つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信1270号(2024.1.7)千尋

2024年04月01日 | 抱っこ通信

今日、宇津木千尋さんの告別式に出席してきました。抱っこ通信1267号に書いた娘さんです。「もし、よければ」と親父さんから連絡を受けてです。亡くなった日の親父さんに「『オレの娘です』が先に逝っちゃったか。彼女のフェイスブックを読んでいると詩人だし、文学少女だし、いつか話を聞いてみたいと思っていました。残念。良い娘を持った、良いオヤジだったんだね。ご冥福をお祈りいたします。」とメッセージを送っていました。
 今日も、フェイスブック上でもいろいろあったでしょうけど、とても親父さんを愛し、娘を愛していた素敵な親子だなということが伝わってきます。だからこそ、親より先に逝くなんて。

♬・・・・・・
もう一度 いま約束 母になったお前と約束
父さんを父さんとして 死なせてくださいの約束
きっと あの日は何にも わからなかったと思うけど
母となったいま 父さんの思いわかるだろう
父さんより早く 死んではいけないんだよ
子どもは生まれてきただけで 生きているだけでいい

死ぬまで親でいられること 父さんの一番の幸せ
ゆっくりいいんだよ 一生かけて親になれば
                ・・・・・・♬
(『ゆっくりでいいんだよ(母になった娘)』より)



今、親よりも早く亡くなってしまう人というか、殺されてしまう人が多い時代でしょうか。
戦争、自然災害、自死・・・。
改めて一日も早く「安心の世界」を。
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抱っこ通信1275号(2024.4.1) 風の便り年4月号

2024年04月01日 | 抱っこ通信
誕生日って何の日
二本松はじめ

つながりあそび・うた研究所は33歳になりました。

春という名を聞けば、縮こまっていたからだがだんだん緩んでくる感じですが、4月の声を聞けば、それこそ草原をスキップしたくなる感じです。ま、最近ではあくまで“感じ”で、気持ちはスキップしたいと思ってもからだは動かずです。

♬誕生日って何の日 感謝する日 君が生まれてきたこと 感謝する日♬
♬誕生日って何の日 感謝する日 僕を産んでくれたこと 感謝する日♬
♬誕生日って何の日 感謝する日 君に出会ったことに 感謝する日♬

4月です。つながりあそび・うた研究所を立ち上げて33回目の誕生日であり、34年目を迎えます。20周年の時に東日本大震災があり、仲間たちが準備をすすめてくれていた記念コンサートは中止になってしまいましたが、20周年記念誌『ありがとう みんなでつながって』を出版できました。記念誌は、つながりの仲間たちの、そして私自身の財産になっています。企画・編集・出版に関わってくれた仲間たち、原稿を執筆してくれた仲間たち、なによりもつながりあそび・うたを子どもたちと楽しんでくれた仲間たちにありがとうです。

10周年、15周年、20周年とつながり仲間たちとつながりあそび・うた研究所の誕生を祝い、その歩みを確かめ、喜び合うだけでなく、新たな一歩を踏み出す機会となってきました。残念ながら30周年はコロナ禍ということで、集うということ、接するということさえ躊躇され、新たなことに取り組むという気持ちさえも封じ込められていたことは間違いありませんね。コロナでそれぞれの地で、みんなで顔合わすとか、考えを寄せ合うとか。つながりが断ち切られていたこともその原因です。それでも、個々にはつながりの30年を考え、新たな一歩を考えた仲間もいたことも事実でしょう。私のつながりが、私たちのつながりになり、みんなのつながりになっているのでしょう。その証拠に一昨年からサマー・カレッジも復活してきたのです。嬉しくて、ありがたくて・・・。

もう一つ、ゆずりん(中山讓)のユーチューブ、まっちゃん(町田浩志)のオンラインでのセミナーなど、それぞれが発信し続けていること、学び、交流の場を持ち続けていたことは、つながりの運動面で、つながりの仲間たちを励ます意味で大きな役割を持っているのです。もしかしたら月1回だけどもこの「風の便り」も、そして、まっちゃんが頑張ってくれている研究所のホームページもその役割を果たしてきているのでしょうね。

34年目はサマー・カレッジも昨年同様に開かれる予定ですし、新しいサマー・カレッジ(名前は別にして)への挑戦もあるかもしれません。楽しみに迎えたつながりあそび・うた研究所の誕生日です。



つながりあそび・うた研究所の私は50歳に。

次は、私ごとです。今年度は、つながりあそびの二本松(ピカリン)の50年目の誕生日なのです。
私がいまここにいるきっかけになったのが、50年前の第1回レクリエーション・リーダー学校(1974年7月13~15日 当時群馬県水上町湯の小屋温泉葉留日野山荘)に、講師として参加した時からです。つながりの私が誕生したといっても過言ではないのです。レク・リーダー学校の主催は山岳スポーツ研究所。共催だったか後援だったかの記憶が曖昧ですが、当時の新日本体育連盟全国勤労者スキー協議会、勤労者山岳連盟、日本のうたごえ協議会だったかな。開催の宣伝や参加者の組織はどうしていたのでしょう。ある面、実務的に主催する側にいたわけではないので、これまた記憶が曖昧ですが、しんぶん赤旗には宣伝広告が掲載されていたと思うのですが・・・。そのレク学校の参加者を中心に1年以上の学習と話し合いを行っていた準備会を経て、全日本レクリエーション・リーダー会議(全レク)が76年に設立されているのです。

 レク・リーダー学校以前にも、学生時代には東京狭山青年の家で利用者の子どもたちのレクリエーション指導とか、某労働組合の昼休み活動のフォークダンス指導とか、市教社会教育時代には青年事業や少年事業でのレクリエーション指導とか、他市町村の社会教育事業でのレクリエーション指導とかいろいろやってはいたのです。その関係もあって、以前からの知人でもある社会教育仲間の草一平氏に誘われて講師として参加したのです。
指導日記を見るとその指導内容たるや恥ずかしい限りです。あそび、うた、おどり、集いの持ち方すべてを指導するのですから責任は重大ですが、まだまだ未熟者で勉強不足のところばかりです。いまも同じですが、おどりやうたではみやちゃん(宮島泰子)がスタッフとして参加し、一緒に活動していました。

このレク・リーダー学校の立場や意義は、それまでレクリエーション関係の指導者養成とは全く違ったものでした。それはレクリエーションを何かに使われるのではなく、参加する自分自身を解放し、自分自身の楽しみとなるレクリエーション活動を、主人公であるみんな広げようという考え方でした。まず、自分自身が楽しむということと、働く人の立場に立ったすべての国民、弱い人の立場に立った、みんなが幸せになるためのレクリエーション活動、国民の権利としてのレクリエーションをどう広げるかという大きな願い(目的)を持ったレクリエーション・リーダー学校だったのです。ただし、このことは全レクを設立するために週一集まっていろいろ論議した準備会の中て明らかになったことですが。

このレク学校から自分の人生が変わっていきました。どう変わったかを言葉に、文章に表すということは難しいです。ま、社会教育という楽しい仕事を楽しんでいた人間が、仕事と同じくらいレクリエーション活動を広げることの楽しさに目覚めて、そのために時間を費やしてきたということでしょうか。その根っこには「○○の要求に基づいて」という私自身考え方があります。「青年の要求に応えて、住民の要求に応えて社会教育を」という考え方、「子どもたちの要求、保育士や教師など子どもと育ちあう人たちの要求に応えて」というつながりあそび・うた研究所の考え方です。その要求に応えるのが自分の要求でもあるし、そんな生き方始めたのが50年前のこの誕生日からです。どう育ってきたか、どう育ててもらったかは、またいつか・・・。



4月21日は、第29回奈良レクリエーション学校です
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抱っこ通信1274号(2024.4.1)風の便り3月号

2024年04月01日 | 抱っこ通信
つながりあそび・うた研究所風の便り3月号
一緒に考えてください

先月、5年ぶりに地元の保育園に遊びに行きました。園長さんが古くからの知人で、サマー・カレッジ等にも職場の仲間たちを誘って参加してくれていました。子どもたちはもちろん、保育士さんの4割位は初めて出会いますし、昨年の研修会に参加してくれた先生が『ゴシゴシゴシゴシ』を楽しんでいるということは伝わってきましたが、どんなつながりあそびを楽しんでいるかも不明のまま当日を迎えました。5年ぶりということと園長さんや研修会に参加した先生たちも楽しみにしているということと、地元の保育園でもあるということで張り切って出かけました。

この日、どうしても遊びたいつながりあそびがありました。絵本『いないいないばあ』(松谷みよこ作)からのあそびです。1月のウインターカレッジの時に、九州つながりの会・向日葵(実行委員)の仲間が10数年前の絵本の研修会でやった『いないいないばあ』の紙コップあそびを覚えていてくれて、子どもたちと遊んでいる紙コップを持参してくれていたのです。ちょうど『いないいないばあ』の歌読みの歌も出来ていたので、いろいろな遊び方の展開を考えて、子どもたちの喜ぶ姿を想像しながら一人でニヤニヤしながら楽しんでいたところでした。

遊び方は簡単です。いろいろなバージョンがあります。
①          最初は絵本を読み聞かせるだけ。
②          今度は絵本の歌読み(メロディをつけて歌います)。
③          絵本から離れて、絵本のイラストを紙コップに描いて、ページをめくる代わりにコップを「ばあ」で外します。
④          次は絵本のイラストではなく、他の動物のイラスト(「いないいない」と「ばあ」の2枚のペープサートで歌読みします。
⑤          ④の応用で、今度は「ばあ」ではなく、その動物の鳴き声で遊びます。♬ばあ♬の代わりに動物の鳴き声で♬ウッキー♬とか♬ブッヒー♬とかで。
⑥          最後は両手だけのイラストで2枚目に動物のイラストを描いておいて、「ばあ」でどんな動物が隠れているかをあってこします。

1歳児と2歳児と一緒にホールで遊びました。結構な人数です。『おはよう』であいさつして(もちろん子どもたちは初めての歌ですから、私たちが元気よく♬おはよう♪です)。次は1歳児が保育の中でも楽しんでいる『ゴシゴシゴシゴシ』で動き回った後にいよいよ『いないいないばあ』の③バージョンをやりました。私「あれ、確かに楽しいはずなのにな、う~ん・・・」。子どもたちはいろいろ反応というか、姿を見せていましたが、正直、からだが動いていません。心が動いていないのですね。次は⑤バージョン。結果は・・・。それでも⑥バージョンまでやり切りました。一生懸命にやりましたよ。子どもたちの様子を見ながらというか、表情を伺いながら少しでも子どもたちが笑顔になってほしいからね。
その日のフェイスブックには「・・・初演でしたので私たちの方も正直『面白い』にはまだまだでした。これからこれから。」と書きましたが、確かに「これからこれから」ですが、なにか大事なことを忘れていたように思います。その大事なことを一緒に考えてほしいのです。なにかが欠けていたから、忘れていたから「面白いにはまだまだ」だったのでしょうし、もしかしたら「おもしろい」ものより大事なものもあったのかもしれません。

この日のように保育園等に呼ばれて「楽しい」を子どもたちとつくるというのも私たちの「仕事」です。生業でもあるし、そのプロフェッショナルです。ま、いまは生きるための「あそび」ですが。ですからいろいろなあそびをつくり、いろいろな遊び方を考えだし、いろいろ楽しい時間をつくりだしてきましたが、それだけでないのです。時々、この「それだけでない」を忘れてしまうのです。考えてください。もしかしたら、保育に、教育に、実践に役立つかもしれないし、それだけではないと思いますが。


楽しい本を読みました。

旧知の霜村三二という元小学校の先生が「いつだって自分らしく やわらかな教育をもとめて」という本を自主出版しました。ほとんど毎日コツコツ書いているブログで書いていたものをまとめたものですが、ブログで読んでいた時よりもさんちゃん(霜村さんのこと)の考えがより分かりやすく伝わってきました。学校の先生にはもちろんですが、保育士さんにも、親さんにも読んでほしい内容です。本の帯には「一色に染め上げる『スタンダード』より目の前の子どもとともに『オリジナル』」と書かれています。

最初に目を通したとき、ドキドキしながら読んだのは、P29。「ぼくはいつも自由な生き方をしたいと思っていました。・・・自由を自分のいる場所で実現し、また守るには、『不断の努力』(憲法前文)が必要でした。自分自身の教育実践でその自由さを歌い、示すだけでなく、自由を奪うものに対しては異議申し立ての声をあげ、時には人とつながって抗議することも必要でした。」
さんちゃんの子どもたちとつくる学級が、そして彼の風貌、人柄、はにかんだ笑顔が目に浮かびました。多くの人に読んでほしいです。


今年もやります夢わかばコンサート。
東日本大震災から13年経過しようとしています。
これからもどう生きていくか考えます。
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抱っこ通信1273号(2024.4.1)みんなで楽しさをつくりだすこと

2024年04月01日 | 抱っこ通信
つながりあそび・うた研究所風の便り2024年2月号原稿
みんなで楽しさをつくりだすこと

先月は九州つながりの会向日葵の仲間たちによるウィンターカレッジと宮崎、福岡、山口をまわる久々のミニツアーに出ました。療育や保育の実践研修会だったり、療育センターや子育て支援や保育園での子どもたちとのつながりあそびであったりと、久々につながりあそびを堪能しました。子どもたちだけでなく先生たちも本当にいい顔をしていました。特に私のファイスブックの子どもたちの写真を見た仲間からは「すっごく楽しんでいる様子が子どもたちから伝わってきます」などのコメントをいただいています。一緒に遊んでいる私たちも楽しかったし幸せでした。

毎度書くようですが、この楽しさを、幸せを奪われたくないのです。つながりあそび・うたの楽しさの中に、この奪われないための「楽しさ」を広げることがあるのです。どうやってでしょうか。それは仲間たちと楽しさをつくりだす中にです。本人が意識しているか、無意識かに関わらず、遊んで、遊んで、遊びこんでみんなで関わり合って(つながりあって)「楽しさ」をつくりだしているのです。与えられるのではなく、つくりだすという考え方を大事にしたいです。

都城療育研究会でのことですが、男性でただ一人参加したけんちゃん(放課後ディ職員)の一生懸命な遊び方というか動きというか面白さがみんなに「楽しい」を広げているような気がしていました。本人はただひたすら遊んで楽しんでいるだけなんでしょうけどね。この日は、今年一番の寒い日でもあり、仕事帰りに三々五々会場に集まって学び合うこと自体がある面では自分とのたたかいです。そこを乗り越える楽しさが療育研究会の約40年の歴史の中でつくりだし積み重ねてきたのです。その土台があったからこそ、この日の実践研修で、療育の中でつながりあそびの楽しさをどう広げていくか、子どもたちの成長・発達とどう結びつけられるかをつながりあそびの楽しさを経験するなかで学び合えるのです。
そして、仲間の一人であるけんちゃんの遊ぶ姿をまるごと受け容れる仲間たちは、けんちゃんの姿の中に自分たちにも同じことを見ていたのではないでしょうか。『無人島』でなかなかほかの無人島に入れないけんちゃんとその仲間(3人組)、次の場面では自分たちも入れない立場になっていることもあるのです。そんな時はみんなで笑うしかないのですね。そうやって楽しさをつくりだして交流しているのです。

もう一つ、山口のたんぽぽ保育園のいちばん小さいひよこ(0歳児)さんと『ゆ~らゆ~ら』を遊んだ時に、大好きな先生に抱っこされて揺られて高い高いをされて最初は戸惑っていた様子のAちゃんは回数を重ねるたびにキャッキャッと大喜び。その笑い声や姿がだんだんひよこさんの友だちに広がっていきました。その理由の一つにAちゃんを抱っこする先生に刺激?を受けた先生たちが、自分の抱っこする子どもとの遊び方(子どもへの語り掛けや揺れ方や高い高いの高さ等)を変化させていったことにあるのです。先生同士がお互いに学び合い(真似し合い)変化、発展させ、楽しさをつくりだしているのですね。もちろん、ひよこさんの子どもたちも友だちの笑い声や姿に影響を受け合い、影響を与え合っていることには間違いないです。『ゆ~らゆ~ら』を歌い終わった後の高い高いの前にカウントダウンを入れました。「5・4・3・2・1・0・発射!」と。子どもたちは「5」の数え始めから大喜びでした。

こうやってみんなで楽しさをつくりだすことの楽しさの積み重ねが、その楽しさを奪うものに立ち向かう力をつけていくことになっているのです。もしかしたら今も今までも、この楽しさをみんなでつくりだす機会と場が奪われていたり、違う形で与えられているのかもしれません。


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抱っこ通信1269号(2024.1.5) 車検とそして

2024年01月05日 | 抱っこ通信
「車検は大切なおクルマの誕生日!」なんて洒落たキャッチコピーの葉書が届いて、今日の午前はディーラーへ。45歳で自動車免許を取得し、車生活になりましたが、前車に続いての車検です。それまでは車検の前に新車に交換。北海道から鹿児島までの活動で走行距離が半端ではなかったのです。故障なんかはしませんが、なんとはなく心配だったからです。
前回と今回の車検もコロナで活動も制限されていたこともありますが、もう車の運転にはからだにしんどくなっているのが正直なところです。音響などを持参しなければならない活動も減ってきているので、そろそろ車での移動はやめたいなと思います。

午後は整形外科病院に。腰痛治療に先月から週一に理学療法士のリハビリを受けています。合わせて柔道整体師のマッサージは月2回くらい受けています。月1度は医師の診察、診断を受けなければならないし、半年ごとにレントゲンとMRIでの診断を受けなければなりません。薬は出してくれません。
 2012年秋の夢わかばプロジェクト岩手ツアーでの宮古市で発症した坐骨神経痛です。2か月ほど活動は休止、車イスでの移動なんて言うこともありました。数年、通った整形外科病院では痛み止めの飲み薬とシップをくれるだけで症状はあまり変わらず。そのうちにだんだんと行かなくなり、それでもなんとか生活ができていたのですが、一昨年の夏のミニコンサートとサマー・カレッジ2日間の活動で、からだがしんどくなり、ネットで探したのが今の整形外科病院です。脊柱狭窄症と診断され、しばらくはマッサージを、ということで通っています。そして、先月からはリハビリが加わったのです。保険適用ですし、時間もたっぷりあります。
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抱っこ通信1268号(2024.1.4)

2024年01月04日 | 抱っこ通信
4日は仕事始めの人が多いようですが、私が市役所に務め始めた70年初めは、職場ごとにお神酒で「乾杯!」なんていうことがありました。良い時代だったのでしょうか。また、12月28日と翌年の1月4日が日曜日という年は、二日間だけですがなにか得をした気分になったものでした。
市役所に務めていた頃の年末年始は、全レク(全日本レクリエーション・リーダー会議)の沖縄ツアーがあったり、スキー協(現新日本スポーツ連盟全国勤労者スキー協議会)の正月スキーがあったり、一応、全レクとしてのレク・リーダー(今は言わないか?)としての活動で忙しくしていました。いまさらながら、働きながらの活動で良く体が持ったということと、本職と活動とをなんとか両立させていたかなと思います。きっと職場の同僚には多大な迷惑をおかけしていました。飽きられ、諦めていたのでしょうか・・・。

昨年、12月にはそうやって働きながらも「つながり」を広げている全国のつながり仲間たちがオンラインでつながって、昨年のサマー・カレッジの総括と今年に向けての抱負を話し合うことが出来ました。忙しい中、本当にありがたいことでした。
自分もそうやって働きながら活動していたので、その大変さを知っているつもりだし、また、働きながらだからこそのその喜びも知っているつもりです。楽しくなければ、面白くなければ続けられないですが、もう一つ大事なことですが、「つながりの哲学」なんていうとオーバーですが、それぞれの「つながりの思い」がそれこそつながっていると実感できているからでしょうね。実践を重ねながら、楽しさを重ねながら「つながりの哲学(思い)」を深めていきたいと思います。

さて、2024年のスタートに、九州つながりの会・向日葵の仲間たちが初めてウインターカレッジに挑戦します。先日の総括会議でも報告があったように、例年、福岡サマー・カレッジの参加者の約7割が園から派遣されて参加しています。夏だからか、研修の時期なのでしょうか。そういう意味では、冬のこの時期の研修会への参加を園から派遣、というのは難しいと考えられます。ですから、一人ひとりにウインターカレッジの参加を具体的に丁寧に誘っていかなければならないです。内容は年度末、年度初めに向かうこの時期の現場の要求に応えられるものだと自信を持って言えます。多くの人の参加をお持ちしています。



4日は仕事始めの人が多いようですが、私が市役所に務め始めた70年初めは、職場ごとにお神酒で「乾杯!」なんていうことがありました。良い時代だったのでしょうか。また、12月28日と翌年の1月4日が日曜日という年は、二日間だけですがなにか得をした気分になったものでした。
市役所に務めていた頃の年末年始は、全レク(全日本レクリエーション・リーダー会議)の沖縄ツアーがあったり、スキー協(現新日本スポーツ連盟全国勤労者スキー協議会)の正月スキーがあったり、一応、全レクとしてのレク・リーダー(今は言わないか?)としての活動で忙しくしていました。いまさらながら、働きながらの活動で良く体が持ったということと、本職と活動とをなんとか両立させていたかなと思います。きっと職場の同僚には多大な迷惑をおかけしていました。飽きられ、諦めていたのでしょうか・・・。

昨年、12月にはそうやって働きながらも「つながり」を広げている全国のつながり仲間たちがオンラインでつながって、昨年のサマー・カレッジの総括と今年に向けての抱負を話し合うことが出来ました。忙しい中、本当にありがたいことでした。
自分もそうやって働きながら活動していたので、その大変さを知っているつもりだし、また、働きながらだからこそのその喜びも知っているつもりです。楽しくなければ、面白くなければ続けられないですが、もう一つ大事なことですが、「つながりの哲学」なんていうとオーバーですが、それぞれの「つながりの思い」がそれこそつながっていると実感できているからでしょうね。実践を重ねながら、楽しさを重ねながら「つながりの哲学(思い)」を深めていきたいと思います。

さて、2024年のスタートに、九州つながりの会・向日葵の仲間たちが初めてウインターカレッジに挑戦します。先日の総括会議でも報告があったように、例年、福岡サマー・カレッジの参加者の約7割が園から派遣されて参加しています。夏だからか、研修の時期なのでしょうか。そういう意味では、冬のこの時期の研修会への参加を園から派遣、というのは難しいと考えられます。ですから、一人ひとりにウインターカレッジの参加を具体的に丁寧に誘っていかなければならないです。内容は年度末、年度初めに向かうこの時期の現場の要求に応えられるものだと自信を持って言えます。多くの人の参加をお持ちしています。





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抱っこ通信1267号(2024.1.3)

2024年01月03日 | 抱っこ通信
年が変わると何かをやってみようと思うのですが、長続きをしたことがない。今年は三日坊主にならないように無理せずやっていこう。

今朝、私の仲間の「オレの娘です」が亡くなってしまった。親父さんとは「戦争反対!と声をあげよう」街頭宣伝活動で、毎週顔を合わせていますが、彼女とは「どこかでお会いしていたのでしょう」という感じ申し訳ないのですが。
そんな親父つながりの彼女から昨年の私の誕生日にメッセージをいただきました。
「二本松さん 誕生日おめでとうございます。出会った時、自分は小学生。ステージで『この曲を手話やりながら歌いましょう!』と言われていたのがすごく印象的で。実際聴覚にハンデある方も、手話通訳の方同伴でコンサートに行かれるそうです。(突発性難聴の後遺症と闘いながら頑張っている堂本剛くんが言っていました)あったかい気持ち。優しい気持ち。発信し続けて下さる二本松さん。応援しています。」と。
彼女への返信です。「生きているっていうことは、その人なりに、その人らしく社会に参加して、社会を人間らしく発展(変えて)させていくことなんだよね。そんなことをいつも発信したいです。その一つが手話で歌うことかな。メッセージありがとうです。」と。
改めて彼女のフェイスブックを読みました。昨年の彼女を誕生日の投稿です。「自分の名前の通りに生きます。海が広い様子を表す言葉が転じて人の心が広い、と言う意味の自分の名前。川からどんどん水が流れても、黙って受け入れて自分のものにする『海』」と。
いつかどこかでゆっくりおしゃべりしたかったな。残念です。今年は悔しい思いをしないように会いたい人には会いに行くとしよう。
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抱っこ通信1264号 つながりあそび・うた研究所2023年12月号原稿

2024年01月03日 | 抱っこ通信
楽しさを奪うものに立ち向かう楽しさ
二本松はじめ

12月に入りました。なにかと気忙しい12月。ですが、私はいつものんびり。久しぶりに「忘年会」等というものに誘われています。街中でも「忘年会」がちょっとした話題になっているらしいです。初めて体験するとか久しぶりとか。コロナ禍のここ3年間には考えられなかったですね。少しずつコロナ前に戻ってきているのでしょうか。

今年はサマー・カレッジが戻ってきた地域もあったり、ゆずりんの地域のコンサートや小学校公演が少しずつ戻ってきているようだし、まっちゃんのからだの変調を来し、延期するほどつながりあそび活動があったようですし・・・。私? 私は月1回ほど遠出というか地方でのつながりあそびミニツアーを入れたり、地元にいる時は、週一に「戦争反対!と声をあげよう」街頭宣伝活動で、東久留米駅前で地域の先輩のみなさんに混じって歌って来ました。さて、2024年はどうなるのでしょうか。

「どうなるのでしょうか」などと書くとまっちゃんに怒られそうですね。「なにをしたいのか」「なにをするのか」ですね。最近はそんなに意気込むというか考えるということはないのですが、いつものように自然体で、やりたいことをやっているし、やっていきたいと思っています。
一つだけこれだけはやってみたいな思うことがあります。研修会のレジュメにも書いていますが、最近はあまり触れていなかった「生きる楽しさを奪うものに立ち向かう楽しさ」についてとその意味について、じっくり考えてまとめていきたいと考えています。
はじめてこの言葉を使ったのは、1994年1月に発行した研究所機関紙『手と手と手と』第9号です。文章は「厳冬だからこそ心に暖かさを ~楽しさを奪うものに立ち向かう力も育む『楽しさ』を!~ 」と表題をつけて、前年に当時の岐阜県恵那郡加子母村で開かれた『あったかコンサート』に参加したお父さんの感想「・・・こんな時代です。どこかで温かなところを持っていないと、人生楽しくないような気がします・・・」から文章ははじまり、「『楽しい』ってことを大切にしながら、『楽しい』っていうことを奪うものに立ち向かう力を育む『楽しさ』を、今年もつくりだし、広げていきたいと思います。」とまとめています。

サマー・カレッジが、参加者自身で実行委員会を組織し、開かれるようになり始めた頃に、各地の実行委員会でつながりあそびとは、サマー・カレッジとは、を活動面と運動面とで考えようと学習会を開いたことがあります。正直、まだまだ実績どころか、実践が蓄積されていたわけでなかったですから、独りよがりで稚拙な自分の思いを吐露するしかなかったのです。そこで強調していたのは「つながりあそびの楽しさは、生きる楽しさを奪うものに立ち向かう楽しさ」ということでした。きっと私自身もよくわからず語っていたと思いますが、当時の私の「つながりあそび」での一つの到達点もあったし、今でもその考えは変わっていません。しかしながら、その意味は具体性にも欠けるし、一般的でもないし、わかりずらさは否めません。あれから20年(綾小路きみまろは40年)も経っていますし、そろそろまとめ、次へのステップのためにも自分自身がその意味するところをまとめてみなければと思っているところです。自分としては、この言葉を目標に、励みとして活動し、生きてきたんだと思うのですが・・・。楽しみに、というか一緒に考えてください。
 
一つ言えることは、コロナ禍の中でも週一に配信し続けているゆずりんのユーチューブでの「ゆずりんの音楽日記」や、まっちゃんのオンラインだったり、ハイブリットだったりしながらも月1回続けている「わくわくセミナー」は、まさに「楽しさを奪うものに立ち向かう楽しさを」つくりだし、広げている活動です。すごいことです。感謝、感謝です。


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抱っこ通信1263号 つながりあそび・うた研究所風の便り11月号原稿

2024年01月03日 | 抱っこ通信
つながりあそびを受け入れられる風土とは
二本松はじめ

私の活動は、以前にも書きましたが、つながりあそび・うたの土壌を耕すことと種蒔きです。特に、研究所を立ち上げてからの30年間は、つながりあそびの種を蒔きたい現場の荒廃が進み、風が通り過ぎるだけであったり、コンクリートのように固く固く固められているように感じています。そこでは風のいろいろな表情を感じることも必要ないし、雨(水)は、表面を濡らし、すぐに流れてしまうような現実があり、そういう実態に見合った保育文化の華? 花しか咲いていないようにも感じます。その他の樹や草花を知ることさえも出来なくなっているというか、必要としていません。
そこには子どもという存在がいないような気すらします。

 一方、その土地の風土に根づいた緩やかな風が吹き、水分をたっぷり含んだ土壌を持つ現場もあります。一面では近寄りがたいような現場もありますが、そこでは子どもの存在が感じられます。

と、一方的に見えたり、感じていてはいけないのでしょうが、コロナ禍もあって子どもたちが身近に感じられなくなっていた私がいたことも事実ですし、そんな私から見ての感想です。

やっと、サマー・カレッジが戻ってきて、仲間たちから少しずつ現場の雰囲気や子どもたちの姿を聞けるようになって、また、保育現場等に入るようになって、少しだけ気が付いたこともありました。


10月に遊びに行った盛岡市の社会福祉法人わかば会の4か所の保育園を回って感じたことですが、子どもを育てる、保育をつくりだすには、その土地の風土に根づくことの大切さと風土をつくりだす一端になる必要性です。ここでいう風土とはかなり広い意味を持ちますが・・・。

わかば会に見てみるとホームページには次のように書かれています。
「当法人は『働く父母が安心して預けられる保育園』『子どもたちの全面発達』を目標に掲げ、昭和56年4月に『わかば保育園』を開園しました。
当時盛岡市内には産休明けの長時間保育を実施している保育園はなく、共働き家庭は二重保育や無認可保育園に預けざるを得ませんでした。
このような状態を何とか解消しようと、当時無認可保育所だった高松わかば保育園を母体に父母たちが『わかば保育園をつくる会』を結成し、市内外から数多くの人たちの寄付金等物心両面にわたる支援を得て、5年間の運動の末に、わかば保育園を設立することができました。

わかば会の理念
社会福祉法人わかば会は子どもの人権を尊重し、保護者と協力しながらその健やかな成長のために尽くすとともに、保護者が安心して子どもを預け働ける環境づくりに努めます。
未来の主人公になる子どもたちの権利を尊重し、豊かな乳幼児期を保障することを基本とし、保護者の皆様と一緒に保育を創っていくことを大切にしてまいります。
そして子どもが本来持っている能力を引出し、豊かな感性を育み、一人ひとりが仲間の中でゆっくりじっくりと自分を育てていけるような保育環境づくりに努めます。
さらに、地域の皆さんと連携し、子育て支援や地域福祉の向上を目指し、地域の子育ての拠点となるよう努めます。
そのためにも、職員一人一人が生き生きと活動し、喜びをもって働き、自己実現できるような職場環境、職場の風土づくりに努めます。」

と、ま、書かれているのですが、ある面では保育園ができる必然性がその地域にはあったのです。その必然性がその保育園の風土を産み、育て、その地域の風土にもなっていっているのですね。そこには必ず子どもの存在があったはずですね。子どもの存在こそが、その地域の風土をつくり育てる主体であるはずですから。同時に、保育園の歴史の長短だけでなく、保育園の主体である人の問題とも言えます。

残念ながらつながりあそび・うたは、そんな風土を持つ保育園には受け入れられているように感じますが、コチコチに固められた保育園、風土をもたない保育園にはなかなか受け入れてもらえていないようにも感じます。私たちが圧倒的に届けられていないのが事実ですが。がんばれ!つながり


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抱っこ通信1266号 これからも

2024年01月02日 | 抱っこ通信
昨年、5月に新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行に伴い、なんとはなくですが、少しずつですが気持ちが外向きになっているような感じが広がってきたようです。まだまだ分からないことも多く、不安で心をおおわれてなかなか踏み出せないことも多いことも間違いありません。まだまだコロナ禍での暮らし、生き様がどうあったかを論ずるというか、総括して次に踏み出すには早いと思いますが、新しい年に向かってそれぞれが一歩踏み出していければと思います。

そして、2024年は「『安心の世界』が地球規模でも、日常のささやかな暮らしの中でも、特に、子どもたちに少しでも広がることを強く願って」と書いたばかりなのに昨日は「能登半島地震」。少しでも被害が少ないことと迅速な救援活動を願うばかりです。少しでも「安心の世界」を。

昨年、毎木曜日の、地域のみなさんと「戦争反対!と声をあげよう」の街頭宣伝行動に42回参加できたことが嬉しかったです。「音楽があるとないとでは違うのよね」「新しい歌を覚えられて楽しい」「うたごえに励まされています」と喜ばれています。
残念ながら月一の東久留米反核平和市民実行委員会の街頭宣伝行動には6回しか参加できなかったです。地方でのつながりの活動と重なってしまっているのです。
退職保育士の会の「公立保育園をなくさないで!」の街頭宣伝行動には14回参加。これは私のスケジュールに合わせてくれています。

今、どんな歌が求められているのかを考えながら街頭に立っています。基本は自分の言葉での創作曲を歌っていますが、闘っている仲間たちの中から生まれた歌も歌っていきたいし、仲間たちをまきこんだ創作活動を進めたいなと考えています。
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