亀戸天神から東に 300m ほどの地に建つ真言宗の寺、福聚山普門院の墓地の入り口に大きな戦災犠牲者供養碑、観音像が建っている。
昭和 20 年 3 月 10 日の東京大空襲による犠牲者を、33 回忌にあたる昭和 55 年に供養したものだ。
戦前の亀戸地区は工業地帯で住宅が密集し多くの人が住み、その人たちが戦火に焼かれた。
供養碑の近くにある木の幹に何か異様な物が埋まっていた。70 年前の大空襲の傷痕なのだろうか。
上を見上げると葉を茂らせていた。
大正・昭和の講談師 大島伯鶴の碑は、寺の入り口の棕櫚の葉に隠れて建っていた。
辞世の句
伯鶴は永々嘘をつきました いずれあの世で舌は無いもの
“講釈師見てきたような嘘をつき” 講談を語る人は、見てきたように話をするのが商売。講釈師である伯鶴がこのような碑を建てるところがおもしろい。
この碑には人間国宝 5 代目柳家小さんの、伯鶴の講談師としての功績を称える一文が刻まれている。
この寺には、元和 2 年( 1616 )、(台東区)橋場からこの亀戸の地に移転する際、梵鐘を隅田川に落とし、その地が“鐘ヶ淵”の名がついたという伝承がある。
寺のそんな歴史を物語るように、古い石仏が並んでいた。