、「Peace Festa」の前の「Human Festa ~いのちをうたおう~」のスクラムステージ「全ての職場の仲間たちと連帯」の中で『レッツ・ゴー!』も歌われました。

うたごえ70周年の節目に選曲していただいたことは光栄です。正直嬉しいです。 

二階席からしっかりと聞き、見ました。会場中央で歌い踊る老若男女の保育士さんたち。知っている顔、顔、顔。みんな若々しく輝いていました。歌詞もしっかり届いていて良かったです。

♬生きているから涙も笑顔もあふれるよ ひとりじゃないから生きているって楽しいな♬(つながりあそび・うた研究所10周年の創作曲)

 

 

さて、peace Festa終了後は、先ほどのシンガーソングライターたちの「うたごえ夢の饗宴」(とプログラムに)ピースライブでした。これは次号に。

 

保育士さんたちの『レッツ・ゴー!』

 

シンガーソングライターによるシングアウト

リハーサルでの『帰れ帰れ』

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