今日、2020年度度版夢わかばカレンダーを東日本大震災、熊本地震、九州北部豪雨、西日本豪雨、東日本豪雨で被災した保育園、幼稚園、こども園、支援学校717園に贈ることができました。昨年より約40か所増えました。
夢わかばカレンダーを購入していただいた仲間たち、広めていただいている仲間たち、被災園に届けていただいている仲間たちにお礼申し上げます。
残念ながら、まだ知らせる活動が少ないために、購入数が減っているのが現実です。今日も2人から申し込みはありましたが。
また、昨年の夢わかばプロジェクトコンサート当日で47部広がったのですが、今年は新型コロナウイルス感染予防のためにコンサートが中止。
そして、昨年は、私もまっちゃん大吉つぁんも研修やコンサート等で行った先々で広げていたのですが、今年はキャンセルが続いているので広げる機会が奪われ、正直なところ財政的にきつくなっています。
是非、被災した園等の子どもたちに笑顔を届けるためにも夢わかばカレンダーを広げてください。多くのみなさんのご協力をお願いします。
一部1000円(送料別)。メール(tunagari@cello.ocn.ne.jp)かメッセージでお願いします。
ということで、ここ3年、3月11日は夢わかばカレンダーの発送作業をしています。昨日も,テレビで流れる被災地の今を見ながら、夢わかばカレンダーの袋づめでした。
昨年の9年目に回った保育園は、岩手、宮城で14園。子どもたちとただ遊ぶだけですが、自分自身を見つめ、被災と復興を考える貴重な時間です。10年目の今年も回りたいと思っています。
毎回、ご協力、応援してくれる岩手県保育連絡会の仲間たちには感謝です。もう「一緒の活動」と言えます。
今日のテレビでは、9年目を迎えた今、いろいろな思いを抱えながらも、故郷で立ち上がり前を向いている若者たちの姿を多く見られました。そんな姿に勇気と希望をもらえます。
でも、私が思い出したのは、抱っこ通信508号(2013.3.15付)に書いた、あの若い保育士さんです。今、どうしているかな?と。
抱っこ通信508号の一部を再掲します。
「『富岡には帰りません!』と胸に刺さった若い保育士の言葉が耳に響いています。郡山市にある仮設住宅敷地内の仮設の保育園で聞いた言葉です。震災のあった年度に富岡町に採用になった保育士さんです。帰りたくても帰れないのです。保育士を続けたくても明日はわからないのです。責任はだれがとるのだろう?私自身にもその責任はないのだろうか?
『この子たちに(若い保育士)富岡の保育の楽しさを伝えられないことがつらいです。残念です』とベテラン先生の涙も胸に痛かったです。
少しでも被災地の保育士さんたちが顔をあげ、前を向いて歩けるように、保育応援団として『つながり』をさらに広げることが求められていると思いました。そのためにも被災地を含めた全国の保育士さんが笑顔で元気に保育ができるように、これからも私のできることで頑張ることを楽しんでいければと思います。」
翌年も富岡町仮設保育園に行きましたが、その時、彼女がいたどうか・・・。
今、どれだけの若者たちが顔を上げて生きているのだろうか?もしかしたら、被災地だけでなく、この国では。
今年は昨年4月に富岡町に開設された、にこにここども園に遊びに行こうかなと思っています。
2020年版夢わかばカレンダー表紙
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