つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信592号に更新 平和でなければあそべない

2015年01月04日 | 抱っこ通信
新しい年になって、もう4日目です。早い早い、時間が過ぎていくのが早くて、嫌になっています。
50歳を過ぎた時代も、60歳を過ぎた時代も、65歳を過ぎた時代もです。
まだまだやりたいこと、やらなければならことたくさんあります。
もちろん、まだまだできていませんが・・・。道半ばというか、一歩も踏み出せないこともあります。
でも、時々思うのですが、やり残したことをたくさん抱えながら逝くのも良いかな?なんて。私の場合はですよ。

やりたいことを抱えながら、もしかしたら、それさえもまだ見つからずに逝ってしまった若者を多く出したのが、あの戦争です。
戦場でなくなった人だけではありません。軍人だけではありません。
男も、女も、子どもも高齢者も、不便であっても笑いもあった日常を送っていた市民もです。
亡くなった人だけではありません。愛も夢も希望を奪われた人、人として生きていく権利・気概を奪われた人はどのくらいいたのでしょうか。日本だけではありません。あの戦争に巻き込まれたアジアをはじめとする地球の仲間たちです。
人だけではありません。動植物も自然もです。地球の大事な仲間たちです。

戦後70年です。再び、戦争をしてはいけません。させてはいけません。
私は、つながりあそび研修会のレジュメに、子育て(保育・教育)は
戦争をしない子どもを育てること、
戦争を許さない子どもを育てること、
平和を広げる子どもを育てること」と書いています。
なによりも、子育て(保育・教育)の楽しみを奪うものが戦争だからです。
もちろん、今は子育て(保育・教育)の楽しみを奪うものは戦争だけでなく、増え続けているように思います。
それも巧妙に、複雑に、目に見えないものにと。
だからこそ、つながりあそび・うたを楽しむ中で、
子育て(保育・教育)の楽しさを奪うものに立ち向かう楽しさを広げたいと思っているのです。
その中で、私自身もより人間らしく育てられていくと考えているからです。

2004年に発表した『あそべやあそべ みなあそべ』の中で「平和でなければあそべない」と書きました。
この歌は、1番から3番まで、ただ子どもの遊びの列挙と
♪あそべやあそべ みなあそべ 子どもも大人もみなあそべ 
ともだちいなけりゃあそべない 平和でなければあそべない
あそぼう(ピース)あそぼう(ピースピース) この指とまれ(ピースピースピース)
あそぼう(ピース)あそぼう(ピースピース) この指とまれ(ピースピースピース)♪と、うたっているだけです。
保育園などの運動会で年長さんが踊ってれています。
広島で5月連休に開かれているフラワーフェスティバルで、広島市職労の仲間たちが鳴子を持って踊ってパレードしてくれました。

平和でなければあそべないのです。集団ゲームもわらべうたもあそびうたもつながりあそびも楽しめないのです。
あたりまえのことですが、このあたりまえは与えられるものではなく、つくりだしていくものです。
楽しい中にこそ、そのつくりだしていく源泉があると思っています。
だからこそ、人類が地球上に登場する以前からあそびは存在していたのですし、
人のつくりだした文化として享受し、(再)創造し、伝承されてきたのです。

約10年前、ある雑誌には「戦争をしない子ども。戦争を許さない子ども、平和を広げる子ども」を「九条の子ども」と書きました。
戦争をする国へと舵を切ろうとする人たちの足音が聞こえてきています。
憲法九条を広げることと、九条の子どもを育てることが大事です、楽しいです。

だからこそ、という意味だけでなく、子どもたちが自分らしく、子どもらしく、人間らしく生きていかれるように、
私が私らしく人間らしくあるために、
今年もつながりあそび・うたを届けること、広げることをもう少し頑張ってみようと思う三が日でした。
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