つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信1268号(2024.1.4)

2024年01月04日 | 抱っこ通信
4日は仕事始めの人が多いようですが、私が市役所に務め始めた70年初めは、職場ごとにお神酒で「乾杯!」なんていうことがありました。良い時代だったのでしょうか。また、12月28日と翌年の1月4日が日曜日という年は、二日間だけですがなにか得をした気分になったものでした。
市役所に務めていた頃の年末年始は、全レク(全日本レクリエーション・リーダー会議)の沖縄ツアーがあったり、スキー協(現新日本スポーツ連盟全国勤労者スキー協議会)の正月スキーがあったり、一応、全レクとしてのレク・リーダー(今は言わないか?)としての活動で忙しくしていました。いまさらながら、働きながらの活動で良く体が持ったということと、本職と活動とをなんとか両立させていたかなと思います。きっと職場の同僚には多大な迷惑をおかけしていました。飽きられ、諦めていたのでしょうか・・・。

昨年、12月にはそうやって働きながらも「つながり」を広げている全国のつながり仲間たちがオンラインでつながって、昨年のサマー・カレッジの総括と今年に向けての抱負を話し合うことが出来ました。忙しい中、本当にありがたいことでした。
自分もそうやって働きながら活動していたので、その大変さを知っているつもりだし、また、働きながらだからこそのその喜びも知っているつもりです。楽しくなければ、面白くなければ続けられないですが、もう一つ大事なことですが、「つながりの哲学」なんていうとオーバーですが、それぞれの「つながりの思い」がそれこそつながっていると実感できているからでしょうね。実践を重ねながら、楽しさを重ねながら「つながりの哲学(思い)」を深めていきたいと思います。

さて、2024年のスタートに、九州つながりの会・向日葵の仲間たちが初めてウインターカレッジに挑戦します。先日の総括会議でも報告があったように、例年、福岡サマー・カレッジの参加者の約7割が園から派遣されて参加しています。夏だからか、研修の時期なのでしょうか。そういう意味では、冬のこの時期の研修会への参加を園から派遣、というのは難しいと考えられます。ですから、一人ひとりにウインターカレッジの参加を具体的に丁寧に誘っていかなければならないです。内容は年度末、年度初めに向かうこの時期の現場の要求に応えられるものだと自信を持って言えます。多くの人の参加をお持ちしています。



4日は仕事始めの人が多いようですが、私が市役所に務め始めた70年初めは、職場ごとにお神酒で「乾杯!」なんていうことがありました。良い時代だったのでしょうか。また、12月28日と翌年の1月4日が日曜日という年は、二日間だけですがなにか得をした気分になったものでした。
市役所に務めていた頃の年末年始は、全レク(全日本レクリエーション・リーダー会議)の沖縄ツアーがあったり、スキー協(現新日本スポーツ連盟全国勤労者スキー協議会)の正月スキーがあったり、一応、全レクとしてのレク・リーダー(今は言わないか?)としての活動で忙しくしていました。いまさらながら、働きながらの活動で良く体が持ったということと、本職と活動とをなんとか両立させていたかなと思います。きっと職場の同僚には多大な迷惑をおかけしていました。飽きられ、諦めていたのでしょうか・・・。

昨年、12月にはそうやって働きながらも「つながり」を広げている全国のつながり仲間たちがオンラインでつながって、昨年のサマー・カレッジの総括と今年に向けての抱負を話し合うことが出来ました。忙しい中、本当にありがたいことでした。
自分もそうやって働きながら活動していたので、その大変さを知っているつもりだし、また、働きながらだからこそのその喜びも知っているつもりです。楽しくなければ、面白くなければ続けられないですが、もう一つ大事なことですが、「つながりの哲学」なんていうとオーバーですが、それぞれの「つながりの思い」がそれこそつながっていると実感できているからでしょうね。実践を重ねながら、楽しさを重ねながら「つながりの哲学(思い)」を深めていきたいと思います。

さて、2024年のスタートに、九州つながりの会・向日葵の仲間たちが初めてウインターカレッジに挑戦します。先日の総括会議でも報告があったように、例年、福岡サマー・カレッジの参加者の約7割が園から派遣されて参加しています。夏だからか、研修の時期なのでしょうか。そういう意味では、冬のこの時期の研修会への参加を園から派遣、というのは難しいと考えられます。ですから、一人ひとりにウインターカレッジの参加を具体的に丁寧に誘っていかなければならないです。内容は年度末、年度初めに向かうこの時期の現場の要求に応えられるものだと自信を持って言えます。多くの人の参加をお持ちしています。





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抱っこ通信1267号(2024.1.3)

2024年01月03日 | 抱っこ通信
年が変わると何かをやってみようと思うのですが、長続きをしたことがない。今年は三日坊主にならないように無理せずやっていこう。

今朝、私の仲間の「オレの娘です」が亡くなってしまった。親父さんとは「戦争反対!と声をあげよう」街頭宣伝活動で、毎週顔を合わせていますが、彼女とは「どこかでお会いしていたのでしょう」という感じ申し訳ないのですが。
そんな親父つながりの彼女から昨年の私の誕生日にメッセージをいただきました。
「二本松さん 誕生日おめでとうございます。出会った時、自分は小学生。ステージで『この曲を手話やりながら歌いましょう!』と言われていたのがすごく印象的で。実際聴覚にハンデある方も、手話通訳の方同伴でコンサートに行かれるそうです。(突発性難聴の後遺症と闘いながら頑張っている堂本剛くんが言っていました)あったかい気持ち。優しい気持ち。発信し続けて下さる二本松さん。応援しています。」と。
彼女への返信です。「生きているっていうことは、その人なりに、その人らしく社会に参加して、社会を人間らしく発展(変えて)させていくことなんだよね。そんなことをいつも発信したいです。その一つが手話で歌うことかな。メッセージありがとうです。」と。
改めて彼女のフェイスブックを読みました。昨年の彼女を誕生日の投稿です。「自分の名前の通りに生きます。海が広い様子を表す言葉が転じて人の心が広い、と言う意味の自分の名前。川からどんどん水が流れても、黙って受け入れて自分のものにする『海』」と。
いつかどこかでゆっくりおしゃべりしたかったな。残念です。今年は悔しい思いをしないように会いたい人には会いに行くとしよう。
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抱っこ通信1264号 つながりあそび・うた研究所2023年12月号原稿

2024年01月03日 | 抱っこ通信
楽しさを奪うものに立ち向かう楽しさ
二本松はじめ

12月に入りました。なにかと気忙しい12月。ですが、私はいつものんびり。久しぶりに「忘年会」等というものに誘われています。街中でも「忘年会」がちょっとした話題になっているらしいです。初めて体験するとか久しぶりとか。コロナ禍のここ3年間には考えられなかったですね。少しずつコロナ前に戻ってきているのでしょうか。

今年はサマー・カレッジが戻ってきた地域もあったり、ゆずりんの地域のコンサートや小学校公演が少しずつ戻ってきているようだし、まっちゃんのからだの変調を来し、延期するほどつながりあそび活動があったようですし・・・。私? 私は月1回ほど遠出というか地方でのつながりあそびミニツアーを入れたり、地元にいる時は、週一に「戦争反対!と声をあげよう」街頭宣伝活動で、東久留米駅前で地域の先輩のみなさんに混じって歌って来ました。さて、2024年はどうなるのでしょうか。

「どうなるのでしょうか」などと書くとまっちゃんに怒られそうですね。「なにをしたいのか」「なにをするのか」ですね。最近はそんなに意気込むというか考えるということはないのですが、いつものように自然体で、やりたいことをやっているし、やっていきたいと思っています。
一つだけこれだけはやってみたいな思うことがあります。研修会のレジュメにも書いていますが、最近はあまり触れていなかった「生きる楽しさを奪うものに立ち向かう楽しさ」についてとその意味について、じっくり考えてまとめていきたいと考えています。
はじめてこの言葉を使ったのは、1994年1月に発行した研究所機関紙『手と手と手と』第9号です。文章は「厳冬だからこそ心に暖かさを ~楽しさを奪うものに立ち向かう力も育む『楽しさ』を!~ 」と表題をつけて、前年に当時の岐阜県恵那郡加子母村で開かれた『あったかコンサート』に参加したお父さんの感想「・・・こんな時代です。どこかで温かなところを持っていないと、人生楽しくないような気がします・・・」から文章ははじまり、「『楽しい』ってことを大切にしながら、『楽しい』っていうことを奪うものに立ち向かう力を育む『楽しさ』を、今年もつくりだし、広げていきたいと思います。」とまとめています。

サマー・カレッジが、参加者自身で実行委員会を組織し、開かれるようになり始めた頃に、各地の実行委員会でつながりあそびとは、サマー・カレッジとは、を活動面と運動面とで考えようと学習会を開いたことがあります。正直、まだまだ実績どころか、実践が蓄積されていたわけでなかったですから、独りよがりで稚拙な自分の思いを吐露するしかなかったのです。そこで強調していたのは「つながりあそびの楽しさは、生きる楽しさを奪うものに立ち向かう楽しさ」ということでした。きっと私自身もよくわからず語っていたと思いますが、当時の私の「つながりあそび」での一つの到達点もあったし、今でもその考えは変わっていません。しかしながら、その意味は具体性にも欠けるし、一般的でもないし、わかりずらさは否めません。あれから20年(綾小路きみまろは40年)も経っていますし、そろそろまとめ、次へのステップのためにも自分自身がその意味するところをまとめてみなければと思っているところです。自分としては、この言葉を目標に、励みとして活動し、生きてきたんだと思うのですが・・・。楽しみに、というか一緒に考えてください。
 
一つ言えることは、コロナ禍の中でも週一に配信し続けているゆずりんのユーチューブでの「ゆずりんの音楽日記」や、まっちゃんのオンラインだったり、ハイブリットだったりしながらも月1回続けている「わくわくセミナー」は、まさに「楽しさを奪うものに立ち向かう楽しさを」つくりだし、広げている活動です。すごいことです。感謝、感謝です。


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抱っこ通信1263号 つながりあそび・うた研究所風の便り11月号原稿

2024年01月03日 | 抱っこ通信
つながりあそびを受け入れられる風土とは
二本松はじめ

私の活動は、以前にも書きましたが、つながりあそび・うたの土壌を耕すことと種蒔きです。特に、研究所を立ち上げてからの30年間は、つながりあそびの種を蒔きたい現場の荒廃が進み、風が通り過ぎるだけであったり、コンクリートのように固く固く固められているように感じています。そこでは風のいろいろな表情を感じることも必要ないし、雨(水)は、表面を濡らし、すぐに流れてしまうような現実があり、そういう実態に見合った保育文化の華? 花しか咲いていないようにも感じます。その他の樹や草花を知ることさえも出来なくなっているというか、必要としていません。
そこには子どもという存在がいないような気すらします。

 一方、その土地の風土に根づいた緩やかな風が吹き、水分をたっぷり含んだ土壌を持つ現場もあります。一面では近寄りがたいような現場もありますが、そこでは子どもの存在が感じられます。

と、一方的に見えたり、感じていてはいけないのでしょうが、コロナ禍もあって子どもたちが身近に感じられなくなっていた私がいたことも事実ですし、そんな私から見ての感想です。

やっと、サマー・カレッジが戻ってきて、仲間たちから少しずつ現場の雰囲気や子どもたちの姿を聞けるようになって、また、保育現場等に入るようになって、少しだけ気が付いたこともありました。


10月に遊びに行った盛岡市の社会福祉法人わかば会の4か所の保育園を回って感じたことですが、子どもを育てる、保育をつくりだすには、その土地の風土に根づくことの大切さと風土をつくりだす一端になる必要性です。ここでいう風土とはかなり広い意味を持ちますが・・・。

わかば会に見てみるとホームページには次のように書かれています。
「当法人は『働く父母が安心して預けられる保育園』『子どもたちの全面発達』を目標に掲げ、昭和56年4月に『わかば保育園』を開園しました。
当時盛岡市内には産休明けの長時間保育を実施している保育園はなく、共働き家庭は二重保育や無認可保育園に預けざるを得ませんでした。
このような状態を何とか解消しようと、当時無認可保育所だった高松わかば保育園を母体に父母たちが『わかば保育園をつくる会』を結成し、市内外から数多くの人たちの寄付金等物心両面にわたる支援を得て、5年間の運動の末に、わかば保育園を設立することができました。

わかば会の理念
社会福祉法人わかば会は子どもの人権を尊重し、保護者と協力しながらその健やかな成長のために尽くすとともに、保護者が安心して子どもを預け働ける環境づくりに努めます。
未来の主人公になる子どもたちの権利を尊重し、豊かな乳幼児期を保障することを基本とし、保護者の皆様と一緒に保育を創っていくことを大切にしてまいります。
そして子どもが本来持っている能力を引出し、豊かな感性を育み、一人ひとりが仲間の中でゆっくりじっくりと自分を育てていけるような保育環境づくりに努めます。
さらに、地域の皆さんと連携し、子育て支援や地域福祉の向上を目指し、地域の子育ての拠点となるよう努めます。
そのためにも、職員一人一人が生き生きと活動し、喜びをもって働き、自己実現できるような職場環境、職場の風土づくりに努めます。」

と、ま、書かれているのですが、ある面では保育園ができる必然性がその地域にはあったのです。その必然性がその保育園の風土を産み、育て、その地域の風土にもなっていっているのですね。そこには必ず子どもの存在があったはずですね。子どもの存在こそが、その地域の風土をつくり育てる主体であるはずですから。同時に、保育園の歴史の長短だけでなく、保育園の主体である人の問題とも言えます。

残念ながらつながりあそび・うたは、そんな風土を持つ保育園には受け入れられているように感じますが、コチコチに固められた保育園、風土をもたない保育園にはなかなか受け入れてもらえていないようにも感じます。私たちが圧倒的に届けられていないのが事実ですが。がんばれ!つながり


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抱っこ通信1266号 これからも

2024年01月02日 | 抱っこ通信
昨年、5月に新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行に伴い、なんとはなくですが、少しずつですが気持ちが外向きになっているような感じが広がってきたようです。まだまだ分からないことも多く、不安で心をおおわれてなかなか踏み出せないことも多いことも間違いありません。まだまだコロナ禍での暮らし、生き様がどうあったかを論ずるというか、総括して次に踏み出すには早いと思いますが、新しい年に向かってそれぞれが一歩踏み出していければと思います。

そして、2024年は「『安心の世界』が地球規模でも、日常のささやかな暮らしの中でも、特に、子どもたちに少しでも広がることを強く願って」と書いたばかりなのに昨日は「能登半島地震」。少しでも被害が少ないことと迅速な救援活動を願うばかりです。少しでも「安心の世界」を。

昨年、毎木曜日の、地域のみなさんと「戦争反対!と声をあげよう」の街頭宣伝行動に42回参加できたことが嬉しかったです。「音楽があるとないとでは違うのよね」「新しい歌を覚えられて楽しい」「うたごえに励まされています」と喜ばれています。
残念ながら月一の東久留米反核平和市民実行委員会の街頭宣伝行動には6回しか参加できなかったです。地方でのつながりの活動と重なってしまっているのです。
退職保育士の会の「公立保育園をなくさないで!」の街頭宣伝行動には14回参加。これは私のスケジュールに合わせてくれています。

今、どんな歌が求められているのかを考えながら街頭に立っています。基本は自分の言葉での創作曲を歌っていますが、闘っている仲間たちの中から生まれた歌も歌っていきたいし、仲間たちをまきこんだ創作活動を進めたいなと考えています。
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抱っこ通信1265号(2024.1.1) 研究所風の便り2024年1月号

2024年01月01日 | 抱っこ通信
「安心の世界」を広げるつながりあそび
二本松はじめ

つながりあそびの研修レジュメでも書いていることですが、「安心の世界」が地球規模でも、日常のささやかな暮らしの中でも、特に子どもたちに少しでも広がることを強く願う2024年です。箇条書きですがレジュメに書いていることを紹介します。レジメでは2章になります。

人は安心の世界で、共感と笑顔の中で育つ。 
①抱っこしあって、みつめあって、微笑みあって
*からだとこころを許しあう関係をたっぷりつくろう=委ねる楽しさと安心感
*からだが触れ合う時、心もふれあう。こころがふれあう時、からだも触れ合う。
②おもわずからだが笑っちゃう=人のつながりって楽しい(遊びって楽しい)
*人は、人を楽しませる、喜ばせる、幸せにする存在=特に子どもは
*生まれてきてくれてありがとう。生きているだけでありがとう。
③自分の中にある好きを見つけよう
 *楽しい時、人間は・・・より主体的に、積極的に、人間的に(仕事も生き方も)
④子ども(人)は笑顔(愛)の中でしか育たない「安心の世界」

ひと言で「安心の世界」といっても、人それぞれです。みんなで話し合い内容を深めあえればと思っているのですが、私の活動(仕事)は実際につながりあそびをみんなで遊ぶ中で、遊ぶ本人に実感してもらう、体得してもらうことにありますから、なかなか伝え合い深め合うことが難しいのが正直なところです。歌詞とか、言葉とかとはまた違ったものを感じ取られることもできますが・・・。
 でも、つながりあそびそのものの力というか、面白さとか楽しさも大事なのですが、一緒に遊ぶ「みんな」のつながりあいが「安心の世界」をつくりだす決定的な要因なのです。この人とのつながりあいを変化、発展させる、豊かにする、楽しいものとすると言い換えてもいいと思いますが、それが「つながりあそび」なのではないかなと思っています。安心の世界をつくりだすつながりあそびです。

もう一度、レジュメを見てください。いま、ここに書かれていることが子どもたちだけでなく、人類から奪われていないでしょうか。「地球規模でも、日常のささやかな暮らしの中でも」です。自分の生い立ちや自分の子育てなどを重ねながら見てください。そして、今の「自分」を重ねて見つめてください。つながりあそびを広げる2024年のスタートです。


先月に開かれたサマー・カレッジ代表者会議は楽しかったです。オンラインでも久しぶりにみんなで顔を合わせて会議だったので、それだけで嬉しかったです。画面からうかがえる仲間たち表情からは、ブランクの時間の長さもありましたが、その間、子どもたちを真ん中に踏みとどまってきた仲間たちがいたこと、そして、つながりあそびの火を消さなかったこと、それらがサマー・カレッジの再開につながっていたことが伝わってきました。ほんとうにありがとうです。それにしても、オンライン会議もそうだし、研究所風だよりもそうだし、ホームページもそうだし、研究所のことはまっちゃん頼みだったなと反省をしています。
メモを取るのに忙しかったですが、メモに残っていたいくつかを紹介します。

*新しいつながりをどうつくっていくか。それは人とのつながりでもあるし、その人のつながりをつくりだし豊かなものにする文化活動をどうつくりだしていくかの問題。
*現場を持つ仲間が減っていく中で、お手伝いとしてサマー・カレッジにかかわるだけでいいのか。現場を持っている仲間が実行委員になるような働きかけを。
*新しく参加した仲間たちの感想が良かった。実行委員になることが生活の一部になり豊かになる。現実が厳しくても挑戦することで実行委員みんなの力が発揮できる。
*現場でつながりあそび・うたを知ってもらえるような実践を。
*平和の問題や研究所の思いなどを広げることで、自然につながりをつくっていくことができれば。
*現場が大変だからこそサマー・カレッジを開いていく。本来、保育は、仲間は楽しい。先輩から後輩へのつないでいくこと。保育運動とつながり運動とのつながりあいを。

保育や学校現場の仲間たちの要求から出発したサマー・カレッジです。それは子どもたちの要求でもあり、現場の仲間たちの要求でもあったのだろうと思います。もう一度、その要求の中身を点検してみる必要があります。要求さえ出せない状況に追い込まれている現場を変えていくためにもね。「楽しい」を広げるためにもサマー・カレッジを身近なものにしていきましょう。2024年のサマー・カレッジのスケジュールも出され、すでにスタートしています。



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抱っこ通信1262号 研究所風の便り2023年10月号 子どもの周りを、自分の周りを見てみよう

2023年10月13日 | 抱っこ通信
子どもの周りを、自分の周りを見てみよう

9月3日は大阪のぬくぬくつながりの会の仲間たちをはじめ関西だけでなく、全国のつながり仲間にオンラインも含めて喜寿(数え)のお祝いをしていただきました。まだまだ元気で、楽しくつながりあそび・うたを広げて行ってほしいという仲間たちのあたたかい気持ちを受け取りました。ほんとうにありがとうございました。
少しでも仲間たちの気持に応え、子どもたちの思いが実現できるように、つながりあそび・うた活動で「生きているってひとりじゃないよ」「生きているって楽しいよ」を広げていきたいと思います。よろしくお願いします。




17日は、兵庫県のはとのさと福祉会4カ所の事業所(保育園)の4年ぶりの職員研修会を加古川市で開きました。ここ10年間で4カ所に増えた事業所ということで職員の交流も兼ねてという部分もあったかと思います。
『元気いっぱい』『誕生日って』で、保育ってある面、子どもたちとの生活の中で、つながりあいの中で嬉しいことを見つける、つくりだすことではないのかな、と提案。そのつながりを断ち切るのが戦争であることをまずは押さえました。
次に『おなか』『くっついた』『のせてのせて』『だるまさんの』『なにかななにかな』で子どもたちの思い願いなどをまるごと受けとめ、知らず知らずに子どもたちに安心の世界をつくりだしているみんなの保育にありがとうを伝えました。
『オチャラカホイダンス』『ダルビュッシュ』で失敗しても笑い合って受けとめ合って行こうと提案。子どもも先生もそれぞれゴール(目指すもの)があるから。人は楽しい時、主体的に、自主的になっています。それは、研修スタート時と1時間30分間後の先生たちの表情がまったく別人になっていることからもわかります。からだ(姿勢)もくずれていました。あそびを遊べる人になっていくと良いですね。きっと大丈夫だね、みんなで楽しめたのだから。


今回の研修会は、 はとのさと福祉会の増田理事長さんが、兵庫県保育連絡会の専従だった時、第33回全国合研(2001年)が神戸で開かれ、そのオルグ(プレ企画)で県内を回ったときに、レジュメを作成して研修会や親子あそびをしていました。増田さんが、そのレジュメを見て、「つながりあそびはこういう考えでやっているのですか」と、とても喜んでくれたというか感心してくれたことが、その後のつながりあそび活動、運動に自信を与えてくれたのです。今回はそのお礼参り?お礼奉公の研修会でした。
 
私のレジュメの内容については、この風の便りに以前に書きましたが、つながりあそびの譜面や遊び方だけでなく、子どもや保育について自分の思いや考えをいろいろ箇条書きですが記しています。この日に会いに来てくれた兵庫県保育連絡会のAさんも言っていました。「実技研修会なのに子どものこと、保育のことはもちろんだけど、保育運動のこと、政治のこと、いのちや平和のことなどとの関係について話が出てくる研修会は他にはあまりない」と。
つながりあそび・うたをだれが遊ぶのか、だれが楽しむのかを考えたときに、その主体である子どもと子どもを取り巻くすべてとがいろいろな意味で関わりあっています。関わりあいの度合いの多少は様々ですが、その関わり見えないとなかなか子どもも、保育も、つながりあそびも見えてきません。ですから自分の場合は、子どもや保育についておしゃべりしているときは、子どもに関わっていることをおしゃべりしているのです。そのためのレジュメでもあるのです。実際に、実技研修会の中でレジュメに触れることはほとんどありませんが・・・。つながりの活動も保育も終わりのない旅というか、進行形でなんですね。休み休みですが。



28日、京都サマー・カレッジ実行委員の松山ふさ子姉の訃報が入りました。7月の京都サマー・カレッジでお会いした時は、長い病気との闘いでの疲れは見えているものの、サマー・カレッジという場で、仲間たちと一緒出来ているという満足感というか、気持ちが伝わってきていたのにとても残念です。
京都だけでなく、全国のつながり活動、運動ではなくてはならない仲間の一人でした。石原保育園での実践、向日市や長岡京市などでのたんぽぽサークルでの活動、関西レク、そして、サマー・カレッジなど、いつも仲間と共に、つながりあそび活動を、そして運動を一つ一つ丁寧に、精力的に、しかも原則的に展開していました。ウインターカレッジでの実践レポートでもその姿勢が良く見られました。サマー・カレッジやコンサートでダンスを踊る姿は、小さい体で精いっぱい動いて可愛くて好きでした。
個人的には約30年前、北海道を回っていた時の電話で、私的なこと、それも弱い自分をさらけ出す内容が思い出されます。
つながりの活動は松山さんの人生の丸ごとを占めていたのかなと思いますし、まだまだやりたいことがあっただろうと思います。また、松山さんから教えてほしいこと、伝えてほしいことがたくさんあったのにとても残念です。あちらの世でもつながりあそびを楽しんでほしいですね。ご冥福をお祈りいたします。ゆっくりとお休みください。


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抱っこ通信1261号 研究所風の便り9月号  やっぱり夏は、サマー・カレッジだね

2023年10月13日 | 抱っこ通信
1か月遅れですが、研究所風だよりの私の原稿をあげます。

やっぱり夏は、サマー・カレッジだね

 2023年サマー・カレッジは、来年1月に予定されている福岡(保育Ver)を残して終わりました。コロナ禍の中でも子どもたちの命と健康を守り、笑顔を消すまいと保育現場で頑張ってきた仲間たちが、3~4年ぶりに弾けたサマー・カレッジになったように思います。
 6月の福井に始まり、8月の埼玉まで、なかなか顔を合わすことが難しい状況の中で、しかも、猛暑が続く中で準備する仲間たちを想像した時に、開催当日の仲間たちの変わっていない晴々とした表情と姿に出会えた時は、心の底から「おはよう」と叫んでいました。

なんと言っても、仲間たちが集って(対面で)、いつの間にか触れ合って(躊躇もあっただろうけど)、関わって、からだと心が笑って、子どもになって、子どもたちに楽しさを広げたいと思っていることが伝わってきたことが嬉しかったです。

 私が参加したサマー・カレッジに限ってですが、各会場とも実行委員会の仲間たちから言われたことは「初参加者が多い」、「現場経験が浅い人が多い」ということでした。そう伝えてくる仲間たちの表情がこれまた良いのです。「新しい仲間を広げたよ」と。つながりあそび・うたの可能性を信じている表情なのです。うん、うんと心の中で頷くばかりでした。

そういう意味では、午前中のまっちゃんの時間、人気のつながりあそびと現場の仲間たちの心情を代弁しているかのような語り(おしゃべり?つぶやき?)がサマー・カレッジにすんなり入れ、楽しさの中にのめりこんでいけたのかなと思いました。
 それを受けての私の時間はどうだったのかな。毎会場違った内容、展開になってしまいましたが、それなりに楽しんでいたようにも見えましたが、参加者自身がどう思ったのかと、その後の保育の中で、子どもたちとどれだけ楽しさをつくりだせているかで、その評価が分かるかなと思います。
 最後のまとめの時間でもこれから現場で子どもたちといかに楽しんでいくか、仲間たちと保育をいかにつくっていくか、オーバーな言い方をすると「決意」をうながすような「なにか」がもっとあっても良かったかなと反省しています。きっと、参加者自身が「なにか」を感じ、「なにか」を考え、「なにか」行動を起こしてくれることでしょう。

 サマー・カレッジ実行委員会が主催としては、まっちゃんとピカリンが講師の福井・大阪・愛知・京都・埼玉。ゆずりんとまっちゃんが講師の九州。ゆずりんの京都(教員Ver)と関東と埼玉(コンサート)。講師三人体制は柏。京都と埼玉は内容を違えての一日制が続いた変則?な二日連続となりました。前号にも書きましたが、サマー・カレッジの取り組みスタイルや内容は各実行委員会がつくるものですから、みんな違ってみんないいのです。
同時に、今年の講師になった3人のつながりあそび・うたの表現の方法が違っているので(それもいい)、実行委員会が、その年のサマー・カレッジで大事にしたいものをつくるためにもっとも相応しい講師を選んできたのではないでしょうか。
これからはますます実行委員会によってサマー・カレッジのスタイル、内容が変わっていくことも考えられます。むしろ、変わっていかなければという思いもします。変わるという言葉を創造するという言葉に変えても良いと思います。そのためにも実行委員を増やしたり、講師になる人を見つけたり、育てていかなければなりませんね。

今、私自身が悩んでいるというか、考えがまとまらないのは「サマー・カレッジ」とはなにかということです。同時に、「サマー・カレッジ」ってだれのためかということです。あまり深く考えているわけではないですが、それこそ、30年前に保育や教育の仲間たちの要求から出発したサマー・カレッジですから参加者自身、ここではサマー・カレッジを一緒につくっている仲間たち一人ひとりに考えてもらうことが大事だと思っています。
保育、教育などをひとくくりに同じ方向を向かせようする動きが大きくなっていることに違和感を覚え、危惧さえ感じます。サマー・カレッジはそういう動きにも抗う活動・運動なのかな、と思います。子どもから出発してね。そういう意味でも、つながりの仲間たち一人ひとりが主体になって、「サマー・カレッジ」を考え、つくっていきたいです。

サマー・カレッジはつながりあそびやうたを広げるということだけにとどまらず、また、ゆずりん、まっちゃん、ピカリンを「推す」ということではなく、保育という営みがコロナ禍も続いている状況や70年以上も変わらない配置基準にみられるような保育政策の停滞、後退がみられる中で、言葉にできないくらい大変さが増し続ける状況にあって、子どもたちの笑顔を守りたい、楽しい保育園を働く仲間たちとつくりたいという一人の保育士としての願いであり叫びです。また、子どもも大人も生きづらさが増す中での一人の人間としての自由と解放を求める声だと思います
 保育雑誌やユーチューブ等で遊び方とか踊り方と歌とかが簡単に手に入る時代ですし、すでに多くの仲間たちが実行している中で、顔を見あって言葉を交わして、からだを触れ合って、心を解放してのサマー・カレッジのこれからをどうつくっていくかが楽しみです。2023年サマー・カレッジを開催してくれた全国の実行委員の仲間たち、参加してくれた仲間たちに「ありがとう」です。まずは今年のサマー・カレッジの総括と交流です。



「公立保育園をなくさないで」の署名ありがとうございました。

大阪・愛知・京都・埼玉のサマー・カレッジの会場でお願いし、合研等で出会ったつながり仲間たちにお願いしていた「東久留米市公立保育園存続プロジェクト連絡会・退職保護者の会」のどの子も安心して遊べる場として、地域の子育て支援の場として、どの子も健やかに成長できる場として公立保育園をなくさないでという素朴な願いから始めた請願署名、お陰様で8月25日に請願署名第一次分9069筆を市議会に提出できました。

 私が参加しなかったサマー・カレッジin福岡で集めてくれた署名用紙や、署名活動前に開催したサマー・カレッジin福井からも仲間たちが署名を広げてくれて署名用紙が郵送で続々と届いています。愛知や埼玉では、署名用紙を持ち帰り、職場の仲間などに署名を広げてくれています。ほんとうに元気と勇気をもらっています。ありがとうございます。
目標は10000筆ですから9月12日の市議会厚生委員会に向けて引き続き街頭宣伝活動、署名活動を行います。署名を集めていただいた仲間は、9月10日まで署名を送ってください。お願いします。


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抱っこ通信1260号 朝はみんなに

2023年08月11日 | 抱っこ通信
 昨日(10日)、つながりあそび・うた研究所のホームページの方に珍しいというか、嬉しいというか、つながりあそびの問い合わせがありました。愛媛県新居浜市にある朝日保育園のI先生からです。「二本松はじめさんのつながりうた、保育園でも何年も前から歌わせていただいております。今回問い合わせさせていただいたのは、『朝はみんなに』を作詞作曲された時、震災の時に『明けない夜はない、みんなに平等に朝がやってくる』という思いで作られた曲だということをちらっとお聞きしたので、二本松さんの思いがつづられている記事はないものかと検索しましたがそういった文章を見つけることができませんでした。子育て親子と共にいつも歌っている歌なので、しっかり思いも引き継いでいきたいと思い、今回連絡しております。お手すきの時で構いませんので、作詞に込められた思いを教えて頂けたらと思います。」とのお問い合わせでした。

 きっと、I先生にお話しした人は、某出版社の保育月刊誌かCDブックをお持ちだったのだろうと思います。または、サマー・カレッジに参加していたか、何年か続いた愛媛合唱団が企画してくれた愛媛県つながりあそび研修会に参加して、私の話を聞いていたのかもしれません。

 朝日保育園のI先生には、保育月刊誌2006年6月号の付録のCDブックに書いたことで返信しました。
 「2004年10月23日、新潟県中部地震がありました。新潟の保育仲間たちの要請と支援で長岡市や小千谷市の保育所、山古志村(当時)の避難所など12ヶ所を回ってきましたが、被災した子どもたちを励まそうと思ってつくった歌が『朝はみんなに』です。つらいこと、悲しいこと、さびしいことがあっても必ず朝はやってきます。雪がとけて春がくるように、笑顔で迎える朝がくることを信じていっしょにがんばろうねという思いでつくりました。いまもがんばっている新潟の子どもたちに届くように元気にうたってくださいね。」

 挨拶歌として創作したのですが、もちろん、簡単な手遊び、振りも付けてあります。私がつながりあそび・うたを創作するタイミングやきっかけで一番多いのは、子どもたちと遊んでいる時です。その時はただ、ただおもしろがって、遊んで、子どもたちの笑顔を見たいだけですし、もっともっと遊びたい、楽しみたいと、遊びながら次々に遊びのアイディアが浮かんでくるというか、からだが遊んでしまっている時です。結構、歌もいい加減にうたっていますし、うたいながら、だんだん出来上がっていくというか、はい、いい加減です。遊んでみて(やってみて)全然面白くない時の方が多いかもしれませんが、そんな時は、途中でも「おもしろくないね」とやめてしまっています(いいかげん)。
 もう一つは、『朝はみんなに』のように歌って、遊んで主人公になれる子どもたち、仲間たちの笑顔を想像して創作しています。遊び(動き)よりも歌が先にできる場合が多いですが。
 どちらにしても、創作の思いを受け止めて歌ってくれる、遊んでくれているのは嬉しいです。きっと、歌ってくれる、遊んでくれる仲間たちが自分たちの思いも重ねてくれているからでしょうね。嬉しかったです。ほんとうにありがとうです。
 新居浜市の朝日保育園と言えば、まっちゃん(町田浩志)が広島からフェリーに乗って合流したことを思い出します。まだ、一年目の研究生の頃でした。


 朝はみんなに

1.晴れてもおはよう 雨でもおはよう 
  曇っていてもおはよう  朝はみんなにやってくる
  おはよう(おはよう) おはよう(おはよう) おはよう
  おはよう(おはよう) おはよう(おはよう) おはよう

2.雪でもおはよう 雷でもおはよう 
  嵐だっておはよう  朝はみんなにやってくる
  おはよう(おはよう) おはよう(おはよう) おはよう
  おはよう(おはよう) おはよう(おはよう) おはよう

3.泣いてもおはよう 怒ってもおはよう 
  笑っていてもおはよう  朝はみんなにやってくる
  おはよう(おはよう) おはよう(おはよう) おはよう
  おはよう(おはよう) おはよう(おはよう) おはよう



(尚、翌年、CDブックが出版されましたが、絶版です。)
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つながりあそび・うた研究所風の便り8月号  自分を褒めてあげよう

2023年08月03日 | 抱っこ通信
 まずは自分を褒めてあげよう。
 なにしろ7月の毎週末は、大阪わくわく保育セミナー、愛知サマー・カレッジ、京都サマー・カレッジ、第55回全国保育団体合同研究集会(合研)で、前後日の車移動を入れて、金曜日から火曜日までが活動日。そして、帰って、毎水曜日が「東久留米市公立保育園を守れ」の街頭署名活動日、毎木曜日が「戦争反対!と声をあげよう」の街頭宣伝行動日とフルに動いていました。その間、月一の病院通いや諸々が入ったりと、ありがたいことに昼寝をする暇がなかったのです。それでも、なんとか体が持ってくれて、声が出てくれて、そして、なによりも元気になれたのは、各地でつながりあそび・うたや平和と民主主義を守り、子どもを、保育を大切に願い育てる活動・運動をつくりだしてくれている全国のつながり仲間たち、保育の仲間たちのおかげです。
それと、つくづく自分がこういうみんなでつくる活動が好きなんだな、ということを再確認できました。感謝感謝です。


 3か所のサマー・カレッジも各地の実行委員会の色が、私の担当するつながりあそびの展開にも大きな影響を与えてくれています。これが楽しいのですが・・・、みんな違ってみんないいのです。きっと、保育・教育の営みも一人ひとりの子ども、その土地、その人によって違っているのでしょうね。それをひとくくりに同じ方向を向かせようする動きが大きくなっていることに違和感を覚え、危惧さえ感じます。サマー・カレッジはそういう動きにも抗う活動・運動なのかな、と思います。子どもから出発してね。
8月の福岡、関東、埼玉のサマー・カレッジも楽しみです。


 さて、合研も楽しかったです。ある面では自分の活動の総決算の思いで参加していました。1996年の第18回集会の基礎講座の講師として参加して以来、ずっと参加して子どものこと、保育のこと、仲間のこと、うたごえのこと、文化のこと、平和のこと、暮らしのこと、生きること等々、楽しんで学んで交流して、今の自分が育てられてきたことは確かです。ゆずりんやまっちゃんにもそういう場に巻き込んでなにかを感じてほしいという気持ちで一緒してきました。“つながりあそび”という言葉自体も合研から生まれた保育者と父母を結ぶ雑誌「ちいさいなかま」の連載の時に生まれたのです。
 さて、今回も一日目のうたごえ交流会にゲスト出演し、二日目の親子講座をまっちゃんと担当し、三日目の文化企画「つながりコンサート」に出演しました。この文化企画「つながりコンサート」の依頼を受けてから当日まで、いや、今でもいろいろ考えさせられています。
 企画意図というか、副題が「ー子どもたちの笑顔と平和な世界を願って、全国のなかまと歌って笑ってつながろうー」となっていますが、内容は「すべておまかせ」です。どんなコンサートが合研に相応しいかをずっと考えていました。当日の30分前に曲目変更や演出?変更もしたくらいですからね。

 まっちゃんが他の活動で福島を離れてしまう中で、最初に決めたのは愛夢の坂本将取さんを引っ張り出すことでした。「みんなでつくる みんなでつなぐ、つながる合研」ですから、ビジュアル的にも世代を超えて「つながっている」ことが伝わればと思っていました。なによりも若い存在そのものが嬉しいです。そして、今回の合研の一つのテーマでもある配置基準をめぐるたたかいの中で創作され、昨年の保育大集会でもリードした『もうひとり行進曲』を歌ってほしいことをリクエストしました。もう1曲は彼の選曲で『陽気に生きようこの人生をさ』。彼自身の思い入れもあり、会場総立ちで盛り上げてくれました。語り、訴えも若者らしく、保育の当事者らしく、現場の大変さ、保育者の大変さも伝えることができたかなと思いました。想定外でしたが、坂本さんの一緒に行動していた名古屋市の若者保育士2人もステージで歌ってくれたのは嬉しかったです。

 次に、保育のうたごえの仲間にも出演してもらえたらと思っていましたが、最終日ということで残る人が限られている中、合研実行委員会での保育のうたごえ代表としての木戸さんと、コロナ禍の中でも全国の保育のうたごえの仲間をつないでいた松永さんが参加してくれました。保育のうたごえを陰で支えている素敵な仲間です。

 そして、音楽的ではシモシュに参加してもらいました。彼の20歳代前半からのお付き合いで、私のオリジナルのほとんどを編曲してくれていますから、なにがあっても安心なんです。

 『ひとりじゃないさ』『誕生日って』『もう一人行進曲』『陽気に生きようこの人生をさ』『どこまで飛んでも~ストップ!戦争~』『おなか』『夢わかば』『手と手と手と』で40分間強でした。8月1日の朝、まだ、福島にいた私に、講習会や執筆などでお世話になった某保育・教育出版社の知人からメールが入りました。「『やっと』というか『やっぱり』か、『二本松はじめさん』のお名前を『しんぶん赤旗』8/1(火)1面で見つけることができました。あの懐かしき『ゴーケン』の記事で。お元気でよかった。」と。
 帰京してからその記事を読みました。そこには私が願っていた「つながりコンサート」が書かれていました。きっと合研に参加した仲間たちにも伝わったのかなと思い嬉しくなりました。

 「閉会の全体会は文化企画『つながりコンサート』から始まりました。二本松はじめさんが若い保育者と一緒に登場。『子どもたちにもう一保育士を』『いつまで戦争が続くのだろう』と命と平和のつながりを大切にしてきた保育合研ならではの歌を熱唱しました。参加者は立ち上がって手拍子をし、会場には一体感が広がりました」(「しんぶん赤旗」より)








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