つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信736号 サマカレで発見「責任」と「仲間」と

2016年07月21日 | 抱っこ通信
2016年サマー・カレッジも福岡・大阪・神戸・愛知と終わり、今月は、福井と京都、来月は静岡・関東(東京)・埼玉・山梨、教員バージョンが来月に京都・関東(千葉)と予定されています。

ここまでの4会場でいろいろな発見がありました。もちろん、毎年、感じていることですが、今年は会場問題とか、実行委員会問題とか、いろいろありましたので特に、です。


一つは「責任」ということです。

福岡会場も大阪会場も当初予定していた会場がいろいろな問題で確保できなくなり、日程も会場も変更せざる得ない状況に追い込まれました。追い込まれたのです。それでも、必死に会場を確保してくれて、日程も調整してくれて、無事に開催にこぎつけてくれました。

神戸会場も、4月のダンス伝達講習会の直前に、新体制の実行委員会で、会場確保などが、1月の代表者会議からなにも進展していないという状況がわかり、急きょ、前代表者?ともう二人で取り組むことになりました。大阪サマー・カレッジ実行委員会の仲間たちや関西のつながり仲間の協力で無事に開催出来ました。

神戸の仲間との話の中で出てきたことが「責任」という言葉でした。
「サマー・カレッジを待っている人たちへの責任をどう考えているか」「それを考えた時に、簡単にはサマー・カレッジをやーめた、とはならない」と。

嬉しいですね。きっと、これは神戸の仲間だけでなく、サマー・カレッジを開いてくれている仲間たち、つながりを広げてくれる仲間たちみんなの思い、決意なんでしょうね。

実行委員会に参加する仲間は、自分の思いとしてはもちろん、自分たち(仲間)の思いとしてサマー・カレッジを考えてくれているから、もう少し言えば、自分と、仲間たちと一緒にいる子どもたちのことを考えているから「責任」という言葉が出てきたのでしょうね。

つながりあそび・うた研究所としても、できれば集団として、二日制サマー・カレッジは講師三人体制で、一日制サマー・カレッジは講師二人体制でというように、参加してくれた仲間たちに(子どもたちに)、講師がそれぞれの研修内容に連動しながら、つながりの思いとその楽しさを届けることで「責任」をとれると考えて進めてくれていると思います。ま、二人が集団と呼べるかは?ですが。

ゆずりんもまっちゃんも集中して、良いものをつくろうと精いっぱい奮闘していると思っています。会場ごとにあそびの内容が変わっていることや話す内容が変わっていることにそれが見られます。もちろん講師である本人たちが一番楽しみながらですが。

二日目の午後には、それぞれの担当した研修内容で足りなかった部分や、全体の流れの中で欠けていた部分などを補うようなプログラムになっていることも「責任」の表れです。

サマー・カレッジでの私たちの「責任」とはなにか考えてみたいですね。


もう一つは「仲間」ということの発見です。

「たくさん、遊んで、歌って、踊って…
いろんな人と関わって…

人って良いなぁ〜って思う。
保育士って素敵な仕事だよな〜って思う。

サマカレは私の中で自分と向き合えたり、リフレッシュ出来たり、大切な時間です。

こんな素敵な研修会を、講師の方々や参加者の皆様と共有できる幸せ💕
名古屋から来た初参加の子達が『来年も来たい』って言ってくれる嬉しさ
リピーターもいる嬉しさ
初対面の人でも仲良くなれる、声かけてもらえる嬉しさ

何よりも
2日間過ごして、この愛知サマカレ実行委員会の仲間を素敵ってますます思う
そんな仲間の中に居させてもらえることを幸せに思う」

これは愛知の仲間のフェースブックに載っていた感想です。
他の研修会(講習会)にこれほど「仲間」を感じられる研修会があるでしょうか?

今、見られる研修会のほとんどが、講師との対面型というか、あそびにしても講師の真似っこというか、一方通行というか、参加者同士が関わることが少なく、気がついたら隣に誰がいたかわからなかった、で終わってしまうような研修会が多い気がしています。
そういう形のあそびが必要な場面も保育の中にはたくさんあります。もちろん、楽しいし、会場が盛り上げっていることには間違いないと思いますが。

私はつながりあそび・うたの、つながりという言葉の中に、タテのつながり=いのちのつながり(例えば『誕生日って』の歌やあそび)と、ヨコのつながり=仲間・社会のつながり(例えば、『手と手と手と』の歌やあそび)を意識しています。もちろん、そんな単純で簡単なことではありませんが。

タテのつながりを断ち切るのが戦争です。ですから「平和コンサート」を、自分からの持ち出しがあってでも続けています。

ヨコのつながり断ち切るのが、今はアベ政治です。ですから、人と人とがつながりあう楽しさを、生きる楽しさをつながりあそびで仲間たちと共に広げています。
生きる楽しさを奪うものに立ち向かう楽しさを広げているのです。

具体的に、よくユズリンが語ってくれるのですが、「ピカリンのあそびは隣の人と、横のつながりをつくっていく」ことです。
まっちゃんがあそびの後で良く口にする「あんた、だれだっけ」の言葉に象徴される、知らない者同士がからだと心をふれあって関係をつくっていくって、とても勇気がいるというか、恥ずかしくて、難しいことです。特に今の時代は、そして、若い世代には。
でも、からだと心を人と関わることで、サマー・カレッジではつながりあそび・うたの楽しむ中で、人とつながりあいを感じてもらって、自分は「ひとりじゃないさ」や「仲間がいっぱい」に発見してもらえることが嬉しいのです。

できれば、その楽しさを享受する側から与える側に変わっていってほしいです。最初の、参加して楽しかったから一緒につくる側、実行委員になってほしいのです。その方がフェースブックの感想の中にもあるように、より仲間を感じられるのです。

一人ひとりが自分の主人公でもあるし、集団の、社会の、歴史の主人公であるということを自覚してほしいのです。そのことが「タテ」と「ヨコ」の「つながり」をより豊かなものにしていくと思うからです。その一人と一人がつながることから、仲間になることからすべてが始まるのです。実行委員会はそんな場なんです。

ちなみに『手と手と手と』のあそびの中に手つなぎが入ってきますが、まず、自分が隣の人と手つなぎし、その手つなぎしてくれた人が主人公になって(変わって)、その人がさらに隣の人と手つなぎして、その人が主人公となってさらに隣の人と手つなぎ、というようになれば、オーバーな言い方ですが、永遠に他の人と手つなぎが広がっていくのです。だから♪仲間がいっぱい♪なんです。そんな思い、夢をもって『手と手と手と』を楽しんでいます。

「ファンはいらないけど、仲間はほしい」という私の言葉の意味もそこにあるのです。サマー・カレッジで、一人でも多くの人とつながり仲間になりたいです。


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