前号の抱っこ通信(1206号)で、「私が初めて手話で歌った歌は『君と会ったね』(門倉詇ファミリー作)と書きました。たまたま小金井市のレクリエーション教室に行った時に、耳の不自由な青年が参加していて、仲間たちと一緒に歌いたい、遊びたいと、咄嗟に手話を付けて歌ったのが『君と会ったね』だったのです。青年たちの笑顔が忘れられません、と書きました。
手話との出会いで思い出すのは、一つは、前にも書いた東久留米市で手話講習会を仕事として、市教社会教育課青年教室で開いたときに、講師として参加した市川恵美子さんらとの学生時代での出会いです。青年教室の手話講習会も、手話ボランティアの育てるという意味ではなく、手話を通して自分の生き方や障がい者を含めた仲間たちの生き方を考えてほしいと願って企画したものです。もしかしたら、教室後の手話サークルの結成などに一役買っていたのかもしれませんが。
もう一つ大事な出会いは、これまた学生時代(60年代後半)ですが、同期で聴覚が不自由な仲間と、時々、電車で一緒する時がありました。顔見知りでもそんなに交流したことはありません。私自身があまり大学には通ってなかったこともありますが。電車の中ではもっぱら筆談です。私はゆっくり話せば彼女に通じることが分かってきましたが、話がはずむと、筆談するよりも、彼女が大きな声を出してしまう時がありました。笑っているのですが、それでも、大声が出たとわかって彼女は恥ずかしそうでした。そんな時は、手話で会話ができたらなとずっと思っていました。手話との出会いは、人間との出会いなんですね。
さて、初めて手話でつくって歌った『君と会ったね』ですが、次の手話ソングで思い出すのが『あなたが夜明けをつげる子どもたち』(笠木透作詞 細田昇作曲)です。77年の恵那の教育の記録映画『夜明への道』のテーマソングです。東久留米で月1回開いていたのんびりコンサートでも歌っていましたが、83年頃から、お母さんコーラス桑の実コーラスにうたってもらいました。二部合唱に編曲してですが、84年には大阪で開かれた日本のうたごえ祭典合唱発表会に東京代表として、この歌で出場しています。ちなみに、桑の実コーラスは、前年の合唱発表会階層の部で全国1位になっています。峯崎りみ(三多摩青年合唱団・声楽家)さんを指導者に迎えてからメキメキと「歌う」力をつけてきました。
さて、『あなたが夜明けをつげる子どもたち』を桑の実コーラスに歌ってもらう時に、音楽的には峯崎さんにつくってもらうのですが、10年前より平均年齢45歳と言い続けていたお母さんたちですから、子どもたちは成人になっている方も多く、「子ども」に持つイメージもいろいろだったと思いますので、イメージ、思いを一つにつくりあげるのに手話で歌うことを提案しました。当時、全レク事務所にいてくれた小川さんが手話サークルに入っていたこともあり手話を付けてもらいました。
ところがです。手話をつけて歌うということが初めての経験ですから、お母さんたちは混乱しまくっていました。それでいいのですね。何回か歌っていくうちになんとなく「サマ」になってきたというか・・・はい。合唱発表会当日は、お母さんたちは歌うことに専念、手話は小川さんが合唱の隣でスマートに、で、なんとか収まりました。因みに、三多摩、東京、全国(大阪)の合唱発表会にも小川さんは参加してくれました。翌年には全レク一座第一期研究生にも参加してくれて・・・。
今では『あなたが夜明けをつげる子どもたち』に手話を付けて歌っている機会を多く見ることができますが、当時はまだ少なかったと思います。因みに。1994年に東久留米で開いた笠木透「私の子どもたちへコンサート」でも、本人が手話入りで、歌ってくれました。
当時、私たちは♬素足で大地を・・・♬の「素足」を指文字で表現していましたが、「素足」「裸足」という手話で歌うことを知ったかなり後でした。いい思い出です。
『あなたが夜明けをつげる子どもたち』の手話との出会いは桑の実コーラスや小川さんとの出会いでもあったのですね。「手話ソング」、手話で歌うということ、いろいろな出会いがあり、いろいろな考えがあります。ついでの次回は『あなたの夢は』の手話との出会いです
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