昨年、5月に新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行に伴い、なんとはなくですが、少しずつですが気持ちが外向きになっているような感じが広がってきたようです。まだまだ分からないことも多く、不安で心をおおわれてなかなか踏み出せないことも多いことも間違いありません。まだまだコロナ禍での暮らし、生き様がどうあったかを論ずるというか、総括して次に踏み出すには早いと思いますが、新しい年に向かってそれぞれが一歩踏み出していければと思います。
そして、2024年は「『安心の世界』が地球規模でも、日常のささやかな暮らしの中でも、特に、子どもたちに少しでも広がることを強く願って」と書いたばかりなのに昨日は「能登半島地震」。少しでも被害が少ないことと迅速な救援活動を願うばかりです。少しでも「安心の世界」を。
昨年、毎木曜日の、地域のみなさんと「戦争反対!と声をあげよう」の街頭宣伝行動に42回参加できたことが嬉しかったです。「音楽があるとないとでは違うのよね」「新しい歌を覚えられて楽しい」「うたごえに励まされています」と喜ばれています。
残念ながら月一の東久留米反核平和市民実行委員会の街頭宣伝行動には6回しか参加できなかったです。地方でのつながりの活動と重なってしまっているのです。
退職保育士の会の「公立保育園をなくさないで!」の街頭宣伝行動には14回参加。これは私のスケジュールに合わせてくれています。
今、どんな歌が求められているのかを考えながら街頭に立っています。基本は自分の言葉での創作曲を歌っていますが、闘っている仲間たちの中から生まれた歌も歌っていきたいし、仲間たちをまきこんだ創作活動を進めたいなと考えています。
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