つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信1140号 ひとりじゃないさ

2020年11月14日 | 抱っこ通信
 たった1曲を創作するのにも、そこには創作者の「人間」が見えてきます。歌だけでなくつながりあそびにも同じことが言えます。歌にあそびに自分を晒しているのです。自分が見られているのですね、ある面では絶えず評価されているのですね。そういう世界に飛び込んでしまったのですね。「怖いですね、コワイコワイ」(古いけど故淀川長治さん風に)

 11月2日に動画をアップした『ひとりじゃないさ』は、1988年5月28日(土)に開かれた、東久留米市職うたごえサークル“こんぺいとう”のファーストコンサートで生まれた曲です。

 80年代の東久留米市は、朝日新聞に「行革が街にやってきた」と連載されたくらいに行革の嵐が吹き荒れていました。臨調「行革」は、市民と自治体労働者とを分断し、市民生活を破壊する攻撃でした。
 保育分野では82年に保育料を国基準に引き上げ、保母削減等、85年12月は「市立滝山保育園民間委託」「学童保育所の統廃合」「保母・学童保育指導員の削減」「小学校給食への親子方式の導入」などが市から発表されました。内容は子どもと保育、福祉、教育、市民生活に大きな影響を与えるものでした。

 82年から先頭になって闘っていた市職員組合(特に保育部会)、保育園・学童保育所父母の会連合会や保問協などでつくった保育共闘から発展し、「『行革基本方針』に反対し、こどもと市民生活を守る東久留米市民連合」を86年1月末に結成して、市政を揺るがす大きな闘争を展開したのです。

 行革の最大の柱であった「滝山保育園民間委託」に反対する運動は「ぼくたちの保育園つぶさないで」をスローガンに、創意あふれる運動を積極的に展開しました。保母さんたちは市民と共に毎週のチラシ・パンフ全戸配布、署名活動などをするなど、一滝山保育園の問題と捉えているのではなく、公的保育を守る責任、保育の質を守る闘いとして位置づけていました。

 そういう中で、市職保母の仲間たちは、うたごえサークルをつくり、84年東京(練馬)、85年高知で開かれた全国保母のうたごえ祭典に参加しました。86年1月の市民連合結成集会では創作曲『たちあがるわたしたち』(長野晴子詞 長野雄次郎曲)をうたい、3月には、年度の保育のまとめや行革白紙撤回闘争、住民実態調査など、多忙の中でも取り組んできた合唱構成詩『ぼくの保育園つぶさないで』を初演し(全レクのんびりコンサート8周年・『輪囲和意』創刊50号記念「北風の中で春を育てる街コンサート」)、4月から、この構成詩をもって闘いを多くの人々に知らせたいと本格的にサークル活動を始めました。

 構成詩は86年8月、全国合研うたごえ交流会(山ノ内町)でダイジェスト版を演奏。9月、全国保母のうたごえ祭典(京都)、10月には日本のうたごえ祭典参加三多摩(西武線ブロック)合唱発表会「手と手をつないでおおきくな~れ! 勇気のわく音楽祭」特別企画として父母や保母100人以上の合唱団を組織して演奏(観客500人以上で会場満杯)、その後も闘いの中でも市職保母のうたごえサークルの仲間は歌い続けてきました。

 ですから東久留米市職うたごえサークル”こんぺいとう”は、その闘いの中から生まれ、“こんぺいとう”名付けられ、闘いの中で育てられ、鍛えられてきたのです。

 その“こんぺいとう”のファーストコンサート当日は、職場の仲間に裁縫してもらったロングスカートを身に着けて歌っている保育の仲間たち。そして、会場いっぱいの子ども、保護者、市民。市民と公務員を分断する行革攻撃から、子どもと市民生活を守る闘いの中で、そして、市政を変える闘いに発展していくだろう中で、同じ市職の仲間として、市民として、私たちは「ひとりじゃない」をほんとうに実感できた瞬間でした。

 イス席が空いてなく、階段に座り込んでいた私は、自然と涙がこぼれてきました。ウォークマン(懐かしい)を取り出して、小さい声で『ひとりじゃないさ』を出任せに口ずさみました。まったく自然にできてしまったのです。
 休憩時間に楽屋(ゲスト出演でした)に戻って聞くと「スースース―」と息しか入っていませんでしたが・・・。図々しくも本番で歌いましたよ♬ひとりじゃないさ ぼくたちは こんなに素敵な仲間が いっぱい集まった こんばんは こんばん・・・みんなに広がった♬と。同じ歌詞で何回も繰り返していました。もちろん、演奏の最後には『手と手と手と』を歌っていました。

 蛇足ですが、86年当時の構成詩『ぼくの保育園つぶさないで』の脚本が見つかりました。当時の保母のうたごえサークルの動きが書かれた「保母うたつうしん」もありました。私の全レク、つながりの活動の中でも印象的な取り組みでした。

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抱っこ通信1139号 いい気持ち

2020年11月14日 | 抱っこ通信
 コロナ禍で、私たちのような「あそび(文化)」を生業としている仲間たちは、大変な思いをして毎日を過ごしていることと思います。
 私の場合は、特に、ここ10年は生業としてというよりも、保育応援団としての活動としてつながりあそび・うたを楽しんでいるという側面の方がはるかに大きいです。
 今年は甲状腺がんの2回目の手術や放射線治療入院なんていうこともありましたが、暮らしの方も、活動も方もなんとかなっているようです。もちろん、サマー・カレッジをはじめ集っての仕事、活動はキャンセルだらけですが、つながりあそび、つながりソングの動画配信を始めて半年、結構、おもしろがって続けています。動画配信はコロナ禍だから始められたのですね。

 最初からつながりあそびの仕事、活動を生業として決意した時から生活面では大変な思いをするだろうと想像できますから、この30年間は、ある面で恵まれてきたと思います。
 つながりあそびに想いを寄せてくれた仲間、実践してくれる仲間、つながりあそび・うた研究所の思いを自分の思いにしてくれた仲間たちがいたから、なんとかここまでこられているのです。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 もう一つ、ここはつながりの作品が、活動が良かったのだろうなと自分で自分のことを褒めてあげましょう。

 今、つながりあそび・うた研究所の仲間で、これからもつながりあそびの仕事を続けていきたいと思っていても、ギャラはボランティア並みで、いくつかの仕事を重ねないと実費だけという現実、その仕事さえもキャンセル続きで、しかもコロナ禍で明日が見えない状況で、生活をどうしているのだろうか、つながりへの思いを薄れないだろうかと心配です。やりたくてもできないというのはきついですね。心配だけでなく、なんとかしなくてはと思うのですが・・・。

 「来年の夏、どうする」と相談してみてはいるもの、また、キャンセルされた保育園から「今年はコロナでできなかったけれど、来年、保育園でのつながりあそびをお願いします。子どもたちは待っています」と言われているものも、そこまで、まずは生計がもつのだろうかと考えてしまいます。きっと本人が一番つらい、きつい思いをしているのでしょうけど、どうするかは自分で決めていくと思いますが・・・。

 この間、私も毎年、楽しみにしている11月末から12月にかけての宮崎、鹿児島療育ツアーが中止になってしまいました。いろいろわかっちゃいるけど、好きな仕事、活動ができないこと、自分の思いを、夢をかなえることができないということが一番つらく、きついですね。


ということで、今週のつながりあそびの譜面です。最近の動画は、つながりあそびの基底を探求している感じです。


10日【うさぎがね】
 「ゲーム」の語源(英語の祖語である印欧語)を調べると「嬉しそうに跳びはねる状態」と書かれています。そうか、それで子どもたちはカエルになったり、ウサギになったり、ともかく跳びはねるのが好きなのか。
 過去には、保育園でのつながりあそびでカエル、ウサギ、カンガルー、バッタ、で跳ねまわって、次にノミで跳ねまわったけど、今の子どもたちはノミなんて知らないだろうな、と思いながら遊んでいました。ピョンピョンピョン跳びはねるだけですから、子どもたちは喜んで跳ねていましたが、先生たちは「エー」なんて大きな声を出していましたよ。抗議の声だったかな。

 乳児さんと遊ぶときの困った時は、『うさぎがね』です。絵本『のせてのせて』を『自動車ブーブー』の歌を挟みながら、ホールで走り回って遊ぶときは、「うさぎ」さんが出てくれば『ウサギがね』、「カエル」が出てくれば『カエルがピョンピョン』(絵本には出てこない)、「くま」が出てくれば『ベアベア』などと遊んでいます。
 『1・2・サンポ』や『サンポに行こう』をうたいながら散歩ごっこでも、いろいろな動物などを登場させて歌い遊んでいます。

 先週(5日)、遊びに行ったレイモンド橋本保育園でも、乳児さんの時に『うさぎがね』で遊びました。先生に見えない縄の端を持ってもらって、グルグル回してもらって大縄跳びのつもりです。その中を子どもたちは跳ねるのです。一応、「縄跳びをするよ」と声掛けはしましたが、きっと、子どもたちはなにがなんだかわからなかったのでしょうけど、嬉しそうにピョンピョンしていました。2歳児は半分くらい、1歳児は4分の1くらい、0歳児は一人だけの子どもたちがピョンピョンしていました。実際にお兄ちゃんお姉ちゃんたちの縄跳びを楽しんでいる姿を見ていると、イメージもできてもっと盛り上がったと思いますが・・・。

 「・・・(『うさぎがね』を)運動会でもやってみました。♬うさぎがね~♬の歌に乗って、ケンパ跳びやジグザグ跳び、跳び降りなど、さまざま跳びかたを披露しました。そして、締めくくりは、もちろん魔法の綱での大綱跳びです。周りのおとなたちに『い~ち、に~い、さ~ん』と数えてもらいながら跳ぶ3歳児たちの顔は、とても誇らしげです。」(「つながりあそび・うた実践ノート『気持ちいい』保育、見~つけた!」大きい子にあこがれる3歳児 魔法の縄跳びより 頭金多絵著・つながりあそび・うた研究所発行・ひとなる書房発売)

 保育園の先生たちと付き合い始めて、絵本がおもしろいということを教えてもらい、保育園の子どもたちと付き合い始めて、ゲームの本当の意味を知識ではなく教えてもらいました。
 『うさぎがね』の誕生には、私の大好きな絵本『しろいうさぎとくろいうさぎ』(ガース・ウイリアムズ作 まつおかきょうこ訳 福音館書店発行)があります。


11日【おいら風の子】
 昨日の『うさぎがね』の続きになるけど、子どもたちはその場でクルクルまわったり、ただひたすら走り回っています。どんなドラマの中にいるのだろうか?どんな絵を描いているのだろうか。子どもたちの行動には、子ども自身のなんらかの意味があると聞いているのだけど。

 『おいら風の子』は大人の研修会ではめったにやりません。子どもたちは好きなんだけどね。ただ走り回るだけですから。進行方向を変えたり、イス取りゲーム風にしたり、手を変え、品を変えて工夫はするものの、やはり子どもたちはただ走り回るだけでいいようです。歌詞と歌い方を発表時と若干変えました。

12日【いい気持ち】
 研修会の終了時に、近づいてきた人に「あの~先生が歌ったのと、レジュメの載っている譜面と違っているのですけど・・・」と言いにくそうに言われることが度々です。度々ですから何回もあるのです。「いいんです。子どもと遊んでいるうちに変わってきてしまうのです。今、歌っている方が正解です」と私。無責任です。レジュメの譜面を訂正すればいいのですが・・・。
 つい楽しくなったり、おもしろがっていると脱線というか、もっと、もっとという気持ちが沸き上がってきて、歌もあそびもつい違うものになってしまうこと度々です。度々です。何事も生あるものは進行形です。

 「・・・少々オーバーかもしれませんが、わたしは人類の歴史の中で『いい気持ち』と感じる力をどう生み育んできたのかということを、『つながりあそび・うた』の中に織り込みたいと思っています。そして、いま子どもたちだけでなく、多くの人たちにつながりあそび・うたを通して、水浴びやおひさまポカポカや頬を撫でる風をいい気持ちと感じるのと同じように、親子のつながりや人とのつながりって楽しい、いい気持ちと感じてほしいのです。いや、本来はいい気持ちだったはずですね。その中で命を生み、育んできたのだから・・・」(前記「つながりあそび・うた実践ノート『気持ちいい』保育、見~つけた!」プロローグより、二本松はじめ)

最近、「気持ちいい」って感じたこと、思ったことありますか。


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